黒の神官と夜のお世話役

苺野 あん

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07.わからない心

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 いつも静かな神殿に人が増え、どことなくあわただしい雰囲気が漂っている。
 自分にも何か手伝えることはないかと、落ち着かないアンジェリアだったが、神官見習いという名の雑用係にできるようなことなど、いつもの掃除くらいしかない。
 神官たちの仕事の妨げにならないようにするのが精一杯だ。
 そうして日が暮れ、アンジェリアはせめて一日の疲れをとってもらおうと、神殿の庭で育てている薬草を使ったお茶を淹れて、ベルナルドに持っていった。

「これを俺に? ……ありがとう」

 嬉しそうに受け取ってくれたベルナルドに、アンジェリアはほっとする。
 昼間の態度から、高慢な人物ではないとはわかっていたが、余計なことをするなというお叱りがあるだろうかという恐れを捨て切れなかったのだ。

「ああ……うまいな」

 お茶を口にすると、ベルナルドはくつろいだ声で呟く。
 その仕草が無骨な手に似合わず洗練されていて、やはり高貴な身分の方なのだと、アンジェリアは感慨に打たれる。

「あわただしくて、落ち着かないだろう。迷惑をかけているな」
「と……とんでもないことですわ。大切なお役目なのですもの。私も何かお役に立てることがあればよいのですけれど……申し訳ございません」
「いや、謝ることなどない。この茶のような気遣いで、とても癒される。ありがたい」

 ベルナルドの思いやりが、アンジェリアの心に痛いほど突き刺さる。
 高い地位にありながら驕らず、下々の者にまで丁寧で気遣いを忘れないという立派な相手に対し、アンジェリア自身は何という役立たずだろうかと、かえって心苦しい。

「その……旦那様にもっと、安らいでいただきたいのです。お世話役でありながら何と無知な奴とお思いでしょうが、どうか方法をお教えくださいませ……」

 体中が燃え上がるほどの恥ずかしさを覚えながらも、アンジェリアは勇気を振り絞って願い出た。
 自分にできることは、己の身をもって奉仕することしかないのだ。

「えっと、なんだ……その……互いを知り合うことから始めようじゃないか。まずは、互いの身の上話から……」

 はぐらかされてしまい、アンジェリアはいたたまれない気持ちに覆われる。
 恥知らずな奴とあきれられただろうかと、顔から火が出る思いだ。

「いや、その、誤解しないでくれ。あれだ、また後ほど予定があって、今日は無理なんだ。だから、それまでの間、話し相手をしてくれ」
「は……はい……」

 アンジェリアの様子に焦ったベルナルドが、あたふたしながら申し開きをする。
 どうにか気を取り直して頷くが、アンジェリアの心には、もやもやとした焦燥感が残った。





 しばらくお話ししてから、アンジェリアはベルナルドの部屋を後にした。
 自室に戻ると、寝不足と気疲れから、すぐに寝入ってしまい、気がつけば朝になっていた。
 身支度を整えると、日課の掃除をする。

 掃除をしながら思い出すのは、昨日の出来事だ。
 勇気を出したアンジェリアの願いも、やんわりと断られた。思い返しただけで、羞恥のため顔に熱が集まってくる。
 やはり自分のような、貧弱な小娘など口に合わないのだろうか。
 もしかしたら、痛がってしまったことが原因だろうかとも思えてくる。慈悲深いベルナルドは、アンジェリアの身を気遣ってくれているのかもしれない。

 だからといって、このままベルナルドの優しさにずるずると甘えるわけにはいかない。
 もう子供ではないのだから、己の役割は果たさねばならないのだ。
 アンジェリアはカプリスに相談することにした。
 神殿長代理であるカプリスは、アンジェリアとは違って結界に関する調査に携わっており、忙しそうではあったが、他に相談できるような相手もいない。申し訳なく思いながらも、アンジェリアは少しだけ時間を下さいとカプリスを呼び止めた。

「実は……まだきちんとお役目を果たせていないのです。その……痛がってしまい、途中で……。昨夜も願い出たのですけれど……断られてしまって……どうすれば、お役目を果たすことができるのでしょうか……」

 恥ずかしさで伏し目がちになりながら、アンジェリアはぼそぼそとした声を出す。
 カプリスの顔に驚愕の色が浮かぶ。一瞬、口を開きかけたものの、思い直したように唇を引き結んで、何かを考え込んだ。
 審判を待つような気になりながら、アンジェリアも唇をぎゅっと噛み締める。

「……アンジェリア、何故そこまでお役目にこだわるのですか?」
「え?」

 しばしの沈黙の後、思いも寄らなかったことを問われ、アンジェリアは唖然とする。

「お世話役など、領主から一方的に押し付けられただけではありませんか。それも、通常のお世話役というのならまだしも、夜のお世話役など……。ベルナルド上級神官が強要しないのならば、それでよいではありませんか」

 カプリスの言葉に、アンジェリアは戸惑う。
 言われてみれば、確かにそのとおりではある。ベルナルドが望まないのならば、無理に押し通そうとする必要はないのだ。むしろ、そのほうが純潔が保たれ、好ましいとすらいえるだろう。
 だが、そう考えたとき、アンジェリアの心にちくりと棘が刺さるような痛みが走った。
 この痛みは、いくら一方的に押し付けられたこととはいえ、お役目を放棄することは無責任だからと感じるからなのだろうか。それとも、何か別の感情なのだろうか。
 自分でもよくわからなかった。

「……ベルナルド上級神官は、どうやら噂とは違って、節度のある方のようですね。でも、いずれはこの地を去る方です。いっときの感情だけで近づきすぎると、後からつらい思いをすることになってしまいますよ」

 心配そうに投げかけられた内容に、アンジェリアは頭を鈍器で殴られたような衝撃を受ける。
 ベルナルドは王都の人間で、結界の補修が終われば帰ってしまうのだ。そのような当たり前のことすら、考えが及んでいなかった。
 いっときとはいえ妻になったような気持ちでお仕えしようと決意したものだったが、そのときは行為への恐怖しかなく、その後のことに思いを馳せる余裕などなかった。

 お役目を果たせば、待っているのは純潔を散らされて打ち捨てられる運命なのだ。実際はどうあれ、貴族に慰み者にされた女という、色眼鏡で見られることになるかもしれない。
 今のまま、ベルナルドの優しさに甘えてしまえば、いずれは元どおりの生活が待っている。そうしたところで、ベルナルドから文句が出なければ、領主からのお咎めもないだろう。
 少しくらいずるくても、お役目など棚に上げてしまったほうがよいと、理性は判断する。
 だが、心にはそうしたくないという思いがくすぶっていた。
 明らかに失うもののほうが大きいはずなのに、何故そういう感情がわきあがってくるのかが、わからない。

「私は……」

 己の考えをうまく整理することができず、アンジェリアは俯く。
 カプリスにお役目の果たし方を相談しようとしていたことなど、すっかり頭から消え去っていた。
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