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想定外なこと
#167:帰宅 - side 時生
しおりを挟むあっさりと彼の友人は帰って行った。
僕は帰る支度をして、荷物を持った。マンションの下に車を出すと言って、彼は先に部屋を出た。事務所の鍵を持ち玄関で靴を履いて振り返った。細いフローリングの廊下を眺めていると思い出す。いろいろなことがあった。
彼にマスクを取られて、顔を見られてしまった日から、ずっとここにいた。結局キングスの隠れ家で過ごすことはなかったけど、彼と一緒にいられて正直嬉しかった。
昔とは違う。高校生の頃の姿しか知らなかったから、昔よりももう少し伸びていて、背が凄く高い。洗面所で顔を洗うときなんか、鏡からハミ出ちゃうから少し屈んで自分を映してた。
歯を磨てるときに横で、そうしてる彼の姿にちょっと笑ってしまって、微笑ましい思い出だ。
「時生くん」
「うひゃあ!?」
急に後ろから名前を呼ばれた。
見上げると彼が、ちょっと驚いた顔をした。
「ごめん。驚かせるつもりはなくて」
「僕の方こそ、すみません!」
「来るの遅いなって思って。鍵は掛けた?」
「はい! 掛けました。鍵、こちらです!」
思い出に浸り過ぎて、時間があっという間に過ぎてしまったか。彼は迎えに来てくれたようだ。
「ありがとう。じゃ行こうか」
彼のあとに付いて行った。マンションの下に向かうと、そこには黒くて大きい車が置かれていた。あまりにも大きく思わず「でっか!」と声が出た。
「はい。こっちに乗って?」
助手席を開けて、僕はエスコートされた。舗装されてない道を駆け抜けられそうな車高の高い4WDだったのだ。
*
「僕には縁のない車だと思ってた」
「え?」
ハンドルを握る彼の横で、ぼんやり赤信号を眺めた。
「縁のないって?」
「だって。この車、超おっきい。運転するには、いかちいじゃん。どっかに、ぶつけそうだし」
「免許は持ってるの?」
「持ってない。だって取るのに2~3カ月くらい掛かるっていうから。ゲームのランク上げる時間削ってまで取得するのはなぁって考えちゃって」
彼が小さく笑った。
「そっか。じゃあ今度から俺が君をどこへでも連れてってあげるよ」
「えっ!?」
「家でも、大学でも、どこでも好きに」
それは、ダメだろう。特に大学だ。こんなに、いかついデカい車で校門前に乗り付けたら、あっという間に注目の的だ。
彼が大学の校門前に車を停める想像が浮かんで、掻き消すように僕は頭をぶんぶんと真横に振った。
「盤さん。この車で行ったら皆にジロジロ顔を見られちゃいますよ?」
グレーのマスクをした彼は、ちらっと僕を見た。
「俺はもう週刊誌で顔撮られてるからな。誰かに見られようと撮られようと今更だよ」
マスクなしで週刊誌に撮られた写真は、僕も見た。数年前だ。週刊誌による無遠慮な激写ではあったけど、そのお陰で既婚でも彼を追い掛ける女性ファンは多いのだ。
大学で写真なんて撮られたら、きっと瞬く間にSNSに拡散されて、直ぐ大学に盤リスが集まるだろう。
「マスク。しなくても恰好良いのに。マスクしたまま配信してるの勿体ないな」
発進した車が急に停まった。
「うわっ」
反動で前のめりになって体が動いた。
「ごめん。大丈夫?」
フロントガラスの向こう側を見ると、横断歩道を走って渡る人の姿が見えた。歩行者と接触する一歩前だったようだ。
「あ。大丈夫です!」
ちらっと彼を見た。前を向いて、人が渡りきる様子をじっと見つめている。
「時生くんはさ」
話しかけられて、彼と一瞬、目が合った。思わず視線をスライドするように前を見た。
「なんです?」
「君はマスクなしで配信をする予定はあるの?」
「え。マスクなし!?」
「そう。マスクをしないで実写で自分をワイプで出してゲーム実況をする予定ある?」
画面の端っこで、僕の顔が映るゲーム画面を想像してみた。
ムリだ。あり得ないだろう。
「青い猫。気に入ってるんで引退予定はないです」
「なるほど。安心した」
「え。どういう意味?」
「登録者数を上げるなら顔を出して配信した方が本当は数字が伸びるんだけど」
「え。そうなんですか!」
「君のチャンネルが今よりもっと成長したら良いのにな、とは思ってる。けどアイコンの青い猫ちゃんが見れなくなるのは寂しいよ」
まるで、いつも見てるような言い方だ。これから配信に戻れば仕事で忙しくなる。彼は、僕のチャンネルを見る暇なんか殆どないだろうに。
「見る暇あんのかって顔してるね?」
「え!」
やばい。僕の態度が顔に出ていたのだろうか。
「君が寝てる間に、過去のアーカイブはもう全部見たよ。ミラー配信してたのも含めてね」
「え。見たんですか!」
「今はウィンタースターというネームバリューがあるから、物珍しくてチャンネル登録する人は多いとは思う。けど、いつかは鈍化する。その時、どんな配信をしてたら再生数も登録者数も上げられるだろうかって、考えてた」
「盤さん」
「人はね。画面を通して、そこにリアルがあるか、シビアに見てる」
「リアル…?」
「そうだよ。面白さや楽しさが直で感じる距離感や、肌で感じる感触具合を間接的に受け止めたり、体感できる何かをね。配信者を通して視聴するんだ。だからヴァーチャルキャラクターを使うと、半減してしまう部分がある。実写で、外へ出かけたときの表情を画面に出すことができない」
「あ…確かに!」
「でも半顔出しや完全な顔出しであれば、外配信も容易で可能になる。顔出しNGで、店のガラスに映り込んじゃったらモザイク処理も必要になるから結構手間だからね。そうなると人の出入りがある大きな会場での撮影は、より処理が必要でモザイクだらけになるから正直良い評価は貰えない」
彼は噴き出すように笑った。
きっと昔の投稿を思い出したのだろう。ゲームの新作を紹介するゲームイベントに出かける様子を彼が動画で投稿していたことがある。今で言う、Vlogである。
来場者の人たちの顔にはモザイクが掛けられていて、世界初公開のゲームの予告映像を眺めている彼の目線先には大きなスクリーンが掲げられていた。だがスクリーン映像は来場者だけが見れる映像であった為、動画の中ではモザイク処理が入っていた。
僕の記憶が正しければ、彼の言う通り動画化されたゲームイベントの映像は、らふTVでも100位以内に入らなかった気がする。以来、彼のチャンネルでは、Vlog映像はそれほど多くない。
「さて。目的地に着いたよ」
車が停まった。
「君の家は…えっと、どの部屋なのかな?」
彼は首を伸ばしてフロントガラスに顔を近づけると、上向きに首を動かして覗き込む。
集合住宅の中で、3棟建てられた2号棟にあたる焦茶色のマンション。その中の3階。角部屋。
そこが、見慣れた僕の家だ。
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