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【第一章】 捨てられた少女

奴隷の少女

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 盃に無事触れて、地上へと戻ってきたところ、私のところに勇者学園のスタッフと思われる人が急ぎ足でやってくる。

「君! 987番の受験生だな!? 無事だったか!」
「え? あ、えっと、は、はい。ななな、なにかあったのでしょうか??」
「いやぁ、本当にすまなかった。こちらの手違いで、配置すべき妨害役の服役者を間違えていてね。本来であれば学生では到底敵わないような者たちを迷宮に置いてしまっていたようなんだ」

 え? そうなの?
 確かにろくでもない奴ばかりだったが、そんなに強かっただろうか。

「しかし、君は……盃に触れている!? 一体どうやって……?」
「あー……えーっと……」

 どうしよう。
 素直に話した方がいい?
 いやいや、学生が本来勝てないんなら、私が勝っているのはおかしい。
 万が一、魔族や魔王であることを疑われちゃったら、私の夢への道は閉ざされてしまう。

「ああ、なるほど。そういうことか」
「へ?」

 なのに、係の人はなぜだか勝手に納得していくのだった。

「君は確か、第一次試験で超強力な隠蔽魔法を使っていたな。それで奴らをやり過ごしたというわけか」
「え? あっ、えと? いや、その……」
「いやはや、公平な立場であらねばならない身だが、個人的には君のことを応援している。君の隠蔽魔法には間違いなく光るものがあるぞ!」
「は、はあ。……??」

 そう述べて職員は行ってしまった。

 隠蔽魔法って何の話だろうか。
 思い当たる節がまったくないのだが……。

 あれこれ考えてみるも、それ以上進展がなかったため、気にしないことにして会場へと戻ることにした。

  *

 人通りの少ない道を歩いていると、ふと、少し先に幼い女の子がいることに気付く。
 八、九歳の子が一人でいるというのも不自然であったが、なにより違和感を感じたのは、その子が角持ちだったことにある。

 魔族……?
 なんでこんなところに?

 周りの人たちもその子に視線こそやってはいるが、厄介事の匂いを嗅ぎ取ってか近づかないようにしている。

 声をかけるべきだろうか……?

 試験のことが頭の片隅をよぎる。
 すぐ解決できるような問題ならばいいが、時間がかかる問題だった場合、自分では対応しきれない。

 それに、たぶんこの子は奴隷だ。
 人族の社会で魔族が普通にいるとは考え難く、ならば店の前で主人をただ待っていると見る方が自然であろう。

 そんな風に自分に言い聞かせて、横を通り過ぎていく。

 なんだか、悪いことをしているような思いがあって。
 でも、どうしようもないって自分に言い聞かせて。

 そんな私に囁くような彼女の独り言が、鮮明に聞こえて来た。


「なんで……私だけ……」


 脚が止まった。
 神を呪うこの言葉。
 かつて私は何度もその言葉を唱えた。 

 だからか、体が勝手に動いた。

「お、お嬢ちゃん、こんなところで、どうしたの?」

 声をかける私に、彼女はチラと乾いた視線だけよこして、すぐにそれは地面へと戻っていく。

「……別に」

 色を失っている彼女の瞳を見て、私はそれに見覚えがあることに気付いた。
 世界に絶望し、すべてを諦めている瞳。
 昔、アイゼンレイク家にいたころ、鏡でよく見た瞳だ。

「大丈夫よ。私はあなたのことを傷つけたり酷いことをしたりしないわ。こんなところでどうしたの? お姉ちゃんに教えて?」
「捨て奴隷なの。片目と片足が弱いから」
「捨て……奴隷……?」

 これが今、私たちが生きている世界。
 私は自然と彼女のことを抱き寄せてしまった。

 ガリガリに痩せてしまった体は、人とは思えないように冷たく硬い。
 鉛のように重い感情が胸の内を渦巻いていき、思わず歯を食い締めてしまう。
 かつて、私を抱き寄せたエルガさんもこんな気持ちだったのだろうか。

「大丈夫、大丈夫よ。お姉さんが守ってあげるから」

 その子は無言でこちらを見つめ続ける。
 さっそく行動しなければと若干慌てながら思考を巡らせる。

「ええっと……そしたらまずは……ご飯食べよっか!」

 近場にあった飲食店に入ろうとしたのだが、店員さんに呼び止められてしまった。

「お客さん、そっちの子、奴隷だろ? さすがに店には入れないでほしいな。ほかのお客さんの迷惑だよ」
「あっ、いや、えと、その、この子はそうじゃなくて――」
「奴隷を店に入れないなんて常識だろ。臭いし汚いし。お客さんだからってさすがにマナーは守ってくれ」
「あの、違うんです。この子は――」

 必死に言い訳をしようとしたのだが、魔族の子は片足を引きずりながら向こうへと行ってしまった。

「あ! ちょ、ちょっと待って。待ってってばっ!」

 この女の子は私に対して何の期待していない。
 世界に期待していない。
 たぶんもう、生きることに魅力を感じていない。

 彼女を追いかけながら、露店を見つけて財布から適当な硬貨を引っ張り出す。

「串焼き二本下さい! おつりはいりません!」
「え゛? あ、ま、まいど」

 かっさらうようにそれを掴んで、彼女の元に再び歩みよる。

「ね、ねえ、これ食べて? き、きっとおいしいから。ご飯を食べたら、たぶん、元気が出ると思うの」

 かつて私はそうだった。
 エルガさんから渡されたご飯を食べて生きる気力がどんどん湧いていった。
 なのに、彼女の瞳ときたら、未だに変わらず灰色のまま。

 あれ……。
 こういうとき、エルガさんってどうやってたっけ。
 必死に思い出そうとするのに、自分に精一杯だった当時の記憶が蘇って来ない。

「え、えっと、そ、そしたら……。そうだ! まずは名前! 名前を教えてもらえる? わ、私はミュリナって言うの」
「クズ」
「……ぇ?」
「クズ。私の名前」
「クズが……名前……?」

 思考が止まってしまい、そこから言葉が出なくなってしまう。
 なのでまたも彼女は歩き出してしまった。

「あっ! ま、まって! そっか。も、もしよかったら、新しい名前、とか、つけよっか?」
「いい。どうせクズだし。片目と片足がほとんど使えないクズだよ」

 唇を噛む。

「そ、そんなことっ、ないよ!」
「私の事、いくらで売るの?」
「ぇ?」
「だから拾ったんでしょう? そこらへんに落ちている小石に値段がついたらいいもんね」

 なんで。

「ち、違うよ! う、売ったりなんてしないって!」
「じゃあなんで私に関わるの?」

 どうして伝わらないの。

「そ、それはっ、あなたのこと、助けたい、し」

 女の子が初めて、私のことを確かめるように見てくる。
 だがその瞳は――

「……嘘。あなたにメリットがない」
「ひ、人を助けるのに、理由なんて、必要、ありま……せん」

 エルガさんが私に言ってくれた大切な言葉。
 なのに、どうしてこんなにもひ弱に聞こえてしまうのだろうか。

 私もかつてそうだった。
 世界のすべてが灰色に見えていて、色があることにすら気付かなかった。
 それを教えてくれたのがエルガさんだ。
 じゃあ……どうすればそれを彼女に伝えられるの?

「やっぱり嘘。あなたは私を助ける気なんてない」
「そ、そんなことっ――」
「もうほっといて。最期くらい自分の好きにさせて」
「ま、待って」
「死に方すらも、あなたたちは縛るの? お願い。独りにさせて」

 そんな風に言われてしまい、私はそれ以上声を発することができずに立ち尽くす。
 そして、脚を引きずりながら去っていく彼女を、ただただ見つめることしかできないのであった。
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