上 下
89 / 204
これは奇跡か、必然か

#86:サイン完了 - side 誉史

しおりを挟む


「見せてもらったんだ」

「え?」

「プロジェクトに関わる名簿一覧でフルネームを見て。それで聞いたんだよ」

「聞いたって…え、え?」

「大鳥は俺の元いた会社の同期で、仲良くしてる友人っていうか。だから全部事情は知ってるっていうか」

「もう…知ってるん、ですか?」

 不安そうに俺を見上げて、ようやく目が合った。あの頃の“彼”に、似ているようで似ていないような――妙な気分を覚えたが――俺は深く頷いて少しだけ柔らかく微笑んだ。

 懐かしい気持ちが急に込み上げて、話しかけようとしたが彼の方が先だった。

「あの…盤さん。お願いがあるんですど」

「え。お願い?」

 彼が何かを言いかけようとしたときだ。

 勢いよく開いたドアから鉢野が入ってきた。大きなダンボール箱を両手で持ってきて、俺と彼の間を割って入り、ドンッと音を響かせて荷物をテーブル上に置いた。

「ふう。めちゃ重。あ。君。まだ箱があるから手伝って!」

 振り返った鉢野は、彼に指示をする。直ぐに俺と向き直ると「盤さんはコレね」と言ってマジックペンを渡された。ゴールドだ。

「私が持ってきた箱にはアクスタが入ってます。そこそこ大きくて、あ、先に持ってきてもらったこっちもアクスタのやつですから、パパっとサイン書いてくださいね。乾かすのに時間も掛かりますから、サイン書いたあとは、このテーブル上に並べておいてください」

 それだけ言うと鉢野は部屋から出ていったが、直ぐに引き返してドアから顔だけを覗かせた。

「そこの君。早く来て!」

「あ、は、はい!」

 呼ばれた彼はドアに向かおうとしたが、振り返って俺を見た。少し小走りでまた駆け寄ってくると、声のトーンを僅かに下げて口元に手を寄せた。

「あの、キングスの事務所に出入りしてることは他の人には言わないでください」

「え?」

「俺は冬珈琲のチャンネルを担当してるんですけど、動画投稿したページの隅にクレジット表記で『そうま』って書いてあるのが俺のことなんですけど、でもインターン先の人たちには配信をサポートしてる活動のことは言ってないんです。インターンまだ続けたいんで。だから内緒にしててください!」

「あ。そうなんだ。うん。分かったよ。そうまくん?」

 黒いキャップを素早く取り、彼は軽くお辞儀をした。

「じゃあ俺行くんで!」

 パタパタと彼は駆け出して行ってしまった。

 少ししか話せなかったが、インターンの仕事は多忙のようだった。仕方なく鉢野に言われた通り、ダンボール箱からノベルティグッズを取り出して、俺はサインを一つ一つに書いた。

 次々にダンボール箱が部屋に運び込まれて、書き終えたときには日も暮れて、外の景色は既に真っ黒だった。

「盤さん。あとは片づけるだけなんで、今日は上がってください。お疲れさまでした!」

 鉢野にそう言われて、テーブル上に並べたグッズを任せることにした。野世も「本日はお越しいただきありがとうございました。お疲れさまでした!」と労いの言葉を掛けられた。

「あ、そうだ!」

 急に鉢野が声を上げた。

「なんだよ。鉢野。びっくりするじゃないか!」

「すみません。忙殺されてたんで今の今まで、すっかり忘れてましたが倉庫にいた人たちには挨拶済んでますか?」

「ああ、挨拶ね。したよ。ここに運んでくれたスタッフさんたちと入れ替わりサインの合間、挨拶できたから」

「そうでしたか。良かった」

 鉢野は尻ポケットからハンカチを取り出すと噴き出したひたいの汗を拭いた。

「そういえば盤さん」

 今度は野世からだった。

「はい。なんでしょう?」

「実は、あと一人いるんです。高熱が出て2週間休むことになってしまったインターンの学生がいます。どうしますか?」

「そうなんですか。でもムリして出てくることはないので、お大事にしてください。今の時代、感染が悪化したら大変ですから」

 俺の本日の目的は果たしたから、別にどうでも良かった。一人くらい挨拶ができてなくても、プロジェクトに響くわけではないのだから。

「そうですね。体調が万全でないと、アーティストに感染でもしたらプロモに響きますから。それでは、スタッフへの顔合わせはこれで完了とさせていただきます」

 鉢野が小さく噴き出して、ぼそりと口走った。

「アーティスト…」

「なんだよ鉢野」

「あ、いえ。アーティストって、なんか良い響きですねぇ」

 ニヤニヤした顔で俺を見る。まったく気持ち悪い笑い方だ。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

少年ペット契約

眠りん
BL
※少年売買契約のスピンオフ作品です。 ↑上記作品を知らなくても読めます。  小山内文和は貧乏な家庭に育ち、教育上よろしくない環境にいながらも、幸せな生活を送っていた。  趣味は布団でゴロゴロする事。  ある日学校から帰ってくると、部屋はもぬけの殻、両親はいなくなっており、借金取りにやってきたヤクザの組員に人身売買で売られる事になってしまった。  文和を購入したのは堂島雪夜。四十二歳の優しい雰囲気のおじさんだ。  文和は雪夜の養子となり、学校に通ったり、本当の子供のように愛された。  文和同様人身売買で買われて、堂島の元で育ったアラサー家政婦の金井栞も、サバサバした性格だが、文和に親切だ。  三年程を堂島の家で、呑気に雪夜や栞とゴロゴロした生活を送っていたのだが、ある日雪夜が人身売買の罪で逮捕されてしまった。  文和はゴロゴロ生活を守る為、雪夜が出所するまでの間、ペットにしてくれる人を探す事にした。 ※前作と違い、エロは最初の頃少しだけで、あとはほぼないです。 ※前作がシリアスで暗かったので、今回は明るめでやってます。

人生詰んだ気がしたので、VTuberになってみた。

未来アルカ
大衆娯楽
 鬼堕 俊隆(きだ としたか)。  とある事件によって親族に見放され、就職することも難しく貯金の残りもわずかとなった彼は、人生の最後くらい楽しく過ごしたいという思いから、VTuber『鬼道 奈落』としてデビューする。  VTuberを通して出会う、自分の知らない世界。その中で、徐々に明らかになっていく彼の悲しい過去。  カクヨムでも投稿しています! 『なんか姿似てるVTuber知ってるなー』とか『名前のイントネーション似てるVTuber知ってるなー』って感じで楽しんで貰えたら嬉しいです。

プレッシャァー 〜農高校球児の成り上がり〜

三日月コウヤ
青春
父親の異常な教育によって一人野球同然でマウンドに登り続けた主人公赤坂輝明(あかさかてるあき)。 父の他界後母親と暮らすようになり一年。母親の母校である農業高校で個性の強いチームメイトと生活を共にしながらありきたりでありながらかけがえのないモノを取り戻しながら一緒に苦難を乗り越えて甲子園目指す。そんなお話です *進行速度遅めですがご了承ください *この作品はカクヨムでも投稿しております

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

熱のせい

yoyo
BL
体調不良で漏らしてしまう、サラリーマンカップルの話です。

食事届いたけど配達員のほうを食べました

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
なぜ自転車に乗る人はピチピチのエロい服を着ているのか? そう思っていたところに、食事を届けにきたデリバリー配達員の男子大学生がピチピチのサイクルウェアを着ていた。イケメンな上に筋肉質でエロかったので、追加料金を払って、メシではなく彼を食べることにした。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

スイート・スパイシースイート

鈴紐屋 小説:恋川春撒 絵・漫画:せつ
BL
佐藤裕一郎は経営してるカレー屋から自宅への帰り道、店の近くの薬品ラボに勤める研究オタクの竹川琢を不良から助ける。そしたら何か懐かれちまって…? ※大丈夫っ(笑)この小説はBLです。

処理中です...