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#105:一芸に秀でたマイク技術 - side 誉史
しおりを挟む手を上げて去り行く遥の後ろ姿を見送ってから、振り返った。
折角、彼女の子供と現場が一緒になったのだ。あの子にも挨拶をしておこうと声を掛けようとしたが、先に俺の名を呼ぶ声が聞こえた。
「盤さん!」
振り返ると、これまでの打合せで何度か会った野世宏実だった。
「野世さん。おはようございます」
「おはようございます。本日のラジオ収録よろしくお願いします。私が進行とインタビューをさせていただきますので、よろしければ、このままブースにお越し頂けますか?」
彼女は腕を上げて掌を後方に向けた。遠く店内フロア奥には箱型の部屋のようなものが見えた。収録用のブースなのだろう。
「え、ちょっと待ってください。神楽も、まだ着いてないんですが」
「あ、大丈夫です。あとから合流するという大鳥さんから連絡を頂きました。先に始めてくれ、ということだそうです」
「そうでしたか。でも良いのかな」
「今日は午後からもプロモーションが引き続きあります。スケジュールが押してて、慌ただしくて申し訳ありません。なので先にブースに入って収録を始めちゃいましょう!」
野世宏実に促されて収録用のブースに案内された。
途中、彼らの横を通り過ぎるとき、あの子の隣にいた彼――冬くん――と目が合った。4月以来だ。前回会ったときから変わらずグレーのマスクにふわふわの頭が印象的で、小動物のような印象のまま。
もちろん話す時間はない。野世の背中を追うように歩を進めて、箱型の扉が開かれて中へ入った。
特別に設営された専用の収録ブース内は、完璧な防音仕様で出来た壁だった。出入口の扉が閉まると、外の音は遮断されて一切聞こえなくなった。
「これは凄いな。本格的だ」
部屋の中央にはテーブルとマイクが置かれており、俺と野世が向かい合うようにテーブル席が用意されていた。席に着き左側を向くと、窓ガラスが取り付けられており、パワレコの店内が見えた。
ガラスの向こう側にはマスク姿の知らない顔が沢山並んでいる。ワンダイフ・グループの中で、デュエット制作に関わりのある音楽制作や広告関連企業の関係者が一同に集まって来店しているようだった。彼らは分かりやすいのだ。皆、社員名の入った同じストラップを首からぶら下げており、ラジオ収録に立ち会っているから。
しかし彼ら大人たちがブース内を覗く隙間から、れこ盤の関係者は代打の田幡くらいだ。自分の番組の立ち合いが一人だけなのは寂しいが不正侵入の件で社員は対応に追われているから、俺のプロモーションにまで人員を割けないのだろう。
そして田幡の傍にはインターン生と思われる二人の姿も辛うじて見えた。だが表情はラジオのブース内からは良く見えなかった。
「盤さん。緊張してます?」
向かいに着席した野世に声を掛けられた。
「いえ。緊張ってわけじゃないんですけど、ラジオ収録というのは初めてですね」
「へぇ。そうなんですか!」
「れこ盤は、収録用のスタジオがあって立ち会うスタッフさんも、まぁまぁいるんですが今日みたいな人出ほどじゃないんですよ」
「そういえば多いですよね。人の多さ気になります?」
「いえ、ギャラリーが多いのも、なんか興味深いなって思いますね。むしろ貴重な体験です」
「それは良かった!」
「でも逆に野世さんは緊張しないんですか?」
「実は大昔、放送部だったんですよ。局アナに応募したこともあります。残念ながら採用は叶わずでしたけど、でもワンダイフの音楽制作会社が拾ってくれました。これまで結構、色んなイベント司会の仕事もやってたりするんですよ!」
なんとチーフの仕事をサポートするだけでなく、一芸に秀でたマイク技術もある会社員らしい。
自分でもMCをやってみて気づいたことだが、意外と巧みな話術というのが試されるのだ。放送中にトラブルが起きたりするときは無言を作らず、焦らず状況に応じて話を繋いだり、盛り上げたりすることもある。
「それじゃあ盤さん、始めますよ?」
「あ、はい。よろしくお願いします!」
彼女はニコリと微笑んだ。
司会進行役の野世は、ヘッドフォンを付けて、窓ガラスの外で待機するスタッフとコンタクトを取った。
―『それでは収録開始します』
装着したヘッドフォンからは開始の合図が聞こえた。
―『全国、音楽好きの皆さま。こんにちは。司会のMC、野世宏実がお送りしています。本日は、パワーレコード渋谷店で特別収録となるラジオ対談です。ワンダイフ・レコードより7月2日『星の導き』リリース記念。レクシアズ人気の歌い手、神楽玲央とのデュエットソングにあたり、特別ゲストをお迎えして根掘り葉掘り聞いてまいります。らふTV看板番組、れこ盤のMCを務める盤さんです!』
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