俺の幼馴染みが王子様すぎる。

餡玉

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1、空、高校一年生の夏

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「空、空ー、そろそろ起きろよ!」
「うう……ん」

 ばさ、とタオルケットをひっぺがされ、早瀬空はベッドの上で丸くなる。シャッと音がしてカーテンが開かれ、眩しすぎる朝日が空の全身を包み込んだ。

「ほら、起きろって。ったく、もうすぐ夏休み終わんだろ? いつまでも夜更かししてたらダメだろーが」
「ううーん」

 寝ぼけ眼で見上げると、兄・早瀬彩人の呆れ顔がそこにある。このままダラダラしているとまた説教が降ってくるのが分かっているため、空はようやくぱちぱちと目を瞬き、むくりと身体を起こした。

「うるさいなぁもう。宿題やってたんだもん、しょーがないじゃん」
「やっぱため込んでたのかよ。ちゃんとちょっとずつやれって、毎年壱成に言われてんだろ?」
「やってたし。最初は」
「最初だけかよ。ほら、早く着替えろって、今日は約束あんだろー?」

 そう言って彩人は笑うと、ぐりぐりと空の頭を撫で、部屋を出ていく。兄の背中を見送って、空はようやく立ち上がった。

「って……まだ七時じゃん。ふぁーあ」

 確かに、夏休みはあと三日で終わる。学校から山のように出された夏休みの課題は、まだ三割ほど残っているという有様だ。高校に入ると宿題が増えると聞いてはいたが、あんなにも膨大な量の課題が与えられるとは思わなかった。勉強机に山積みになったワークブックなどをチラ見して、空はため息をついた。

「今日の午前中にやれるだけやっとかないとなぁ……」

 汗を吸い込んだTシャツを脱ぎ、空は窓の外に広がる夏空を見上げた。真っ青な空を切り裂くように、白い飛行機雲が伸びている。

「……飛行機、十四時のやつだったよな。ここから空港まで一時間くらいって言ってたから……えーと」

 着替えながら逆算し、何時までに課題を済ませるべきかと考える。
 今日の空には、大事な用事があるのだ。

 枕元に置かれていたスマートフォンを手に取り、メッセージアプリを開く。『RUI』と書かれたページを開き、飛行機の到着時刻と便名を確認した。

「五年ぶりかぁ……なんか緊張するなぁ」

 今日は、保育園時代からの幼馴染み・高比良累が、五年ぶりに帰国する日だ。
 累は小学四年生の夏、父親の仕事の都合でドイツに渡ることになったのである。

 空と累は、保育園の頃からずっと一緒にいた。家もさほど遠くないこともあって、毎朝の登校も一緒だった。累は毎朝必ず空を迎えに来ていたからだ。
 小学校までは徒歩十五分程度だが、最初は一人で行けるのかどうかとても不安だったため、累がそばにいてくれると頼もしかった。


 ——『ぼくがそらくんをまもるからね』


 そう言って、いつだって空の手を引きたがる累のことを心強く思っていたけれど、年齢が上がるにつれて、それがだんだん普通ではないことに気づき始めた空である。

『もうおおきいんだから、手をつながなくてもへいきだよ』と言って、累の手を振り払うようになったのはいつだっただろう。

 累は寂しそうにしていたけれど、周囲のクラスメイトたちからからかわれることもあって、空は断固として累と手を繋がなくなった。

 また、累は五歳からヴァイオリンを習い始めていたので、レッスンがある日は一緒には帰れない。最初はそれが少し寂しかったけれど、空にもだんだん累以外の友達ができ、下校途中に遊んで帰ることも増えた。
 累がいない日に解放感を覚えるようになったことは……累にはとても言えなかったけれど。

 累は幼い頃から身体も大きく、さらには西洋の血が入っていることもあり、それはそれは目立つ子どもだった。
 すらりとした体型に、サラサラのブロンドヘア、そして澄み渡るように青い瞳——その美しい容姿に、ヴァイオリンが上手いという情報も加わって、小学校でファンクラブが立ち上がるほどだった。

 そんな累が、いつだって空のそばにいたがるのだ。多少過保護すぎるところを煩わしく思うこともあったけれど、それが累の優しさだと分かっていた。周りより幼い空を、守ろうとしてくれているのだと。

 また、誰に憚ることもなく『僕は空が大好きだから』と口にすることも多かった累だ。それがだんだん恥ずかしくなることも増えたけれど、ひそかに誇らしくもあった。強くて、誰よりカッコよくて、頑張り屋の累に『親友』として認めてもらえているのかと思うと、とても嬉しかったから。

 だが、小学四年生の春になり、累は突然『もうすぐ空と一緒に学校へ行けなくなる』と言い出した。二人で下校しているときのことだった。

 今にも泣き出しそうな顔で『行きたくない、空と一緒にいたいのに』と言い、ずっと繋ぐことをやめていた空の手を、ぎゅっと握って。日本にいたい、空と離れたくないと言って、しくしく泣くのだ。

 家族でドイツに引っ越すことは、もうすでに決まっていたことだった。累はそれにひどく抵抗していたらしいが、幼い子どもの抵抗など、親の仕事の都合の前ではまるで無力だ。

 累が遠くへ行ってしまう——それは、空にとってもショックなことだった。ずっとずっと、当たり前のように一緒にいられると思っていたのに。まさか突然、離れ離れになる日が来るなんて、と。

 だけど、空は累を励ました。
 『お父さんとお母さんと一緒にいられるなら、そのほうがいいよ』と。

 空には両親がいない。二十一も歳の離れた兄が、ホストという夜の仕事をしながら、幼い空を育ててくれた。
 そしていつしか、兄・彩人には霜山壱成というパートナーを得て、空の家族は三人になった。兄と二人暮らしだった頃の記憶は曖昧だが、壱成が一緒にいることで、毎日安心できるようになったことは何となく覚えている。

 だからこそ、家族はみんなでいたほうがいい……空はそう思ったのだ。

 そして累は空の言葉を受け入れて、家族とともにドイツに旅立っっていった。
 その当時は、いつ戻って来られるか分からなかったのだが、三ヶ月前、高比良一家は日本に戻ることが決まったのである。


「おはよう、空くん」
「壱成、おはよー」

 階段を降りてダイニングにつくと、キッチンでコーヒーを立ち飲みしていた壱成が微笑んだ。今日は日曜で仕事もなく、壱成は私服姿である。スーツではなく、Tシャツにジーパンというラフな格好をしていると、まるで大学生のように若々しい。

「宿題終わんないんだって?」
「うう……大丈夫だよ、そのうち終わるし」
「まぁ、部活も結構忙しそうだったもんね。なんか手伝おっか?」
「えっ!? ほんとー!?」

 壱成のありがたすぎる申し出に、食パンをかじりかけていた空は色めきだつ。だがタブレットで新聞を読んでいた彩人がすぐさま「ダメに決まってんだろ」と釘を刺してきた。

「壱成、甘やかしちゃダメだって。こいつもう高校生なんだぞ?」
「あー……そーだった。なんかまだ信じらんないんだよね、空くんが男子高校生だなんてさ」

 そう言って苦笑する壱成は、マグカップを二つ持ってテーブルについた。そのうちの一つを空の前に置き、しみじみといった様子で空の顔を見つめている。

「ついこないだまでこーんなにちっちゃかったのに、立派に大きくなってさぁ」
「もう壱成……それ何回も言わないでよー」
「ははっ、ごめんごめん。背も伸びて、バスケ部に入ったり……なんか、すごいよなぁ。すくすく成長してんだもん」
「そーかなぁ。普通じゃん」

 愛おしげに見つめられ、空はだんだん照れくさくなってしまった。もぐもぐとパンを頬張り、カフェオレをぐびりと飲み干す。そんな中、壱成と彩人は視線を交わし、微笑みあっている。

「お前が普通に育ってくれることが、俺たちは嬉しいわけなんだよ。いやマジで、兄ちゃん一時は結構大変だったからな」
「知ってるよー。何回も聞いたもん」

 空は二歳で母親を失っているが、空にはその記憶がない。そこからは、まだ二十歳そこそこだった兄が一人で育ててくれたのだ。その頃から兄はホストとして仕事をしていたため、空は夜間保育園『ほしぞら』で一日の大半を過ごしていた。

 夜の仕事で休みも少なく、生活時間も不規則な彩人が限界を感じ始めていた頃、壱成と偶然再会した。そこから二人にどんなドラマがあったのかは詳しく聞いたことはないけれど、壱成はいつしか彩人と共に暮らし、空を育ててくれるようになったのである。

 空には両親の記憶がないけれど、彩人は父を失った悲しみも、母を失った悲しみもどちらも知っているはずだ。そこに追い討ちをかけるように、幼い自分の世話を焼いてくれていたのかと思うと、なんだかたまらない気持ちになる。そんな兄を支えてくれる壱成の存在は、空にとってもかけがえのないものだ。

 そんな二人の左の薬指には、ほっそりとした銀色の指輪が嵌まっている。
 二年前から、彩人は『sanctuary』の経営を任されるようになった。そのタイミングで二人は同性婚をし、書類の上でも家族になった。なので現在、壱成の姓は早瀬である。

 同性同士でも人生のパートナーになれるということは学校でも習うし、そういう映画やドラマも増えている。なので空は、自分の家族がまさにそのタイプなのだなぁ——ということを、自然と理解していた。

 周囲の偏見など一切ないといったら嘘になるけれど、空は今のところ、家族のことでからかいを受けたことは一度もない。空にとっても、彩人と壱成の関係はごく自然なものだ。弟の目から見てもふたりはとても仲が良く、喧嘩をしているところなど一度も見たことがない。

 周囲からは遅ればせながらも、そろそろ恋愛にも興味が出てきつつある空だ。何となく、ふたりの過去に興味が湧いてくるお年頃でもある。


 ——幸せそうだもんなぁ……ふたりとも。


 ごく普通の友人のように、楽しげにおしゃべりをしている二人を何気なく眺めていると、不意に彩人がこっちを見た。
 自分とよく似た顔立ちの兄だが、空はまだまだやせっぽちで、彩人のような精悍さは持ち合わせていない。空とて、身長は163㎝まで伸びたのだが、彩人はすらりと背が高いので羨ましい。ちなみに壱成は、『空くんに背ぇ抜かれたらどうしよう』と戦々恐々している。

「累くんの飛行機、何時だっけ?」
「えーと、十四時すぎ」
「ほんとに一人で迎えに行けんのか? 空港って相当広いぞ? 迷子になんねぇ? やっぱ兄ちゃんが車で迎えに……」
「もー、大丈夫だよー! 兄ちゃん心配しすぎだって。累もそんな荷物ないって言ってたしさ」
「ならいいけど……」

 累は二学期が開始するタイミングで高校に編入するため、両親よりも一足先に帰国する。
 五年ぶりの日本なのだ、たった一人で空港に降り立たせるわけにはいかないと、空が空港まで出迎えに行くことになっているのだ。

「……ん? 空くん、ちょっと緊張してない?」
「えっ!? そ、そんなわけないじゃん! なんで俺が……」

 壱成がにやりと笑って空の顔を覗き込んでくるものだから、空は大慌てで首を振った。とん、と彩人がタブレットをダイニングテーブルの上に置き、「まぁ、なんか大物になっちゃったしなぁ」と言う。

 タブレットの画面には、とあるネットニュースが表示されている。

『若手音楽家の登竜門・ハノーファー国際ヴァイオリンコンクール最年少優勝者・高比良累、ついに凱旋帰国』という見出しだ。

 タキシード姿で、艶のある飴色のヴァイオリンを弾く金髪の少年の姿が、画面に写し出されている。伏せ目がちな目元には色気が漂い、長く白い指が弦の上を滑る様は、完璧なほどに美しい。

 これが、現在の累の姿。

 この五年、メールはしょっちゅうしていたし、折に触れてビデオ通話などはしていた。ここぞという大舞台の前には、激励の電話を入れたりもしていたものだ。だが、累がまさかここまでの急成長を遂げるとは思いもよらず、空はやや気後れしているのである。

 平々凡々と生きてきた自分と、才能を努力によって開花させ、世界から注目されつつある、累。

 累は『早く会いたい』『同じ学校に行けるの、楽しみだよ』と言っているけれど、ハイスペックが服を着て歩いているような累の隣に、自分のような凡人がいてもいいのだろうか、と。






˚✧₊⁎⁎⁺˳✧༚✩⑅⋆˚˚✧₊⁎⁎⁺˳✧༚✩⑅⋆˚˚✧₊⁎⁎⁺˳✧༚✩⑅⋆˚˚✧₊⁎⁎⁺˳✧༚✩⑅⋆˚

おはようございます、餡玉です。
本日より、『子育てホストと明るい家族計画』のスピンオフ、空と累のお話を連載します。
若者だけではなく、大人たちもちらほら出てくる予定です。
不定期更新になるかとは思いますが、のんびりお付き合いいただけますと嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします!

一話の中でちょろっと出てきていますが、
今作では三年前ほどから『同性婚』が認められている設定となっております。ご承知おきくださいませ~。
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