黒の神官と夜のお世話役

苺野 あん

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09.相談

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 カプリスに相談することも忘れ、アンジェリアは自らの心がわからないまま、ふらふらと歩いていた。
 すると、ベルナルドの補佐役であるジーノに呼び止められたのだ。
 法力を測定すると言われ、ほら貝に似たような道具を握らされた。
 もし自分に法力があれば、夜のお世話役以外でも役に立てると期待を抱くアンジェリアだったが、その願いは一瞬で儚く打ち砕かれてしまう。

「ほぼ無いに等しいですね。一般人ならこのようなものですので、気落ちする必要はありませんよ。ご苦労様でした」

 淡々とした口調で告げると、ジーノは去っていった。
 アンジェリアはがっくりとうな垂れてしまう。
 おそらく自分に法力などないだろうとわかってはいたが、いざそれを突きつけられると、失望が胸に押し寄せてくる。
 法力そのものの有無より、役に立てる力がないのが、口惜しい。

 アンジェリアは、とぼとぼと薬草を育てている庭に向かった。
 薬草を使ったお茶をベルナルドが喜んでくれたので、せめてそれくらいは役に立ちたいという思いからだ。
 失うもののほうが多いのにお役目を果たしたいと願ってしまうのは、もしかしたら自分が役立たずだという負い目からかもしれない。
 もし法力があれば、その負い目も薄れて、心の整理がついたのかもしれないが、そううまくはいかなかった。

 アンジェリアは、母の形見のペンダントにそっと触れた。
 手のひらにペンダントを乗せ、どうすればよいのだろうと問いかけるようにじっと眺めるが、雪の結晶をかたどったペンダントは静かにたたずむだけだ。
 アンジェリアの瞳と同じ色をした中心の青い石が、あなたはどうしたいのかと、逆に問いかけてきているようにすら見える。

「私は……」

 消え入りそうな声で呟きながら、アンジェリアはペンダントを両手で包み込んだ。
 どうしてよいのかわからず、途方に暮れるしかない。
 そのとき、足音が聞こえてきた。
 まだ心の整理がついていないときに、まさかベルナルドがやってきたのだろうかと、アンジェリアは思わず身をすくませてしまう。
 しかし、やってきたのは違う人物だった。

「こんにちは。きみが、アンジェリアだね」
「は……はい」

 柔らかな笑みを浮かべながら、赤毛の青年が声をかけてくる。
 見覚えがあるような気もするが、はっきりとは思い出せず、誰だっただろうかとアンジェリアは考え込んでしまう。

「初めまして、かな。僕はここの領主の息子、エジリオ。次期神殿長ともいえるね」

 相手の名乗りを聞き、そうだったとアンジェリアは思い出す。
 直接会ったことはないが、遠くから見たことがあったのだ。

「あ……失礼いたしました……お初にお目にかかります……」
「まあまあ、かたくならないで。きみと少しお話ししてみたいと思ってね」

 エジリオは、気さくな態度でアンジェリアに微笑みかけてくる。
 領主の息子ということで緊張していたアンジェリアだが、いくらか気分がやわらいだ。

「ベルナルド上級神官のお世話役になったそうだけれど、どうかな? 務めを果たすことはできている?」

 ところが、投げかけられた問いは、アンジェリアの顔を強張らせた。
 エジリオがしたり顔で、首を縦に振る。

「その様子だと、うまくいっていないようだね。何か力になれるかもしれない。話してごらんよ」
「で……でも……」

 アンジェリアは口ごもる。
 悩んでいることではあったが、初めて会った相手に、いきなり込み入った話をするのは気が引ける。まして、相手は男性なのだ。
 すると、エジリオが眉を寄せてアンジェリアを見つめた。

「これは、きみだけの問題じゃないんだよ。何か粗相があったら、きみだけじゃなくて、この地全体にことが及ぶ可能性だってあるんだ」

 静かな口調で諭すように言われ、アンジェリアははっとする。
 つい、自分のことしか考えていなかったことに気づく。
 ベルナルドが穏やかなので忘れかけていたが、彼はこの地の領主よりもずっと権力を持っているのだ。もし彼が機嫌を損ねれば、場合によっては自分だけではなく、この地の人々に累が及ぶことだってある。
 そのような人物ではないと思っていても、絶対にないとは言い切れない。

「僕は次期領主として、この地を守らねばならない。でも、きみも大切な領民の一人だ。まずは、きみ自身の悩みを取り除いてあげたいんだ」
「……はい……ありがとうございます。それでは、お恥ずかしい話なのですが……」

 たたみかけられ、アンジェリアは頷いた。
 話し出そうとするが、エジリオはそれをやんわりと推し留めた。

「ここだと、誰かが通るかもしれない。大勢に聞かれたい話じゃないだろうし、どこか人が来ないような場所に行こう」

 促され、アンジェリアは神殿のはずれにある東屋に行くことにした。
 その周辺は薬草になる草が自生しているので、刈ることはせずに放置してあるのだ。東屋も古いものなので、遠くからは廃屋同然に映る。
 知らない者が見れば、打ち捨てられた場所にしか思えないだろうから、誰かが近づくとは考えにくい。
 アンジェリアはエジリオと共に、東屋に向かう。

「……どうぞ」

 東屋にたどりつき、アンジェリアは藁で作ったクッションをエジリオにすすめる。
 アンジェリアにとってこの東屋はちょっとした隠れ家のようなものであり、時折一人で本を読むこともあった。そのため、居心地が良いようにある程度は整えられている。
 貴族であるエジリオは、このような場所など不快ではないかと、アンジェリアはそっと様子を伺うが、彼は別段気にした素振りもなく、すすめられたクッションに座った。

「そうだ、手を出してもらえるかい?」

 エジリオにそう言われ、アンジェリアは素直に手を差し出す。
 すると、エジリオが取り出した小さな容器から、はらはらと粉が舞い落ちてくる。
 そこから甘く優雅な香りが漂ってきて、アンジェリアの不安を和らげてくれるようだった。

「心を落ち着かせる香だよ。手首や首に擦りこんだり、体に塗って使うんだ」

 言われたとおり、アンジェリアは香る粉を手首に擦りこむ。
 温かみのある香りが体の中に染みこんでいくようで、アンジェリアはほっと息をつく。

「うまくいっていないようだけれど、ベルナルド上級神官がとんでもない要求でもしてくるのかい? 噂だと、結構いろいろあったけれど」

 アンジェリアの緊張が少しほぐれたのを確認すると、エジリオが問いかけてくる。

「い、いえ、そんなことありません。旦那様はお優しくて、噂とはまったく違う方ですわ」
「旦那様? へえ、そう呼んでいるんだ」

 思いも寄らないところを突かれ、アンジェリアは面食らってしまう。
 いっときとはいえ妻になったつもりで、お仕えすることにしようという思いから、旦那様と呼んでいたのだ。
 結局は務めを果たせないまま終わったのだが、そのままそう呼び続けている。
 役立たずのくせに、口先だけは一人前だといわれているようで、アンジェリアは目を伏せる。

「そ、その……」
「いやいや、いいと思うよ。きみの様子を見る限りでは、不仲というわけではなさそうだね。じゃあ、体の相性が悪いのかい?」
「えっ……」

 切り込んできた質問に、アンジェリアはあっけにとられてしまう。
 徐々に意味が染みこんでくると、体が燃え上がるような恥ずかしさを覚える。

「恥ずかしがることじゃない。よくあることだよ」
「い……いえ……そうではなくて……その……実は、まだ……」

 真っ赤になって俯きながら、消え入りそうな声でアンジェリアは呟く。

「まだって、まさか最後まで行為をしていないっていう意味……?」
「……そ……そのとおりです……」
「……それはそれは」

 身を縮ませるようにして、アンジェリアはか細く答える。
 エジリオが感嘆のため息を吐き出した。

「……その……私が痛がってしまい、途中で……」
「もしかして、初めてかい?」
「はい……」

 一度恥を吐き出した以上、もう隠すこともないという勢いがつき、アンジェリアは素直に述べた。

「なんだ、そんなの簡単じゃないか」
「え?」

 あっさりと放たれた言葉に、アンジェリアははっと息をのんで、顔を上げた。
 解決法があるのだろうかと、目を見開いてエジリオを見つめる。

「……良い方法があるのですか?」

 おそるおそる問いかけるアンジェリアに向かって、エジリオは鷹揚に頷く。
 その姿は、とても頼もしく見えた。
 これでお役目を果たせるかもしれないという希望が、アンジェリアの胸にわきあがる。
 道が開けたような高揚感に突き動かされ、その際に被るだろう不利益のことは、頭から消し飛んでいた。

「痛いのなんて、最初だけだよ。まず、道を作ってしまえばいいんだ。そうすれば、次からは痛くならなくてすむ」
「……あの、それはどういう……?」

 意味がよくわからず、アンジェリアは首を傾げる。
 助けを求めるようにエジリオの顔を覗き込むと、その目が獲物を見定めるような、冷淡で鋭いものに見えて、言葉を失ってしまう。
 ぞっとして、アンジェリアの手足はすくんでしまい、その場に縫い付けられたように動けなくなってしまった。

「一度、最後までやってしまえばいいってこと。僕が手助けしてあげるよ」

 エジリオの手が、アンジェリアに伸びてきた。
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