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甘い時間、甘い日々

#148:朝ごはんのあと - side 時生

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 彼の個人事務所に入り浸るなんてことはしたくないのに、僕は、完全に“戻る”という言葉を伝える手段を失った。

 朝ごはんを食べたあとだ。お皿を流しに入れて彼が洗う横で、綺麗になった皿を僕が拭いて棚に戻す手伝いをした。最後の一枚を棚に戻したとき、もうこれで上にあがろうと思った矢先で、振り返ったときには手を取られた。

「え、盤さん!」

「こっち」

 連れていかれたのはリビングで、大きなソファに座るよう促された。

「あの…僕は」

「じゃあ何からしようか?」

「え、何からって…」

 テレビが付いて、彼はゲームを起動させた。大きな画面に映るのは、これまで購入して来た数々なのだろう、さまざまなゲームタイトルが、ずらりと並ぶ。見たことのないタイトルも、見たことのあるタイトルも、そこにあった。

 小学生が見たら飛び上がって喜びそうなゲームタイトルの多さだ。

 彼は本気で僕とゲームをする気なのだ。

「…ダメ…ダメだよ…」

「え、どれもダメだった?」

「あ…ちが…僕、戻らないと」

 ソファから立ち上がって彼の前を通ろうとした。けれど簡単に腕を取られて、反動で振り返って彼を見た。

「なぜ戻るの?」

 穏やかな口調で優しい目だ。

「だって…僕、昨日ここに泊まって、シャワーもしてないし…服も…昨日のままだから」

 何でもいい。戻れる口実が作れるなら。

 すると彼は、僕の腕をぱっと離した。

「そっか。それもそうだね。それじゃあ、ウチの浴室使って良いよ。Tシャツなら色々あるけど、下着と下に履くものは上から持ってこようか。荷物、持つから。一緒に行って良い?」

「え…」

「ダメ?」

 どうして、そうなってしまうのだろうか。

 彼は眉をハの字にして、まっすぐみつめるから、僕は床に視線を落とした。

「一人で大丈夫です」

「…一人で行くの?」

「はい」

「ダメだよ」

「え…」

「一人で行かせられない」

 彼の両手が伸びてきて僕の両耳を左右から丸ごと包むように、近距離で向かい合うことになった。

 近すぎる距離にドキドキした。少し彼は怒ったような顔をしていて、僕は息が上がった。

「盤さんに迷惑掛けたくない」

「迷惑じゃないよ」

「でも…僕もう子供じゃないよ?」

「心配だから一緒に行く」

「なんで…そこまでするの?」

 少しの間があった。彼が短い息を付いた。

「一人になったらエゴサするでしょ?」

「えごさ?」

「スマホの検索でエゴサして、また落ち込む」

「それは……そんなこと僕は……」

 しないと言えなかった。今は電源を切っているスマホは、戻ったら付けてしまうかもしれない。だって配信活動を休止させるなんて彼が呟いたから、正直どんな風に他の人たちは呟かれているのか気になるのだ。

「それじゃ行こう」

 彼の手がパッと僕から離れていくと、ずんずん玄関の方へ歩いて行った。

 結局、彼と5階に上がって僕は衣類を取りに戻ることになった。

 あらかたの荷物をまとめたとき、ゲーミングルームを覗くとPC周りを食い入るように彼は見ていた。

「ここにある一式、全部ブロックスなのか。しかも一番高いスペックの。スポンサー提供だもんな。あ、このキャプチャーボード、俺も持ってるやつだ。マイクも良いやつ使ってる!」

「あの、盤さん」

「あ、ごめんごめん!」

 部屋の中で、しゃがみ込んで机の下まで覗き込んでいた彼は立ち上がった。

「ここに2台あるってことは缶詰になる選手って最大2名ってこと?」

「選手2人の時もあれば、選手とコーチが使うこともあるそうです。案内されたとき社長がそう言ってたから」

「なるほど」

「引っ越しとか、リフォームとか、家でプレイできないときなんかも使ったりするそうです」

「そうなんだ。あ、そうそう。この部屋の棚にはゲームソフトも色々あるけど何か持ってく?」

「え…?」

 そういえばゲーミングルームに何があるのかなんて、よく見ていなかった。夏河社長に連れてこられた日から、リビングでぼーっとしていた時間が長くて部屋の中の奥に何が置かれているのかまでは隈なくチェックしてないのだ。

 部屋の奥に入り棚を見た。大体のゲームソフトはやったことがあるものばかりだったが、古いゲームソフトも幾つかあった。その内の一つに思わず僕は手を伸ばそうとして、途中で引き返した。

「時生くん…?」

 彼が僕の後ろに立って、先ほど手を伸ばしかけたゲームソフトを手にした。

「これ?」

 それは小さい頃に彼と遊んだ〈エルムスター外伝〉だ。金髪の少年が、広大な土地を駆け巡り、時に巨人と戦って謎解きに挑戦していくいにしえのゲームだ。

「いや別にやりたいって…わけじゃなくて…」

 彼は手にしたゲームソフトを僕に渡した。短剣を空に掲げている金髪少年が描かれたジャケットだ。引っ越し前に彼がくれて、今は実家の自分の部屋の押し入れに仕舞ったまま。

「懐かしいね。それ。持ってく?」

「あ…いえ。いいです。これ持ってるし」

 僕は元にあった場所へソフトを戻して部屋から急いで出た。ゲームソフトを目にしてしまうと、あれも、これも、気になってしまうから。

 今はゲームなんてしてる場合じゃない。

 ゲームを始めたら、きっと誘惑に負けてしまう気がした。

 彼の言葉に甘えてしまったら、時間を忘れて遊んでしまうだろう。

 それを普通に受け入れてしまう怖さを感じた。

「時生くん」

「やっぱり僕、下にはいけない。ゲームできないです」

「じゃあゲームしなくていい」

「え…」

 後ろから長い腕が伸びてきて僕は抱きしめられた。

 彼の腕を振り解こうとした。けれど力が籠った腕はビクともしなかった。

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