黒の神官と夜のお世話役

苺野 あん

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23.崩壊

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 アンジェリアは、ビビアーナの言葉の意味をとっさに理解できず、硬直した。
 じわじわと意味が染みこんでくると、今度は理解したくない思いで満たされる。
 しばらく前だったら、まったく理解できなかっただろう。だが、今はそれが何を意味するか、わかってしまう。
 だからこそ、何かの間違いだと思いたかった。

「そ……それは……」
「別に、あなたに危害を加えようっていうわけじゃないわよ。あなたがいつも、ベルナルド様としているようなことをしてくれればいいだけなの。簡単でしょう?」

 問いかけようとするアンジェリアだったが、それよりも早く、ビビアーナからの回答がきた。
 やはり、間違いではなかったのだと、アンジェリアの全身から血の気が引いていく。

「ここのところ、ベルナルド様はずいぶんとお疲れだそうね。しばらく、ご無沙汰じゃないのかしら? あなたの体の疼きも慰めてあげられて、素敵でしょう。淫乱なあなたのために、三人もお相手を準備したのよ」

 三人の男たちが、ニヤニヤとした好色な視線をアンジェリアに送ってくる。
 そのおぞましさに、アンジェリアの体を悪寒が駆け巡っていく。目の前が白くなっていくようで、自分の心臓の音だけがバクバクと聞こえてくる。

「わ……わた……し……そ、そん……な……」

 どうにか言葉を紡ごうとするが、アンジェリアの口から出てくるのは、かすれた呻き声だけだ。
 舌がもつれてしまい、うまく話すことができない。

「あら、そんなに嬉しいの。喜んでもらえて、あたくしも嬉しいわ。大丈夫よ、ベルナルド様には内緒にしておくわ。あなたが言わなければ、誰にもわからないわよ」

 くすくすと笑いながら、ビビアーナは言外に、誰にも言うなとにおわせてくる。

「あなた、何でもするって言ったわよね? あたくしは、法力の訓練をきちんとしているわよ。まさか、無責任に逃げたりはしないわよねえ」
「そ……それ……は……」

 何でもすると言ったのは、確かにアンジェリア自身だ。
 だが、このような展開を予想していたわけではない。法力の訓練とはまったく関係がない、ただアンジェリアを貶めるだけの要求など、考えもしなかったのだ。

「あたくし、小さな結界くらいなら、もう作れるようになったのよ。見せてあげましょうか?」

 そう言って、ビビアーナは片手を上げて小さく何かを呟く。
 すると、室内だというのにわずかな風が生じて、金属が擦れるような甲高い音が響いた。
 アンジェリアは不快感に身をすくめる。以前、ベルナルドが結界を作ったところを見たことがあったが、そのときとはまったく違う不快な音に聞こえるのは、今の心境のせいだろうか。

「……さ、これでここには誰も来ないから、安心して行為に没頭してちょうだい。遠慮しないで、服を脱いでいいわよ」

 ビビアーナは顎をしゃくって、促してくる。
 しかし、そのようなことを言われても、アンジェリアはあっさり受け入れられるはずもない。
 どうにか逃れる術はないかと、必死に考えようとするが、頭は真っ白になって空回りするだけだ。

「いよいよか。じゃあ、まずは俺から……」
「待ってちょうだい」

 気が早い男の一人が身を乗り出してくるのを、ビビアーナが制した。
 一瞬、びくりと身を震わせたアンジェリアだったが、男を制したビビアーナを驚いて見つめる。
 もしかしたら、考え直してくれたのではないかと、淡い期待が宿る。

「こちらから先に手を出すのは、よくないわ。あくまでも、彼女の意思を尊重しないとね。彼女がねだってくるのなら、それに応えるだけよ」
「なるほどな。俺たちは、この子のおねだりにお応えしただけです、ということか」

 だが、あまりにも甘い期待は、一瞬で消え去ってしまう。
 楽しそうに歪んだ笑みを浮かべる男とは対照的に、アンジェリアの心は絶望に暗く沈んでいく。

「あたくしが法力を扱えるの、見たでしょう? 調整役になれるのも、もうすぐだわ。そうなったら、ベルナルド様は助かるでしょうねえ」

 ねちねちと絡めとるように、ビビアーナがアンジェリアの弱みを突く。
 ここでアンジェリアが我慢して受け入れれば、ベルナルドの負担が大幅に軽減されることになる。
 命を取られるわけでもない。ほんの少しの間、心を殺して耐えればよいだけ。
 何もできないアンジェリアには、ビビアーナに調整役を引き受けてもらう以外、方法はないのだ。
 そうは思いながらも、やはりアンジェリアはベルナルド以外の男に触れられたくはない。
 アンジェリアの中で生じた葛藤が、締め付けるような圧迫感を伴って、息が苦しくなる。

「おい、ビビアーナ。そんな建前、どうでもいいだろ。さっさと始めようぜ」

 アンジェリアの沈黙にしびれを切らせたらしい一人の男が、進み出てくる。
 反射的に、アンジェリアは後ずさりしてしまう。

「待ってちょうだいって言っているで……」

 咎めるようなビビアーナの言葉は、途中で途切れた。
 窓が、ガタガタと揺れ始めたのだ。
 この場にいる全員が、何事かと窓に視線を向けた。

「おい、誰も来ないはずじゃ……うわっ!」

 誰かが口を開いたが、言い切ることなく悲鳴に変わった。
 窓をぶち抜いて、何かが室内に侵入してきたのだ。
 獰猛な唸り声を漏らす、狼のような獣だった。この場の誰もが、驚愕に声を失い、立ち尽くす。
 薄暗い部屋の中で、狼のような獣の目が赤く光る。
 アンジェリアの目にも見えるほど、ゆらゆらと立ち昇る禍々しい気が、この獣がただの獣ではなく、魔物であることを示していた。
 いよいよ結界の崩壊が進み、ついに町の中にまで魔物の侵入を許してしまったのだ。

「ま……魔物……?」
「お、おい、ビビアーナ、法力が使えるんだろう? あれを早く……」
「そ……そんなの、できないわよ……!」

 男たちとビビアーナが言い合っているのを、アンジェリアは放心状態で聞いていた。
 先ほどからずっと張り詰めていた糸が、とうとう切れてしまったのか、もう何も考えられない。
 魔物の赤く光る目がアンジェリアを捉え、飛びかかろうと低く身構えた。それでもアンジェリアは、ただぼんやりと眺めることしかできない。

「きゃあ!」

 魔物が床を蹴り、飛び上がると同時に、悲鳴が響く。
 アンジェリアは、どうやらビビアーナが悲鳴をあげたらしいと、他人事のように思いながら、宙を仰いでいた。
 何かが自分に向かってやってくる。もしかしたら、死んでしまうのだろうか。ここで死んでしまったとしたら、ベルナルドは悲しむだろうか。そういえば、育てていた薬草がそろそろ収穫時だった。ベルナルドにお茶を淹れてあげたいのに、それも叶わないのだろうか。
 とりとめもなく、アンジェリアの頭の中を一瞬のうちに様々な思いが駆け巡る。

「ぎゃう!」

 だが、いよいよアンジェリアに魔物の爪が届こうかというとき、魔物は突然悲鳴をあげて、その場に墜落した。
 覚悟していた衝撃が訪れず、アンジェリアは何が起こったのかわからない。もしかしたら助かったのだろうかと、のろのろと視線をさまよわせる。
 扉の前に、大きな影が落ちていた。
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