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【第四章】 なりたかったもの

叶わない夢

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「ニアさん!」

 大急ぎで宿へと帰り、ノックもなしに彼女の部屋へ入ってしまうと、彼女はなんと泣いていた。

「!? ミュリナさん!」
「え? あっ! え、えっと、ご、ごめんなさいっ。な、泣いて……ました? お、お邪魔なら後にしますが」
「い、いえ、違いますわ。目にゴミが入りまして。……そんなに大慌てでどうされましたの?」

 すぐに涙を拭って私の元へとやってくる。

「あ、あの、へ、変なことを聞くんですけど、ニアさんは囚われていた魔族の方たちを国境へと送り届けようとしたんですよね」
「……。ええ、そうですわ。ハロルアには確かにそう申し伝えたはずです」
「そう、ですよね。すみません、変なことを聞いて」

 やっぱり、そうだよね。
 ニアさんが悪いことなんて、するわけない。

「いいですわよ。ミュリナさんでしたら何でも答えて差し上げますわ」

 そんな風に言いながら、彼女は私の腕に絡みついて来る。
 最近この人は本当にボディタッチが多い。

「あははは。あ、あの、もう一つ聞きたいんですけど、逮捕請求の取り下げで大元の貴族を叩いたって具体的にどんなことをされたんですか?」
「……。ハロルアに任せた部分も多くございますが、請求を出した貴族を買収しておりますわ。元々根も葉もない噂話を無理矢理証拠としてでっち上げただけですので、大したことはございませんことよ」
「どんな風に買収したんですか?」

 一瞬だけニアさんが目を細めたように見えた。

「……そのあたりはハロルアにすべて任せておりましたので詳しいところまでは。何か問題がございましたか?」
「あっ、い、いえ、そうですよね。すみません変なこと聞いて」

 やっぱり、よかった。
 全部ハロルアさんが勝手にやったことだ。
 ニアさんは関係ない。
 そうだ。
 関係ないんだ。

「もぅ、一体どうされたんですの?」
「それが、ちょっと、聞いてほしい……こと……が……」

 喋りながら、とある書類に目がいってしまった。
 机の上に置いてあるなんてことはない書類だが、売買契約書と書かれている。
 私の視線に気づいたニアさんがすぐにその書類を隠すように胸の内に抱える。

「ごめんなさい、これからミストカーナへ発つというのに、まだ片付けておりませんでしたね」
「……ニアさん。それ、なんですか?」
「仕事の書類ですわ」
「……見せてもらえますか?」
「申し訳ございません。人には見せられない重要書類でして」
「なんの重要書類ですか?」

 さっき、たしかに魔族という文字が見えた。
 それに――

「すみません、中身も申し上げることのできない書類ですの。国には機密も多くございまして」
「その書類、魔族は関係していますか」
「関係ございませんわ。人族の国のことですわよ」

 その書類が何の書類であるのかを理解してしまい、居ても立っても居られなくなる。

「ニアさん、それ、本当に関係ないんですか?」
「なにをおっしゃっているの? 関係ないと言っているではございませんか」

 ニアさんが目を逸らし、それで何となく確信してしまう。
 一瞬目がいったレベルなので、書類の中身はほとんど読めていない。
 でもあの書類に限っては、私は読むことができてしまう。
 だからこそ、その内容が心臓へと針のように刺さっていった。

「ニアさん、魔族がつくる契約書って、どんなものだか見たことはありますか?」
「いえ。魔族のことはあまり詳しくはございませんでして」
「魔族は契約書を書く際に、魔石を砕いた粉をインクに混ぜます。だから書かれた文字は魔力を発するんです。私は目で見なくとも中身を読むことができます」
「え……」

 彼女の瞳が見る見る深刻なものへと変わっていく。
 何か、取り返しのつかないところへと踏み込んでしまっているかのような、そんな目つきだ。

 だって、その書類には――

「どうして、そんなことをしたんですか?」
「……こ、これは、ち、違うんですの、わたくしは、その、えと……」

 言葉にならない言葉を発しながら、やがてニアさんは息を吐き出してすべてを諦めたように椅子へ腰かける。

「……はぁ。ここまでですわね」

 ここまで。
 その言葉で、彼女が私に隠している一面を否が応にも理解してしまう。

「なんで……。どうして!? 魔族たちは解放するって言ってたじゃないですか! 内通の噂も出まかせだって! 嘘だったんですか?」
「元々、あれはわたくしが購入する予定だった奴隷たちですわ」
「購入する……?!」
「まさか、わたくしの暗殺請負と同じ方が大元だとは思いませんでしたの。まあ、人族領で活動できる魔族など限られておりますので、むしろ必然だったのかもしれませんわね」
「嘘だったってことですか!」
「ええ。最初からあなたには嘘ばかりですわ。貴族派閥がサイオン・レイミルを宥めるために作ったと言ったのも嘘。本当は、あの派閥は有力貴族たちにいい顔をしたかっただけですの」
「人族の輪が乱れないようにするためにって言ってたじゃないですか!」
「違いますわ。あなたという変わり種が来て、わたくしはあなたに全振りすると決めた。貴族派閥を切ったんです」

 あんまりの言い様に膝から崩れ落ちそうになる。

「ミュリナさんが喜ぶと思って、わたくしはレベルカさんの減刑のために資財を投げ打ちましたわ」
「なんで。だって、あのときサイオンさんに、勇者とは知恵と強さと、そして勇気ある心を持つ者に与えられる称号だと言っていたじゃないですか。あなたもその心に従って、あれをやったんじゃないんですか?」
「一体いくら使ったとお思い? そんな実態も良くわからない思想のために資財を投げ打つ者などおりませんことよ。すべてはあなたを振り向かせるためです」
「……っ! 理解できません! なんでそうまでして、私を気遣うんですか!」
「あなた、本気でそれをおっしゃっているの?」

 途端に、顔には現れないニアさんの怒りが溢れてくる。

「なんでもできるミュリナさん。腕が飛んでも、心臓を突かれても、全部治してしまう」
「そ、それは――」
「得体の知れない暗殺者がやってきても、あなたにかかれば返り討ち。あなたは未来に溢れていますわ。間違いなく偉業をなすだけの実力を持っている」
「ニ、ニアさんだって、私はすごいと思います。私にはできないようなことができるじゃないですか」
「そうですわね。平均的なことでしたらできますわ。いっそ平民に生まれたかった。そうすればきっと普通の人生を歩めた。公爵家の一人娘なんかに生まれなければ、きっと、もっと違った人生があった。こんなに苦しくて辛くて悲しい人生を歩まなくて済んだ。わたくしの人生は、もう滅茶苦茶ですわ……」
「ニアさん、もうやめよう。こんなことしても、あなたが破滅してしまうだけだわ」

 そんな風に声をかける私に彼女に悲しく微笑んでくる。
 まるで、私の差し出した手はもう取ることができないと言わんばかりに。

「ミュリナさん。自分の人生を歩むのって難しいですわよね。わたくしも、あなたのような物語に出てくる主人公になりたかった」
「な、なれますよ。ニアさんだって、いろいろと――」
「現実はそんなに甘くありませんわ!」

 ピシャリと怒鳴りつけた声がこだまして、部屋が静まり返る。

「いくら努力したって、才能のある者には敵わない! わたくしが大枚をはたくような政治事案も、サイオン・レイミルの手にかかれば小金で済む。わたくしが決して敵わないような敵であっても、あなたなら魔法一つで叩き潰せる。絶対的な差があるんですよ! どんなに努力したって追いつけない!」
「それは――」
「もう……こうなってしまっては終わりですわ……」

 そこへ、ドタドタと部屋へ複数の者たちが入室してくる。
 誰かと思ったら、アルベルトさんとその部下たちであった。

「ニア。魔族内通の疑いで逮捕する」
「……あら、アルベルトさん。逮捕要請は取り下げられたんではなくて?」
「騎士団長として逮捕する。実はもう、前々からこちらで別の証拠を掴んでいた。ただ、君がこんなことをしているなんてどうしても信じられなくてね」
「そうですの。わたくしも案外、演技は得意なのかもしれませんね」

 ニアさんがポケットへと手を入れる。

「ミュリナさん、どうか、ちゃんと討伐なさってくださいね」
「え?」

 そのまま、ニアさんは手にしたその真っ赤な魔適合物の玉を丸のみにするのだった。
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