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番外編『空、賢二郎から誘いを受ける』

〈1〉

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こんにちは、餡玉です。
新年度ですね。生活環境が変化する方もたくさんいらっしゃるかと思います。
どうかご無理のないように、息抜きをしながらお過ごしくださいませ。
陰ながら、頑張る皆様を応援しております(و•o•)و<ファイトー!

さて、ひと月ぶりの番外編は、空と賢二郎のサシ飲みです。(空はノンアル)
前々から空と賢二郎を語らせたいな、語らせなければなと思っておりましたので……!

といっても、険悪になったり重くなったりという内容ではないので、のんびりお読みいただけたらと思います。
わたしも多少バタバタしておりますので、今回は手直ししつつの不定期更新とさせていただきます。
楽しんでいただけたら嬉しいです、どうぞよろしくお願いいたします♡



  ˚✧₊⁎⁎⁺˳✧༚✩⑅⋆˚˚✧₊⁎⁎⁺˳✧༚✩⑅⋆˚˚✧₊⁎⁎⁺˳✧༚✩⑅⋆˚




「ごめんなぁ、急に呼び出してもて」
「い、いえ……。お招きいただきありがとうございます」

 空は今、累経由で石ケ森賢二郎に誘いを受け、高城音楽大学近くの居酒屋へとやってきているところだ。

 ——うわ、ほんとに石ケ森さんとふたりきりだ……。

 すでに個室に入って空を待っていた賢二郎と、久方ぶりに直接視線と言葉を交わした。緊張のあまり妙な音を立てて暴れる心臓を宥めるように、斜め掛けしたサコッシュの肩紐をぎゅっと握りしめる。


   +


「え? 俺と会って話したい?」
「うん……そうなんだ」

 二ヶ月もある長い長い大学生の夏休みも、とうとう後半に差し掛かった頃。クーラーをつけた涼しい部屋でのんびり事後の気怠さに浸っていたとき、累がふと思い出したようにこう言った。

「石ケ森さんが、空と会って話がしたいって言ってるんだけど……」と。

 そんな重大事項を抱えたまま、よくああもまったり濃厚な行為に及べたなと感心しつつ……空はむくりと起き上がり、隣に寝そべる累を見下ろした。

「な、なんで俺と会いたいの……? え、ふたりでってこと?」
「もちろん後から僕も合流する。けど、石ケ森さんが指定してくる時間が都合悪くてさ。ちょっとの間、あの人とふたりきりになっちゃうかもしれなくて」
「ま、まぁ……累、音楽祭の練習もあるもんね」

 突然の申し出を訝しむ気持ちはあるけれど、すぐさま断ろうという気にはならなかった。むしろ、そうするべきなのだろうなという気持ちもある。おそらく、空が賢二郎の存在を少なからず警戒していることを、向こうも察しているのだろう。

 それに、あの冬の凱旋公演直前。一度だけキャンパス内で言葉を交わした時、空はもっと賢二郎のことを知りたいと思った。

 今後、累と賢二郎は同じキャンパス内で過ごすことになる。ひょっとしたら、仕事上での関わりも増えていくのかもしれない。その前に一度空とゆっくり話をして、何かしらの誤解を解いておきたいといったところだろうな……と空は思考を巡らせた。

「うん……うん、いいよ。行く」
「えっ、本当に? 大丈夫?」
「大丈夫だよ。別に、累をめぐって取っ組み合いの喧嘩になるってわけでもないだろうし」
「それはそうだけど……」

 それに、賢二郎に恋人ができたという情報も耳にしている。だが実のところ、空はそれが嘘なのではないかと密かに勘ぐっているのだ。累を諦めきれていない賢二郎が、建前上の『恋人』を作り上げているのではないかと……。

 だが同時に、そんなことを考えてしまう自分の心の狭さにがっかりしてしまう。自分はいつからこんなにも疑い深くなってしまったのだろう。

 それほどまでに、賢二郎は空にとって強烈な印象を与える存在だ。累の気持ちは疑いようもないものなのに、賢二郎の影がちらつくたび、妙に不安になってしまう。

 ——ちょうどいい機会なのかも。あの人が何を考えてるのか、もっとちゃんと知りたいし……!


    +


 というわけで、賢二郎の指定した店へおっかなびっくりやってきた空である。

 全席個室の新しそうな店だ。『酒呑処 いおり』という文字が、流れるような毛筆タッチで看板に書かれている。全国チェーン店のわりには店構えに高級感があるため、なんだか入りづらかった。

 しかもここで空を待ち受けているのはあの石ケ森賢二郎だ。いったいどんな話をされるのかと想像すると胃が痛いが、ここで尻尾を巻いて逃げ出すわけにはいかない。

「よ、よし……! 行くぞ……!!」

 鼻息も荒く自分に喝を入れ、空は『酒呑処 いおり』の暖簾をくぐった。そして、入り口付近にいた店員に賢二郎の名で予約を入れてあることを告げると、奥まった個室へと案内され——

 そして、冒頭の状況だ。

 スニーカーを脱いで掘り炬燵の個室内へ足を踏み入れる様子を、賢二郎がしげしげと眺めている。緊張のあまり挙動不審になりながら、空はぎこちない動きで賢二郎の正面の席に腰を下ろした。

 そして、賢二郎と直接対決……ではなく、ぺこりと会釈をした。

「あの……お久しぶりです。石ケ森さん」
「久しぶりやなぁ空くん。元気やった?」
「えっ、あ、はい。おかげさまで……」

 ガッチガチに緊張している空とは対照的に、先に個室で待っていた賢二郎はのんびりくつろいだ雰囲気だ。「久々の日本の夏やし、暑くてかなんわ」とか「空くん、なんやちょい大人っぽくなったんちゃう? もう二十歳すぎてんの?」と、どこか親戚めいた口調で空に話しかけてくる。

 なんだかちょっと拍子抜けしそうにもなるが、空の緊張はまだまだ解けない。掘りごたつの中に脚を下ろすでもなく、空はいぐさで織られた座布団の上に正座した。

「あ、いえ……俺は早生まれで、まだ19です」
「そっか、ほな酒はまだあかんな」
「累は4月生まれなんで、もう飲めますけど」
「へぇ、そうなんや。あの子ももう二十歳か……」

 と、賢二郎は慣れた調子でメニューを空に手渡しつつ微笑んだ。だが、ふとした拍子に真顔になりまたじっ……と空の顔を見つめている。

 真正面に座っているわけだし、他に見るものがないのだろうから仕方ないかもしれないけれど、とにもかくにも落ち着かなくて、空はちらりと視線を上げた。
 するとまたばっちりと賢二郎と目が合って……すい~~と、空は視線を泳がせる。

 とそこへ、「いらっしゃいませ~!! ドリンクどうなさいますか~!?」と、店構えの割に元気のいい女性店員が個室のカーテンをシャッと開く。たどたどしく飲み物をオーダーし終えると、あらためて個室の中に静寂が戻ってきた。

 まだ夕方の早い時間で、両隣の個室は空いている。空の緊張感とはまったくそぐわないのほほんとした和風BGMがのんびり聞こえる。

「あ、あの……俺の顔、何かついてますか……?」
「あ……ごめん。見過ぎやんな」
「あの、今日はどういった御用件で……」
「御用件」

 ガチガチに緊張している空に、賢二郎がふと笑顔を見せた。怜悧さを湛えた端整な顔立ちで、黙っているとなんだか凄みがすごいのだが、笑うといくぶん雰囲気が柔らかくなる。そして、今日もすこぶる美人である。

「そんな緊張せんといて。僕はただ……君と、もっと話をしてみたかっただけやねん」
「話……ですか」
「三年前から、君のことは天才クンからよう聞いてたし。僕のせいで、色々もやもやさせてもうてるらしいってことも」
「えーと……まぁ、はい……その通りですけど」

 累がどのように空のことを話しているのかはわからないけれど、賢二郎の言う通りだ。ヴァイオリンの音を通じて空以上に累のことを理解してしまえるこの男の存在は、いつだって空の心を不穏に騒がせてきた。

 ——もちろん、今回は賢二郎さんの存在が救いになったんだけど……

 初めてのスランプでどん底に落ちていた累を暗闇から救い上げたのは、この男だ。累が立ち直るきっかけを与えてくれたことには感謝している。空は正座した膝の上に拳を乗せて、賢二郎に向かって頭を垂れた。

「あの……この間は、ありがとうございました」
「えっ、な、なにが?」

 賢二郎は慌てふためいた様子で、空と同じく正座になった。頭を上げると、眉根を寄せて困惑を浮かべた賢二郎の顔がそこにある。

「累のスランプの件で……その、助けていただいて」
「あー……ああ、うん。いや、大したことはしてへんけど」
「あの時俺、累になにもしてあげられなかったから」

 膝に拳を置き、苦しかったあの時期のことを思い起こす空を、品よく整った二重まぶたの瞳が見つめている。穏やかではあるが、心の奥を見透かされそうな鋭さをひそませる瞳に、背筋が伸びる。

「ふうん……優しいんやなぁ、君」
「はぁ……」
「幼馴染みって、もっとお互い遠慮のない関係なんかなて想像しててんけど、そうでもないねんな」
「え?」

 そして、このセリフである。
 賢二郎の言葉の意味をどう受け止めたらいいものかどうか、空は一瞬考え込んでしまった。

 まるで「本心をさらけ出し合えない中途半端な関係なんですね」と言われたような気もするし、そうではないような気もするし……こういうものの言われ方に慣れていない空は、目を瞬きながら固まってしまった。

 すると、賢二郎がハッと察したような顔になる。慌てたように手を上げて、「待って。違うで?」と言った。

「別に嫌味言うてるわけちゃうねんで? ほら……あれやん、一般的な幼馴染みってそういう感じなんやろ? 知らんけど」
「はぁ……」
「ちゃうで! 意地悪言うてるわけちゃうからな! そのほら、あれやん、君らはお互い遠慮深いところがあるんやなていう意味やで? あのほら、思いやりがあらはるていうか……」
「ふっ……あはっ」

 クールな顔に焦りを浮かべながら一生懸命弁明している姿を見ていると、急に賢二郎に人間味を感じた。ヴァイオリニストである前に、賢二郎とて一人の若い青年なのだ。

「あの、大丈夫です。なんとなくわかりました。石ケ森さんの言いたいこと」
「ほんまに? へこんでへん? よう言われんねん、僕は話し方が嫌味っぽいって」

 いつぞや、累も賢二郎のことを『嫌味な関西人』と言っていたことをふと思い出し、また少し笑えてしまった。とそこへさっきの店員が現れ、「ドリンクお待たせいたしました~!!」と生ビールのジョッキと烏龍茶のグラスをテキパキと置き、賢二郎が適当に頼んでいた料理がパパパッとテーブルの上に並べられる。
 そこでようやく、二人とも掘りごたつに脚を下ろして乾杯した。

 賢二郎はぐびぐび、と勢いよくジョッキを半分ほど空けたあと、はぁ~~~と気持ちよさそうなため息をついた。こういうとき、自分も酒に付き合えた方がいいんだろうなと思うけれど、彩人から「酒は絶対二十歳から!」と口うるさく言われているので我慢だ。

「で、天才クン、その後どうなん。スランプは抜けてはんの?」
「いえ……まだ完璧じゃないみたいですけど、前みたいにどんより考え込んだりっていうのはないかなぁ」
「まぁ、そら急には抜けられへんか。塞ぎ込んでないなら何よりやけど」
「はい、その節は色々お世話になったみたいで……」
「別に大したことはしてへんよ。で? 君らふたりでゆっくり過ごす時間は取れてはんの?」
「えっ? あ、……はい、一応」

 いっときは多忙を極めていた累だが、今はニコラとも話し合って、仕事量をセーブしている。そのおかげで、以前よりはゆっくりと二人きりで過ごせる時間も増えた。

 しかも二週間ほど前には、はじめてふたりで旅行もした。
 彩人の車を借りてのドライブ旅行だ。大学に入る前に二人とも短期で運転免許は取得していたけれど、なかなか遠出をする機会はなかったため、ドキドキの長距離運転だった。

 だが意外なことに、累は運転に慣れていたのでびっくりしてしまった。てっきり空と同じくペーパードライバーだと思っていたのに。

 聞けば仕事の送迎時、マネージャーの岩蔵に運転スキルを教わっていたらしい。空にとっては恐怖しかない高速道路の運転も、狭い場所での駐車もさらっとやって見せつけられてしまった。その涼しげな横顔のかっこよさが、なんだか妙に悔しかったものである。

 という話をかいつまんで賢二郎に話してみる。ひょっとすると、累と空の旅行話など賢二郎にとっては面白くもないかもしれないと思ったが、意外なことに、賢二郎はうんうんと深く頷きながら空の話を聞いていた。

 そして、いつの間にかもう一杯空っぽにしたジョッキを、ドンと机の上に勢いよく置く。
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