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第1章
13
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「ねぇ、お前はどう思う?」
カッポカッポと馬の足音を鳴らし、ヴォゼスの隣に並んだのはロサンテリアだ。ヴォゼスは前を行くスクートの背に熱い視線を送っていたものの、ロサンテリアの問いかけに至極面倒だと書かれた顔でそちらを向く。
「どうもなにも、逆に聞くがお前はなんとも思わないのか? あんなにも美しく輝いているあのお背中を見ても、本当になにも感じないのか? その両目は一体なんのためにあるんだよ、聖女様のお姿を焼き付けるために決まってるだろ。まったく、お前は不感症なのかと疑いたくなるほどの鈍感さだな。あぁ、いやこれはセクハラなどではないぞ。うん、僕だってみだりに女性に対して如何わしい発言をするのは良くないと思ってる。だからこれは言葉の綾でもあるんだ。お前は聖女様に対してだけ不感症なのであって、決して性についての」
ヴォゼスのいつもの過ぎた言葉は、けれど最後まで言い切ることは出来なかった。というよりも、ロサンテリアが我慢ならなかったのだ。
何が悪いのか分からないとばかりに唇を尖らせるヴォゼスの頬には、赤い跡がくっきりと残っており、手を振りながら睨むロサンテリアの目は話を聞いて笑っていた他の騎士に向けられる。誰だって虎の尾を踏みたくはないもので、一様に目を逸らして白々しくも聞いていないフリをするしかない。
「いいこと? ヴォゼス。お前のその口がまた余計なことをべらべらと喋り始めるのなら、次は反対の頬を差し出してもらうわよ」
先ほどは平手打ちだったが、今度は拳を握りながら笑顔で言えば、ヴォゼスは不服ながらも頷く。
ロサンテリアは溜息とともにちらりとヴォゼスを盗み見る。
彼の視線はまたも聖女へ向けられており、けれど少しだけ不貞腐れたように未だに唇を尖らせていた。
ヴォゼスがロサンテリアの平手打ちを避けられなかったとは思っていない。彼は避けられる上で避けなかったのだ。
わざとその平手打ちを受け、わざと子供じみた態度を取る。
そんなことを気づかないほど、ヴォゼスとの付き合いが短いわけではないと、ロサンテリアは信じている。
「急に王都へ戻って来いだなんて、今までなかったわ。ねぇ、どうしてだと思う?」
「そんなこと、僕に訊いたところで分かるわけないだろ。僕だって命令しか聞いていないんだから。お前がおかしいと思ったところで、僕たちはそれに従うしかないんだ。そんなことを考えている暇があるなら、少しはその小さな脳味噌に聖女様の素晴らしさを記憶する努力をしたらどうだ? いや、別にお前の脳味噌は小さいわけではないからな。まぁ割ったことがないから分からないけれど、お前は聡明な女だからそれほど小さくはないと思うぞ。うん、だから聖女様のお声が聞こえるかもしれないから少し黙ってくれ」
「お前は愚鈍ではないと思っていたけれど、買い被り過ぎだったようね。ふん、お前に答えなど求めてないわよ、この疑問の吐きどころを求めているだけなのだから」
ロサンテリアの何を馬鹿なという顔に、ヴォゼスはそっくりな顔で返す。
そんな睨み合ったままの二人に割って入るのは初老の男であり、彼は強引にも馬を割り込ませる。必然的にヴォゼスとロサンテリアは距離が離れることで険悪というよりも、稚拙な睨み合いは終了し、変わりに二人の非難の視線が男に集まった。
「シディウム、乱暴過ぎるのでは?」
ロサンテリアは男――シディウムにじろりとした目を向けると、彼はすまんなと飄々とした顔で返す。
まだ四十代であるというのに、白くなった髭をたくわえた姿は実年齢より老けて見えるが、鎧を着ていても分かる筋肉質な体つきは隠せない。かつての伝説、ドワーフとも呼びたくなる風貌の彼は、見てみろと背後を指す。
「お前らが仲良く喧嘩するのは構わんが、新入りが縮こまってるんじゃあ口も出したくなるわなぁ」
その先にはキールがおり、彼はまさか自分が原因とは思ってなかったようで、慌てて首を振って否定する。
とはいえ、ヴォゼスとロサンテリアの睨み合いは多少の凄みがあり、そこに何かしらの不穏な空気を感じ取ってしまえば震えてしまうものだ。事実としてはその証言は確かなのだが、それで矛先をこちらに向けられてしまえば否定せざるを得ない。
そう、関わりたくはないからだ。下手に関わって巻き込まれても良いことは無い。新入りでなくとも分かるその考えに、しかしキールは結局のところ出汁に使われてしまうのだから、これもまた洗礼と言えるはずだと先輩方は人柱に敬礼する。
「なによ、キールは否定しているわよ? 否定しているのなら問題はないということなのではないかしら。そもそも、私は喧嘩などしているつもりはないわ。ヴォゼスの聖女様にしか興味のない空っぽの脳味噌に対して文句を言ってただけだもの」
「あぁ、傷付いたぞ! 僕は間違いなく傷付いた。僕の吹けば飛ぶような脆い心は、ロサによって粉々に打ち砕かれた挙句に踏み躙られた。お前はいつもそうだ、僕の心を簡単に切り刻むんだ。いいんだよ、僕だっていつまでもやられっぱなしというわけにはいかないし、黙っていられるはずもないんだからな。お前が僕の心を突き刺すのなら、僕はお前の心臓を貫いてしまうかもしれないんだぞ。いや、嘘だよ。僕は仲間に対しては決して手を出さないから安心して欲しい。お前のようないい女を簡単に殺すわけないだろう? だからシディウム、これは喧嘩じゃなくていじめというものだよ。ロサから僕に対するいじめだよ」
「あらまぁ、とんだホラ吹きだことね。お前は前言撤回すればなんでもなかったと思っているようだけれど、そんなことあるわけないでしょう。お前が私にいじめられたと言うのなら、私はお前に殺害予告をされたわよ」
シディウムを挟んで尚も続く口論は、最早最初の疑問などとうに忘れ去られていた。
二人はよくこうして他愛のないことで言い争い、その度に時折はシディウムが間に入るのだが、それで止まるのならば苦労はしない。現に口論は続いているし、シディウムの仲裁の声も最早届かない。
他の騎士たちも止める術など知らず、止められるとするならば手綱を握るカインと、誰よりも清らかな聖女のみだ。
キールはロサンテリアから向けられた瞳を思い出して身震いし、いつか剣を抜くようなことになるのではないかと冷や冷やしてしまう。先輩騎士である他の面々に顔を向けても、彼らはどこか楽しんでいる節があり、割って入る気など微塵も感じない。
シディウムにしても同じだった。キールが震えているのを見て仲裁に入ってくれたと言うが、仲裁をしているフリにしか見えずにいた。
新入りいびりがないとはいえ、これもまた洗礼なのかと胃に穴が開かなければいいと祈り始めたところ、前を行くカインが振り返っていた。
彼の瞳は研ぎ澄まされた剣よりも鋭く細められており、眉間には皺まで寄せている。鬼の形相と呼んでも差し支えないほどの怒りを滲ませた顔に、キールは肩を揺らして危うく馬から落ちそうになる。
「いい加減にしろ。お前たちの茶番は耳に障るぞ」
彼の言葉に先ほどまで騒がしく言い合いをしていた二人は揃って口を閉じたかと思うと、にんまりと口角を上げる。
シディウムも苦笑しながら身を引き、他の騎士も皆それぞれ肩を竦めたりといったようで、ただ一人事情が分からないキールだけが戸惑っていた。だが、なんなのだと聞けないのがキールであり、たとえキールであっても今のカインを前に声を上げようとは思えなかっただろう。
一行は既に王都の目前にまで復路を終えており、最後の街が見えた頃合だった。ラインに乗るのをやめ、緩やかな足取りでもって進んでいた。そんな中突如始まったのは些細な言葉から始まった口論であり、カインで言うところの茶番だ。
「あら、フィデティス様、茶番だなんてとんでもない。すべては本心だというのに」
妖艶な笑みを浮かべるロサンテリアに、先のような凄みはない。
すべてはカインへの当てこすりであると、その微笑みに隠すことなく乗せているのだから頭が痛くなる。
騎士たちは当然調査に出るものだと思っていたのだが、集合した騎士たちに告げられたのは王都への帰還だった。もちろん理由を問う声もあったのだが、命令を遂行するのに理由は必要かとカインに問われてしまえば黙る他なかった。
カインとて理由を聞かされていないのだから、それ以上言えなかっただけなのではあるが、騎士たちはそんなことを知る由もない。だからこそこのようなかたちで異議申し立てをしているのだが、もう少しやりようがあったのではないかとカインは思うのだ。
何度目か分からない溜息を吐いたカインに、スクートがそれを宥めるように言う。
「カイン、あまり溜息ばかり吐いていると、あなたの幸せが逃げてしまいますよ」
「俺の幸福はあなたによってもたらされるものであり、身から出るのであればそれは不要なものなのでしょう」
心底疲れ切った面持ちでそう返されてしまうと、スクートもどうしたものかと振り返る。
聖女が振り向けば騎士たちは畏敬の念を持った顔つきで傾聴しようとするのだから、あまりにもその態度の違いようにカインはまたも溜息を吐く。
「あまり、カインを困らせてはいけませんよ」
彼女の言葉に元気良く応える彼らに、返事だけは良い奴らだと、じとりとした目を向けても何処吹く風。キールのような純粋さを一体どこに置き忘れてきたのかと、前に向き直るカインは遠い目をしていた。
スクートが宥めたことにより、茶番自体は終了したものの、やはり疑問は残るままであり、ロサンテリアがカインの後方につく。
「フィデティス様、王都で何かあったのですか?」
カインは速度を緩め、ロサンテリアの横に並ぶと首を振る。
「いいや、これといった問題があったわけではない」
「理由がないというのに即時帰還命令が出るとは思わないのですが」
「お前は少し、素直過ぎるきらいがある。理由など、後付けでいくらでもあげられるものだ」
それだけ言うとカインはスクートの隣へと戻ってしまい、結局答えは求められずに叱られるだけとなった。
ロサンテリアが拗ねたように頬を膨らませても、カインは最早これ以上の回答はしないとばかりに振り返らない。
気になったものを放っておけない性分のロサンテリアはただ知りたいだけだ。命令自体にはなんの抵抗もなく遂行するものの、その理由を聞かせてもらえないのであれば胸にしこりが残る。
答えを与えられないならば、推測してそれらしい理由を考え出さなければならない。そうでなければロサンテリアはもやもやしたままであり、そのような半分体を置き去りにされたままでは任務に支障を来すかもしれない。
俯きがちに思考を巡らせていると、いつの間にかシディウムが隣に並んでおり、彼女の視界に大きな手が突然現れる。驚きに目を丸くして見上げると、シディウムは大袈裟に笑うものでこれには抗議の声をすかさず上げた。
「ちょっとシディウム! 思考の邪魔をするなんて、いくらあなたでも許されることではないわよ」
「まぁまぁそんな怒りなさんな、お嬢さん。フィデティスの言う通り、あまり詮無きことを考えても意味はないんだ。美人が俯いてちゃあ勿体ないぞ」
「それなら何かしら納得のいく理由を提示しなさいよ。考えることが意味が無いと言うのなら、私が誤解出来るような理由を出して」
無茶振りにも程があるものの、その様は駄々をこねる子供のようだ。騎士団においては淑女としての振る舞いを求められることがないからこそ、ロサンテリアは気を許したものの前では子供じみた言動をしてしまう。
彼女の過保護な兄がその姿を見ていたならば、その可愛さに破顔していただろうが、ここは王都でもなければ、彼女の実家のあるアエストリゴ領でもない。
シディウムは髭を撫で付けながら思案するも、彼女が納得出来そうなそれらしい理由は思い付かない。ぷんすかという擬音が出そうな彼女を宥めつつ、ちらりとヴォゼスに目を向ける。
ヴォゼスは聖女へ熱心に視線を送り、その一挙手一投足を見逃すまいとしていたものの、シディウムの助けを求める視線を浴びせ続けられると、億劫そうな顔でこちらを見やる。
「――ロサ、お前は良い子じゃないのか?」
淡々とした口調でロサンテリアをじっと見るチョコレートのような瞳に、言葉を詰まらせてしまう。ただ見られているだけだというのに、妙に居心地の悪さを感じてそっぽを向く。
「お前は悪い子だわ」
ようやく大人しくなったロサンテリアにヴォゼスはそれ以上返さず、またも聖女観察に戻るのだからやり切れない。
どこか面白くない気持ちだけが残るものの、ヴォゼスのあのような瞳をまた向けられることは避けたかった。だからこそ押し黙り、内心でヴォゼスに対して散々に文句を言っていたのだが、隣から向けられる生暖かい視線にはげんなりしてしまう。
「......言いたいことでもあるのかしら?」
何かを言おうものなら刺し殺さんばかりの瞳に、けれどシディウムはその気持ちの悪い笑みを崩すことなく否定する。
「いいや、なにも」
仲良きことは美しきかなと、豪快に笑い始めればロサンテリアは羞恥に震えるのだ。
ロサンテリアがどんなことを言おうとも、シディウムにとっては可愛い子供の抵抗は意味をなさず、誤解していると言ったところで生暖かい目の鬱陶しさは変わらない。
後方でまたも騒ぎ出す騎士たちに呆れながらも、スクートがどこか楽しそうなのが見えてしまえば、カインは溜息を呑み込んで耐えることを選んだ。
カッポカッポと馬の足音を鳴らし、ヴォゼスの隣に並んだのはロサンテリアだ。ヴォゼスは前を行くスクートの背に熱い視線を送っていたものの、ロサンテリアの問いかけに至極面倒だと書かれた顔でそちらを向く。
「どうもなにも、逆に聞くがお前はなんとも思わないのか? あんなにも美しく輝いているあのお背中を見ても、本当になにも感じないのか? その両目は一体なんのためにあるんだよ、聖女様のお姿を焼き付けるために決まってるだろ。まったく、お前は不感症なのかと疑いたくなるほどの鈍感さだな。あぁ、いやこれはセクハラなどではないぞ。うん、僕だってみだりに女性に対して如何わしい発言をするのは良くないと思ってる。だからこれは言葉の綾でもあるんだ。お前は聖女様に対してだけ不感症なのであって、決して性についての」
ヴォゼスのいつもの過ぎた言葉は、けれど最後まで言い切ることは出来なかった。というよりも、ロサンテリアが我慢ならなかったのだ。
何が悪いのか分からないとばかりに唇を尖らせるヴォゼスの頬には、赤い跡がくっきりと残っており、手を振りながら睨むロサンテリアの目は話を聞いて笑っていた他の騎士に向けられる。誰だって虎の尾を踏みたくはないもので、一様に目を逸らして白々しくも聞いていないフリをするしかない。
「いいこと? ヴォゼス。お前のその口がまた余計なことをべらべらと喋り始めるのなら、次は反対の頬を差し出してもらうわよ」
先ほどは平手打ちだったが、今度は拳を握りながら笑顔で言えば、ヴォゼスは不服ながらも頷く。
ロサンテリアは溜息とともにちらりとヴォゼスを盗み見る。
彼の視線はまたも聖女へ向けられており、けれど少しだけ不貞腐れたように未だに唇を尖らせていた。
ヴォゼスがロサンテリアの平手打ちを避けられなかったとは思っていない。彼は避けられる上で避けなかったのだ。
わざとその平手打ちを受け、わざと子供じみた態度を取る。
そんなことを気づかないほど、ヴォゼスとの付き合いが短いわけではないと、ロサンテリアは信じている。
「急に王都へ戻って来いだなんて、今までなかったわ。ねぇ、どうしてだと思う?」
「そんなこと、僕に訊いたところで分かるわけないだろ。僕だって命令しか聞いていないんだから。お前がおかしいと思ったところで、僕たちはそれに従うしかないんだ。そんなことを考えている暇があるなら、少しはその小さな脳味噌に聖女様の素晴らしさを記憶する努力をしたらどうだ? いや、別にお前の脳味噌は小さいわけではないからな。まぁ割ったことがないから分からないけれど、お前は聡明な女だからそれほど小さくはないと思うぞ。うん、だから聖女様のお声が聞こえるかもしれないから少し黙ってくれ」
「お前は愚鈍ではないと思っていたけれど、買い被り過ぎだったようね。ふん、お前に答えなど求めてないわよ、この疑問の吐きどころを求めているだけなのだから」
ロサンテリアの何を馬鹿なという顔に、ヴォゼスはそっくりな顔で返す。
そんな睨み合ったままの二人に割って入るのは初老の男であり、彼は強引にも馬を割り込ませる。必然的にヴォゼスとロサンテリアは距離が離れることで険悪というよりも、稚拙な睨み合いは終了し、変わりに二人の非難の視線が男に集まった。
「シディウム、乱暴過ぎるのでは?」
ロサンテリアは男――シディウムにじろりとした目を向けると、彼はすまんなと飄々とした顔で返す。
まだ四十代であるというのに、白くなった髭をたくわえた姿は実年齢より老けて見えるが、鎧を着ていても分かる筋肉質な体つきは隠せない。かつての伝説、ドワーフとも呼びたくなる風貌の彼は、見てみろと背後を指す。
「お前らが仲良く喧嘩するのは構わんが、新入りが縮こまってるんじゃあ口も出したくなるわなぁ」
その先にはキールがおり、彼はまさか自分が原因とは思ってなかったようで、慌てて首を振って否定する。
とはいえ、ヴォゼスとロサンテリアの睨み合いは多少の凄みがあり、そこに何かしらの不穏な空気を感じ取ってしまえば震えてしまうものだ。事実としてはその証言は確かなのだが、それで矛先をこちらに向けられてしまえば否定せざるを得ない。
そう、関わりたくはないからだ。下手に関わって巻き込まれても良いことは無い。新入りでなくとも分かるその考えに、しかしキールは結局のところ出汁に使われてしまうのだから、これもまた洗礼と言えるはずだと先輩方は人柱に敬礼する。
「なによ、キールは否定しているわよ? 否定しているのなら問題はないということなのではないかしら。そもそも、私は喧嘩などしているつもりはないわ。ヴォゼスの聖女様にしか興味のない空っぽの脳味噌に対して文句を言ってただけだもの」
「あぁ、傷付いたぞ! 僕は間違いなく傷付いた。僕の吹けば飛ぶような脆い心は、ロサによって粉々に打ち砕かれた挙句に踏み躙られた。お前はいつもそうだ、僕の心を簡単に切り刻むんだ。いいんだよ、僕だっていつまでもやられっぱなしというわけにはいかないし、黙っていられるはずもないんだからな。お前が僕の心を突き刺すのなら、僕はお前の心臓を貫いてしまうかもしれないんだぞ。いや、嘘だよ。僕は仲間に対しては決して手を出さないから安心して欲しい。お前のようないい女を簡単に殺すわけないだろう? だからシディウム、これは喧嘩じゃなくていじめというものだよ。ロサから僕に対するいじめだよ」
「あらまぁ、とんだホラ吹きだことね。お前は前言撤回すればなんでもなかったと思っているようだけれど、そんなことあるわけないでしょう。お前が私にいじめられたと言うのなら、私はお前に殺害予告をされたわよ」
シディウムを挟んで尚も続く口論は、最早最初の疑問などとうに忘れ去られていた。
二人はよくこうして他愛のないことで言い争い、その度に時折はシディウムが間に入るのだが、それで止まるのならば苦労はしない。現に口論は続いているし、シディウムの仲裁の声も最早届かない。
他の騎士たちも止める術など知らず、止められるとするならば手綱を握るカインと、誰よりも清らかな聖女のみだ。
キールはロサンテリアから向けられた瞳を思い出して身震いし、いつか剣を抜くようなことになるのではないかと冷や冷やしてしまう。先輩騎士である他の面々に顔を向けても、彼らはどこか楽しんでいる節があり、割って入る気など微塵も感じない。
シディウムにしても同じだった。キールが震えているのを見て仲裁に入ってくれたと言うが、仲裁をしているフリにしか見えずにいた。
新入りいびりがないとはいえ、これもまた洗礼なのかと胃に穴が開かなければいいと祈り始めたところ、前を行くカインが振り返っていた。
彼の瞳は研ぎ澄まされた剣よりも鋭く細められており、眉間には皺まで寄せている。鬼の形相と呼んでも差し支えないほどの怒りを滲ませた顔に、キールは肩を揺らして危うく馬から落ちそうになる。
「いい加減にしろ。お前たちの茶番は耳に障るぞ」
彼の言葉に先ほどまで騒がしく言い合いをしていた二人は揃って口を閉じたかと思うと、にんまりと口角を上げる。
シディウムも苦笑しながら身を引き、他の騎士も皆それぞれ肩を竦めたりといったようで、ただ一人事情が分からないキールだけが戸惑っていた。だが、なんなのだと聞けないのがキールであり、たとえキールであっても今のカインを前に声を上げようとは思えなかっただろう。
一行は既に王都の目前にまで復路を終えており、最後の街が見えた頃合だった。ラインに乗るのをやめ、緩やかな足取りでもって進んでいた。そんな中突如始まったのは些細な言葉から始まった口論であり、カインで言うところの茶番だ。
「あら、フィデティス様、茶番だなんてとんでもない。すべては本心だというのに」
妖艶な笑みを浮かべるロサンテリアに、先のような凄みはない。
すべてはカインへの当てこすりであると、その微笑みに隠すことなく乗せているのだから頭が痛くなる。
騎士たちは当然調査に出るものだと思っていたのだが、集合した騎士たちに告げられたのは王都への帰還だった。もちろん理由を問う声もあったのだが、命令を遂行するのに理由は必要かとカインに問われてしまえば黙る他なかった。
カインとて理由を聞かされていないのだから、それ以上言えなかっただけなのではあるが、騎士たちはそんなことを知る由もない。だからこそこのようなかたちで異議申し立てをしているのだが、もう少しやりようがあったのではないかとカインは思うのだ。
何度目か分からない溜息を吐いたカインに、スクートがそれを宥めるように言う。
「カイン、あまり溜息ばかり吐いていると、あなたの幸せが逃げてしまいますよ」
「俺の幸福はあなたによってもたらされるものであり、身から出るのであればそれは不要なものなのでしょう」
心底疲れ切った面持ちでそう返されてしまうと、スクートもどうしたものかと振り返る。
聖女が振り向けば騎士たちは畏敬の念を持った顔つきで傾聴しようとするのだから、あまりにもその態度の違いようにカインはまたも溜息を吐く。
「あまり、カインを困らせてはいけませんよ」
彼女の言葉に元気良く応える彼らに、返事だけは良い奴らだと、じとりとした目を向けても何処吹く風。キールのような純粋さを一体どこに置き忘れてきたのかと、前に向き直るカインは遠い目をしていた。
スクートが宥めたことにより、茶番自体は終了したものの、やはり疑問は残るままであり、ロサンテリアがカインの後方につく。
「フィデティス様、王都で何かあったのですか?」
カインは速度を緩め、ロサンテリアの横に並ぶと首を振る。
「いいや、これといった問題があったわけではない」
「理由がないというのに即時帰還命令が出るとは思わないのですが」
「お前は少し、素直過ぎるきらいがある。理由など、後付けでいくらでもあげられるものだ」
それだけ言うとカインはスクートの隣へと戻ってしまい、結局答えは求められずに叱られるだけとなった。
ロサンテリアが拗ねたように頬を膨らませても、カインは最早これ以上の回答はしないとばかりに振り返らない。
気になったものを放っておけない性分のロサンテリアはただ知りたいだけだ。命令自体にはなんの抵抗もなく遂行するものの、その理由を聞かせてもらえないのであれば胸にしこりが残る。
答えを与えられないならば、推測してそれらしい理由を考え出さなければならない。そうでなければロサンテリアはもやもやしたままであり、そのような半分体を置き去りにされたままでは任務に支障を来すかもしれない。
俯きがちに思考を巡らせていると、いつの間にかシディウムが隣に並んでおり、彼女の視界に大きな手が突然現れる。驚きに目を丸くして見上げると、シディウムは大袈裟に笑うものでこれには抗議の声をすかさず上げた。
「ちょっとシディウム! 思考の邪魔をするなんて、いくらあなたでも許されることではないわよ」
「まぁまぁそんな怒りなさんな、お嬢さん。フィデティスの言う通り、あまり詮無きことを考えても意味はないんだ。美人が俯いてちゃあ勿体ないぞ」
「それなら何かしら納得のいく理由を提示しなさいよ。考えることが意味が無いと言うのなら、私が誤解出来るような理由を出して」
無茶振りにも程があるものの、その様は駄々をこねる子供のようだ。騎士団においては淑女としての振る舞いを求められることがないからこそ、ロサンテリアは気を許したものの前では子供じみた言動をしてしまう。
彼女の過保護な兄がその姿を見ていたならば、その可愛さに破顔していただろうが、ここは王都でもなければ、彼女の実家のあるアエストリゴ領でもない。
シディウムは髭を撫で付けながら思案するも、彼女が納得出来そうなそれらしい理由は思い付かない。ぷんすかという擬音が出そうな彼女を宥めつつ、ちらりとヴォゼスに目を向ける。
ヴォゼスは聖女へ熱心に視線を送り、その一挙手一投足を見逃すまいとしていたものの、シディウムの助けを求める視線を浴びせ続けられると、億劫そうな顔でこちらを見やる。
「――ロサ、お前は良い子じゃないのか?」
淡々とした口調でロサンテリアをじっと見るチョコレートのような瞳に、言葉を詰まらせてしまう。ただ見られているだけだというのに、妙に居心地の悪さを感じてそっぽを向く。
「お前は悪い子だわ」
ようやく大人しくなったロサンテリアにヴォゼスはそれ以上返さず、またも聖女観察に戻るのだからやり切れない。
どこか面白くない気持ちだけが残るものの、ヴォゼスのあのような瞳をまた向けられることは避けたかった。だからこそ押し黙り、内心でヴォゼスに対して散々に文句を言っていたのだが、隣から向けられる生暖かい視線にはげんなりしてしまう。
「......言いたいことでもあるのかしら?」
何かを言おうものなら刺し殺さんばかりの瞳に、けれどシディウムはその気持ちの悪い笑みを崩すことなく否定する。
「いいや、なにも」
仲良きことは美しきかなと、豪快に笑い始めればロサンテリアは羞恥に震えるのだ。
ロサンテリアがどんなことを言おうとも、シディウムにとっては可愛い子供の抵抗は意味をなさず、誤解していると言ったところで生暖かい目の鬱陶しさは変わらない。
後方でまたも騒ぎ出す騎士たちに呆れながらも、スクートがどこか楽しそうなのが見えてしまえば、カインは溜息を呑み込んで耐えることを選んだ。
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