上 下
108 / 204
ターニングポイント

#105:一芸に秀でたマイク技術 - side 誉史

しおりを挟む


 手を上げて去り行く遥の後ろ姿を見送ってから、振り返った。

 折角、彼女の子供と現場が一緒になったのだ。あの子にも挨拶をしておこうと声を掛けようとしたが、先に俺の名を呼ぶ声が聞こえた。

「盤さん!」

 振り返ると、これまでの打合せで何度か会った野世宏実だった。

「野世さん。おはようございます」

「おはようございます。本日のラジオ収録よろしくお願いします。私が進行とインタビューをさせていただきますので、よろしければ、このままブースにお越し頂けますか?」

 彼女は腕を上げて掌を後方に向けた。遠く店内フロア奥には箱型の部屋のようなものが見えた。収録用のブースなのだろう。

「え、ちょっと待ってください。神楽も、まだ着いてないんですが」

「あ、大丈夫です。あとから合流するという大鳥さんから連絡を頂きました。先に始めてくれ、ということだそうです」

「そうでしたか。でも良いのかな」

「今日は午後からもプロモーションが引き続きあります。スケジュールが押してて、慌ただしくて申し訳ありません。なので先にブースに入って収録を始めちゃいましょう!」

 野世宏実に促されて収録用のブースに案内された。

 途中、彼らの横を通り過ぎるとき、あの子の隣にいた彼――冬くん――と目が合った。4月以来だ。前回会ったときから変わらずグレーのマスクにふわふわの頭が印象的で、小動物のような印象のまま。

 もちろん話す時間はない。野世の背中を追うように歩を進めて、箱型の扉が開かれて中へ入った。

 特別に設営された専用の収録ブース内は、完璧な防音仕様で出来た壁だった。出入口の扉が閉まると、外の音は遮断されて一切聞こえなくなった。

「これは凄いな。本格的だ」

 部屋の中央にはテーブルとマイクが置かれており、俺と野世が向かい合うようにテーブル席が用意されていた。席に着き左側を向くと、窓ガラスが取り付けられており、パワレコの店内が見えた。

 ガラスの向こう側にはマスク姿の知らない顔が沢山並んでいる。ワンダイフ・グループの中で、デュエット制作に関わりのある音楽制作や広告関連企業の関係者が一同に集まって来店しているようだった。彼らは分かりやすいのだ。皆、社員名の入った同じストラップを首からぶら下げており、ラジオ収録に立ち会っているから。

 しかし彼ら大人たちがブース内を覗く隙間から、れこ盤の関係者は代打の田幡くらいだ。自分の番組の立ち合いが一人だけなのは寂しいが不正侵入の件で社員は対応に追われているから、俺のプロモーションにまで人員をけないのだろう。

 そして田幡の傍にはインターン生と思われる二人の姿も辛うじて見えた。だが表情はラジオのブース内からは良く見えなかった。

「盤さん。緊張してます?」

 向かいに着席した野世に声を掛けられた。

「いえ。緊張ってわけじゃないんですけど、ラジオ収録というのは初めてですね」

「へぇ。そうなんですか!」

「れこ盤は、収録用のスタジオがあって立ち会うスタッフさんも、まぁまぁいるんですが今日みたいな人出ほどじゃないんですよ」

「そういえば多いですよね。人の多さ気になります?」

「いえ、ギャラリーが多いのも、なんか興味深いなって思いますね。むしろ貴重な体験です」

「それは良かった!」

「でも逆に野世さんは緊張しないんですか?」
 
「実は大昔、放送部だったんですよ。局アナに応募したこともあります。残念ながら採用は叶わずでしたけど、でもワンダイフの音楽制作会社が拾ってくれました。これまで結構、色んなイベント司会の仕事もやってたりするんですよ!」

 なんとチーフの仕事をサポートするだけでなく、一芸にひいでたマイク技術もある会社員らしい。

 自分でもMCをやってみて気づいたことだが、意外と巧みな話術というのが試されるのだ。放送中にトラブルが起きたりするときは無言を作らず、焦らず状況に応じて話を繋いだり、盛り上げたりすることもある。

「それじゃあ盤さん、始めますよ?」

「あ、はい。よろしくお願いします!」

 彼女はニコリと微笑んだ。

 司会進行役の野世は、ヘッドフォンを付けて、窓ガラスの外で待機するスタッフとコンタクトを取った。

―『それでは収録開始します』

 装着したヘッドフォンからは開始の合図が聞こえた。

―『全国、音楽好きの皆さま。こんにちは。司会のMC、野世宏実がお送りしています。本日は、パワーレコード渋谷店で特別収録となるラジオ対談です。ワンダイフ・レコードより7月2日『星の導き』リリース記念。レクシアズ人気の歌い手、神楽玲央とのデュエットソングにあたり、特別ゲストをお迎えして根掘り葉掘り聞いてまいります。らふTV看板番組、れこ盤のMCを務める盤さんです!』

しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

【BL】国民的アイドルグループ内でBLなんて勘弁してください。

白猫
BL
国民的アイドルグループ【kasis】のメンバーである、片桐悠真(18)は悩んでいた。 最近どうも自分がおかしい。まさに悪い夢のようだ。ノーマルだったはずのこの自分が。 (同じグループにいる王子様系アイドルに恋をしてしまったかもしれないなんて……!) (勘違いだよな? そうに決まってる!) 気のせいであることを確認しようとすればするほどドツボにハマっていき……。

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

同僚に密室に連れ込まれてイケナイ状況です

暗黒神ゼブラ
BL
今日僕は同僚にごはんに誘われました

甘い吐息で深呼吸

天乃 彗
恋愛
鈴木絢。二十八歳。職業、漫画家。漫画を描くことに没頭すると他のことが何も手につかなくなってしまう。食生活も、部屋の掃除も……。そんな汚部屋女子・アヤと、アヤのお隣さん・ミカゲさんが織り成す、とことん甘やかし年の差スローラブ。

処理中です...