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これは奇跡か、必然か
#86:サイン完了 - side 誉史
しおりを挟む「見せてもらったんだ」
「え?」
「プロジェクトに関わる名簿一覧でフルネームを見て。それで聞いたんだよ」
「聞いたって…え、え?」
「大鳥は俺の元いた会社の同期で、仲良くしてる友人っていうか。だから全部事情は知ってるっていうか」
「もう…知ってるん、ですか?」
不安そうに俺を見上げて、ようやく目が合った。あの頃の“彼”に、似ているようで似ていないような――妙な気分を覚えたが――俺は深く頷いて少しだけ柔らかく微笑んだ。
懐かしい気持ちが急に込み上げて、話しかけようとしたが彼の方が先だった。
「あの…盤さん。お願いがあるんですど」
「え。お願い?」
彼が何かを言いかけようとしたときだ。
勢いよく開いたドアから鉢野が入ってきた。大きなダンボール箱を両手で持ってきて、俺と彼の間を割って入り、ドンッと音を響かせて荷物をテーブル上に置いた。
「ふう。めちゃ重。あ。君。まだ箱があるから手伝って!」
振り返った鉢野は、彼に指示をする。直ぐに俺と向き直ると「盤さんはコレね」と言ってマジックペンを渡された。ゴールドだ。
「私が持ってきた箱にはアクスタが入ってます。そこそこ大きくて、あ、先に持ってきてもらったこっちもアクスタのやつですから、パパっとサイン書いてくださいね。乾かすのに時間も掛かりますから、サイン書いたあとは、このテーブル上に並べておいてください」
それだけ言うと鉢野は部屋から出ていったが、直ぐに引き返してドアから顔だけを覗かせた。
「そこの君。早く来て!」
「あ、は、はい!」
呼ばれた彼はドアに向かおうとしたが、振り返って俺を見た。少し小走りでまた駆け寄ってくると、声のトーンを僅かに下げて口元に手を寄せた。
「あの、キングスの事務所に出入りしてることは他の人には言わないでください」
「え?」
「俺は冬珈琲のチャンネルを担当してるんですけど、動画投稿したページの隅にクレジット表記で『そうま』って書いてあるのが俺のことなんですけど、でもインターン先の人たちには配信をサポートしてる活動のことは言ってないんです。インターンまだ続けたいんで。だから内緒にしててください!」
「あ。そうなんだ。うん。分かったよ。そうまくん?」
黒いキャップを素早く取り、彼は軽くお辞儀をした。
「じゃあ俺行くんで!」
パタパタと彼は駆け出して行ってしまった。
少ししか話せなかったが、インターンの仕事は多忙のようだった。仕方なく鉢野に言われた通り、ダンボール箱からノベルティグッズを取り出して、俺はサインを一つ一つに書いた。
次々にダンボール箱が部屋に運び込まれて、書き終えたときには日も暮れて、外の景色は既に真っ黒だった。
「盤さん。あとは片づけるだけなんで、今日は上がってください。お疲れさまでした!」
鉢野にそう言われて、テーブル上に並べたグッズを任せることにした。野世も「本日はお越しいただきありがとうございました。お疲れさまでした!」と労いの言葉を掛けられた。
「あ、そうだ!」
急に鉢野が声を上げた。
「なんだよ。鉢野。びっくりするじゃないか!」
「すみません。忙殺されてたんで今の今まで、すっかり忘れてましたが倉庫にいた人たちには挨拶済んでますか?」
「ああ、挨拶ね。したよ。ここに運んでくれたスタッフさんたちと入れ替わりサインの合間、挨拶できたから」
「そうでしたか。良かった」
鉢野は尻ポケットからハンカチを取り出すと噴き出した額の汗を拭いた。
「そういえば盤さん」
今度は野世からだった。
「はい。なんでしょう?」
「実は、あと一人いるんです。高熱が出て2週間休むことになってしまったインターンの学生がいます。どうしますか?」
「そうなんですか。でもムリして出てくることはないので、お大事にしてください。今の時代、感染が悪化したら大変ですから」
俺の本日の目的は果たしたから、別にどうでも良かった。一人くらい挨拶ができてなくても、プロジェクトに響くわけではないのだから。
「そうですね。体調が万全でないと、アーティストに感染でもしたらプロモに響きますから。それでは、スタッフへの顔合わせはこれで完了とさせていただきます」
鉢野が小さく噴き出して、ぼそりと口走った。
「アーティスト…」
「なんだよ鉢野」
「あ、いえ。アーティストって、なんか良い響きですねぇ」
ニヤニヤした顔で俺を見る。まったく気持ち悪い笑い方だ。
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