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23、コンサートホールにて

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 そして12月24日、累の凱旋公演の日がやってきた。
 今日、累が立つ舞台は『インペリアルシティコンサートホール 東京』
 官庁街からもほど近い場所にある巨大な文化施設『インペリアルシティ』内にあるコンサートホールだ。

『インペリアルシティ』には博物館や美術館、またはオペラやバレエなどが上演される劇場なども入っている上、高級なカフェレストランや美しい庭もある。一歩施設内に入ると、途端に外の喧騒から切り離され、青々とした芝生や噴水などの和やかな風景が空を迎え入れてくれる。まるで異国に来たような気分になった。

「すっごい……きれいだなぁ~」
「ホントだな、こんなとこでヴァイオリン弾くとか……累くんすげーじゃん」

 今日は珍しく、彩人も揃っての外出だ。特にドレスコードなどは指定されていないが場所が場所なので、彩人は比較的おとなしめのスーツに身を包んでいる。
 とはいえ、身に纏う雰囲気がそもそも華やかなせいか、ダークグレイのスーツに濃色のシャツを合わせたいでたちでも、彩人は素晴らしく目立っていた。

 ちなみに空は、黒いタートルネックのセーターに、壱成から借りたチェスターコートだ。普段より少し大人びた格好をしているとあって、妙に改まった気分である。

「ねぇ兄ちゃん……もっと地味なスーツなかったの?」
「いや、これすげー地味じゃん? なぁ、壱成」

 隣でパンフレットを眺めている壱成は逆に、仕事用のスーツよりもきれいめなものを身につけている。やや艶感のある深いネイビーカラーのスーツに白シャツという爽やかな格好で、壱成の肌の色や黒髪がよく映えていた。
 壱成は改めてのように彩人の全身を眺め回し、「お前は顔が派手だからどうしようもないよ」と言う。

 それを聞いた兄がショックを受けているのではないかと顔を見上げてみるも、彩人はニヤニヤしながら壱成に肩をくっつけ、「空の前だからってツンツンしなくてもいーのに」と囁いている。空はパンパンと手を叩いた。

「はいはい! こんなとこでベタベタしない!!」
「し、してないって! ったく……彩人がくだらねーこと言うから」
「んだよー。出掛けに『彩人は何着ててもホントかっこいいな』って言ってたくせに♡」
「ぅおいっ! そっ、そんなことわざわざ空くんの前で言わなくてもいーだろ!!」

 相変わらず仲のいい兄たちのことは置いておくとして、空たちはようやくコンサートホールの入り口前までやってきた。
 今は17時で、公演の開演は18時半だ。インペリアルシティ内で軽く食事をしてから座席に着こうと話をしていたところだが、まずは会場を見ておきたくてここまでやって来たのである。

 毛足の長いワインレッドの絨毯の上を歩いてゆくと、閉じられた観音開きの大きな扉が見えてくる。その扉の隣にはガラスで覆われた展示スペースがあり、ポスターが掲示されていた。

「あ……累だ」

『高城音楽大学主催 ヴァイオリニスト・高比良累 凱旋公演』——高級感溢れるシックな色味のポスターの中、オーケストラの画像を背景にヴァイオリンを抱く累の姿が写っていた。
 おそらく,撮影したのはプロだろう。カメラを真っ直ぐに見つめて写った写真は珍しいので、空は思わずぐっと近付いて写真を見つめた。改めて、綺麗に整った目鼻立ちだなと感心してしまう。

 写真の下には、『伝統あるハノーファーヴァイオリンコンクールにて、最年少優勝を果たした天才ヴァイオリニスト』という紹介文が添えられていて、累の横には、指揮者の顔写真が丸縁の写真で掲載されている。累は美少年だし、指揮者もなかなかの濃い顔立ちで目立つため、通りすがった人が必ず足を止めてしまいそうなポスターだ。

「へぇ~、累くん、写真うつりも抜群じゃん。今すぐにでも写真集出せそうだな」
「確かに……こうして見てると、ほっんと王子様だよな。こんな子がうちの空くんの彼氏だなんてな……すごいな」
「ちょ……彼氏とか、そういうのいーってば」

 累の写真を眺めながら好きなことを言っている兄二人をたしなめているうち、ちらほらと他の客もポスターの前に集まり始めた。写真を撮りたそうにしている女性客もいたため、三人はようやくそこから離れる。

 さっきの通りかかったカフェに行ってみようか、などと話をしつつロビーを歩いていると、少し離れた場所で女性が一人立ち止まるのが見えた。視線を感じた空がそちらを見てみると、その女性の顔にはどこか見覚えがあり……。

「……え、まさか空くん? うそ、空くんなの?」
「あっ……まさか、あいこせんせい!?」
「や、やっぱり空くん!」

 シックなグリーンのワンピースに黒いコートを羽織った女性、それは空が保育園時代に世話になっていた女性保育士・あいこ先生だった。懐かしさに顔を綻ばせながら、空は早足にあいこ先生に駆け寄ってゆく。

「わー、先生! 久しぶり! 先生も聴きに来てくれたんだね!」
「そ、そうなの。累くんパパとママがね、保育園にもチケット送って来てくれて。職員総出で今日は累くんの晴れ舞台を見守りに来たんだよ」
「そうなんだぁ。へへ、先生、全然変わってない。でも背は僕が追い抜いたね」
「うふふ、お上手になっちゃって! けどほんと、すっごく大きくなったね……ほんとすごいよ、こんなイケメンになっちゃって……いや分かってたけど……やっぱりすごい……遺伝子の力……」
「え?」
「あっ、いやいや何でもないよ!」

 空の上腕をぽんぽんと叩きながら瞳を潤ませていたあいこ先生が、ふと空の背後を見た。そして、目を瞬いている。

「あいこ先生、お久しぶりです」

 すっと空の隣に並んだ彩人が、きらびやかなよそ行きの笑顔を浮かべつつ、あいこ先生に一礼する。一瞬にしてその場がホストクラブになってしまったような気がして、空は思わず周囲を見回した。

 あいこ先生は彩人を見上げ、そしてその隣にいる壱成を見つめ、また彩人を見上げて数秒硬直して沈黙していたが……ハッと我に返りキリッとした表情になると、きびきびとした動きで一礼する。

「お久しぶりです。早瀬さん、霜山さん……あ、いまはお二人とも早瀬さんでしたね」
「ええ、そうなんです。その節は,本当にお世話になりました。先生には助けられることばかりでしたよね。壱成とも、よく思い出話してるんですよ」
「ゴフッ……おふたりで……おも、おもも、思い出話……? な……なるほど、光栄です。わたしも思い出深いです、あの頃のことは……」
「それにしてもあいこ先生、本当にお変わりないですね。まさか会えるとは思わなかったから、俺も嬉しいですよ」

 と、彩人の横から顔を出した壱成が爽やかな笑顔を見せると、あいこ先生は「ングフっ……こッ……こ、こちらこそでございます!」と謎に咳き込みつつの早口でそう言った。あいこ先生でも緊張するのかな、と空は思った。

 そして、ゲフフンと咳払いをしたあいこ先生は、ほっぺたをツヤツヤさせながら空に向き直り、愛おしげな微笑みを浮かべる。

「累くんと空くん、今でも仲がいいんだね。先生嬉しいな」
「あ……うん。累がドイツ行っちゃった後も、ずっと連絡は取ってたし、今は同じ高校に通ってるから」
「そっ……そうなの……!? そっか、よかった。累くん、空くんなしでドイツ生活大丈夫かなって心配してたんだけど、そう……ずっと支えてあげてたんだね」
「支えて……たのかなぁ。別に俺は何もしてないけど、累ってばすっごい立派になって帰国して来て……もうほんと、最初はびっくりしちゃって」
「いやいや何言ってるの! 累くん、小さい頃から空くんのことすごく頼りにしてたもの。あの子にはやっぱり、空くんがいないとねッ!!」
「そ,そっかな……」
「そうだよ! いや……それにしても幼馴染の再会かぁ……はぁ……尊い…………」
「えっ? 何?」
「いっ……いやいや、何でもないのよ! 今日は累くんのかっこいいところ、いっぱい応援してあげようね!」

 まるで保育園児に語りかけるような口調で、あいこ先生は拳を握って笑顔を見せる。そのノリが懐かしく、空の口からも自然と「はい!」といい返事が飛び出した。
 何だかあいこ先生の前にいるとちびっこに戻ってしまったような気分になって少し恥ずかしいけれど、やっぱり嬉しい。『ほしぞら』は空にとって第二の家のようなものだからだ。

「今度、累くんと遊びにおいで。園長先生もまだ健在だから、みんなすごく喜ぶよ」
「うん、行く。累にも言っとくね」
「いつでも待ってるからね。……じゃあ、私はこれで」

 彩人と壱成に挨拶をするときは、ベテラン保育士のきりりとした顔になるあいこ先生である。さすがプロなんだなぁと、空はあいこ先生に尊敬の念を抱きながら、去ってゆく背中に軽く手を振った。

「懐かしいなぁ、保育園……」
「空くん、あいこ先生大好きだったもんね。顔が急に幼くなったよ」
「え、やっぱそうかなぁ」
「ははっ、思い出すなぁ。お迎えに行くとダッシュで抱きついてくる空くん。可愛かったなぁ……」
「ちょ、もう……恥ずかしいんだけど」

 今はさほど身長差のない空と壱成だが、頭を撫で回されるとやはり気恥ずかしいものである。彩人はそんな二人を愛おしげに見つめて微笑んでいたが、ふう……とため息を吐き、ゆっくり首を振りながらこう言った。

「……いやマジで世話んなりまくったよな、『ほしぞら』には。いつか、俺風邪ひいてヤバかったことあったじゃん? ほんとあん時、壱成いてくれなかったら俺らどーなってたんだろーな。怖っ……」
「あの頃の疲れてる彩人も、けっこう可愛いかったけどな」
「えっ、マジ?」
「うん、頼ってもらえて嬉しかったし」
「壱成……」

 あいこ先生との再会で過去を懐かしむあまり、壱成のガードも甘くなっているらしい。空の前で堂々とデレる壱成は珍しいな——と思いつつ、じっと壱成を見つめていると、壱成も空の視線に気づいたようだ。頬を赤く染めつつ「と……とりあえず、なんか食いに行こっか」と咳払いをしている。

「ねぇー。俺いない時、ふたりってどんな感じなの? ひょっとして、俺が引くくらいイチャイチャしてんの?」
「し、し、してないよ!! 普通だよ普通!! いつもと変わんないって!!」
「ふーん、そーなんだ、へー」
「まぁまぁ、空、妬くな妬くな♡ このコンサート終わったら、累くんと思いっきりイチャつけんだろ?」
「妬いてないし! ていうか……い、イチャつかないよ別に、別に……っ!!」

 この間までは累の行動の逐一に目を光らせていた彩人だが、今やすっかりこの調子だ。理解があるのはありがたいが、兄がオープンすぎてたまに恥ずかしくなってしまう空である。

「さて、気合い入れて累くんのステージ見なきゃだし、さっと食ってこようぜ!」
「気合いって」
「ほらほら、緊張してねーでリラックスしとけよ。大丈夫だよ、累くんなら」
「べ、別に緊張してないし」

 彩人は壱成と空の真ん中に立ってふたりの肩を抱き、軽い歩調で歩き始めた。純粋に楽しそうな二人と一緒にいると、自分が思いの外緊張していることに気付かされる。

 ——累、今どんな気分なのかなぁ。それに……石ケ森さんも。

 これから大舞台に立つ音楽家たちの気持ちは、空には想像することさえ難しい。だが、徐々に高まりゆく緊張感と高揚する気分は、決して居心地の悪いものではなかった。

 ——がんばれ、累。俺、ちゃんと見てるから。

 日常を忘れさせてくれる美しい風景に累の笑顔を思い出しながら、空は密かに拳を握りしめた。
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