白銀の竜と聖なる魔女

加永原

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第1章

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 ――何かに取り憑かれでもしたのだろうか。
 そんな考えがふと頭をよぎるのと同時に、アマリネッタのストロベリーの瞳に再度捉えられ、スクートはその場に縫い付けられて動けなくなる。もちろんそれは錯覚なのだが、竦んだように肌が粟立つ。
 普段のアマリネッタからは想像もつかないような、言いようのない何かを感じて体が強ばっていく。それこそ、ジルのような雰囲気に呑まれそうになるスクートだが、自身が道具であることを思い出せば、なにかを感じるような心もないことを思い出す。
 指先から徐々に強ばっていた緊張が解け、舞い続けるアマリネッタに警戒を隠したまま口を開いた。

「――私には為すべき義務がございます」

 アマリネッタが軽くステップを踏み、くるりと回転するのに合わせてドレスが広がる。優雅さと大胆さを掛け合わせたようなその舞いは、次第に静かな怒りを孕んだ挑発的なものへと変わっていく。
 スクートはダンスをしたことがないので、それがなにを表していてなんの踊りなのかも検討がつかない。けれど、ジルとともに立つことを夢見て練習して来たものだということだけは理解していた。
 だが、それでもそこにアマリネッタのような輝かしさはなく、物悲しさが根底に横たわっており、暗く淀んだ瞳にスクートは既視感を覚える。

「義務とは?」

 踊ることを止めず、アマリネッタはまたも問いかける。

「国を守ることです」

「守るとは?」

「盾となり、脅威を排除することです」

「脅威とは?」

「国を脅かすもの全てです」

 駒のようにくるりくるりと身を翻し、その度に揺れるドレスの裾から溢れ落ちる淡い光の粒。やがて粒子は意志を持つかのようにうねり、アマリネッタの足下から円状に広がっていく。
 淡々とした問答は、ダンスの余韻に閉じられた瞼を持ち上げたアマリネッタの瞳によって終わりを迎えた。
 スクートはその視線が自身に向けられると同時に、胸の内を刺されたかのように眉を顰めた。
 もちろん、そんなものは錯覚でしかない。
 だがそこにあるはずのストロベリーの瞳が、まるで虚空を孕む黒い伽藍堂であったことに、動揺したことは確かであった。
 魔力が具現化した粒子がアマリネッタの周囲を柔く舞う光景は神々しくもありながら、その瞳が“ない”ことの違和感を助長させる。さらにあれだけ全身で醸し出していたスクートへの嫌悪感が、今はなりを潜めて穏やかに微笑んでいる。
 スクートは思うよりも先に感じ取っていた。
 目の前で今微笑むのは、アマリネッタではないと。
 まるで旧知の友を懐かしむように目元を細めたアマリネッタの体を奪った“ナニ”かは、頬に手を当てて小首を傾げて見せた。

「――お前はあの日、思い出したのでは無かったの? コルディス」

 アマリネッタの声に重なる別の声。
 柔らかくも物悲しさを孕んだその声音には、ありもしない懐かしさを思い起こされる。
 スクートは瞬きをゆっくりとすると、精神に干渉して来ようとする魔力をはねるため、自身の魔力を全身に巡らせてから虚空を見据えた。

「訂正させていただきます、名も知らぬお方。私はスクートであり、コルディスなどという名称も呼称も持ち合わせたことはございません」

 スクートがそう言うと“アマリネッタ”はゆるりと首を振り、溜息を零してから部屋の中を見渡した。先程まで散々喚き散らしたせいか、室内は荒れており、割れたティーカップが破片となって床に鎮座している。

「悲しいことを言うのね、コルディス。もしもこの子がお前に対しての粗暴な振る舞いに怒り、知らないフリをしているだけなのだとしたら許してちょうだいね。この子はちょっと前にあたくしが食べちゃったのよ、だから壊れてしまったの」

 この子、と自身の胸に手を当てながら、羞恥心に紅を差した頬を隠し、次いでけろりと言ってのけるのは信じ難い言葉だ。
 スクートでは何を対象として、何を意味する言葉なのかを正確に捉えることは出来ず、その場で見上げることしか出来ない。
 “アマリネッタ”は椅子に腰掛けると、パンと軽く両手を鳴らす。すると椅子がもう1脚現れ、虚空の瞳を細めて座るようにと促した。
 スクートは目の前にいる彼女が何者であるか分からない上、コルディスと呼ばれてからというもの、脳内に知らぬ男の声が何度もその名で呼んでいる。内臓を撫でられる不快感を覚えてならないのだ。
 “アマリネッタ”は微動だにしないスクートに、どうしたのかと自然に首を傾げてこちらを窺う。
 その自然体こそが得体の知れなさであるのだが、下手に刺激でもして外に影響を及ぼすような事態に繋がることは避けるべきだと、ようやく身を起こして椅子に腰掛ける。
 スクートが席に着けばころころと、鈴の鳴る二重の声音で笑う“アマリネッタ”。

「ふふっ、懐かしいわね。ここにドロシーもいたら、きっともっと懐かしくて楽しくて仕方なのないお茶会が出来たと思うのだけれど、今はお前も不完全だものね。だから忘れてしまったのよね? ふふっ、あたくしも借り物だから仕方ないわよね。ええ、もう本当にどうしようもなく仕方のないことよね」

 吸い込まれそうな伽藍堂に、スクートは返事もせずに見詰めるだけだ。
 言葉を間違えてしまえば、なにがあるか分からない。アマリネッタの皮を被っているからか、その中身の実力を計れない以上身動きが取れないのだ。
 鈴の音が転がる笑い声はいやに脳内に響き、呼応するかの如く自身を別の名で呼ぶ声がする。
 細く長い指先がテーブルをくるりくるりとなぞり、心底楽しそうに口角を上げて“アマリネッタ”はスクートを見据える。

「可愛くて可哀想な“おねえさま”。大丈夫よ、何もしないから。あたくしは大事な“いもうと”を傷付けるなんてしないわよ、きっとね」

 スクートはすぐ様に“アマリネッタ”を取り押さえることが出来るように内心構えていたが、それを看破して微笑む彼女はテーブルで踊っていた指を不意に持ち上げた。身を乗り出してスクートの頬を触れる指先は、氷を掴み続けているかのように冷たかった。

「あたくしは確かにこの子を食べたけれど、面倒なものを植え付けたのはフステラなのよ。間違えてあたくしのせいにしないでちょうだいね、あたくしは悪用されただけなのだから」

 頬に触れた手が微熱を伴うと、ほんのりとだけ色付いていたであろう頬は何も無かった状態に戻った。というものの、確認出来るようなものは手元になく、ましてや状況でもないため、スクートは直感的にそう感じただけだ。
 再度座り直した“アマリネッタ”は本来王女であるはずの彼女がするはずのない、頬杖をついて口を開いた。

「お前はあの子そのものなのに、本当にあの子ではないのかしら」

 しみじみとした声音でそう言う“アマリネッタ”。
 あの子と示す人物が、彼女の言うコルディスという人物だということは理解していた。しかし、それほどまでに似ていると言われても、スクートは違うとしか言いようがない。
 スクートは盾であり、生まれてこの方この国を守護するために在る。
 故にスクートは言葉を返すでもなく、じっと見詰めたままに無言を貫く。
 そんなスクートの態度に、“アマリネッタ”の伽藍堂の瞳は細められた。頬杖をやめた彼女はぱちりと乾いた音を立てて手を叩き、くすくすと肩を揺らす。

「なぁんだ、そう。ふふっ、あの子ったら面白いことするのね。あぁだからお前、なにも覚えていないのね。そうよね、だって、知らないものね。お前は知らないから覚えてないのよね」

 何がおかしいのか、知らないから覚えていないなど、当たり前のことを言いながら笑う彼女。
 スクートは大きく表情は変えないものの、その視線に訝しげに思う気持ちが乗り、僅かに唇を引き締めた。
 鈴を転がすように笑っていた“アマリネッタ”は大仰に肩を落とすと、不意にピタリと動きを止めた。次いで持ち上げたその顔はごっそりと表情が抜け落ち、その伽藍堂の瞳がより一層不気味さを際立たせる。
 スクートは空気が変わるのを肌で感じ、その瞬間にはもう動き出していた。

「人形であるならば、お前はあたくしの“おねえさま”でも“いもうと”でもないわ」

 スクートがそれを避けられたのは、ほとんど直感によるものだった。
 上体を横へ逸らした勢いのままに椅子から転げるように落ち、そして素早く体勢を立て直しながら距離をとる。
 ちらりと見やった自身が座っていた位置、その頭があったであろう部分の背後の壁に僅かに穴が空いていた。
 そしてその視線の移動の隙を見てか、スクートの瞳に迫る軌跡を見た。咄嗟に手でそれをカバーしつつも頭をズラしたが、掌を貫通し頬を掠める。
 掌から流れ出る僅かな血液が指先を伝い、ぽたりと床に小さな雫を落としていく。
 スクートは改めて“アマリネッタ”を観察した。“アマリネッタ”の周囲にいつの間にか浮かぶ小さな水の塊たちが、意志を持つように蠢きながら細い糸のように伸びては襲い来ていたのだ。
 不可視の状態であれば脅威度は格段に上がるが、見えてしまえば最早最小限の動きで事足りる。
 しかし、その攻撃の雨は不意に終わりを告げた。

「――相変わらずね、フステラ」

 先程までの無表情とは打って変わりにこやかに、そしてどこか喜びに満ちた声音でそう呟いた。
 もちろん、スクートに向けられたものではなく、その背後に立つ人物に向けられていた。

「あぁ、きみも相変わらずだね、マーリェ」

 スクートが首を回せば、そこにいたのはジルだった。柔らかな雰囲気を纏うことが常の彼が、珍しくもその表情を無に帰していた。
 彼は“アマリネッタ”に向けていた視線をスクートに落とすと、その様を見て不思議そうに眉をひそめた。

「おや、きみはもうそこまで狂っていたかな?」

 ジルが再び“アマリネッタ”に視線を戻し、そしてにやりといつになく狡猾さを滲ませた。
 “アマリネッタ”の周囲の水が揺らめいたかと思えば、幾本もの細い糸状の矢が飛び出して目の前の全てを串刺しにすべく襲い掛かる。しかし、突如として床から木が生えてそれらを全て防いでしまう。
 木は太い幹となりうねりながら“アマリネッタ”の身体に絡み付き、徐々に締め付けながらも成長を続ける。
 ミシミシと、身体が耐え切れずに不穏な音をたて始めても尚、彼女の口元には笑みが浮かんでいた。

「今さら僕の首でも取りに来たのかな?」

 こつりこつりと足音を立て、ジルはゆっくりと木の幹に呑み込まれそうな“アマリネッタ”へと近付いていく。徐々に持ち上がる彼女の小さな体躯は耐えきれず、ボキリと不快な音をもってどこかの骨がついに折れた。

「今さら? いいえ、ずーっとよ、ずっと。そう、お前を殺すためにあたくしはここまで来たのよ。ふふっ、だから臆病なお前は逃げていたんじゃない。褒めてあげるわ、逃げるのだけは本当に得意なんだものね?」

 彼女の身体が次々に折れていく音を立てるものの苦痛を感じていないのか、“アマリネッタ”は心底可笑しそうにくすくすと笑い声を響かせる。
 異常な光景に目を奪われるスクートは、手から流れる自身の血の熱に一瞬で我に返る。
 この場に異様な空気を作る“アマリネッタ”と、まるで旧知の仲のように言葉を交わすジル。
 あらかじめカインに頃合を見てジルを呼んでくるように頼んでいたものの、ちらりと開け放たれたままであった廊下には、カインはおろか他の人が立ち入ってくる気配もない。おそらくジルが先に人払いをしていたのだろうと、スクートはそれでも他に被害が及ばぬようにしなければとジルの出方を待った。

「まったく、狂ったのならそのまま壊れでもしてくれればいいものを。いつか空まで食う気なのかな?」

「あら、あたくしはお前よりは少食よ」

 ジルがゆるりと首を振り、呆れ混じりに溜息を吐く。
 その言葉を聞いた“アマリネッタ”の口元が歪み、伽藍堂から赤い涙が溢れ出る。涙は雫とって落ちることはなく宙に浮いたかと思えば矢となってジルを襲い、それを守るようにスクートは椅子を片手に間に躍り出る。
 椅子を貫通したものの、スクートまでも貫通してジルに届かなかった雨は、ジルが“アマリネッタ”の首を木の幹を持って折ったことで止まった。
 “アマリネッタ”は徐々に力が抜けていくのか、赤い涙を流しながら残す。

「あたくしは優しいから、ちゃんとお前のあとにドロシーも――」

 嫌な音が部屋に響くと同時に“アマリネッタ”の頭が潰れる。
 とっくに事切れる寸前であったというのに、言葉が最後まで紡がれる前に潰されたそれに、スクートは思わずジルに視線を向けていた。
 その顔は今まで見たことの無いような怒りに満ちていたものの、スクートと目が合うとふっとその表情はいつもと変わらないものへと戻る。
 見てはいけないものを見てしまったのだろうかと、スクートは多少の申し訳なさを伴ったままに口を開いた。

「アマリネッタ王女殿下は、死亡したのでしょうか」

 スクートの問いにジルは首を振り、ふっと手を横に払えば部屋を貫くように生えていた木がたち消え、その場に現れたのはどこも折れてなどいないアマリネッタであった。
 その表情は安らかに眠っているだけのようで、荒れていた室内も何事も無かったかのように戻っていた。

「大丈夫、そのうち目が覚めるよ」

 そしてジルはスクートの頬に手を当てる。その手になんら抵抗も示さずにいれば、彼の手はそのまま頬を撫で、首筋へと当てられてからぐっと握る。
 気道が締まり、呼吸が満足に出来ない。けれど、スクートは目を逸らさずにじっと見詰める。

「思い出してしまえば、きみもいずれ僕を殺したくなるんだろうね」

 自嘲を含むその瞳に、けれどスクートは揺らがない。

「ジル様が憂うものは分かりませんが、この国を脅かすのであれば、ジル様であっても私は躊躇いません」

 暫くの沈黙の後に廊下を駆ける幾つもの足音に、ようやく首を絞めていた手が解かれた。
 ケホッと、突如として入り込む空気に少しだけ噎せるスクートに、ジルはたまには飴をあげようと口角を上げた。
 そして部屋に入って来る者たちに後を任せるように出て行くジルだが、最後にスクートを振り返る。

「偽物のきみでは僕の脅威にはなり得ない」

 スクートは自身の身体に空いていた無数の穴が消えているのを驚きつつも、ジルの言葉の真意が掴めないままカインと状況の収集に追われることとなった。
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