白銀の竜と聖なる魔女

加永原

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第1章

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 イレモトラン騎士団宿舎第二執務室には、聖女とその護衛騎士、そして街の常駐騎士がいた。
 第二執務室は普段使用されておらず、王都から派遣された騎士との報告会議にて使用されている。簡素な部屋の造りは実用性に特化したというよりも、必要最低限を極めた結果だろうことがうかがえる。
 部屋の最奥に位置する机には聖女であるスクートがついており、二人の騎士は向かいに立ったまま彼女の言葉を待っている。

「エブリ、避難民の受け入れ指揮と街道ラインの解放をしてくださり、感謝します。あなたのような方が地方にいてくれることを心強く思います」

 エブリ、と呼ばれた男はこれまでの眉間に皺を寄せた威圧感のある顔つきから一転し、へらりと笑ってみせると大きな口を開けた。

「いやいやこれもフィデティスのおかげですよ! ケツを蹴飛ばされて追い立てられちゃあ、仕事も捗るってもんですからね」

「エブリ様、誤解を招くような物言いはおやめください」

 エブリの大袈裟な物言いに、カインは眉をしかめて訂正する。
 筋肉質な体と、黙っていれば精悍で威圧感のある顔つきから物静かな騎士に見えるが、エブリは仕事よりも酒を愛する騎士らしくない騎士である。酒を愛する者は騎士団にごまんといるが、剣に対してではなく酒に対して誇りを持つ騎士は珍しい。
 勤務中であろうとも酒を片手に巡回する姿はイレモトランではよく見かける光景であり、街の人々からは禁酒しろとまで言われていた。そんな彼の姿を見ても笑って小言を言えるのは、彼が領地民から慕われている証拠だ。
 彼はトランクリット領全体の騎士の総括を務めており、地位だけで見るならば貴族と同等の扱いを受けてもおかしくはない。しかし、エブリは自身のことをいい加減な奴と評しており、それを公言している上に酒ばかり飲む姿を見せているのだから、人望厚くも地位に溺れることがないのだ。
 
「うんにゃあ、本当のことだろうよ。ぬははっ、そうしかめっ面するんじゃねぇよ、坊ちゃん。聖女様に良い顔しようたって、お前が俺たちをこき使うのは今に始まったことじゃねぇんだから」

 そうエブリがニヤけた面でカインを見れば、挑発に乗るまいと口元を固く引き結んでしまう。
 エブリからすればそれがまた構ってしまいたくなる反応なのだが、カインは耐えるしかないとばかりに素っ気なくするのだ。
 だが、二人のやり取りは聖女の指先が机を叩いたことで止む。
 スクートの瞳がカインに向けられ、カインは咳払いを落として整理する。

「街道のラインは解放され、支援物資も滞りなく行き渡っている状態です。イレモトラン及び近郊に位置する騎士団からも復興支援が開始されており、復興自体にさほど時間はかからないものと見ています」

 この国には魔力を敷いた街道のラインがある。
 本来であれば街から街への移動は馬を使っても、王都から国境付近とまでと何週間も掛かかり、下手をすればひと月掛かる場合もある。
 だが、街道に敷いたラインに正しく魔術を行使すると、敷いた魔力が解放される。そこへ別の移動用の魔術を流すことで、常とは比較にならないほどの短時間で目的地まで辿り着くことが出来るのだ。
 画期的とはいえ、このラインはいつでも誰にでも解放されているものではない。騎士団に所属することはもちろん、魔力の扱いに長けた上で、ある程度の地位をいただく者にのみライン解放の術式は教えられる。
 普段使うのはほとんど王都から地方へ騎士が派遣される時であるが、今回のように魔物の進行によって深刻な被害が出た場合、復興をより早く行うための支援としてラインが一般解放される。その解放にはカインやエブリといった、解放のための術式を知る者しか出来ないため、各所との連携は必須なのだ。

「避難民の衣食住も確保出来ていますし、俺たちの仕事も増えちまって嬉しい限りですよ」

「あなたが働き者であることを嬉しく思いますよ。エブリがいれば、私たちも今後の憂いなく王都に戻れることでしょう」

「へいへい、聖女様に任されたとありゃあ鼻が高い。いつも通り、俺たちは国のため、民のためにご奉仕させてもらいますよ」

 騎士であるエブリが聖女であるスクートに対して不遜な物言いをしても、彼女は咎めることもなく小さく頷く。
 エブリはスクートよりも騎士として長く国に仕えており、彼女としては地位よりも積み上げた功績に敬意を表したいと考えていた。口を挟もうとするカインを制しながら、スクートはエブリに言葉を続ける。

「私たちは明日、国壁内に他の魔物が侵入していないか偵察に行く予定ですが、イレモトランに救援要請などは届いていませんか?」

「いいや、来ていませんね。魔物の侵入といっても、大概は各要所に配置されている騎士で事足りますからね。それに、王都ならともかく他所属の騎士に救援要請を送るなんて、みっともなくて出来やしねぇよ」

 各領地に配属されている騎士たちには派閥がある。
 それぞれの領主の色を帯びるのは理解出来るが、連携出来ない上で被害を拡大させては騎士団を国が一括して運用している意味が無い。
 スクートが目を伏せ眉間に皺を寄せると、カインはじとりとした目でエブリを見やる。
 
「ぬははっ、まぁそんな顔すんなって。それこそ今に始まったことじゃねぇんだ。会えもしねぇ国王陛下より、領主様の威光のが俺たちには身近なもんでね」

 その言葉に嘘偽りなく、からりとした態度で言ってのける。
 ここが王宮内であったなら不敬罪で即刻首が地に落ちていただろうが、ここにいるのはあくまでも道具と騎士。
 言葉が過ぎます、とカインの警告にもエブリは反省の色など見せることはない。飄々とした物言いで、けれどエブリは目を細めて口にする。

「ま、トランクリットは王より蛇のが怖ぇから下手なことはしねぇよ」

「エブリ様!」

 カインは声を荒らげて制しようとするが、おどけた顔をするエブリにはなんら意味を為さない。
 いくらエブリの発言といえど、その言葉は看過できないものであり、王を主体とする国家としては迂闊に口にしてはならない考えだ。

「......良い心掛けです、エブリ。あなたが真に恐れるべきものを見据えている目を持っていることに、私は敬意を送りましょう。ですが」

 思いがけない褒め言葉に、エブリも面を食らったように目を丸くする。
 それはカインも同じであり、スクートに目を向け、彼らは視線を合わせると肌が粟立つのを感じた。
 言葉を溜めたスクートが戦場にいる時と同じ威圧感を醸し出すと空気が震え出し、室内には重厚な空気が立ち込める。

「あなたは不用意な言葉を慎むべきだと、身をもって知らなければならない。“彼の目”は、マクァラトルのすべてを見通すことが出来るのですから」

 細められた瞳には彼女の意思はなく、役割を全うするべく言葉を紡ぐ聖女が在る。
 カインは思わず喉を鳴らし、視線を逸らせぬままいるが、エブリも同じであった。
 スクートな目を伏せると威圧感はたちまち掻き消え、室内に張り詰めていた緊張感も解かれる。
 エブリは愚者を演じる癖があれど、それはわざとしているのであって、彼自体が愚かな訳では無い。
 冷や汗が背中に垂れる中、それを表情に出すことなく口角を上げる。

「酒のせいで口の滑りが良くなっちまってたみたいですね。寛大な心で俺の国への忠誠心をお受け取りください」

 仰々しくも頭を下げ、スクートを窺う瞳の許しを乞う色は本物だ。
 一拍の間をもってからスクートはようやく頷く。

「ええ、あなたの嘘偽りない忠誠心を私は受け取りましょう」

 スクートの許しを得たエブリは、その後別の騎士からの呼び出しで部屋をあとにする。
 室内にはスクートとカインの二人だけであり、静寂が満たされていた。
 エブリが途中退室となればこれ以上報告するような事柄はなく、かといって話を詰めるにも急を要するものは既に終えている。
 本来であればここでカインも早々に退出し、明日のためにも早めに休むべきだろう。しかし、そうしないのは胸の内に残る疑問を問うべきか迷っているからだ。
 カインはどう切り出すべきか頭を巡らせていたが、先に口を開いたのはスクートの方だった。

「聞きたいことがあるようですね」

 既に勘づかれていたことに驚きはしないものの、それでも面と向かって言われてしまうとどうしても動揺をしてしまった。
 カインは他の騎士からは冷静沈着で、滅多なことでは動揺を見せないなどと言われているが、そんなことはないのだ。カインとてただの人であり、単に王宮内の貴族とのやり取りが多いことから顔に考えを出しづらくしているだけである。
 貴族ならば教育の一環として、処世術の一部として身に付けてはいても、騎士団には平民の出の者も多い故の評価だ。
 そんなもの、カインにとっては過大評価に過ぎないと眉を顰める他ない。
 思考が揺らぐ中、肯定も否定もせずにカインは落としていた視線を上げてスクートを見る。相も変わらず美しい顔立ちをしており、感情の乏しい表情でも、カインの考えを汲み取ろうとしている少女の瞳は柔らかい色を含んでいた。
 あどけなさが残ってはいても、彼女には子供らしさなど微塵もないその顔に、カインは口の端を下げる。
 カインがスクートの些細な表情の変化から感情の変化を汲み取るように、スクートもまたカインのほんの僅かな思考の乱れを汲み取れる。
 そこに特別なものがなくとも、他者よりも共有する時間が長いと考えれば優越感が生まれる。独占できるものではないと理解しながら、どこかで彼女の脳内に居座り続けたいと卑しくも求めてしまう。

「......お答えいただけるのでしょうか」

 普段のカインから考えれば長考をしたのちに、重い口を開いて出たのは保証を求めるものだ。
 スクートは一瞬の逡巡のあとに、金色の瞳を煌めかせる。

「問いを聞いていない状態では確約出来ません」

 スクートの言葉はもっともなものだ。
 カインは口にするか迷った挙句、やがて意を決したように問う。

「どのようにして魔物の血だけを衣服や肌から取り除いたのでしょうか」

 カインは普段の会話では見せない慎重さをもって言葉を紡ぐ。
 聖女には魔術は扱えない。それは誰もが知るところだ。
 しかし、今回彼女が大森林から帰還した時、べったりと付着していた魔物の血液が綺麗になくなっていたのだ。どこかで身を清めたのかと思ったが、それならば衣服の汚れも消えているのはおかしい。
 まして彼女の衣服は特別製のものであり、王都にしかないものだ。別の地にストックを用意したなどという話は耳にしたことがなく、であれば衣服を洗うことなく綺麗にするには何らかの力が働いた。
 他の騎士団駐屯地に寄って身を綺麗にしたとも考えられるが、彼女がたかだか魔物の血を拭うためだけに寄り道をするとも考えられなかった。
 カインはあらゆる可能性を考えたが、それでもそれらしい答えは定まらない。故にどこか落ち着かない気持ちで今までいたのを、本人であるスクートは早々に見破っていた。
 スクートはその問いを本当にされるとは思ってもみなかったのか、瞠目すると答えを言うべきか迷う。
 あれをすぐに伝えなかったのはスクートにとって、事象を正しく認識し切れていなかったからだ。
 共有して直ちに大森林への立ち入りを禁止すれば済むが、万が一あれを討伐することになったらと考えるとはばかられる。スクートでさえ適わぬ敵に、どうしてただの人間ごときが適うなどと思えようか。
 今思い返しても隙のない深紅の瞳に、焦がれるような胸の痛みを思い出して首を振る。

「残念ですが、あなたにそれを知る必要はありません。あなたの期待を裏切ってしまったことを謝罪します」

「いいえ、その返答は予想していたものなので、裏切ったなどと大それたことを思うこともありません」

 カインは首を振った。

「スクート様は、なにかを探しておられるのですか?」

 次いで出た質問は、部屋の空気を凍らせる。
 失言をした、と認識したところで、前言を撤回するには遅過ぎた。
 スクートの帰還時にされた質問を返しただけではあるが、彼女はじっとカインを見詰めて口を開かない。目は口ほどに物を言うとはよく言うが、彼女の瞳からは何も感じられない。
 叱責される方が余程楽だろうが、彼女の口から怒りの言葉は出てくるはずもない。室内の空気が全身に痛みを伴って突き刺さる。
 無機質な瞳から得られるのは、踏み込むべきではないという己の失態。
 カインは詰まる息をなんとか吐き出した。

「申し訳ありません。分をわきまえぬ発言をしました」

 カインの言葉に緩慢な動きでスクートは左手を上げ、静かに首を振った。
 最早告げられる言葉もなく、カインはそのまま頭を下げてから部屋を出る。
 階下から聞こえてくる騎士たちの談笑が、ようやくカインに生きているという現実を教えてくれた。
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