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アンジェリアは立ち止まり、両腕を広げて、魔物の牙を待つ。
悔いはなかった。アンジェリアにとっては、自分の命を失うより、ベルナルドを失う悲しみを味わうことのほうがつらかったのだ。
もっとも、その苦しみをベルナルドに味わわせることになるのだから、卑怯なのかもしれない。これはきっと、悲しみや苦しみから逃げていることになるのだろう。
魔物の牙が届くまでのわずかな間、アンジェリアはそのようなことをぼんやりと考えていた。
ところが、魔物の牙はアンジェリアに届くことがなかった。
アンジェリアの周りで踊っていた風が吹き上がり、魔物をはじき飛ばしたのだ。
周囲の空気が揺れ、鈴が軽やかに歌うような音が響き出す。
いったい何が起こっているのかと、アンジェリアは呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
心を落ち着かせようと、母の形見のペンダントに手を触れる。すると、驚くほどの熱を感じて、思わずアンジェリアは手を引っ込めた。
おそるおそるペンダントを見てみると、雪の結晶の中心にある青い石が、おぼろげな光を放っている。もう一度そっと触れてみれば、やけどするほどの熱さではないようだ。
アンジェリアは、両手でペンダントをすくい上げた。
「……増幅石か!」
いつの間にか近づいてきていたベルナルドが、アンジェリアの手の中にあるペンダントを見て叫ぶ。
「だ……旦那様……? 増幅石? え……魔物は……?」
アンジェリアは、混乱しながら呟く。
何が起こっているのか、さっぱりわからなかった。
魔物はどうなったのかと周囲を見回してみると、アンジェリアを襲おうとした以外にも、何匹もいた魔物たちは全て地面に倒れていた。
「結界の構築を破棄して、魔物たちを倒した」
「ま……まさか、私のせいで……邪魔をして……」
アンジェリアは、血の気が引いていくようだった。
せっかくベルナルドが結界を構築しようとしていたのを、邪魔してしまったのではないか。町の中に魔物たちを招き入れることになったのではと、恐ろしくなってくる。
「いや、結界の崩壊が止まったんだ。それどころか、かなり修復までされている。だから、俺がこの場で結界を作る必要もなくなった」
「え……? どうして、そんな……」
耳を疑い、アンジェリアはぽかんとベルナルドを見つめる。
邪魔をしていなかったことには胸を撫で下ろしたが、結界の状態について、理解が及ばない。
「状況からして、アンジェリアが法力を使ったとしか考えられない。訓練を積んでいない者でも、極限状態で法力を使うことはあり得る」
「でも……私は、法力が無いと言われました。それなのに、何故……」
以前、法力を測定したときは、無いに等しいという結果だったのだ。
魔物に一矢報いる程度のごく小さなものならまだしも、結界の崩壊を食い止めるなど、ベルナルドにすらできなかったことができるとは、考えられない。
「おそらく、この増幅石のせいだろう。法力を何倍にも高める効果がある」
「高めても……もともとが少ないのなら、そうたいしたことはないのでは……」
「そいつも、増幅石のせいだな」
ベルナルドは、アンジェリアの手の中にあるペンダントに、手をかざす。
「増幅石は、身につけている者の法力を吸い取って、蓄えるんだ。こいつはもう、ほとんど空っぽになっている。きっと、これまでずっと、アンジェリアの法力を吸い取っていたんだろう」
「え……?」
あまりにも意外な言葉に驚きながら、アンジェリアはペンダントをじっと見つめる。
おぼろげだった光は薄れ、いつもの青い石に戻ろうとしていた。
「法力のコントロールができれば、増幅石も吸収するか放出するか調節することができるんだが、アンジェリアの場合はおそらく吸収されていたと思う。その状態だったら、法力を測定してもうまく測定できず、法力が無いとみなされてしまうんだ」
「じゃ……じゃあ……私に、法力が……?」
法力があればベルナルドの役に立てるのにと、無いことが悔しくて仕方がなかった。それが、もしかしたらアンジェリアにあるかもしれないのだ。
信じられない気持ちと共に、ふつふつと希望がわきあがってくる。
「測定してみないと正確なところはわからないが、一定以上の法力があるのは間違いないだろう」
「……ほ……本当ですか……? じゃあ、私も旦那様のお役に立てるのですか……? 何の役にも立てない、この私が……」
「そんなことを思っていたのか」
思いの丈をこぼしたアンジェリアを、ベルナルドが目を見開いて見つめる。
「俺はアンジェリアのおかげで、救われたと思っている。法力の有無なんて関係なく、だ。優しい心遣いとひたむきな勇気が、俺に力をどれだけ与えてくれたことか。役に立っていないなど、ありえない」
「旦那様……」
アンジェリアの瞳に、涙がじわりと浮かぶ。
胸がいっぱいになって、言葉がうまく出てこない。
「それに、今はアンジェリアがいなければ、俺は命を失っていただろう。まあ、これは法力だが。何にせよ、アンジェリアは命の恩人だな」
「そ、そんな……」
くすぐったいような気持ちがわきあがり、アンジェリアは軽く目を伏せた。
ベルナルドの役に立てたのだと思うと、心の底から充足感がわいてくる。
「むしろ、アンジェリア一人で結界の補修ができるのかもしれん。そうだとしたら、俺こそが役立たずだな」
「旦那様、そんな……」
何と言ってよいかわからず、アンジェリアが目を白黒させると、ベルナルドは冗談だ、と笑った。
「まあ、何にせよ、危機は去ったようだ。近くに魔物の気配もない。神殿に戻ろうか」
まだ現実味がなく、夢の中をふわふわと歩いているかのようなアンジェリアを、ベルナルドが支える。
たくましい腕の温もりを感じながら、アンジェリアは二人で一緒に戻れるのだと、何に増しても得がたい喜びを噛み締めていた。
悔いはなかった。アンジェリアにとっては、自分の命を失うより、ベルナルドを失う悲しみを味わうことのほうがつらかったのだ。
もっとも、その苦しみをベルナルドに味わわせることになるのだから、卑怯なのかもしれない。これはきっと、悲しみや苦しみから逃げていることになるのだろう。
魔物の牙が届くまでのわずかな間、アンジェリアはそのようなことをぼんやりと考えていた。
ところが、魔物の牙はアンジェリアに届くことがなかった。
アンジェリアの周りで踊っていた風が吹き上がり、魔物をはじき飛ばしたのだ。
周囲の空気が揺れ、鈴が軽やかに歌うような音が響き出す。
いったい何が起こっているのかと、アンジェリアは呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
心を落ち着かせようと、母の形見のペンダントに手を触れる。すると、驚くほどの熱を感じて、思わずアンジェリアは手を引っ込めた。
おそるおそるペンダントを見てみると、雪の結晶の中心にある青い石が、おぼろげな光を放っている。もう一度そっと触れてみれば、やけどするほどの熱さではないようだ。
アンジェリアは、両手でペンダントをすくい上げた。
「……増幅石か!」
いつの間にか近づいてきていたベルナルドが、アンジェリアの手の中にあるペンダントを見て叫ぶ。
「だ……旦那様……? 増幅石? え……魔物は……?」
アンジェリアは、混乱しながら呟く。
何が起こっているのか、さっぱりわからなかった。
魔物はどうなったのかと周囲を見回してみると、アンジェリアを襲おうとした以外にも、何匹もいた魔物たちは全て地面に倒れていた。
「結界の構築を破棄して、魔物たちを倒した」
「ま……まさか、私のせいで……邪魔をして……」
アンジェリアは、血の気が引いていくようだった。
せっかくベルナルドが結界を構築しようとしていたのを、邪魔してしまったのではないか。町の中に魔物たちを招き入れることになったのではと、恐ろしくなってくる。
「いや、結界の崩壊が止まったんだ。それどころか、かなり修復までされている。だから、俺がこの場で結界を作る必要もなくなった」
「え……? どうして、そんな……」
耳を疑い、アンジェリアはぽかんとベルナルドを見つめる。
邪魔をしていなかったことには胸を撫で下ろしたが、結界の状態について、理解が及ばない。
「状況からして、アンジェリアが法力を使ったとしか考えられない。訓練を積んでいない者でも、極限状態で法力を使うことはあり得る」
「でも……私は、法力が無いと言われました。それなのに、何故……」
以前、法力を測定したときは、無いに等しいという結果だったのだ。
魔物に一矢報いる程度のごく小さなものならまだしも、結界の崩壊を食い止めるなど、ベルナルドにすらできなかったことができるとは、考えられない。
「おそらく、この増幅石のせいだろう。法力を何倍にも高める効果がある」
「高めても……もともとが少ないのなら、そうたいしたことはないのでは……」
「そいつも、増幅石のせいだな」
ベルナルドは、アンジェリアの手の中にあるペンダントに、手をかざす。
「増幅石は、身につけている者の法力を吸い取って、蓄えるんだ。こいつはもう、ほとんど空っぽになっている。きっと、これまでずっと、アンジェリアの法力を吸い取っていたんだろう」
「え……?」
あまりにも意外な言葉に驚きながら、アンジェリアはペンダントをじっと見つめる。
おぼろげだった光は薄れ、いつもの青い石に戻ろうとしていた。
「法力のコントロールができれば、増幅石も吸収するか放出するか調節することができるんだが、アンジェリアの場合はおそらく吸収されていたと思う。その状態だったら、法力を測定してもうまく測定できず、法力が無いとみなされてしまうんだ」
「じゃ……じゃあ……私に、法力が……?」
法力があればベルナルドの役に立てるのにと、無いことが悔しくて仕方がなかった。それが、もしかしたらアンジェリアにあるかもしれないのだ。
信じられない気持ちと共に、ふつふつと希望がわきあがってくる。
「測定してみないと正確なところはわからないが、一定以上の法力があるのは間違いないだろう」
「……ほ……本当ですか……? じゃあ、私も旦那様のお役に立てるのですか……? 何の役にも立てない、この私が……」
「そんなことを思っていたのか」
思いの丈をこぼしたアンジェリアを、ベルナルドが目を見開いて見つめる。
「俺はアンジェリアのおかげで、救われたと思っている。法力の有無なんて関係なく、だ。優しい心遣いとひたむきな勇気が、俺に力をどれだけ与えてくれたことか。役に立っていないなど、ありえない」
「旦那様……」
アンジェリアの瞳に、涙がじわりと浮かぶ。
胸がいっぱいになって、言葉がうまく出てこない。
「それに、今はアンジェリアがいなければ、俺は命を失っていただろう。まあ、これは法力だが。何にせよ、アンジェリアは命の恩人だな」
「そ、そんな……」
くすぐったいような気持ちがわきあがり、アンジェリアは軽く目を伏せた。
ベルナルドの役に立てたのだと思うと、心の底から充足感がわいてくる。
「むしろ、アンジェリア一人で結界の補修ができるのかもしれん。そうだとしたら、俺こそが役立たずだな」
「旦那様、そんな……」
何と言ってよいかわからず、アンジェリアが目を白黒させると、ベルナルドは冗談だ、と笑った。
「まあ、何にせよ、危機は去ったようだ。近くに魔物の気配もない。神殿に戻ろうか」
まだ現実味がなく、夢の中をふわふわと歩いているかのようなアンジェリアを、ベルナルドが支える。
たくましい腕の温もりを感じながら、アンジェリアは二人で一緒に戻れるのだと、何に増しても得がたい喜びを噛み締めていた。
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