琥珀に眠る記憶

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琥珀に眠る記憶ー新章ー 第二幕

二、奈良の空気

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 同日、午前九時。
 朝一番で京都事務所にてミーティングを行った後、珠生・湊・舜平の三人は、奈良市にある東大寺を訪れていた。京都市の中心部から奈良市までは、車で約一時間の道のりである。

 東大寺は県庁からもほど近い場所にあり、この界隈は奈良県の文化の中心だ。
 春日大社、奈良公園、奈良国立博物館、洒落た町家が並ぶ『ならまち』など、広々としたエリアに様々なみどころがあり、どの季節も観光客で賑わっている。
 加えて、奈良といえば、鹿も有名である。神のお使いとして大切に保護されてきた鹿たちが、奈良公園や若草山のあちこちで悠々と過ごす姿は、様々なメディアでも紹介されてきた風景だ。

 奈良公園の南に広がる春日大社、そしてそのさらに奥に広がる春日山原始林は、世界遺産にも指定される深い深い森だ。古来、春日大社の神山として信仰の場であったため、ほとんど斧を入れず、九世紀頃には禁伐令が出されるなど、積極的な保護がなされて原始性を保っている。

 奈良の地に降り立った瞬間、珠生は春風の中に霊威を感じた。いにしえから守り続けられてきた地の匂いには、今もなお生き続ける神の気配を感じることができる。悠然と広がる森、泰然とした妖の気配、太古の自然の香り……珠生は風をいっぱいに胸に吸い込み、ゆっくりと息を吐いた。

「あぁ……気持ちいい。走りたい。あっちの方、すごく山が深そうだね」
「諦めろ。春日山原始林にはハイキングコースがあんねんけど、あいにく今日はそっち行く余裕はない」
と、ビシッとブラックスーツに身を包んだ湊が、スマートフォンを操作しながら淡々とそう言った。気持ちいい気分をズバッと斬られ、珠生はむうっとふくれっ面をした。

「分かってるって。感想を述べただけだし」
「それに、俺らが今日行くのは正倉院やからな。人間相手の仕事やねんから、気ぃひきしめろよ。地元局のカメラも来るらしいから、お前はあんま目立たんようにしなあかんで。ほれ、伊達眼鏡持ってきてやったから、これかけへん? もっと髪もおとなしく撫で付けて……」
「分かってる、分かってるってば! もう、いちいちうるさいな」
「……そんな邪険にせんくてもいいやん」

 過保護な母親よろしく珠生の世話を焼こうとする湊の姿に、舜平が笑っている。

「てか、そこまでする必要ある?」
「俺たちは影からこの国を守る存在や。お前がチャラチャラ目立ってたら気ぃ散るやろ」
「チャラチャラってひどくない? 別に俺、全然チャラチャラしてないじゃん」
「黒いスーツに、お前の顔と茶髪は目立つねん。最近はすぐSNSで拡散されるからな……」
「そう言われても……」
「いっそのこと、黒染めしたらどうやろ」
「えぇ? いやだよ」
「まぁまぁまぁ」

 湊に格好をいじられて閉口している珠生の背中を、舜平がぽんと叩いた。珠生の目には、長身の舜平のほうが断然目立ってしまいそうに見えるのだが、舜平は普段通りの涼しい顔である。

「ほれ、あんまりのんびりしとる時間ないで。正倉院までは距離あるし、打ち合わせもあんねんで? ほれ、行くぞ」
「おお、せやな……行くか」
「まったく……」

 湊に髪をボサボサにされてしまった珠生は、ため息をつきつき二人の後に続く。
 今日は年長の(と言ってしまうと殴られそうだが)葉山が同行する予定であったのだが、あいにく体調不良であるらしく、急遽、手の空いていた湊が同行することになったのである。この面子で行動すると昔が懐かしくなってしまい、ちょっと気が緩んでしまうのもまた事実だ。


 正倉院は、東大寺の北に鎮座している。
 今回開催される国宝展では、奈良にある正倉院からの秘宝も展示されることになっている。正倉院は奈良時代以来の天皇家が所有してきた宝物を収蔵する倉であることから、管理は宮内庁の管轄なのだ。

 そして今日は、国宝展に並ぶ宝物を取り出すための、『御開封の儀』が執り行われる。

 正倉院の開扉には勅許(天皇の許可)が必要となっており、勅封倉と呼ばれているのだ。古からの宝物が美しい姿形のまま残されているのは、勅封制度によってみだりに開封することがなく、手厚く保護されてきたことに負うところが大きいといえるだろう。

 また建築の上からみると、防虫生・通気性に優れた檜材を用いていること、また高床式の構造であることが、宝物の湿損や虫害を防いでいる。さらに倉の中において、宝物はこの庫内で辛櫃(からびつ)に納められている。このことは櫃内の湿度の高低差を緩和し、外光や汚染外気を遮断するなど、宝物の保存に大きな役割を果たしてきた。

 正倉院といえば、木造校倉造りの国宝「正倉せいそう」が有名だが、宝物は現在、鉄筋コンクリート造りの東西両宝庫に収蔵されている。こちらも同じく勅封倉であり、ここを開くには、天皇の許可が必要なのである。

 珠生らが現場に到着すると、そこにはすでに多くの警備員や政府関係者、そして宮内庁関係者が闊歩していた。
 その中に、以前、藤原と東京出張をした時に顔を合わせた宮内庁職員・新木あらきを見つけた珠生は、舜平と湊を伴ってそちらに歩を進めた。

「新木さん、お久しぶりです」
「え? ああ、沖野くん」

 新木は藤原と同世代であると聞いている。藤原と同様に、新木の外見は年齢不詳なほどに若々しい。中肉中背だが、姿勢には芯があり、顔立ちは俳優のように凛々しい男前である。しかしその身にまとう厳格な空気は、近づくものをそこはかとなく緊張させる。

 だが、東京出張中の懇親会において、古典文学や武道について話が合ったことから、珠生は新木と懇意になった。とっつきにくい外見や硬い口調のわりに、気の優しい男なのである。

「藤原くんとは昨日電話で話したよ。君たちは警備担当だそうだね。よろしく頼みますよ」
「はい、よろしくお願いします。今回新木さんは、勅使として?」
「いや、私はただの付き人兼ボディガードさ。勅使はもっとお偉い人間の役目だから」
「あ、聞きました。この間の記念武道大会、皇宮警察を率いて優勝されたんでしょう? すごいですね」
「まぁ、ね。早く君とも対戦してみたいところだ。有名だよ、君、見た目に反してすごく強いんだってね」
「いえ、そうでもありません……」

 軽く世間話を交わした後、新木は打ち合わせに呼ばれて姿を消した。珠生も警備の打ち合わせに参加するべく、再び舜平らの元へ戻っていった。すると、湊と舜平がもの珍しげこちらを見ている。

「え、なに?」
「お前、えらいいかつい人と仲ええんやな」
「結構いい人だよ。舜平さんが入る前の東京の飲み会で、ちょっと話が合ったんだ」
「へぇ、お前にも社交性というものが身についてきてるんやなぁ……そうかそうか」
「うるさいな」

 しみじみと、一人頷いている舜平である。それを見て、湊がちょっと笑った。

「舜平、喜んでていいんか? もっと危機感持っといた方がええんちゃうの。あの人、独身やろ」
「え、そうなん?」
と、舜平の目つきが変わる。
「バツイチって言ってたけど。……ていうか湊、余計なこと言わないでよ。舜平さんにいちいち危機感持たれてたんじゃ、俺、友達全然できないじゃん」
「あっ、それもそうやな」
と、湊がわざとらしく口もとを押さえている。舜平は無言で、歩きながら湊の尻を膝で蹴り上げた。

「いてっ。何すんねんドアホ」
「お前ら、もっと緊張感持たんかい。それに、いちいち危機感感じてたら、こっちの身がもたへんわ」

 皇宮警察官らとの合同訓練において、珠生と組手をする巨漢の男たちが嬉しそうに投げ飛ばされてゆく様を、散々目の当たりにしてきた舜平である。最初は多少ならず抵抗があったらしくブツブツと小言を言っていたものだが、今はそれにも慣れてきたらしい。

 そういう話を湊相手に語っている舜平の声を耳にしながら、珠生は無言のまま、二人の前をスタスタと歩いた。

「なるほどね、舜平にもついに余裕が出てきたんやな」
と、湊。
「ま、そういうことにしといてくれ」
「……」

 やがて三人は、警備に当たる警察官らがたむろしている一角へと到着した。
 先頭きってそこへ合流してきた珠生の姿を見て、奈良県警の警察官らがざわっざわっ……とざわめいている。後ろから、舜平のため息が聞こえてきたが、珠生は敢えてキビキビとした動作で一礼し、声を張って挨拶をした。


「お疲れ様です。宮内庁特別警護担当課より、警備協力に参りました。本日は、どうぞよろしくお願いします」
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