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第21話 聖天と魔邪
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傍らにラスティだけを連れ、私は見晴らしの良い崖の上でソレを見据えた。
陽光を浴びて輝く純白。
一対の大きな翼に細身の胴体。
無数の鱗に覆われた全身は強靭な隆起を見せ、およそ数十キロ先だというのに聖なる魔力の不快が届く。予定外の脅威はある程度想定しているものの、想定外の脅威はどうあっても脅威でしかない。
「…………チッ」
ラスティの舌打ちが耳に入る。
今、私達は二人きりだ。
黒巫女衆ではアレの相手は荷が重すぎる。一緒に残ると言ってきかない娘達をユーリカ達年長組に任せ、私と同格の実力を持つラスティだけを連れてきていた。
誰の邪魔もない。普段ならラスティの方から私の腕を取り、深い谷間に挟んで離そうとしない状況だ。
現状そうなっていない事を考えると、あの純白の竜は魔王にとっても油断出来ない相手らしい。互いの動きを阻害しないように一定の距離を取り、どんな事が起こっても対処できるように構えている。
「……ラスティ。アーカンソーについて知っておくべき事はあるか?」
「奴はギュンドラと同じ転生者だ。人間からホーリードラゴンに転生し、かれこれ千年は生き続けている。身体能力は見た目以上。腕の一振りで町の一区画が消し飛ぶ。魔術にも通じてるが、それよりも常に纏っている聖なる力が厄介だ。魔や不死属性の者は、近づくだけで存在を浄化されて焼かれかねない」
「…………お前も―――」
「供を命じたのは主様だ。今更退けと言われても退かないからなっ」
命じる前に拒否されてしまい、私はどうしたものかと思考を巡らす。
魔であり不死である彼女に、聖なる浄化はいくら何でも拙い。
邪(蛇)で不死の私でさえこの距離で影響が出ているのに、今の彼女が受ける苦痛は一体どれほどの物なのか? 相対したらどこまで酷くなるのか容易に想像出来て、どうにか出来ないかと知恵を―――?
(何だ?)
ラスティのいる方向は浄化の不快感を感じない。
むしろ、安心感を感じる?
「ラスティ。私の傍に来てくれ」
「邪魔になるだろう」
「なら、私から行こう」
ラスティに近づいていくと、アーカンソーの力の影響が薄らいでいった。
ラスティの魔力が浄化を中和しているのか、大分気分が楽になっていく。
「? 主様? 何かしているのか?」
「いや、何も。どうかしたか?」
「アーカンソーの浄化が弱まって……消えた? こんなことは初めてだ」
「そうか。私も同じだ」
おおよそ一メートルの距離で、あれだけ感じていた不快が消えた。
聖は魔だけでなく邪とも相殺しあうのか。ならば、私とラスティの力が合わされば、アレに対抗するのは難しくない。
むしろ、私が邪魔か。
特別に設えた能力と技で無理矢理対等にしているが、純粋な戦闘経験はラスティの方が上。魔王として幾度となく戦った中で、アーカンソーに対する有効札も当てがあるだろう。
私との即席の連携よりは、浄化を無効化した上でラスティに任せた方が良いかもしれない。
幸い、無効化の当てはある。
私がラスティの羽衣になるか、巫女から眷属に昇格させるか。アーカンソーの襲来までもう数分かかりそうだから、どちらにしても十分に行える時間はある。
どっちにするかは、ラスティ次第。
「ラスティ。私がお前の服になるか、お前が私の伴侶になるか、どっちが良い?」
「伴侶だ。妻だ。嫁になる。子供は最低三人欲しい。側室にレスティとシムナも迎えてくれ。ユーリカ達は近衛にして私も可愛がってやろう。それと知っているか? 黒巫女で一番年若いアミスは同性愛者で、シムナの事を狙っている。上下関係をしっかり仕込まないと後々面倒になりかねない。初夜に呼んで縛って見せ付けて懇願させて躾けてやろうじゃないか」
「その辺は後で詳しく聞かせてもらおう。それじゃ、すぐ済ませよう」
ラスティの応えに、私は右半身を不定形に崩して彼女の身体を包み込んだ。
何をされるか何となく察していたらしく、一切の抵抗も抗議もない。信頼の眼差しが私に向けられ、私は更に全身を崩して彼女を呑み込む。
『魂と肉体の変質を受け入れろ。アレがここに来るまでに、お前の全てを私専用に作り替える』
触れ合う体組織から、脂肪、筋肉、骨、臓器といったラスティの全てに私を浸透させる。
血液よりも、体液よりも、更に深い組成情報に私の情報を流し込む。彼女の中に私という存在を染みて染みさせ、端から端まで浸して侵す。
魔と邪の混合を感じる。
力の混沌が小さな連鎖から大きなうねりを生み、私達の意志でラスティの形に収められる。合わさった魔と邪の奔流は噴火の如く、今にも爆発しそうな勢いを制してたった一つに束ねて纏める。
『―――――ッ!』
声にならない咆哮をラスティが上げた。
大気が震え、大地が震え、まるでこの世界が恐怖しているかのようだ。はるか遠くで鳥の群れが一斉に飛び立ち、少なくとも数キロ内の生物がここを中心に逃げ出している。
浸透して取り込まれた私を残し、私はラスティから分離した。
不定形から人型に戻り、変わり果てた彼女の姿に笑みが零れる。
蛇を思わせる縦筋の入った瞳。両の側頭部から伸びる龍の角。四肢を覆う血色の鱗。臀部から新たに生えた長い蛇の尾。そして、それらの異形でより際立つ女としての柔らかな美しさ。
鮮やかだった赤い髪は、鱗と同じ血色に変えた。
羽衣も血色で、肌の色以外は全て血色で統一されている。
「これで、お前の全ては私の物だ」
私は、完全なる眷属となったラスティと指を重ね、祝福の口づけを交わした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ラスティの変質が終わって二分ほど経ち、ソレは私達の前に降り立った。
白と白と白と白。
アルビノの儚い美しさではなく、傲慢に清浄を塗り固めた汚れた純白。全高は三階建ての建物より少し低いくらいで、尾の長さはそのおおよそ倍。遠目では細かった身体は自然生物にはありえないほど太く、それを支える強靭な脚が大地にめり込む。
巨大な目が私とラスティを見据え、ラスティを警戒しているのか喉を鳴らす。
強者然とした余裕はなく、賢者然とした余裕が見て取れた。こちらを観察し、評価し、判断する、理性的な性質が本質なのか。
話が分かる相手と見ていい。
私はラスティを控えさせ、彼女の力の領域内で対する。浄化の影響はなく、安心感から思わず笑みが浮かんだ。
「女神軍第四軍団長しなずち。聖天アーカンソー殿との邂逅を嬉しく思う」
『ユーゴから―――失礼。ギンタ、今会談中だ。訊いておくから静かにしていろ』
ギンタ、という言葉に、こちらに有利な材料が増えた事を確信する。
王の依代。
やはり、ギュンドラ王の本名はギンタのようだ。
ドラゴンが仲間にいるから、崩して繋げてギュンドラと名乗ったのだろうか? まぁ、それについては今はいい。
私は地面から守り蛇を一匹呼び出し、人一人がすっぽり入る大きさの卵を吐き出させた。
「ギュンドラ王のご所望はこちらかな?」
『…………ミュウの緑の魔力を感じる。ギンタは払える限りの対価を支払うそうだ』
「敵対者相手に?」
『戦いの選択肢を潰しておいて何を言う。我が腕を一振りでもすれば、その卵は中のミュウ諸共無残に引き裂かれるだろう。もし無事に奪えたとしても、そこのレスティに似た何かの力は私でも防ぎきれん』
自身の尾と戯れるラスティを指し、アーカンソーはふんっと鼻を鳴らした。
交渉のテーブルに着いてくれたようで、私は内心ほっとする。
力による恫喝をされる前にミュウを封じた卵を見せ、直接的な敵対行動を封じる策は成功した。後は適切な対価と引き換えにミュウを押し付けられれば、今回の交渉は成功と言って良い。
もし失敗しても、今のラスティと私の二人がかりなら十分に勝ち目はある。どちらに転んでも問題はない。
問題は、ミュウが死ぬとユーリカ達が悲しむ事。
ダークエルフの群れの繋がりは、巫女となった後も強く残っている。
彼女の処遇を決めるにあたり、ユーリカ達は代償と引き換えに助命を嘆願してきた。流石に認められなかったものの、彼女達の意志は固く、決定を保留にする事でうやむやにしているのが現状だ。
理想は、ギュンドラ王が国を捨て、ミュウとアーカンソーと共に旅立ってくれる事。
ミュウは生きていてユーリカ達は悲しまない。ギュンドラ王とミュウは一緒になれ、アーカンソーもいなくなって直接的な脅威がなくなり、第一軍と第三軍は労せずギュンドラに侵攻できる。
在り得ない選択肢だが、在り得ないからと切り捨てては好条件を引き出せはしない。可能な限り近づける努力は、どんな形であっても結果を導いてくれる。
私は努めて社交的な笑顔を浮かべ、アーカンソーに謳い掛けた。
「では、私からの要求だ。私に下ったダークエルフ達はミュウの幸せを望んでいる。アーカンソー殿にはその助力を頼みたい」
提示した要求が予想外だったのか、アーカンソーの目尻が興味深そうに持ち上がった。
人間と違って表情が読みにくいが、わからないほどではない。
しっかり喰い付いてくれているようで、嬉しい限りだ。
『助力だと? 敵である私にか?』
「そうだ。捕える間際、彼女はギンタ氏に最後まで心身を許せなかった事を悔いていた。捕えている間もずっとそう。そして、今は一緒になりたいと望んでいる。その望みを叶えたい」
『…………ギンタは信じられないと言っている。私も、にわかには信じがたい』
切なさと哀れみが声の質を重く冷たくしている。
信じられないのは私の言葉か、それともミュウの望みか。
私はアーカンソーが見せる感情から、前者二割、後者八割と推測する。私の言葉が信じられないなら、怒りなり失望なりを見せる筈だ。憐憫や悲哀は向ける先が違う。
相当にこじれた関係なのか?
まあいい。ミュウの意志を話せば、少なくともギンタは飛びついてくるだろう。
「アーカンソー殿。ミュウは『やり直したい』と表現している。そちらの事情は察するが、最終的にはギンタ氏とミュウの二人の問題だ。外野がとやかく言う事ではないと、私は考える」
『そうだろうが……ミュウはもう高齢だ。ギンタとやり直そうにも…………』
ああ、その問題もあったか。
既に対策済みだったから忘れていた。
「年齢については解決済みだ」
『なんだと?』
「私はしなずち。死なずの池。池は水、水は身を表す。身体操作で、ちゃんとやり直せるように若返らせておいた。慣れるまで多少の時間はかかるだろうが、二人の間に確かな愛があれば問題はない」
『殺さず、厄介を焼き、若返りまで施す? 一体何を企んでいる? そのような事をして、貴公らに何の益がある?』
ギュンドラ王側の条件が良すぎる事に、アーカンソーは裏が無いかと疑念をぶつけてきた。
その考えはもっともだ。
利益は正当な対価でしか手に入らない。天秤が傾けば疑いが生まれ、不審を抱くのも当然だ。
しかし、これはユーリカ達の為でもある。
「私の家族の家族が幸せになる。わずかな時間ではあるが、貴方と戦わずに済ませられる。戦うか逃げるかを考える時間が稼げ、準備が出来るし決断も出来る。元より、私の戦場はココではない。脇役は適当に切上げ、主役に出番を譲りたいのだ」
『主役……?』
「すまないが、そこまでは教えられない。私の天秤が傾いてしまう」
出来る話はここまで。
私はミュウの卵をアーカンソーに向けて押し出し、決定を迫った。
警戒は解けていないが、そんな事は割とどうでも良い。持って行ってくれるなら手間が省ける。持っていかなくても、ギュンドラ王を攫ってミュウに与えればいい。
繁栄の女神の名に懸けて、二人の幸せは保証しよう。
それがどれだけ続くかは当人達次第だが……。
「アーカンソー。私の声はギュンドラに伝わるか?」
弄り飽きた尻尾を放り投げ、ラスティはアーカンソーの正面に立った。
『伝わるぞ、レス……いや、何と呼べばいい?』
「ラスティだ。ギュンドラ、いつまでアンダルの亡霊を恐れている? ミュウは奴に恋心を抱いていたが、それは四百年以上昔の話だ。今のお前達には関係ない。負け組同士、傷を舐め合うも一興と思わんか?」
『大きなお世話、だそうだ。だが、ラスティの言う通りだぞ、ギンタ。お前達は奥手に過ぎる。据え膳食わぬは男の恥という言葉はお前達の国の言葉だろう? たった一人で棲み処に現れ、私を説き伏せた時のお前はアンダルに勝る男を見せていた。一部で良いからミュウに見せてやれ。アレならこの国のどんな女でもお前に靡く。自信を持て』
何か、励まし大会の様相を呈してきて、自分とヴィラが付き合い始めた頃を思い出す。
第二軍の連中にこんな感じでほだされて、噛み噛みで告白してそのままベッドインしていた気がする。
何だか恥ずかしくも懐かしい。
ギュンドラ王も同じ思いを味わっているのだろうか。もし敵同士でなかったら、良い友人になれたかもしれないな。
まあ、被害者的な意味で。
『――――やっと折れたか。ミュウの身柄は、ギンタに必ず送り届けよう』
「宜しく頼む。それと、若返りの影響でスタイルが変わっているから、ミュウは服を着ていない。その他大勢に見られたくなければ二人きりで会う事を勧める」
『了解だそうだ。それと、もしミュウを使ってギンタの暗殺を考えているようなら、それは無駄だ。呪いも毒も、私の力が浄化させてしまうからな』
「在り得ないな。そんな事をすれば、巫女達の願いを踏みにじる事になる。家族を悲しませる事は、私には出来ない」
私はミュウの卵を渡し、アーカンソーが口の中に入れて安全に保管した事を見届ける。
ホーリードラゴンの体内なら、何があっても大丈夫だろう。無事にギュンドラ王の元に送り届けられるに違いない。安心して、彼女達の行く末に幸せが溢れる事を祈り手を振る。
大きな純白の翼が広げられ、余波の暴風が辺りを揺らした。
その強さに少しよろけると、ラスティは私の身体を尾で巻いて支えてくれた。大して太いわけでもないが、見た目とは比べ物にならないほど強靭でビクともしない。私は安心して身を任せ、こちらを見下ろす一対の瞳と視線を通わす。
『神の尖兵が貴公のような者ばかりなら、ギンタも私も…………いや、詮無い事か』
ドンッという爆発音と共に砂塵が視界を埋め尽くした。
次いで強力な砂嵐が周辺を覆い、巨大な影が一瞬の夜を告げるとすぐ明るさを取り戻す。一連の変化から、アーカンソーが飛び立ったのだと理解する。そして、それだけでこれほどの影響が出るのかと舌を巻いた。
嵐はすぐに去り、羽ばたく音が遠ざかっていく。
砂塵の幕をラスティが風魔術で払い、見上げるとあの大きな純白はすっかり小さくなっていた。私は張っていた気を解いて力を抜き、大きく長くため息を吐く。
色々と疲れた。
浄化の影響だけではない。ラスティの眷属化で血液の大部分を失っている。しばらく休養するか、かなりの量の補給が必要だ。
その間は、皆に任せよう。
「ラスティ。私はしばらく休む。黒巫女衆に合流して、私が起きるまで指揮を引き継いでくれ。何かあった時の判断はお前に任せる」
それだけ言うと、私は瞼を閉じた。
眠気がどっと押し寄せ、ラスティの返事が彼方に聞こえる。内容はよく聞き取れなかったが、起きた後に訊けば良いだろう。
暗い無我が私を迎える。
何もなく、何もなく、何もない。ただただ沈黙と安息が傍らにあり、永劫のような瞬きに私は意識を委ねた。
陽光を浴びて輝く純白。
一対の大きな翼に細身の胴体。
無数の鱗に覆われた全身は強靭な隆起を見せ、およそ数十キロ先だというのに聖なる魔力の不快が届く。予定外の脅威はある程度想定しているものの、想定外の脅威はどうあっても脅威でしかない。
「…………チッ」
ラスティの舌打ちが耳に入る。
今、私達は二人きりだ。
黒巫女衆ではアレの相手は荷が重すぎる。一緒に残ると言ってきかない娘達をユーリカ達年長組に任せ、私と同格の実力を持つラスティだけを連れてきていた。
誰の邪魔もない。普段ならラスティの方から私の腕を取り、深い谷間に挟んで離そうとしない状況だ。
現状そうなっていない事を考えると、あの純白の竜は魔王にとっても油断出来ない相手らしい。互いの動きを阻害しないように一定の距離を取り、どんな事が起こっても対処できるように構えている。
「……ラスティ。アーカンソーについて知っておくべき事はあるか?」
「奴はギュンドラと同じ転生者だ。人間からホーリードラゴンに転生し、かれこれ千年は生き続けている。身体能力は見た目以上。腕の一振りで町の一区画が消し飛ぶ。魔術にも通じてるが、それよりも常に纏っている聖なる力が厄介だ。魔や不死属性の者は、近づくだけで存在を浄化されて焼かれかねない」
「…………お前も―――」
「供を命じたのは主様だ。今更退けと言われても退かないからなっ」
命じる前に拒否されてしまい、私はどうしたものかと思考を巡らす。
魔であり不死である彼女に、聖なる浄化はいくら何でも拙い。
邪(蛇)で不死の私でさえこの距離で影響が出ているのに、今の彼女が受ける苦痛は一体どれほどの物なのか? 相対したらどこまで酷くなるのか容易に想像出来て、どうにか出来ないかと知恵を―――?
(何だ?)
ラスティのいる方向は浄化の不快感を感じない。
むしろ、安心感を感じる?
「ラスティ。私の傍に来てくれ」
「邪魔になるだろう」
「なら、私から行こう」
ラスティに近づいていくと、アーカンソーの力の影響が薄らいでいった。
ラスティの魔力が浄化を中和しているのか、大分気分が楽になっていく。
「? 主様? 何かしているのか?」
「いや、何も。どうかしたか?」
「アーカンソーの浄化が弱まって……消えた? こんなことは初めてだ」
「そうか。私も同じだ」
おおよそ一メートルの距離で、あれだけ感じていた不快が消えた。
聖は魔だけでなく邪とも相殺しあうのか。ならば、私とラスティの力が合わされば、アレに対抗するのは難しくない。
むしろ、私が邪魔か。
特別に設えた能力と技で無理矢理対等にしているが、純粋な戦闘経験はラスティの方が上。魔王として幾度となく戦った中で、アーカンソーに対する有効札も当てがあるだろう。
私との即席の連携よりは、浄化を無効化した上でラスティに任せた方が良いかもしれない。
幸い、無効化の当てはある。
私がラスティの羽衣になるか、巫女から眷属に昇格させるか。アーカンソーの襲来までもう数分かかりそうだから、どちらにしても十分に行える時間はある。
どっちにするかは、ラスティ次第。
「ラスティ。私がお前の服になるか、お前が私の伴侶になるか、どっちが良い?」
「伴侶だ。妻だ。嫁になる。子供は最低三人欲しい。側室にレスティとシムナも迎えてくれ。ユーリカ達は近衛にして私も可愛がってやろう。それと知っているか? 黒巫女で一番年若いアミスは同性愛者で、シムナの事を狙っている。上下関係をしっかり仕込まないと後々面倒になりかねない。初夜に呼んで縛って見せ付けて懇願させて躾けてやろうじゃないか」
「その辺は後で詳しく聞かせてもらおう。それじゃ、すぐ済ませよう」
ラスティの応えに、私は右半身を不定形に崩して彼女の身体を包み込んだ。
何をされるか何となく察していたらしく、一切の抵抗も抗議もない。信頼の眼差しが私に向けられ、私は更に全身を崩して彼女を呑み込む。
『魂と肉体の変質を受け入れろ。アレがここに来るまでに、お前の全てを私専用に作り替える』
触れ合う体組織から、脂肪、筋肉、骨、臓器といったラスティの全てに私を浸透させる。
血液よりも、体液よりも、更に深い組成情報に私の情報を流し込む。彼女の中に私という存在を染みて染みさせ、端から端まで浸して侵す。
魔と邪の混合を感じる。
力の混沌が小さな連鎖から大きなうねりを生み、私達の意志でラスティの形に収められる。合わさった魔と邪の奔流は噴火の如く、今にも爆発しそうな勢いを制してたった一つに束ねて纏める。
『―――――ッ!』
声にならない咆哮をラスティが上げた。
大気が震え、大地が震え、まるでこの世界が恐怖しているかのようだ。はるか遠くで鳥の群れが一斉に飛び立ち、少なくとも数キロ内の生物がここを中心に逃げ出している。
浸透して取り込まれた私を残し、私はラスティから分離した。
不定形から人型に戻り、変わり果てた彼女の姿に笑みが零れる。
蛇を思わせる縦筋の入った瞳。両の側頭部から伸びる龍の角。四肢を覆う血色の鱗。臀部から新たに生えた長い蛇の尾。そして、それらの異形でより際立つ女としての柔らかな美しさ。
鮮やかだった赤い髪は、鱗と同じ血色に変えた。
羽衣も血色で、肌の色以外は全て血色で統一されている。
「これで、お前の全ては私の物だ」
私は、完全なる眷属となったラスティと指を重ね、祝福の口づけを交わした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ラスティの変質が終わって二分ほど経ち、ソレは私達の前に降り立った。
白と白と白と白。
アルビノの儚い美しさではなく、傲慢に清浄を塗り固めた汚れた純白。全高は三階建ての建物より少し低いくらいで、尾の長さはそのおおよそ倍。遠目では細かった身体は自然生物にはありえないほど太く、それを支える強靭な脚が大地にめり込む。
巨大な目が私とラスティを見据え、ラスティを警戒しているのか喉を鳴らす。
強者然とした余裕はなく、賢者然とした余裕が見て取れた。こちらを観察し、評価し、判断する、理性的な性質が本質なのか。
話が分かる相手と見ていい。
私はラスティを控えさせ、彼女の力の領域内で対する。浄化の影響はなく、安心感から思わず笑みが浮かんだ。
「女神軍第四軍団長しなずち。聖天アーカンソー殿との邂逅を嬉しく思う」
『ユーゴから―――失礼。ギンタ、今会談中だ。訊いておくから静かにしていろ』
ギンタ、という言葉に、こちらに有利な材料が増えた事を確信する。
王の依代。
やはり、ギュンドラ王の本名はギンタのようだ。
ドラゴンが仲間にいるから、崩して繋げてギュンドラと名乗ったのだろうか? まぁ、それについては今はいい。
私は地面から守り蛇を一匹呼び出し、人一人がすっぽり入る大きさの卵を吐き出させた。
「ギュンドラ王のご所望はこちらかな?」
『…………ミュウの緑の魔力を感じる。ギンタは払える限りの対価を支払うそうだ』
「敵対者相手に?」
『戦いの選択肢を潰しておいて何を言う。我が腕を一振りでもすれば、その卵は中のミュウ諸共無残に引き裂かれるだろう。もし無事に奪えたとしても、そこのレスティに似た何かの力は私でも防ぎきれん』
自身の尾と戯れるラスティを指し、アーカンソーはふんっと鼻を鳴らした。
交渉のテーブルに着いてくれたようで、私は内心ほっとする。
力による恫喝をされる前にミュウを封じた卵を見せ、直接的な敵対行動を封じる策は成功した。後は適切な対価と引き換えにミュウを押し付けられれば、今回の交渉は成功と言って良い。
もし失敗しても、今のラスティと私の二人がかりなら十分に勝ち目はある。どちらに転んでも問題はない。
問題は、ミュウが死ぬとユーリカ達が悲しむ事。
ダークエルフの群れの繋がりは、巫女となった後も強く残っている。
彼女の処遇を決めるにあたり、ユーリカ達は代償と引き換えに助命を嘆願してきた。流石に認められなかったものの、彼女達の意志は固く、決定を保留にする事でうやむやにしているのが現状だ。
理想は、ギュンドラ王が国を捨て、ミュウとアーカンソーと共に旅立ってくれる事。
ミュウは生きていてユーリカ達は悲しまない。ギュンドラ王とミュウは一緒になれ、アーカンソーもいなくなって直接的な脅威がなくなり、第一軍と第三軍は労せずギュンドラに侵攻できる。
在り得ない選択肢だが、在り得ないからと切り捨てては好条件を引き出せはしない。可能な限り近づける努力は、どんな形であっても結果を導いてくれる。
私は努めて社交的な笑顔を浮かべ、アーカンソーに謳い掛けた。
「では、私からの要求だ。私に下ったダークエルフ達はミュウの幸せを望んでいる。アーカンソー殿にはその助力を頼みたい」
提示した要求が予想外だったのか、アーカンソーの目尻が興味深そうに持ち上がった。
人間と違って表情が読みにくいが、わからないほどではない。
しっかり喰い付いてくれているようで、嬉しい限りだ。
『助力だと? 敵である私にか?』
「そうだ。捕える間際、彼女はギンタ氏に最後まで心身を許せなかった事を悔いていた。捕えている間もずっとそう。そして、今は一緒になりたいと望んでいる。その望みを叶えたい」
『…………ギンタは信じられないと言っている。私も、にわかには信じがたい』
切なさと哀れみが声の質を重く冷たくしている。
信じられないのは私の言葉か、それともミュウの望みか。
私はアーカンソーが見せる感情から、前者二割、後者八割と推測する。私の言葉が信じられないなら、怒りなり失望なりを見せる筈だ。憐憫や悲哀は向ける先が違う。
相当にこじれた関係なのか?
まあいい。ミュウの意志を話せば、少なくともギンタは飛びついてくるだろう。
「アーカンソー殿。ミュウは『やり直したい』と表現している。そちらの事情は察するが、最終的にはギンタ氏とミュウの二人の問題だ。外野がとやかく言う事ではないと、私は考える」
『そうだろうが……ミュウはもう高齢だ。ギンタとやり直そうにも…………』
ああ、その問題もあったか。
既に対策済みだったから忘れていた。
「年齢については解決済みだ」
『なんだと?』
「私はしなずち。死なずの池。池は水、水は身を表す。身体操作で、ちゃんとやり直せるように若返らせておいた。慣れるまで多少の時間はかかるだろうが、二人の間に確かな愛があれば問題はない」
『殺さず、厄介を焼き、若返りまで施す? 一体何を企んでいる? そのような事をして、貴公らに何の益がある?』
ギュンドラ王側の条件が良すぎる事に、アーカンソーは裏が無いかと疑念をぶつけてきた。
その考えはもっともだ。
利益は正当な対価でしか手に入らない。天秤が傾けば疑いが生まれ、不審を抱くのも当然だ。
しかし、これはユーリカ達の為でもある。
「私の家族の家族が幸せになる。わずかな時間ではあるが、貴方と戦わずに済ませられる。戦うか逃げるかを考える時間が稼げ、準備が出来るし決断も出来る。元より、私の戦場はココではない。脇役は適当に切上げ、主役に出番を譲りたいのだ」
『主役……?』
「すまないが、そこまでは教えられない。私の天秤が傾いてしまう」
出来る話はここまで。
私はミュウの卵をアーカンソーに向けて押し出し、決定を迫った。
警戒は解けていないが、そんな事は割とどうでも良い。持って行ってくれるなら手間が省ける。持っていかなくても、ギュンドラ王を攫ってミュウに与えればいい。
繁栄の女神の名に懸けて、二人の幸せは保証しよう。
それがどれだけ続くかは当人達次第だが……。
「アーカンソー。私の声はギュンドラに伝わるか?」
弄り飽きた尻尾を放り投げ、ラスティはアーカンソーの正面に立った。
『伝わるぞ、レス……いや、何と呼べばいい?』
「ラスティだ。ギュンドラ、いつまでアンダルの亡霊を恐れている? ミュウは奴に恋心を抱いていたが、それは四百年以上昔の話だ。今のお前達には関係ない。負け組同士、傷を舐め合うも一興と思わんか?」
『大きなお世話、だそうだ。だが、ラスティの言う通りだぞ、ギンタ。お前達は奥手に過ぎる。据え膳食わぬは男の恥という言葉はお前達の国の言葉だろう? たった一人で棲み処に現れ、私を説き伏せた時のお前はアンダルに勝る男を見せていた。一部で良いからミュウに見せてやれ。アレならこの国のどんな女でもお前に靡く。自信を持て』
何か、励まし大会の様相を呈してきて、自分とヴィラが付き合い始めた頃を思い出す。
第二軍の連中にこんな感じでほだされて、噛み噛みで告白してそのままベッドインしていた気がする。
何だか恥ずかしくも懐かしい。
ギュンドラ王も同じ思いを味わっているのだろうか。もし敵同士でなかったら、良い友人になれたかもしれないな。
まあ、被害者的な意味で。
『――――やっと折れたか。ミュウの身柄は、ギンタに必ず送り届けよう』
「宜しく頼む。それと、若返りの影響でスタイルが変わっているから、ミュウは服を着ていない。その他大勢に見られたくなければ二人きりで会う事を勧める」
『了解だそうだ。それと、もしミュウを使ってギンタの暗殺を考えているようなら、それは無駄だ。呪いも毒も、私の力が浄化させてしまうからな』
「在り得ないな。そんな事をすれば、巫女達の願いを踏みにじる事になる。家族を悲しませる事は、私には出来ない」
私はミュウの卵を渡し、アーカンソーが口の中に入れて安全に保管した事を見届ける。
ホーリードラゴンの体内なら、何があっても大丈夫だろう。無事にギュンドラ王の元に送り届けられるに違いない。安心して、彼女達の行く末に幸せが溢れる事を祈り手を振る。
大きな純白の翼が広げられ、余波の暴風が辺りを揺らした。
その強さに少しよろけると、ラスティは私の身体を尾で巻いて支えてくれた。大して太いわけでもないが、見た目とは比べ物にならないほど強靭でビクともしない。私は安心して身を任せ、こちらを見下ろす一対の瞳と視線を通わす。
『神の尖兵が貴公のような者ばかりなら、ギンタも私も…………いや、詮無い事か』
ドンッという爆発音と共に砂塵が視界を埋め尽くした。
次いで強力な砂嵐が周辺を覆い、巨大な影が一瞬の夜を告げるとすぐ明るさを取り戻す。一連の変化から、アーカンソーが飛び立ったのだと理解する。そして、それだけでこれほどの影響が出るのかと舌を巻いた。
嵐はすぐに去り、羽ばたく音が遠ざかっていく。
砂塵の幕をラスティが風魔術で払い、見上げるとあの大きな純白はすっかり小さくなっていた。私は張っていた気を解いて力を抜き、大きく長くため息を吐く。
色々と疲れた。
浄化の影響だけではない。ラスティの眷属化で血液の大部分を失っている。しばらく休養するか、かなりの量の補給が必要だ。
その間は、皆に任せよう。
「ラスティ。私はしばらく休む。黒巫女衆に合流して、私が起きるまで指揮を引き継いでくれ。何かあった時の判断はお前に任せる」
それだけ言うと、私は瞼を閉じた。
眠気がどっと押し寄せ、ラスティの返事が彼方に聞こえる。内容はよく聞き取れなかったが、起きた後に訊けば良いだろう。
暗い無我が私を迎える。
何もなく、何もなく、何もない。ただただ沈黙と安息が傍らにあり、永劫のような瞬きに私は意識を委ねた。
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