黒の神官と夜のお世話役

苺野 あん

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26.一路順風

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「まずは、愛の勝利おめでとうございます」

 疲労のにじむ顔で、ジーノが重々しく口を開いた。
 ベルナルドは、祝福されているにも関わらず、重苦しい雰囲気に不信感を覚え、眉根を寄せる。

 結界が一度は崩壊しかけ、それを立て直したのは、観測していたジーノも察知していた。
 だが、崩壊しかけたのはともかく、立て直すことができる者はいないはずで、混乱していたのだ。
 神殿に戻ってきたベルナルドが顛末を説明すると、ジーノは血相を変えてアンジェリアの法力測定をしなくては、と言い出した。
 それからベルナルドも結界の様子を調べるなど、忙しく立ち動いていて、やっと一息ついて執務室にやってきたのだ。

「……結界の様子は、問題がなかった。というか、むしろ大分修復されていたくらいだ。それなのに、他に何か問題でもあるのか?」

 ジーノの苦々しそうな様子を訝しみ、ベルナルドは問いかける。

「問題、ですか。大問題ですね。不覚もいいところですよ。何なんですか、彼女は」
「……アンジェリアのことか?」
「そうです。法力測定をやり直したら、上級神官クラスの潜在能力でしたよ。それも、法力の質がこの地の結界と一致しているんです。訓練さえ積めば、調整役どころか、彼女一人でここの結界を維持・修復……いえ、作り直しまでできますよ」
「そこまでか……」

 思わずベルナルドは、驚嘆の吐息を漏らす。
 一瞬のうちに、この地の結界の崩壊を止め、さらに修復までしたのだ。いくら増幅石の効果があるとはいえ、アンジェリア自身の法力も相当のものだろうと予想はしていたが、ベルナルドの想像以上だった。

「結界を作り出す能力に長けているんです。戦闘系はいまいちでしたけれどね。……まったく、こんな逸材に雑用なんかさせていたと思うと、頭をかきむしりたくなりますね」
「そういえば、アンジェリアはどうした?」

 ジーノがアンジェリアの法力測定をすると言ってから、ベルナルドとは別行動だったのだ。
 執務室にもアンジェリアの姿は見当たらない。

「早速、法力の訓練を始めてもらっていますよ。誰かとは違って、訓練に意欲的でしたね。あなたのお役に立ちたいそうですよ、涙ぐましいですね」
「アンジェリアは真面目だからな。だが、その誰かも、さすがに今回の件で懲りたようだぞ」

 ビビアーナは、自分が結界崩壊の引き金を作り出してしまったことで、かなりショックを受けて落ち込んでいたのだ。
 幸いにして、結界は崩壊せずにすんだが、さすがに責任を感じているようだった。

 ベルナルドは、昨晩のそわそわしたアンジェリアの様子を不審に思い、こそこそと神殿を出て行ったところを、見つからないように追っていったのだ。
 町はずれの小屋にアンジェリアが入っていくのを見て、これはよからぬことが起きそうだと思っていたところ、歪んだ法力を感じ、結界が急激に崩壊を始めた。
 しかも魔物を呼び寄せる道まで作られていて、慌てて断ち切ったのだが、すでに一匹は小屋の中に侵入してしまっていた。ベルナルドも急いで中に踏み込んで、どうにか間に合ったのだが、もう少し遅れていたらと思うと、ぞっとする。

 ビビアーナと三人の男たちが何をしようとしていたのかは、知らない。
 大体の予想はつくが、アンジェリアはビビアーナの落ち込みぶりを見てか、何も語ろうとはしなかった。だから、ベルナルドも詮索しなかったのだ。
 これでビビアーナの性根が変わらないままだったら、何か罰を与えるべきだろうが、反省しているようなので、とりあえずは保留にしてある。
 三人の男たちは、後で殴っておこう。

「心を入れ替えてくれると、ありがたいんですけれどね。彼女もあれはあれで、それなりの法力の持ち主ですから」
「そうだ、ビビアーナよりも、アンジェリアのほうが、この地の結界に法力の質が近いのか?」

 確か、ビビアーナは『近い』で、アンジェリアは『一致』だったはずだ。
 この地の結界を作った神官の子孫であるビビアーナより、アンジェリアのほうがより質が近いというのは、どういうことなのだろうか。

「それですけれどね、まあ推測なんですけれど……百年ほど前、お家騒動があったらしいとは、前にも言いましたよね」

 ジーノが語り出す。
 それによると、この地の領主一族は、もともと女系で婿取りをしていたのだという。女性に法力が表れやすい家系で、夫が領主、妻が神殿長となっていたらしい。
 ところが、百年ほど前に、妻が先に亡くなり、夫は後妻を迎えた。後妻は、正当な後継者である先妻の娘を追い出して、自分の息子を跡継ぎにしたのだ。そのため、本来の血は途切れている。

「……で、本来の後継者だった先妻の娘の血を引いているのが、あなたの愛しい方なんじゃないかと。実はそちらが直系で、領主一族であるビビアーナのほうが傍系だったと考えると、辻褄が合うんですよね」

 記録があるわけではないので、あくまで推測ですけれど、とジーノは付け足す。
 だが、ベルナルドも、ジーノの推測はおそらく当たっているだろうと感じる。
 アンジェリアの持っていた増幅石も、母の形見だと言っていたのだ。三百年前に結界を作り上げたときに使われたものと思われる。
 代々受け継がれてきて、百年前に先妻の娘が追い出されるときに、持ったまま出て行ったのだろう。きっと、それがアンジェリアに受け継がれたのだ。

「彼女が法力を扱えるようになれば、それだけで結界はどうにかなるんですけれど、そこまで待たずに、調整役をやってもらうことにしましょう。そのほうが短期間で終わりますし、何よりあなたの立場が保たれます」

 結界を完全に扱えるようになるまでには、かなりの訓練が必要だ。調整役に必要な程度ならば、そこまではかからない。期間を考えれば、当然のことだ。
 また、それだけではなく、アンジェリアが一人で作業を終えてしまうと、ベルナルドはせっかく結界補修のためにやって来たはいいけれど、役立たずではないかという批判にさらされかねない。
 効率からも、思惑からも、アンジェリアには調整役を務めてもらうのが最も良いのだ。

「実は、領主にあなたの愛しい方を養女に迎えさせようかと思って、準備していたんですけれど、その必要もなくなりましたね」
「……は?」

 突然、考えたこともないようなことを切り出され、ベルナルドはつい間抜けな声を漏らしてしまった。

「あなたの結婚が成就する可能性を、少しでも高めるためですよ。身分と法力、どちらもないより、せめて身分だけでもどうにか整えれば、少しはマシでしょうから。でも、あれだけの法力があれば、身分がなくてもごり押しできるでしょう」
「……おまえ、そんなことまで考えてくれていたのか」

 淡々と紡がれるジーノの言葉だったが、その内容は配慮に満ちていて、ベルナルドは感慨に打たれる。
 アンジェリアを妻に迎える決意をしたことは、ジーノには話してあった。どうにか正当に認めてもらえるよう説得するが、無理だった場合は地位と財産を捨てる覚悟だ、とも。
 そのとき、ジーノはいつものように平然とした様子で、そうですかと言っただけだった。
 まさか、手を打とうと動いてくれているとは、思いもしなかったのだ。

「あなたを失うのは神殿の損失ですからね。それに、少し抜けた方が上司のほうが、私もやりやすいので」
「……そうか」

 無愛想で、棘すらあるジーノの物言いだったが、それは照れ隠しのようで、ベルナルドは口角を上げながらただ頷く。
 まだ結界の補修作業は終わっていないが、それにも目処がつき、ベルナルドの個人的な問題も解決の糸口が見えてきた。ベルナルドは心に圧し掛かっていた重りが、軽くなっていくのを感じる。
 ついに順調な風が吹いてきたようだった。
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