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第9話 逃避行という名の進軍(下)
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街道の脇に馬車を停めて、おおよそ五分。
アギラ領の都市に向かう街道からは逸れている為、私達以外の通行人は全くなかった。外は鳥の囀りと、近くの森を行く魔獣の気配がまばらにあるくらいしかない。
説明と話し合いには良い環境だ。
しかし、まだ話し合いは出来ていない。
それ以前の問題だった。
「ダークエルフは『黒百合のミュウ』が氏族、ユーリカ・ディソージ・ヴィランガ。一族の禁忌に触れて故郷を追われ、百二十の若輩なれど、ギュンドラ王国王都防衛隊指南役を経て国王直下部隊『黒杯』に属しておりました。この度はしなずち様の巫女として取り立てて頂き感謝の極みでございます。この身、この魂を以って、命の限り尽くさせて頂きたく存じます」
「繁栄の女神ヴィラの眷属にして尖兵、しなずち。巫女ユーリカの宣誓を受諾し、黒巫女の位を授ける。我が直臣として力を揮い、我と我が女神の為に尽くせ」
「承知致しました」
今まで巫女になった誰よりも丁寧で、誠意の篭った宣誓。
シムナを捨てて失踪した師と聞いていたが、なかなかの人格者のようだ。あまりにしっかりしていた為、つい直属の巫女として、シムナと同格の位を与えてしまった。
シムナの不機嫌そうな表情が目に浮かぶ。
私の後方に控えているから見えないが、きっと視線だけで射殺さんばかりの眼力を携えているだろう。わざと気付いていないフリをして、私はユーリカの羽衣に手をかけた。
ユーリカの頬が赤く染まる。
期待しているのだろうが、今回は応えられない。あそこまで見事な宣誓を見せられては、こちらもきちんとした対応をしなければならないからだ。
掌から多量の血を生み、彼女の羽衣に流し込む。
体積はほとんど変わらず、羽衣の装飾が変化していく。色は血色から黒色に。柄は無地から黒薔薇に。裾と袖は手足を隠すほど長く、胸元は谷間と大きさを強調しつつもしっかり覆うよう生地を多めに。
何だろう。ガワは清楚で中身は淫乱という自分の好みに、本気で傾倒しつつある。
まあ、直属なんだからこのくらいは良いか。
「嬉しいのですが、御寵愛を頂けるかと……」
ユーリカが残念そうに目を細める。
「それはまた後でだ。それより、いくらに巫女になったとはいえ、簡単に裏切ってよかったのか?」
「我が氏族はギュンドラ王国に忠誠を誓っておりますが、私は追放された身です。元よりこの国に居場所はありません。隊長も、隙を見せれば処分する気でしたでしょうから」
「そうか。私は私の巫女を捨てる事はない。お前の生涯は私の物だ」
「あぁ……その御言葉、今宵の夜伽でもお聞かせください」
恍惚にユーリカは身をよじり、私の胸元に飛び込んでくる。
背後からの圧力が増して増して増して増す。黒くて重くて暗くて強くて、痛い程に圧して刺す。
乱暴で嫉妬に塗れた足音が近づいてくる。
見ていられなくなったのか、シムナが私の手を掴んで自分の羽衣に引き入れた。自慢の柔らかい乳房の谷間に腕を沈め、もう上がって来るなと両腕で抑え付ける。
「しなずち様。そんないついなくなるかわからない女は信用ならん。せいぜい肉欲を満たす為だけの肉袋程度に扱えばいい」
「随分な言いぐさね、ソフィア。いえ、朱巫女頭様と呼んだ方が良いかしら?」
「露骨に位を意識させて同格をアピールするなっ。それと、私の名はシムナだ。師匠がその羽衣を授けられたように、私はこの名をしなずち様から授けられた。この名以外で呼ぶことは許さんっ」
いつもの皮肉はどこへやら。
敵意剥き出しのシムナは、ユーリカから私をはぎ取ろうと力を籠める。腕をもっと奥へ奥へ引き込み呑み込み、羽衣の前を肌蹴て素肌と素肌を重ねて交わす。
普段の嫌々言っている姿からは、想像もできない程の積極性だ。
私は取られた手の先を触手に変え、シムナの腰を掴んで密着させた。
いつもならあうあうと狼狽する所を、頬を染めてそっぽを向き、ちらちらと視線だけで窺ってくる。ユーリカというわかりやすいライバルの登場で焦り、本心が出たか?
だが、今はその確認だけで良しとしておく。
ようやく性魔術が抜けてきた。頭がすっきり冴え渡り、自分たちの置かれている状況をしっかり認識できるようになる。
時間がない。
「二人とも、喧嘩は後だ。ノーラ、アギラ領の立体幻影地図は用意できたか?」
「もうちょっと。魔力場が安定してない所がいくつかあって、その辺りの構成が上手くできないの。それ以外は見ての通りよ」
馬車の後ろ半分にアギラ領の地図が浮かんでいる。
これからの方針を決めるにあたり、私が頼んで作ってもらっていた。山奥部の数か所がモザイクがかかったようになっているが、都からは離れているからあまり影響はないだろう。
私はシムナとユーリカを両隣に侍らせたまま、地図の前に移動した。
「現在の状況の確認だ。私達はギュンドラ王国の隠密部隊と交戦した。敵対勢力という事がばれ、当初の予定だった勇者軍後方での工作活動は不可能と言って良い。そこでまずユーリカに確認したい。国王直下部隊はどうやって私達を知ったのか?」
三人分の視線がユーリカに注がれる。
先程までの発情期の瞳は鳴りを潜め、地図上の都、町、村の全てに細い指が向いた。どれか一つを指すのではなく、一つ一つを意味を込めて明確に指し示していく。
「ギュンドラ王は国民の目がある場所であれば、どこに誰がいて何が起こっているかを把握できます。国内ではこれを『王の目』と呼びます。そして、目があるなら『手』も『足』もある」
「直下部隊が『王の手』?」
「はい。王の意志で手を下す為、『王の手』。対して国土拡張、つまり、戦争や開拓に携わる軍や勇者の部隊を『王の足』と表現します」
「勇者も足か。足を洗って正解だったな」
「上手い事言ってる場合じゃないわよ。目がある場所なら、王は手も足も好きなように動かせる。気付かれないように摘み取ることも、物量任せに踏みつぶす事もできるの。現に北の連邦が仕掛けてきた工作活動は、全て手と足によって適切に対処されてきた」
『もう、思い出したくもない』と呟き、ユーリカの表情が暗くなる。
実際に手を汚した事があるのだろう。それも不本意な形で。
私は彼女の頭を撫でた。
慰める事が出来たのか、暗かった顔が喜びに明るくなる。撫でていた手に頭を擦り付け、まるで猫のように愛らしい。
悪い記憶は、私との良い記憶で塗り潰そう。
「ノーラ。第二軍一の頭脳として案はないか?」
「あんまりハードルを上げないでよ。静かにできないなら、取れる方法は二つ。もっと静かにやるか、開き直って派手にやるか」
「どっちもやる気になればできる、な」
「でも手が足らない。出来なくはないけど、私達だけだと敵は片手間に対処できる。ギュンドラという国はそれくらい強大よ。向こうの手も足も足らない状況に陥らせる事が最良。次点は、手も足も使い物にならなくさせる事ね」
なかなか難しい事を言う。
こんな事なら、朱巫女衆をもう数人連れてくるべきだったか。シムナが率いる朱巫女達は、アマゾネスや虎娘、サイクロプスといった武闘派種族の精鋭だ。機動力もあるし、陽動でも本命でもしっかり働いてくれる。
だが、今は無い物ねだりだ。
彼女達は山の向こうで、第四軍支配域の治安維持活動を行っている。女神の転送術も不可能。転送地のマーキングは女神自身が行わないとならない縛りがあり、戦地に要人を連れてくるなど愚行の極み。
なら、力技で欠片を量産して、アギラ領全土にばらまくか?
いや、却下だ。負担が大きすぎる。
「しなずち様」
私の手と戯れていたユーリカが私を呼んだ。
媚びるような微笑みに、狩人の目。状況を打破できる何かを見つけたらしく、地図上のモザイクに指を入れた。
そこには、一体何がある?
「私の姉妹達に、御寵愛を頂けませんでしょうか?」
アギラ領の都市に向かう街道からは逸れている為、私達以外の通行人は全くなかった。外は鳥の囀りと、近くの森を行く魔獣の気配がまばらにあるくらいしかない。
説明と話し合いには良い環境だ。
しかし、まだ話し合いは出来ていない。
それ以前の問題だった。
「ダークエルフは『黒百合のミュウ』が氏族、ユーリカ・ディソージ・ヴィランガ。一族の禁忌に触れて故郷を追われ、百二十の若輩なれど、ギュンドラ王国王都防衛隊指南役を経て国王直下部隊『黒杯』に属しておりました。この度はしなずち様の巫女として取り立てて頂き感謝の極みでございます。この身、この魂を以って、命の限り尽くさせて頂きたく存じます」
「繁栄の女神ヴィラの眷属にして尖兵、しなずち。巫女ユーリカの宣誓を受諾し、黒巫女の位を授ける。我が直臣として力を揮い、我と我が女神の為に尽くせ」
「承知致しました」
今まで巫女になった誰よりも丁寧で、誠意の篭った宣誓。
シムナを捨てて失踪した師と聞いていたが、なかなかの人格者のようだ。あまりにしっかりしていた為、つい直属の巫女として、シムナと同格の位を与えてしまった。
シムナの不機嫌そうな表情が目に浮かぶ。
私の後方に控えているから見えないが、きっと視線だけで射殺さんばかりの眼力を携えているだろう。わざと気付いていないフリをして、私はユーリカの羽衣に手をかけた。
ユーリカの頬が赤く染まる。
期待しているのだろうが、今回は応えられない。あそこまで見事な宣誓を見せられては、こちらもきちんとした対応をしなければならないからだ。
掌から多量の血を生み、彼女の羽衣に流し込む。
体積はほとんど変わらず、羽衣の装飾が変化していく。色は血色から黒色に。柄は無地から黒薔薇に。裾と袖は手足を隠すほど長く、胸元は谷間と大きさを強調しつつもしっかり覆うよう生地を多めに。
何だろう。ガワは清楚で中身は淫乱という自分の好みに、本気で傾倒しつつある。
まあ、直属なんだからこのくらいは良いか。
「嬉しいのですが、御寵愛を頂けるかと……」
ユーリカが残念そうに目を細める。
「それはまた後でだ。それより、いくらに巫女になったとはいえ、簡単に裏切ってよかったのか?」
「我が氏族はギュンドラ王国に忠誠を誓っておりますが、私は追放された身です。元よりこの国に居場所はありません。隊長も、隙を見せれば処分する気でしたでしょうから」
「そうか。私は私の巫女を捨てる事はない。お前の生涯は私の物だ」
「あぁ……その御言葉、今宵の夜伽でもお聞かせください」
恍惚にユーリカは身をよじり、私の胸元に飛び込んでくる。
背後からの圧力が増して増して増して増す。黒くて重くて暗くて強くて、痛い程に圧して刺す。
乱暴で嫉妬に塗れた足音が近づいてくる。
見ていられなくなったのか、シムナが私の手を掴んで自分の羽衣に引き入れた。自慢の柔らかい乳房の谷間に腕を沈め、もう上がって来るなと両腕で抑え付ける。
「しなずち様。そんないついなくなるかわからない女は信用ならん。せいぜい肉欲を満たす為だけの肉袋程度に扱えばいい」
「随分な言いぐさね、ソフィア。いえ、朱巫女頭様と呼んだ方が良いかしら?」
「露骨に位を意識させて同格をアピールするなっ。それと、私の名はシムナだ。師匠がその羽衣を授けられたように、私はこの名をしなずち様から授けられた。この名以外で呼ぶことは許さんっ」
いつもの皮肉はどこへやら。
敵意剥き出しのシムナは、ユーリカから私をはぎ取ろうと力を籠める。腕をもっと奥へ奥へ引き込み呑み込み、羽衣の前を肌蹴て素肌と素肌を重ねて交わす。
普段の嫌々言っている姿からは、想像もできない程の積極性だ。
私は取られた手の先を触手に変え、シムナの腰を掴んで密着させた。
いつもならあうあうと狼狽する所を、頬を染めてそっぽを向き、ちらちらと視線だけで窺ってくる。ユーリカというわかりやすいライバルの登場で焦り、本心が出たか?
だが、今はその確認だけで良しとしておく。
ようやく性魔術が抜けてきた。頭がすっきり冴え渡り、自分たちの置かれている状況をしっかり認識できるようになる。
時間がない。
「二人とも、喧嘩は後だ。ノーラ、アギラ領の立体幻影地図は用意できたか?」
「もうちょっと。魔力場が安定してない所がいくつかあって、その辺りの構成が上手くできないの。それ以外は見ての通りよ」
馬車の後ろ半分にアギラ領の地図が浮かんでいる。
これからの方針を決めるにあたり、私が頼んで作ってもらっていた。山奥部の数か所がモザイクがかかったようになっているが、都からは離れているからあまり影響はないだろう。
私はシムナとユーリカを両隣に侍らせたまま、地図の前に移動した。
「現在の状況の確認だ。私達はギュンドラ王国の隠密部隊と交戦した。敵対勢力という事がばれ、当初の予定だった勇者軍後方での工作活動は不可能と言って良い。そこでまずユーリカに確認したい。国王直下部隊はどうやって私達を知ったのか?」
三人分の視線がユーリカに注がれる。
先程までの発情期の瞳は鳴りを潜め、地図上の都、町、村の全てに細い指が向いた。どれか一つを指すのではなく、一つ一つを意味を込めて明確に指し示していく。
「ギュンドラ王は国民の目がある場所であれば、どこに誰がいて何が起こっているかを把握できます。国内ではこれを『王の目』と呼びます。そして、目があるなら『手』も『足』もある」
「直下部隊が『王の手』?」
「はい。王の意志で手を下す為、『王の手』。対して国土拡張、つまり、戦争や開拓に携わる軍や勇者の部隊を『王の足』と表現します」
「勇者も足か。足を洗って正解だったな」
「上手い事言ってる場合じゃないわよ。目がある場所なら、王は手も足も好きなように動かせる。気付かれないように摘み取ることも、物量任せに踏みつぶす事もできるの。現に北の連邦が仕掛けてきた工作活動は、全て手と足によって適切に対処されてきた」
『もう、思い出したくもない』と呟き、ユーリカの表情が暗くなる。
実際に手を汚した事があるのだろう。それも不本意な形で。
私は彼女の頭を撫でた。
慰める事が出来たのか、暗かった顔が喜びに明るくなる。撫でていた手に頭を擦り付け、まるで猫のように愛らしい。
悪い記憶は、私との良い記憶で塗り潰そう。
「ノーラ。第二軍一の頭脳として案はないか?」
「あんまりハードルを上げないでよ。静かにできないなら、取れる方法は二つ。もっと静かにやるか、開き直って派手にやるか」
「どっちもやる気になればできる、な」
「でも手が足らない。出来なくはないけど、私達だけだと敵は片手間に対処できる。ギュンドラという国はそれくらい強大よ。向こうの手も足も足らない状況に陥らせる事が最良。次点は、手も足も使い物にならなくさせる事ね」
なかなか難しい事を言う。
こんな事なら、朱巫女衆をもう数人連れてくるべきだったか。シムナが率いる朱巫女達は、アマゾネスや虎娘、サイクロプスといった武闘派種族の精鋭だ。機動力もあるし、陽動でも本命でもしっかり働いてくれる。
だが、今は無い物ねだりだ。
彼女達は山の向こうで、第四軍支配域の治安維持活動を行っている。女神の転送術も不可能。転送地のマーキングは女神自身が行わないとならない縛りがあり、戦地に要人を連れてくるなど愚行の極み。
なら、力技で欠片を量産して、アギラ領全土にばらまくか?
いや、却下だ。負担が大きすぎる。
「しなずち様」
私の手と戯れていたユーリカが私を呼んだ。
媚びるような微笑みに、狩人の目。状況を打破できる何かを見つけたらしく、地図上のモザイクに指を入れた。
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