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18、情熱と戸惑い〈累目線〉

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「はぁい、オーケーオーケー! ルイ、今日すっごくいい出来だよ!! ブラァボゥ~~!!」
「ありがとうございます」
「いやぁ、何かいいことでもあったのかな!? これまでになく良い音が出てるよ~!! いやぁ、愛を感じるなぁ~~」

 指揮者の喝采に、オーケストラのメンバーからも拍手が起こる。累は指揮者とオケのメンバーそれぞれに一礼し、軽く汗を拭った。

 十二月に入り、累の凱旋公演まで一ヶ月を切っている。今日はようやくオーケストラメンバーの全員が揃っての練習となった。指揮者であり高城音楽大学の名物教員、ロベルソン・アリフレド・吉松教授も上機嫌で、普段以上にタクトの振りが派手だ。

 オケのメンバーもそれぞれに仕事を持っているため、これまではこうして一同に会すことが難しかったのだ。だが、十二月に入っていよいよクリスマスムードが高まってくるにつれ、十二月二十四日の凱旋公演に向けて、皆の気合いにも熱が入るようになってきた。

 累がソリストを務め、そのバックで高城音大のOBオーケストラが演奏する——それは、高城音楽大学にとってもいい宣伝になる。音楽界における累の注目度を利用して、年々入学希望者が減少しつつある音大サイドにも恩恵を望むところなのだ。

 そして累にとっても、今後音楽家として活動していく上で、今回の公演は大切な一歩だ。若干十五歳にして、フルオーケストラを背負ってのチャイコフスキー。しかも舞台は、世界の名だたる音楽家たちが素晴らしい演奏を披露してきた『インペリアルシティコンサートホール 東京』だ。さすがの累も、緊張を禁じえない。

 指揮者のロベルソンは、ロマンスグレーの長髪を振り乱しながら鬼気迫る指揮をすることで有名だ。だが、若い頃は相当な色男で有名だったらしい。二十代の頃、果てしなく情熱的な恋をした彼は、母国スペインから日本人女性のもとへ単身嫁いできた。そのため、日本語はとても流暢である。
 もともと名のあるピアニストだったロベルソンだが、手の怪我をきっかけに指揮者へと転身した。そして現在、高城音大では指揮科を受け持っている。

 還暦を迎えた今も、ロベルソンは非常に熱い情熱をもって学生の指導にあたっている。そんな彼にとって、累の演奏にはどうにも情熱が足りなかったらしく、『もっと甘く!! 華やかに!!』『イヤ、そうじゃない!! もっともっと!! そこはエロス!!』『もっとエロ!! エロくして!! 愛を込めて!!』『だめだめ!! もっと咽び泣くように!! もっとこう、ァアアァン~~~って!!』……と何度も演奏を止められた上に奇声を発せられてしまったものだった。
 さすがの累も始めはかなりビビっていたが、今やすっかり慣れたものである。

 音楽祭の後、空と少なからず良い雰囲気になれたことで、累の演奏にも艶が出てきたのかもしれない。今日のロベルソンは上機嫌で、フンフン鼻歌を歌いながら休憩を取るべくホールを出て行った。

「……はぁ、きっついな。君、ようそんな涼しい顔してられんな」

 客席の一番前の列に荷物を置いている累は、上着を脱いでTシャツ姿になり、水分補給をしていた。すると累のそばに石ケ森賢二郎がやって来て、隣にぐったりと座る。
 仕事の都合で急遽参加できなくなったヴァイオリニストの代打として、凱旋公演には賢二郎も参加することになったのだ。これは夏目が決めたことである。

 夏目には、累と賢二郎が音楽祭ですっかり親しくなったかのように見えたらしく、『石ケ森くんなら技術的にもついていけると思うし、何より良い刺激になると思うのよね~。最近彼、ちょっと調子落としてたんだけど、累くんとの共演でちょっと元気出てきたみたいだし、ちょうどいいわ♡』ということらしい。

 げっそりしている賢二郎の隣に、累も腰を下ろした。賢二郎は数日前からオケに入ったばかりなので、絶賛猛練習中である。そのため、ロベルソンは耳聡く賢二郎の音のズレなどを聞きつけては、『ちょっと待って!! そこ、音ずれてる!!』『音が硬っ、硬いっ!! だいじょうぶ!! 緊張しなくて良いから!! 何なら一杯ひっかけてくるくらいでもいいから!!』『もっと切なげな顔で!! ダメ!! もっと、もっと!!』としばしば注意を入れている。賢二郎はそれにまだ慣れていないため、二重三重に疲れているようだ。

「ったく……音はともかく、僕がどんな顔して弾いてようが関係ないやろっちゅー話やで。君はソリストやからあれやけどさ」
「現役の学生ってことで、マエストロも気合が入ってるらしいですよ。夏目先生が言ってました」
「やれやれ……学期末の課題も練習せなあかんのに」
「あ……そうなんですか? すみません、忙しいのに……」
「いやいや、なんで君が謝んねん。それにこれは、僕にとっても良い機会やしな。在学中にOBオケに加えてもらえた学生なんて僕が初めてやもん、これはええ足掛かりになるわ」

 賢二郎はそう言って、にっと不敵に笑っている。つくづく逞しい人だなと、累は思った。

「強いですね、石ケ森さんは」
「そうかぁ? ところで……ロベルソンが言うてたみたいに、なんやええことでもあったん? 音楽祭から比べても、君、なんや伸び伸びしたええ音が出るようになった気ぃするわ」
「そうですか? ……へへ」

 ロベルソンに褒められるのはもちろん嬉しいが、賢二郎に褒められると妙にくすぐったい喜びがある。出会った当初に嫌味ばかり言われていたせいだろう。累が思わずにこにこしていると、賢二郎は訝しげな顔だ。

「どしたん? 上機嫌やなぁ」
「いえ……。まぁ、いいことはありました」
「ほーん、恋愛がらみ?」
「うーん……まぁ、そんな感じですかね」
「へぇ」

 そんな話をしていると、あの日の空の表情を思い出してしまい、累の頬も熱くなる。
 空は普段からすこぶる可愛いのだが、ああしていやらしいことをしている最中の空の表情はたまらない。
 
 累がどこに触れても『気持ち良い』といって目を潤ませ、乱れてくれる。キスをすれば応えてくれるようになったし、空もまた、累に触れてくれるようになったのだ。

 それに……空から初めてもらった、『好き』という言葉。あの日累は喜びのあまり一睡もできなかった。

 これまではどこか一方通行のようだった累の好意だ。幼い頃から『すき』という言葉を伝え続けることで空の心を縛ってしまいたいと思っていたものだが、純粋で幼気な空はふわふわと掴みどころがなく、何度も不安になったものである。

 だがようやく、空と好き合っていると感じることができたのだ。幸せで幸せでたまらない。
 この愛に満ちた感情をヴァイオリンに託し、情熱的に音色を奏でる——だからこそ、ロベルソンが理想とする華やかな音色を出すことができてるに違いない。

「空くん、やっけ。あの子と……なんやあったってこと?」
「ええ……まぁ、そんなところです」
「ふうん、その子にどエロいことしたったってこと? よろしいなぁ」
「どエロ……あの、それあんまり言わないで欲しいです……」

 あの日はかーっとなって口から勢いで飛び出してしまった言葉だが、こうして改めて聞かされると恥ずかしいことこの上ない。
 累がバツの悪そうな顔をしているせいだろうか、賢二郎がふっとため息を漏らすように笑った。バカにされているのかと思ったけれど賢二郎の笑みは柔らかく、そして少し寂しげに見え、累はちょっと気になった。

「前の方に座ってはった子やろ。茶髪の、目ぇクリっとした子」
「えっ? ああ、よく分りましたね」
「……幼馴染みて言うてたな。そんな長い付き合いなん?」
「ええ、四歳の頃からです。その当時から僕、空のことが好きで」
「はっ!? よ、四歳……!? そんなちっさい頃から今まで? こわっ……」
「……怖いですかね」
「一途すぎて怖いし重いわ。……けどまぁ、相手もそれでいいて言うてくれてるんやったら別にええんやろけど……ってか、僕には関係あらへんけど」

 賢二郎はどこか暗い声だ。いったい賢二郎はどうしてしまったのだろうと、心配になる。
 ひょっとして、ハードな練習がたたって熱でも出しているのだろうかと気にかかり、累は腕を伸ばして賢二郎の額に触れてみた。

「っ……!」
「んー……ちょっと熱い気がする。石ケ森さん、ひょっとして風邪じゃ……」

 累の掌にすっぽりおさまる賢二郎の額は、触れた瞬間からじわじわと熱が高まっているような気がする。ホール内には暖房がついているけれど、ステージ上の足元には冷たい空気が忍び寄ってくるものだ。このまま放っておいては、身体によくないだろう。

「そんな薄着してちゃダメですよ。僕の上着で良ければ貸し……」
「さっ……さ、ささ、さ、さわんなやっ!!」

 突然、バシッとまあまあな力加減で手を払い除けられて、累は少なからず面食らってしまった。賢二郎と親しくなれたのではと思っていたところだったので、『触るな』と言われたことにもかなりのショックを受けてしまう。

「ごっ……ごめんなさい」
「あ……っ」
「す、すみません、急に触って。……でも、熱っぽいなら無理しないほうがいいですよ」
「……いや、すまん、こっちこそ。……大丈夫やから、僕は」

 どうしてだろう、賢二郎のほうがずっと傷ついた顔をしているように見える。その理由が分からなくて、累はなすすべもなくうろたえてしまった。だが、賢二郎はすっくと立ち上がり、累に向かってぎこちなく笑うのだ。

「練習キツくてちょっと熱いだけやし。ほら、君こそTシャツ一枚なんて寒そすぎやろ。汗冷えんで」
「あ……はい」
「もうすぐ練習始まるし、ほら、しゃきっとせんかい!! 第三楽章、君あんま得意ちゃうやろ」
「だ、大丈夫です。練習しましたし」
「へぇ、ほんま? ほな、ちゃんとええとこ見せてや」

 ふふん、とちょっと意地の悪そうな笑みを浮かべて見せたあと、賢二郎は早足にホールを出て行ってしまった。

「気持ち悪かったのかな……。……急に触ったらダメだったかな」

 反省を込めつつぶつぶつと独り言を呟きながら、累はため息をついた。落ち込んでしまったせいか、少し汗が冷えてきたような気がする。累は少し腕を摩って、上着をごそごそと着直した。

 そろそろ休憩は終わりだ。ステージ上に、ぱらぱらとオケのメンバーが戻ってきている。
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