黒の神官と夜のお世話役

苺野 あん

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13.迷い

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「長い長い冬が明けてよかったですね。若い娘に血道を上げる中年男という、見苦しい図ではありますけれど、幸せそうで何よりです」
「……どうしておまえはそう、棘のある言い方しかできないんだ」

 ジーノに冷やかされ、ベルナルドはため息を漏らす。
 これでもいちおう祝福しているのだと、今までの付き合いからわかってはいるが、言い返さずにはいられない。

「これが私の性分ですので。世話役の娘も、無理強いされているわけではなく、本気であなたを慕っているらしいのが、信じがたい奇跡ですよね。もう二度と、こんなマニアは現れないでしょう」
「……それは、確かに認める」

 怯えられるとばかり思っていた娘は、怯えるどころかベルナルドのことを慕ってくれたのだ。
 最初は触れたら壊してしまうのではないかという恐れから、遠ざけて傷つけてしまったこともあったが、今ではアンジェリアのいない生活など考えられない。
 昼間は清楚で、真面目に職務をまっとうする彼女が、夜はベルナルドの腕の中で甘やかに喘ぐのが、可愛らしくて仕方がない。

「そのしまりのない顔、怖いです。部下に対する嫌がらせですか」

 眉をひそめながら、ジーノが吐き捨てる。
 ベルナルドは慌てて、緩んでいた表情を引き締めた。

「いや、その……そういえば、神殿長代理がここのところ、俺を恨めしそうに見ているような気がする。何かやってしまっただろうか」

 ごまかすように、ベルナルドは他の話を持ち出す。
 神殿長代理であるカプリスは、最初こそ、ベルナルドの悪い噂を聞いていたのか、かなり警戒しているようだったが、すぐにある程度は和らいだ。
 それが少し前から、再び態度が悪化してきた。最初の警戒している様子ともまた違った、苦々しい思いがこめられているようで、ベルナルドは疑問を抱いていたのだ。

「そりゃあ、そうなるでしょう。神殿長代理は世話役の娘のことを、実の娘か孫のように可愛がっているようですからね。それが王都から来た権力者に弄ばれているとなれば、心穏やかではいられないでしょう」
「……弄んでなど」

 ベルナルドは顔をしかめる。
 仮初めの遊びであるつもりはなかった。アンジェリアのことは、本当に愛おしく思っている。
 だが、ベルナルドはいずれ王都に戻る身である上、身分の違いがあるのも事実だ。

「……俺は、アンジェリアを妻に迎えたい」
「無理でしょうね」

 あっさりと、ジーノは否定する。

「あの娘は、身寄りもない平民の娘です。これでもし、強大な法力の持ち主だとでもいうのなら、まだどうにかなったかもしれませんが、残念ながら無いに等しいですからね」

 淡々と説かれ、ベルナルドは唇を引き結んで黙り込んだ。
 ジーノの言うことはもっともで、ベルナルド自身もそうだろうとわかっていた。

「愛人として囲うのが、せいぜいでしょう。王都に連れ帰って、屋敷を用意してやればいいんじゃないですか」
「……愛人、か」

 苦い思いを噛み締めながら、ベルナルドはぼそりと呟く。
 ベルナルドの身分ならば、決しておかしな話ではないだろう。正妻には身分のある貴族の娘を娶り、別の娘を愛人として囲うなど、貴族たちの間では珍しいことではない。
 だが、ベルナルドは自分にそのような器用な真似ができるとは思えなかった。
 アンジェリアに対しても誠実な扱いとはいえず、そのような日陰の身にしたくはない。

「どうせ、結婚相手なんて現れないんだから、実質的に妻みたいなものでしょう」
「だからといって……というか、ひどいな……」

 納得してしまったが、よく考えればひどい言い様だ。
 ベルナルドは軽くため息を吐いた。

「かといって、ここに残していけば、どういう扱いになるのか、わかりませんよ。領主の息子だって、やらかそうとしたのでしょう」
「……やっぱり、始末しておいたほうがよかったか」

 舌打ちしたい気持ちをこらえながら、ベルナルドは吐き捨てる。
 アンジェリアを襲おうとして媚薬まで盛ったことは許しがたいが、それでベルナルドとの距離が近づき、行為もスムーズに成し遂げることができたのも事実だった。
 その後、神殿にエジリオが現れなかったこともあり、わざわざ罰を与えようとまではしなかったのだ。

「始末するのは、どうぞご自由に。ただ、できれば結界補修が終わってからにしてほしいです。あんなろくでなしでも、いちおう領主一族なので、何かあったら面倒ですからね」
「……結界、か。あれ、本当にやっかいすぎるぞ」

 ベルナルドは渋面を作って唸る。
 ここのところ、すっかりアンジェリアとの蜜月に酔っていたが、職務のことを忘れたわけではない。昼間は真面目に仕事をしていたのだ。

「綻びの目立ったところを修復しているが、現状維持がいいところだな。思ったより崩壊が早まっているらしい。そのうち、追いつかなくなるかもしれないな」
「あなたでも追いつきませんか」
「今のところはどうにかなっているが……せめて、もう少し構成が俺の法力に近いか、調整役がいればなあ。一人でやっている分、重要な部分優先になるから、どうしても他の部分がおろそかになってしまう。そろそろ、境界の森は危ないぞ」

 最初に結界の様子を観察したときから、そのうち境界の森には弱い魔物が侵入してくるような事態になるだろうという予測はできていた。
 だが、思ったよりも早い。

「では、境界の森を封鎖しましょう。もともと、滅多に近づく者はいないようですけれど。それと、魔物狩りの準備もしておきますか」
「そうだな。結界の補修作業だけだと、肩がこって仕方がない。たまには体を動かしたいものだ」

 結界の補修は繊細な作業ばかりで、気疲れも多い。
 たまには、たいして頭を使わなくてすむ魔物狩りでもしたいところだった。綻びた結界の隙間から入り込めるような魔物なら、たいした強さもないだろうから、ちょうどよい。

「体なら、毎晩毎晩、頑張って動かしているのではありませんか?」
「いや、まあ、それは、その……そういえば、おまえだって初日にどこかのご婦人と、寝台に転がり込んでいたじゃないか」
「あれは、あの場限りですよ。その後、見かけてもいませんし、どこの誰だったのかも知りませんね」
「……ひどいな」

 からかうようなジーノの言葉に対し、ベルナルドは反撃を試みる。
 しかし、あっけらかんとした答えが返ってくるだけで、かないそうにもない。
 ベルナルドはぼそりと呟くだけで、それ以上、言い返す言葉も見つからなくなってしまった。

「そうそう、領主があなたに姪を紹介したいそうですよ」

 その話は終わったとばかりに、ジーノは別の話題を持ち出してくる。

「はあ? なんだそれは」

 思わず、ベルナルドは眉を寄せて唸ってしまった。
 あまりに唐突な内容で、すんなりと理解しがたい。

「……その姪とやらは、法力があるのか?」
「さあ、どうでしょうね。もしそうだったら、ありがたいんですけれどね。領主は、あまり品があるとは言いがたい笑みを浮かべていましたからねえ」
「……また、何か取り入ろうとしているのか」

 うんざりとしながら、ベルナルドは呟く。
 もともとアンジェリアも、領主がベルナルドに取り入るため、生贄のように捧げられてきたのだ。
 ベルナルドがアンジェリアを気に入っているという話は、領主の耳にも入っていることだろう。
 代わりの世話役の娘をあてがおうという話ではないはずだが、どういった意図があるのか、さっぱりわからない。
 ただ、ろくなことではないのだろうと、嫌な予感がベルナルドの気分を滅入らせた。
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