琥珀に眠る記憶

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琥珀に眠る記憶ー新章ー 第一幕

二十七、藤原の語る過去

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「佐為に聞いたらしいね。駒形家が陰陽師衆の中でどういう立場なのかということは」

 L字型の黒いソファに若者を座らせ、藤原は一人、ダイニングチェアをリビングに持って来て腰を下ろした。大きなソファであるから、成人男子四人座っていても、ゆったり寛げるほどに広々している。

 ソファの前に置かれたテーブルの上には煎茶で満たされた清水焼の湯のみが並ぶ。藤原はしばし、そこから立ち上る湯気に過去を見ているような目つきで黙っていたが、ようやく口を開いて語り始めた。

「駒形司……あの人の死は、私のせい、なんだ」
「え……?」
と、珠生が小さく声を上げる。藤原はちょっと珠生を見て弱々しく微笑むと、一つ溜息をついてさらに続けた。

「駒形さんは、私の二年先輩でね。彼は技術部に籍を置いていたけれど、霊力自体もすごく強くて、しばしば現場にも顔を出すタイプの珍しい術者だった。入庁当時から色々と面倒を見てもらっていたものだ」
「技術部? あぁ、そこで新術を考えてはったってことですか?」
と、技術部所属の湊が意外そうな声でそう言った。

「そう。二十二で入庁した時、あの人は二十四歳。この間貴船に現れた時は少年のような姿だったが、当時の身長は170前後、黒髪をいつもきちんと整えていて、品のある外見をしていた。年齢の割には若く見えるタイプだったかな。どちらが先輩だか分からないな、とよく皮肉を言われたよ」
「さすが藤原さん、二十年前から落ち着いてはったんですね」
と、湊が言う。藤原のややこわばった表情を見て場の空気が重くなりそうな気配を察知したのか、少し気分をほぐそうとしているようだ。

 湊の考えに気づいているのか、藤原はいつものように微笑んで「まぁ、当時の私はすでに記憶を取り戻していたからね。二十二にしては老けていたかもしれないなぁ、あはは」と軽く笑った。

「藤原さんて、いまおいくつなんでしたっけ? すみません、ちょっといろいろ計算が……」
と、珠生は小さく手を挙げて尋ねてみた。実はずっと気になっていたのである。
「私は四十七歳だよ。八月に四十八になる」
「え? そうなんですか? すごく若く見えますよね」
「ははっ、ありがとう。若い者に囲まれてるからかな、おかげさまで老け込む余裕もないよ」
と藤原は笑い、唇に笑みを浮かべたまま、先を続けた。

「駒形さんはね、二十四という若さで、当時の特別警護担当官を率いるような立場にいた。力の強さもさることながら、理路整然とした物言いといい、逞しい行動力といい……当時の私から見ても、あの人はすごくカリスマ性に富んでいて、かっこいい男に見えたものだった」

 藤原はそう語り、過去を懐かしむように目を伏せた。どこか遠くへ想いを馳せるように。

「そういう人だったからこそ、宮内庁職員たちは、吸魂憑依の術などの危険な術にやすやすと手を出した。駒形さんが言うのなら間違いない、これでいいのだと、盲信的に彼のあとを付き従う術者もたくさんいてね。私も一瞬はそうなりかけたものだったが、でも、あの人の考案する術のひとつひとつに、私はひどく背筋の寒い思いをしていた。あの人の強さに憧れる一方で、危険な方向に流れていきそうになる組織の体制にも疑問を抱いていた」

 今とはまるで雰囲気の違う、かつての宮内庁の内情。じっと藤原の声に耳を傾けているうち、珠生の脳内には在りし日の駒形司の姿が浮かび上がって来るような気がした。

「ある日駒形さんは、私に声をかけて来た。『悩みがあるなら聞きますよ』と。率直にこの組織の方向性について疑問を投げかけたいと思ったが、それは同時に駒形さんを否定することにもなる。だから私は迷っていた。……でも、あの人は私の迷いについてもすべて看破していたようで、すらすらと私の心のうちを読んでいるかのようなことを言った。否定もできず、取り繕うこともできなかった私に、駒形さんは言ったよ。『僕は、君のように、まっすぐで賢い術者が来るのを待っていたよ』と『さすがは、藤原業平の生まれ変わりだ』とね」
「業平様は、ご自身が転生者だということは隠したはらへんかったんですか?」

と、舜平が尋ねる。藤原は頷き、「うん。私は中学生の頃に記憶を取り戻していたんだが、その頃から宮内庁にマークされていたからね。……まぁ、この辺の話は話すとまた長いから、また今度」と言う。

 珠生としては、藤原がどういう経緯で記憶を取り戻し、どういう生き方をしてここまできたのかということが気になってはいたが、それは今尋ねるべきことではないと思い、口をつぐんだ。

「その言葉の真意は今もよく分からないが、あの人はその時から、私には特に目をかけてくれるようになったように思う。若手を連れてゆくには危険な現場にも、いつも私を伴った。てっきり、『こう言う危険な現場には、危険な術で対抗すべきだろう』ということを理解させるためだと思っていたが……あの人は何も言わなかった。ただ、非情に敵を打ち倒したあと、私を振り返ってこう言うんだ。『君が感じたことを、よく覚えておくといい』『僕を非道だと思うならそれでもいい。ただ、僕は僕のやり方を変える気は無い』と」

 これまで穏やかだった藤原の表情が、やや翳りを帯びた。藤原は窓の方へ顔を向け、横顔を見せながらさらに語った。

「その後二年も経つと、あの人の考え出す残虐な術の数々のせいで、身体を壊したり精神を傷める術者も出て来てね。彼のやり方を極悪非道だと罵り、反発する派閥も生まれ始めていた。私は、どちらの派閥にも属さなかった。属せなかった、というべきだろうか。駒形さんと過ごす時間が長くなるにつれ、あの人の強硬さには、何かのっぴきならない事情があるのではないかと感じるようになっていたからだ。私のそういう直感について、駒形さんはいつも『さぁ、どうかな』と微笑んではぐらかすばかり。結局最後まで、あの人が何を考えて生きていたのか、わからないままなんだよ」

 部屋の中に差し込んでいた陽の光が一瞬途切れた。どうやら、分厚い雲が太陽の前を横切っているらしい。にわかに陰を孕んだ部屋の中はしんとして、空調のかすかな音だけが、その場に薄く揺蕩っている。

「そうこうしているうち、あの人が死に至るきっかけとなった事件が起きた。私は当時、祓い人の起こした事件に関わっていてね、しばしば能登へと出向いていた」
「事件、ですか?」

と、湊。藤原は重く頷く。

「人の手がほとんど入っていない北陸地方の山間部を開発し、積極的に企業誘致しようとしていた政治家の一家三人が、祓い人によって暗殺されるという事件があった。祓い人は暗殺を請け負って式を飛ばすことを生業とすることも多いが、あの一件に関して、首謀者は他ならぬ祓い人だった。自分たちの殺意のために、霊力を使い、人を殺めたのだ。決して、あってはならない事件だった」

 それまでは存外柔らかな表情を浮かべていた藤原だったが、そこからふっと、表情が翳った。珠生はごくりと息を飲みながら、やや前のめりになって藤原の話に集中する。

「彼らの言い分によれば、その政治家はね、行政の支配下に入ろうとしない祓い人の集落を制圧しようとしていた、というんだ。自分たちの存在を疎ましく思っているのだと。まぁ、確かに不気味ではあるだろうな。古くからの因習に執われたまま、外とほとんど交流せず、隠れるようにして暮らす異能力集団なんて……そりゃ、誰だって不気味に思うに決まっている。
 だが、その政治家は交渉の場を求めていたようで、高圧的に彼らを支配しようとしていたわけではないようだった。が、祓い人らは、その政治家を家族丸ごと殺してしまった。『ここいらの山を荒らされたら、我々の狩場がなくなるだろう』と。そしてこうも言った、『宮内庁おまえらにとっても好都合だろう。山の妖が騒がずに済んだのだから』と」
「……その頃から、勝手なことばっかりやってたっちゅうわけですね」
と、舜平が苦い声を出す。珠生はそっと、その横顔を窺ってみた。眉間に刻まれた皺が嫌悪感を物語っている。

 藤原は一つ頷き、続けた。

「当然、祓い人への対応は宮内庁に回ってくる。我々は祓い人の里に趣き、政治家を殺害した妖を所有する術者への処分を言い渡した。宮内庁へ出頭し、殺人についての処罰を受けよと。しかし、彼らはそれを拒否した。どうして国家の犬にそんなことをされなければならないのか、と里長さとおさは我々を責めた。
 ……ちなみに、当時の里長は水無瀬菊江の祖母。舜平くんは会ったことがあるね」
「ああ……あのばあさんですか。そんな昔から……」
「そう。彼女も今は、年齢のせいでほとんど起き上がることのできない身体となったが、二十年は眼光も鋭く、背筋もしゃんとしていてね、威圧的な雰囲気が印象的だった。いかにも老獪な雰囲気を漂わせていて、睨まれると身体の芯が竦みそうになるような」
「そうなんや……」

と、舜平があの日を思い出すように目を伏せた。

「何を言っても応じない相手にしびれをきらしたのか、その時我々を率いていた年かさの術者は、様子見ではなく戦闘を選んだ。無理矢理にでも、術者をひっ捕らえてしまおうとしたんだ。そこにいた宮内庁の術者は私を入れて五人。駒形さんは嬉々として、容赦無く祓い人を攻撃した。それはもう……見ていておぞましくなるような術さえ使って。
……里長はとっくに逃げていたが、幾人かの祓い人は、見るからに命に関わる重傷を負っていた。血に飢えた妖や陰陽術の入り乱れる複雑な戦闘となり、こちらにも負傷者が出た。……私は、正直かなり不安になっていた。このままでは、双方に死人が出てしまう。それだけは、何としてでも避けたい事態だ。だから私は、その場を何とか収めようと努めた。暴走気味だった駒形さんを抑えながら、祓い人の術をなんとか防ぎ、対話を勧めようと……それが、甘かったんだ」
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