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琥珀に眠る記憶ー新章ー 第三幕
一、白い蛇
しおりを挟む父親が書斎として使っている平屋建ての離れ。
幼い頃から、『あの部屋には仕事に使うもんがしまってある。絶対に近づいたらあかんで』と言い聞かせられてきた。
一人息子である自分に優しくも冷たくもない、他人のような父親だ。駒形孝顕は、幼少の頃からすでに家族への関心を失っていた。
母親も母親だ。父親が長期の買い付けで海外へ旅立ってしまえば、すぐに連日のように家を開けていた。
それが初めは寂しかったけれど、幸い駒形家には数人の使用人が同居しているため、彼らが孝顕の遊び相手になってくれた。
何か複雑そうな顔をした彼らはいつも「お母様が戻られるまで、いい子で待っていましょうね」と言い、孝顕とボール遊びをしたり、将棋のさし方を教えてくれたり、お菓子の作り方を教えてくれた。
小学校、中学校と年齢が上がってゆくにつれ、父の海外出張のたびに出かけてゆく母親の行き先が、愛人の家だということが分かるようになった。
孝顕を我が子のように育ててくれている使用人たちが、こそこそと「孝顕くん、かわいそうに」「そんなに若い男のところがいいのかね」と、ひそひそ話をしているのを聞いてしまったからだ。
そして父親も、買い付けのたびに、遠い外国の地で幼い少年少女を買って遊んでいることを知ってしまった。
高校受験を意識し始めた頃、辞書を借りたくて父親の書斎に無断で入った。普段は鍵がかかっているそこだが、孝顕が幼い頃から言いつけを守り続け、書斎に近づこうともしなかったこともあり、父は油断していたのだろう。
また、国内での仕事とあって、家を開ける時間が短いことも油断を招いたのだろう。その日は、普段は固く閉ざされていたドアがいとも容易く開いた。
初めて入った父親の書斎は、確かに仕事場としての硬い雰囲気をもっていた。
デスクトップのパソコンの周りにはたくさんの書類が挟まったファイルが積まれ、ごちゃごちゃしていた。壁には何台ものファイルキャビネットが並び、そこにもたくさんの事務用ファイルのようなものが並んでいた。
ああ、本当に、父親はここできちんと仕事をしていたのだ——と、少し安堵したのを覚えている。
だが、どっしりとした木製デスクの引き出しを何気なく開き……その安堵はすぐさま軽蔑と絶望へと変わった。
分厚いアルバムが数冊仕舞い込まれていたそこには、数枚の写真が閉じられることもなく無造作に置かれていたのだ。
褐色の肌をした幼い少年の写真だった。
怯えたような瞳をしつつも、無理に微笑んでいるような口元。粗末な白いワンピースに包まれた肉体はどこからどう見ても未成熟だ。
そのスカートの裾をつまみあげ、何も履いていない下半身を撮らせている……それは、そういう写真だった。
そして、そのほかにも。褐色の肌に大きな目をした少年が、裸の尻を突き出している姿。おそらくは父親のものであろう、濃い下生えからそそり立つペニスを咥えている少年の苦しげな顔。そしてそれを、幼く小さな尻に突き立てられているものまで——
孝顕はすぐに引き出しを閉じ、書斎の外へ駆け出した。広い庭を走って、走って、つんのめって転び、そこで嘔吐した。
祖父のように頼もしく、幼い頃から孝顕のキャッチボールの相手をしてくれていた庭師が孝顕の異常に気づき……孝顕が何を知ってしまったのかということを、悟ったらしい。
「成人したら、君はこの家を出たほうがええ。駒形の家は、ずいぶん前から壊れとる」
そう、言われたのだ。
幸い、孝顕は成績優秀だ。県外の大学へ行き、そのまま外の世界へ出て行ってしまうことだってできる。
金だけはたっぷりくれる父親だ。学費も、生活費も、いくらでも巻き上げてしまえばいい。そして最後は縁を切る——それで、おしまいになる。
それだけを心の頼りに、孝顕は勉強と部活に励んだ。部活は野球部だ。小学生の頃から、なんとなく性に合って続けている。
上下関係の厳しい部だが、しっかりと枠のある規律の中で厳しく己の肉体を鍛えてゆくのは苦ではない。チームメイトたちと練習に明け暮れている間は、余計なことを考えずに済んで助かった。
17歳になり、受験もすぐそこまで見えている時期になった。
もうすぐこの家を出て行くことができるのだと思うと、勉強にも部活にも熱が入った。
そんな折……孝顕は、書斎の奥に何者かが囚われていることを知ったのだった。
+
そして今日も、孝顕はその部屋の前に佇んでいる。
父の目を盗んで、離れの合鍵はこっそり作った。書斎の奥、書庫の中に作られた小さな部屋の前で、無機質な顔をしたドアを見つめる。
そして、軽くノックをした。
中からは誰の声も聞こえてこない。だが、孝顕はそのままノブをくるりと回し、部屋の中を覗き込む。
部屋の中は、いつもしんと冷たい空気で満ちている。梅雨時だ、どこへ行ってもじめじめとした重たい湿気に包み込まれるばかりなのに、ここはいつでもひんやりと温度が低く、そして、微かに若草のような香りが漂っている。
「……また来たんですか」
ドアの前に置かれた本棚の向こうから、硬質に澄んだ声が聞こえた。孝顕はごくりと息を飲み、そのまま部屋の中へと足を踏み入れる。
アルビノ。
彼を初めて見た時、最初に連想したのはその単語だ。先天的にメラニン色素を作れない体質の人々を指す言葉である。
か細い身体に、紺色の浴衣。まるで病人のように覇気がなく、今にも消えてしまいそうに儚げな少年が、そこにいたのだ。
だが今日は、彼は——名前は司というらしい——白い開襟シャツに、黒いスラックスといういでたちをしていた。よそ行きのような格好をしている姿を見るのは初めてで、孝顕はやや面食らう。
「……あれ、どっか行ってたん?」
「ええ……まぁ、ちょっと会っておきたい者がいたので」
「……。ふーん、誰なん?」
「君の知らない人ですよ」
司はそう言って、色のない唇にわずかな微笑みを浮かべた。何やら隠し事をされたことに、どうしてか、孝顕は微かな苛立ちを覚えていた。
そこには六畳分の畳が置かれ、敷きっぱなしの布団が壁際に寄せてある。……それだけの部屋だ。他には何もない。
身の回りの世話をしてくれる誰かがいるのかと訊いてみたところ、孝顕も顔を知る古株の使用人の名前を口にして、「彼は、僕が本家からここへやってきた時から面倒をかけているんです」と言うのだ。
駒形家本家と、分家。
孝顕は本家の人々と出会ったことがないので、その存在がどういうものなのかまるで知らない。
幼い頃、使用人の誰かに「ほんけってなに?」と尋ねたことがあったけれど、「ただのご親戚ですよ」という一言で片付けられてしまった。
だが、司はその「本家」の人間であるというのだ。しかも、こんなところに押し込められている。
父の下卑た趣味を知る孝顕としては、この儚い少年が、薄汚い父親によってここに囲われているのでは——? と想像したけれど、司は「僕はこんな見た目で、しかも病気がちなので、匿ってもらってるんですよ」と、父を庇うようなことを言うのだ。
だが、疑惑は消えない。孝顕の目から見て、司はとても美しい少年だからだ。
病がちという言葉の通り、司の肉体にはあまり筋肉がなく、ほっそりとして頼りない。野球で鍛えた孝顕の肉体とは比べものにならないほどに華奢である。
弱々しい外見にはそぐわない落ち着いた口調。そして時折その灰色の瞳に滲ませる威厳のような圧……彼の正体は今だによく分からないけれど、なんとなくではあるが、司が普通の人間ではないことは薄々感じていた。
初めて顔を合わせ、唇を重ねたその瞬間から、なんとなくそんな気がしている。
「……顔色が悪いで」
「そう……かもしれませんね。久々に外に出たので」
「要るやろ? ……俺の」
「……そうですね」
じりじりと司を追い詰め、壁に手をついて囲い込む。どこか挑発的でありながら、孝顕をからかうような目つきをした司の肩をぐいと掴み、やや強引に布団の上へ座らせた。
素直に孝顕の手に従いつつ、ふと、司は小さな声でこう尋ねてきた。
「憲広さんは?」
「親父は買い付けで、二週間はここに戻らへん」
「そうですか。……なら、ゆっくりできますね」
に……と小さな唇が弓なりにしなる。
そこは皮膚が薄いのか、そこだけ赤く見えるあやしい唇。小さく舌を覗かせて妖艶に微笑む司を前に、ぐんと下半身に熱が籠るのを感じた。
初めて司と出会ったその時、前触れもなく唇を奪われたのだ。
有無を言わさぬ力で押さえつけられ、口内を思う存分舐られた。
孝顕にとっては初めてのキスだ。戸惑いのあまり司を突き放そうとしたけれど、力で難なくねじ伏せられた。
そして、孝顕の喘ぐ呼吸を飲み込むように吐息を吸われ、上顎や歯列をくすぐられ、徐々に快楽を拾い始めたキスの間に間に、滴る唾液をいやらしく舐め取られ——
「ん、っ……ふぅ……っ」
そういうことを数回繰り返すうち、今では孝顕が、司を喰らうような荒々しいキスを浴びせるようになった。
小さな唇を唇の粘膜で覆い、小さな舌と絡め合い、きつく吸い、呼吸を乱す司の口内を舌で暴く。
時折顔を話してその表情を見つめてみると、司はいつでも、白い頬をほんのりと朱色に染めて、赤く濡れそぼった唇を物欲しげに開いている。
赤く淫靡に艶めくそこへ誘われるように舌を突き挿し、狭い口の中をめちゃくちゃに掻き乱す。
「ぅ、んっ……ン、ふっ……ん」
「っ……!」
ぎり……と背中に爪を立てられ、痛みと快楽が混線する。荒い呼吸をしながら諌めるように司を睨むと、司はうっとりと淫らな笑みを浮かべてこう言った。
「……おいしい……」
ぞくぞくぞく……と、腰から背筋を駆け登るのは興奮だ。この美しい少年を、めちゃくちゃに犯し尽くしてしまいたい——そんな欲が暴れそうになる。
だが、そうして性欲が高まると、孝顕の脳裏に浮かぶのは、褐色の少年の写真だ。
ここで欲望のままに動いてしまえば、自分は、軽蔑する父親と同じ獣に成り下がる——そんなふうに思ってしまう。
奥歯を噛み締めながら、目を閉じて欲望を噛み殺そうとしている孝顕に、司はいつもこんなことを言う。
「君は、父親とは大違いなんですね」と。
その言葉を聞くと、心の底からホッとした。
自分がどんな顔をしているのは分からないけれど、司はいつも、どこか慈愛に満ちたような目つきでこちらを見つめる。
そうして司は身を乗り出して、毎回のように孝顕の昂りを口の中へと迎え入れる。
硬く硬く張り詰め、どくどくと雄々しく脈打つそれに舌を絡ませ、あまつさえ喉の奥まで全てを使って、若い欲望を鎮めてくれる。
そして最後の一滴まで飲み干して、管の中に残った白濁をも吸い尽くし、司は満足げに舌なめずりをする姿は、さながら白い蛇のよう。
美しく滑らかな身体をくねらせながら孝顕を貪る、白い大蛇だ。
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