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琥珀に眠る記憶ー新章ー 第二幕
十、恋について
しおりを挟む「ひ、引きませんよ、そんな……!」
「無理せんでもいいで。急に言われたらびっくりするやんな」
と、舜平がからりと笑っている。自分がおかしな反応をしてしまったせいで珠生と舜平が傷ついてしまったのだと思った薫は、大慌てでブンブン手を振った。
「お、男同士だって女同士だって、もちろん異性同士だって、恋をするって素晴らしいことだと思うんです!! ぼ、僕はまだ誰とも恋愛したことがないので、憧れるっていうか……」
「え、お前そーなの?」
珠生のもの悲しげな顔を、何とか晴れたものにしたいがために、わたわたと口にした言葉だったが、深春がこっちに反応した。がしっと首に腕を引っ掛けられ、うりうりと脇腹を拳でくすぐられた。
「えっ、ちょ、何……?」
「そうかそうか、お前は恋愛未経験者なんだなぁ」
と、深春が深く頷きながらそう言った。湊も眼鏡をきらんと光らせながら、薫のことを見つめている。
「そっ……そうだけど何だよ! 悪い?」
「いいや、全然悪くねーよ。そうかそうか、お前純情そうだもんなぁ。京都にはいい女いっぱいいるから、恋愛も楽しめな!」
と、深春が白い歯をきらめかせ、ぐっと親指を立てた。薫は真っ赤になりながら、「そんな目的で京都に来たわけじゃないから!!」と喚く。
「まぁまぁ、いいやんいいやん。ま、とにかくまずは乾杯しよや」
と、舜平がおおざっぱに場をまとめて手を打った。そして舜平は、それぞれが手にグラスを持ったことを確認すると、自分もグラスを高く掲げた。
「ほな、薫の健やかなる京都生活と、素敵な恋を願って、乾杯!!」
「え、あの、恋はべつに……」
「乾杯~!」
それぞれに皆はビールで、薫はコーラ。それぞれにグラスを軽くぶつけあったあと、ぐっと喉に流し込む。しゅわしゅわと気泡の立つコーラの刺激で、萎縮気味だった気分が少し薄れたような気がした。
「で、珠生くんと舜平は、いつからここに住んでんの? 家めっちゃきれいじゃん。びびるわ」
と、うまそうに喉を鳴らしてビールを飲み干したあと、深春は気軽な口調でそう尋ねた。珠生と舜平は顔を見合わせて、「えーと」と言った。
「まだ一ヶ月とかそんなもんやで。先生……珠生の親父さんに反対されたりもしとったし」
「ええ? そうやったん?」
と、湊が驚いている。珠生はもぐもぐと自ら作った料理を頬張りながら、「まぁ、なんとか解決できたけど」と言った。
「そっかぁ……俺の知らない間に、色々あったんだな」
と、深春は両手で頬杖をつきながら、珠生の琥珀色の瞳を見つめた。珠生はちょっと苦笑して、「ごめん、なかなかちゃんと説明できなくて」と言う。
「いやいや全然! でも良かったじゃん。二人ってさ、前世からそういう仲だったんだろ?」
「えっ……そうなんですか?」
と、薫は二度目の仰天だ。
舜平はビールをくいっと飲みながら頷き、ぽん、と珠生の頭に手のひらを乗せた。
「まぁ、前世では色々あって一緒になられへんかったからさ。現世でこうやってこいつと暮らせるようになって、俺はめっちゃ幸せやで」
「ちょ……舜平さん……」
照れることも隠すこともなくそう言い切る舜平の潔さに、薫は思わず拍手をしそうになってしまった。だが、珠生は頬を赤らめて怒ったような顔をしているので、本当に拍手をすることだけはなんとか避けた。
「いやマジでめでてーじゃん! なぁもう一回乾杯しようぜ? 珠生くんと舜平の結婚祝いってことで!!」
「いや別に結婚はしてないから」
と、珠生はクールだ。男らしくビールを飲み干す。
「そっか。じゃーなんだろ。同居祝い? あ、新居祝い!! かんぱ~い!!」
「ははっ、ありがとな、深春」
と、再び皆でグラスをぶつけ合ったあと、薫はようやく料理に箸をつけた。
珠生が作った料理はどれもこれも美味しくて、慣れない訓練の後で疲弊した身体に染み渡る。ついついぱくぱくと箸が進んでしまう。それを見ていたのか、珠生のほうがらこんな声がかかった。
「薫くんは酒飲んでないし、ご飯いる?」
「えっ、あっ……じゃあ、お願いします」
「ちょっと待ってて」
そう言って立ち上がりてきぱきと冷凍ご飯をチンしている珠生の甲斐甲斐しさに、薫は感嘆のため息を漏らした。レンジの唸り声をかすかに聴きながら、薫は舜平に話しかけた。
「珠生さんて……すっごく料理上手いんですね」
「おう、せやな。俺のおかんよりも料理上手やで」
「へぇ、すごい……!」
「お前は早々に胃袋つかまれとったもんなぁ、舜平」
と、正座の湊がそんなことを言う。
ほろ酔いで「めでたい」を連発する深春を中心に、四人はしばし和やかに食事を取った。祓い人である薫がその場にいることに対して、珠生らは何ら頓着していない様子だ。
高校、大学生活のこと、宮尾邸での暮らしぶりなど、皆が自然に会話を振ってくれるため、薫もだんだん楽しくなってくる。そのうち。今日の訓練ではまるで冴えたところがなかったことなど、薫は自ら口にしていた。
また、珠生の独特の『力』についても説明を受けた。霊気・妖気・神気の三つを持っていることについてだ。
半妖だった前世のこと、霧島山に棲む鳳凛丸という妖のこと……これまでのことをかいつまんで説明するのは湊と舜平で、その二人を横に、珠生はただ給仕にいそしんでいたのだが。
そうしてしばらく、ほっこりとした雰囲気の中で談笑していた四人であったが、唐突に珠生のスマートフォンがけたたましく鳴りだした。
珠生はすぐに電話を取り、誰かと短いやり取りを交わしている。舜平と湊が真剣な表情で珠生を見守っている様子を見て、何やらただごとではない気配を感じた。
「ちょっと出て来る。また御所に大きいのが出たらしい」
と、珠生はスマートフォンをポケットにしまいこみ、スッと立ち上がった。珠生が出かける支度を始めている中、薫は中腰で皆を見回す。
「ひ、一人で行かれるんですか……?」
「いや、別働隊と合流だ。あと二分ほどで迎えが来る」
「あ、そ、そうなんですね……」
実戦経験のほとんどない薫にとって、妖退治に出向く珠生の姿は、これから戦地に赴く兵士のように見える。だが、舜平たちはいたって平静なものである。
その時、珠生はふと、薫を見た。
「……薫くん、見学に来る?」
「……えっ……?」
「俺は今から妖を斬る。これは訓練じゃない。現場を見ておくのも、今後のために必要だと思うんだ。……どうする」
「あ……」
研ぎ澄まされた珠生の眼差しが、じっと薫に向けられている。目を逸らすこともできないほどに、琥珀色の瞳は美しい。
薫はごくりと息を飲み、導かれるように頷いていた。
「……い、行きます」
「よし。すぐ出るよ」
「は、はい!」
勢いよく立ち上がる薫を、深春がじっと見上げていた。どことなく心配そうな目つきである。だが薫と目が合うと、深春は唇にニッと笑みを浮かべて、軽い口調で「頑張ってこいよ」と言った。
「う、うん……!」
「気ぃつけてな。あんまり無茶苦茶やったらあかんで」
と、身支度を整えた珠生と薫が玄関へ向かっていると、背後から舜平がやってきて、声をかけた。珠生はスニーカーを履きながら舜平を振り返り、こくりと頷く。
「薫も、今日は見てるだけでいいから。無茶すんなよ」
「あ、は、はい!」
「行こう」
くいと袖を引かれ、薫は珠生とともに部屋を出た。ついさっきまで和やかに流れていた時間が唐突に緊張感を持ち、ばくばくばくと鼓動が早まる。
また珠生と二人、という状況も、薫にとっては緊張を高める要因である。何を喋っていいのか、むしろ喋らないほうがいいのかが分からず、そわそわと挙動不審になってしまう。
エレベーターの中、薫が一人でやきもきしていると、不意に珠生が口を開いた。
「……ごめん」
「えっ!? な、何がですか!?」
珠生は前方を向いたまま、薫を横顔で振り返る。胡桃色の長い睫毛に縁取られたあの瞳で見据えられ、薫の背筋はピンと伸びた。
「……俺、ただでさえ人見知りなのに、今は妖気が優ってるから、なんかこう……怖い、だろ」
「え……、い、いえ、そんなことは……」
「この一件が落ち着いて元に戻れば、多分もっとマシだと思うから。その……色々先に謝っておくよ」
「そ、そんな! お、おお気になさらないでください!! 僕は大丈夫ですかから……!!」
「……」
わたわたと薫がそう言うと、珠生は横顔のまま、ふっとかすかに微笑んだ。
ほんの少しの薄笑みだが、そうして笑みを見せてもらえるだけで、まるで天にも昇ってしまいそうに高揚してしまう。
薫はぐっと拳を握りしめ、エントランスから夜の街へ出て行く珠生の背中を追った。
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