白銀の竜と聖なる魔女

加永原

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第1章

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「僕、お二人の手合わせを見るの初めてです......」

 そう言ってシディウムの横に並んだのは、先程まで口を挟まないようにしていたキールである。息を整えたはいいが、眼前で繰り広げられる先輩騎士たちの口論に、出来る限り気配を消していたのだ。
 キールは食い入るように二人の手合わせを見ており、周囲の者たちも野次を飛ばしながら徐々に離れ始めている。そうして練武場中央を遠巻きに囲むようにすれば、そこは2人だけの闘技場となっていた。

「ならよぉく見とけよ。あんなでも腕が良いんだ、見るだけでも得られるものがあるだろうよ」

 シディウムがそう言わずとも、既にキールの目は釘付けだ。
 開始から間を置かずに、ヴォゼスが最初の1本を取ったと、小さな歓声が沸き上がる。
 キールは小さな声で見えなかったと呟いてから、次は見逃すまいと前のめりになって目を凝らす。
 ロサンテリアが盛大な舌打ちを漏らしたのちに、すぐさま剣を構え直す。腰を浅く落としたかと思えば、恐ろしい速さで連続の突きを繰り出す。
 ロサンテリアは持ち前の速さを活かし、突きを主体とした攻撃をすることが多い。連続で繰り出されるその突きに、捌き切れない者が多いのだが、ヴォゼスは涼しい顔のままに全てを捌いていた。
 繰り出された突きを躱し、間合いを詰めて飛び込むヴォゼス。引き戻しが間に合っても、再度突くことが間に合うことはなく、攻守交替に入った。
 
「先程手合わせをしていただいて思ったのですが、あの人の剣て、型に嵌らないというかなんというか......」

「すげぇやりづらいだろ?」

 シディウムのしたり顔に、キールはまさにそれだとばかりに何度も頷く。
 ヴォゼスとの手合わせはとにかくやりづらい、その一言に尽きるのだ。
 足掛けを狙ったり唐突に拳を繰り出してきたりと、およそ騎士の戦いとは呼べないような戦法を取ってくる。それらはまだ良いのだが、何が鬱陶しいかと言えば、ヴォゼスは間合いを測るのがとにかく抜きん出ているのだ。互いの間合いを瞬時に見切り、相手が届かない剣も、ヴォゼスの剣は届くのだ。
 そうするとヴォゼスは最小の動きで済むようになり、けれど相手は掴めない間合いを見ながらなんとか当てようとする。防御だけをしているのに、変則的な間合いと動きに振り回され続け疲労も蓄積していく。疲労と焦燥に少しでも隙を見せれば、ヴォゼスはそこへ打ち込むだけで良いのだ。
 2本目もヴォゼスが取ったのを見て、キールはシディウムに問う。

「あのお二人はよく手合わせをされるんですか?」

「いや、ロサンテリアがウチに配属されたばかりの頃なんかはよくやってたが、最近はあんまりだな」

「なんだか意外ですね。お二人は仲が良いので、当然手合わせもよくすると思っていたのですが......実際今日が見るの初めてですし」

「ま、年がら年中口喧嘩してるんだ。剣を持ってまで相手する必要性が無くなったんじゃねぇのか?」

 シディウムが適当な憶測を口にすると同時に、3本目の決着が呆気なくついたところだった。
 3本ともにヴォゼスが取り、ロサンテリアは悔しさに肩を震わせながら何事かを呟く。2人との間には距離もあり、ましてや人の壁があるのでもちろん聞こえない。
 ロサンテリアは鋭い眼差しのまま剣を構え直し、ヴォゼスに吼えた。

「もう1本よ!」

 キールにまで聞こえる声で叫ぶロサンテリアに、ヴォゼスの仕方なさそうな表情が見えた。しかし、剣を構え直す動きの端々から伝わるのは楽しそうな雰囲気で、手合わせは続行となる。
 キールを扱いてから僅かに休憩を取ったものの、それでも未だに動き続けるヴォゼスの体力には閉口するしかない。自分も体力作りをやり直さねばと密かに気合いを入れていると、シディウムが口を開いた。

「そういやお前、ラタクに帰らないのか? ラタクの領民は帰省の命が下ったって聞いたんだが」

「ええ、そうなんですけれど、僕のような一般の領民は対象じゃありませんから、帰らなくても良いんですよ。厳密に言えばあれはラタクの領民じゃなくて、“一部の人たち“に向けて発せられているものなので」

 キールは緩く首を振って否定する。
 ラタクにとって、特産品のユラーシアの花は唯一の収入源と言っていい。しかし、ひとつの事業に領民全員が従事しているわけではない。
 それこそキールのように、騎士となっている者もいたりと、何かしらのかたちで故郷から出て働いている者たちもいる。
 そこへ視察団の訪問に合わせ、領主から全国に、ラタク領民の一斉帰還の命令が下されたのだ。
 シディウムはその帰還命令をどこかで聞きかじったのだろうが、耳に入ったのは細部が抜けたものだったらしい。
 眉を寄せて頭を傾けるシディウムに、キールは未だに手合わせが続いている中心地から、名残惜しそうに視線を外して向き直る。

「えっと、シディウムさんは“モレロポ”ってご存知ですか?」

 キールの言葉を口内で噛み砕くシディウムは、けれどなんとなく思い出せそうで思い出せないといった表情をする。

「ちょろっと聞いたことがある程度で、詳しくは知らねぇな」

「領主様がその一族として名を知られているだけ、というのが多いですからね。他領の方からしてみれば、知らないのも無理ありませんよ」

 キールはこほんと喉を調えてから、軽い説明をし始めた。

「モレロポは、翼人族を指す言葉で、今ではその末裔を指します。ラタクにユラーシアの花の栽培方法と育成方法をもたらしたのがその翼人族であるモレロポで、今もユラーシアの花の商品開発と製造の、そのほとんどに彼らが携わっているんです。今回の視察団の目的は、ユラーシアの花を用いた肥料開発の研究経過報告会じゃないですか。国王陛下も報告会に参加されるということで、モレロポが集められるらしいですよ」

 キールは同郷の友達からの受け売りですけど、と付け足して笑う。
 シディウムは顎髭を撫で付け、瞼の裏に自身が思い描く翼人族の姿が浮かべている。

「翼人族ってのはあれだよな、大公閣下とも並んで戦ってたっつう一族だよな? へー、そんな末裔がねぇ。翼人てのは羽根が生えてるってことなんだろ。良いなぁ、一度でいいから飛んでみてぇもんだよなぁ」

 そして柄にもなく鳥のように手をばたつかせるものだから、キールは苦笑を漏らすしかない。

「翼人族と言っても、今ではもう彼らに翼は生えてません。背中に名残として痣のようなものが浮かんでいるくらいなので、普通は僕らと見分けなんてつかないですよ」

 モレロポと呼ばれる翼人族はかつての大戦などで、クルムノクス大公の尖兵として戦っていたと、ラタクの歴史書には載っている。そんな彼らはやがて翼を失い、今となっては外見だけでは普通の人間と大差ない状態となっている。
 違う点で言えば背中に翼の名残の痣が浮かぶこと、そして運動神経が高く寿命が人よりやや長いくらいだ。
 貴族が領地を治めるこの国において、ラタクはその領主が貴族位を持っていないのも、他に類を見ない点だ。ラタクの領主は大戦での功績とユラーシアの花についての特権を理由に、その地を治めることを任されている。
 ラタクの民は皆が習うことだが、残念ながら他の領では必修ではないのだ。

「じゃあもう空を飛べるような人間はいないのか」

 肩を落とすシディウムだが、キールは辺りに目を配らせてから声を潜めた。

「......これ、モレロポの友達が昔言ってたことなのですが」

 途端に真剣な顔になるキールに、つられてか、思わずごくりとシディウムは喉が鳴らす。

「大森林の方に、たまに何かが飛んでいるのが見えるらしいんですよ。しかもそれは魔物には見えない上に、人型をしていて、かつてのモレロポのように大きな翼を持っているようにも見えるって」

「まだ翼を持った翼人族がいるってことか?」

「まぁ、ほとんどが確証のない噂話程度ですけれど。でもモレロポの、特にご老人方はまだ翼を持った翼人族はいるって言ってるんですよね。実際ご老人方の中には目撃者もいたようですし」

「それじゃあなんだ、森に住んでるってことか? あそこは魔物の巣窟だろうに......。それとも翼人族は魔物とも仲良く住めるようなもんなのか?」

「大森林に住んでいるわけじゃないらしいです。その“向こう側”から来てるっていうのが、有力視されています」

 キールのその言葉に、シディウムの目は見開かれる。それはそう、大森林の向こう側。それはハルバート神聖国を指すのだから。
 大森林がマクァラトル王国とハルバート神聖国を分かつようになって数百年、二国間の国交は断絶されたまま。大陸の中央を分断する森は魔物が跋扈する地帯であり、わざわざ国交再開に大森林を横断するほど、二国は仲が良いわけでもなかった。
 大森林が発生するより前はそれこそ大戦と呼ばれるような大きな戦争が起こり、地を割るほどの出来事があったのだと言い伝えられている。そうしてその割れた地を舐めるようにして生まれたのが大森林だとも言われているが、実際のところは誰にも分からない。
 唯一知っているとすれば、大戦より前からこの国の大公として在り続けるクルムノクス大公だけ。歴史研究家らが数々の過去の、その真偽を確かめるべく、クルムノクス大公を訪れた際に放たれた言葉は有名で、曰く『僕はきみたちが知っていいことだけを残すようにしてきた』、と。

「なーんか一気に胡散臭くなったな」

 シディウムは妙な緊張感から脱力するように肩を落とし、溜息とともに半眼でキールを見やる。結局のところ魔物とかつての自身の先祖らの姿を重ね、見間違えただけだろうとシディウムは考えるのだ。

「だから噂話なんですよ」

 キールもそんなシディウムの考えが伝わったのか、少し決まりの悪そうな顔をする。
 野次のような歓声が湧き、何本目かも分からないヴォゼスとロサンテリアの手合わせにキールは目を向ける。ロサンテリアが喉元に剣先を突き付けられており、ヴォゼスは疲れを見せない笑みを浮かべていた。
 ロサンテリアの顔には疲労が色濃く浮かんでいるが、それでも再度不敵な笑みを浮かべるとヴォゼスの剣を大きく弾いてまたもや手合わせを再開させた。

「神聖国自体が今もあるか分かんねぇもんな」

 そう、二国間の国交が断絶された今、大森林の向こう側が今も国として健在なのかはマクァラトル王国の国民は誰も知らない。いや、誰も知らないとまではいかないが、それでも、少なくともシディウムには知り得ないことだった。
 そんなシディウムに、キールは目を丸くして言った。

「えっ、ありますよ」

 まるでその存在を疑っていないその表情に、シディウムが疑問を返す前に、キールは違うと大きく手を振って訂正する。

「もちろん断言する根拠はないですよ、まったくないです。でも、ラタクではみんな向こう側――ハルバート神聖国が今も健在だと言うのが常識だったものですから」

「根拠がないのに常識なのか?」

 シディウムの問いは至極もっともだが、キールとしては答えようがない。そういうものだと教えられてきたし、そういうものだと信じてきた。
 では誰に教えられたのかと聞かれれば、キールは眉尻を下げて笑う。

「モレロポの常識なんです。彼らの常識はラタクに教えとして浸透することがあるんですけど、そのうちのひとつが神聖国は未だ健在であるというものがあるんです」

 故に根拠と呼べるものはなく、けれど浸透した教えは常識として根強くキールの中にある。
 領主をはじめとしたモレロポたちは、その知識を余すことなくラタクに注いできた。そんなモレロポたちは自分たちは翼を失った大罪人だと、そう言っては郷愁を込めた目で神聖国のある方角を眺める。
 キールの友人も、かつて自分たちは取り返しのつかないことをしたと、だから羽根を落とされたと語っていた。

「モレロポの起源は神聖国らしいですから、なにか、感じるものがあるのかもしれないんです。まぁ、結局のところ僕のようなただの人間には分からないんですけど」

 シディウムはなんにせよ、と静かに顎を撫でる。

「もしも翼を持ったような人間がいるってんなら、夢があるってもんだよな!」

 シディウムがにかりと歯を見せるように笑えば、キールは吹き出して笑った。
 童心を忘れないシディウムの白い歯にキールがつられて笑っていれば、先程まで練武場の中心にいたヴォゼスとロサンテリアが戻って来た。
 スッキリした顔のヴォゼスと、悔しさと呆れを混ぜた表情のロサンテリア。

「ようやく悩みも解決したようだし、良かったなぁロサンテリア! それで、今日こそ1本取れたのか?」

 シディウムがロサンテリアの肩を叩くと、じろりと鋭い視線が飛んでくる。怖い怖いとばかりに半歩退くシディウムだが、その白々しい態度にロサンテリアの怒りは増す。

「知っていて聞くのはさすがに意地が悪いわよ、シディウム。今日も負けたわよ! この! 悔しさに! 満ちた顔が! 目に! 入らないのかしら!?」

 剣の柄に手をかけ、強調するように顔をずいっと近付けるロサンテリアに、シディウムは落ち着けと宥める。
 悔しさで怒りが爆発寸前のロサンテリアに、ヴォゼスが突如その頭を鷲掴みにする。
 その行動にはシディウムもキールも驚きに目を丸くし、ロサンテリアがぐるりとその手を振り切るように顔を向ける。

「レディの頭を掴むなんて、どういう了見なのか説明出来るんでしょうね」

 地の底から這い出てきた死霊のような低い声音で、静かにそう問いかけるロサンテリア。
 ヴォゼスは相変わらずの調子で、その怒気になんの恐怖も抱いていないかのようだ。変わりにシディウムとキールがそろりそろりと後退りをするものの、ロサンテリアの目に映ることは無い。

「僕に説明を求めることがどういうことなのか、逆にロサは分かっているのか?」

 爛々と目を輝かせ、今にもお喋りが炸裂しそうなヴォゼスの口を、ロサンテリアの手が塞ぐのは早かった。もごもごと、くぐもった空気を漏らすだけのヴォゼス。
 
「それじゃあ私たち、休暇申請に行ってくるわ」

 ロサンテリアは振り向くことなく、ヴォゼスを引き摺って練武場を出て行ってしまった。
 取り残されたシディウムとキールは引き摺られるヴォゼスが手を振ってくるもので、姿が見えなくなるまで返すように手を振り続けていた。
 そうして嵐が去ってからしばらくして、2人は目を見合わせるとどちらともなく頷いた。
 あのヴォゼスがパートナーなのは、婚約者云々以前の問題のような気がする、と。
 練武場ではヴォゼスとロサンテリアにあてられたのか、鍛錬に励む者たちの声が大きくなっていた。
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