琥珀に眠る記憶

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琥珀に眠る記憶ー新章ー 第一幕

七、鞍馬へ

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 この事実を誰にも言えなくて、ずっとずっと苦しい気持ちを抱えていた。自ら鞍馬山へと探しに出かけようかとも思った。しかし、大人達は宗喜の行方不明を誘拐事件として捉えている様子で、どこの親も子どもたちの外出にひどく敏感になっていた。

 宗喜が誘拐され、怖い思いをしているのではないかと想像するたび、吐き気を催すほどに不安になった。一週間が経ち、二週間が経ち、それでも事件になんの進展もなく、学校内では宗喜がすでに殺されてしまったのではないかという噂さえ流れ始めていた。その話を聞くたび、真理亜は吐き気を催しトイレに駆け込んでいた。申し訳なくて、恐ろしくて、泣きながら吐いていた。


 しかしそれから程なく、宗喜はひょっこり戻ってきた。


 しかも、まるで魂が抜けてしまったように、虚ろな表情で。


 真理亜はホッとした。早く宗喜に謝りたくて、早く学校に来ないかとそわそわしていた。だが、再び教室に現れた宗喜は、まるで空っぽの人形のようで、真理亜はまたひどくショックを受けた。

 外傷などは見当たらなかったけれど、誘拐犯に何かひどいことをされて精神を病んでしまったのだと、真理亜は思った。他ならぬ自分のせいで、宗喜の心は死んでしまったのだと。

 だから真理亜は、ずっと宗喜のことを気にかけ続けた。折に触れて声をかけ、教室移動のときに宗喜がぼんやりしていたならば声をかけ、一緒に行動した。周りの児童たちが宗喜の変化に怯える中、自分だけは態度を変えてなるものかと。


 そうしているうち、真理亜は霊的なものを見るようになってしまった。
 初めはぼんやりとした影のようなものだったが、それは次第にくっきりとした輪郭を持つようになっていったのだ。

 脅かされる恐怖と、信じたくないという想いの間で、真理亜は疲弊していた。宗喜への罪悪感に押しつぶされそうな毎日にも、限界を感じていた。誰にも話せなくて、つらくて、孤独で……。


 そして、あのレクリエーションの日。


 目の前で流れているアニメ映画の中にはのんびりとした日常が描かれていて、真理亜の心とはあまりにも掛け離れた穏やかさだった。かつては自分もそういう日常にいたはずなのに、今はどうしてこんなにも毎日が重く、苦しいものなのだろうかと、心が壊れてしまいそうに苦しかった。

 何も知らない友人達、何も見えない友人達……のほほんと毎日を過ごすクラスメイト達が憎たらしくなった。憎くて憎くて、たまらない気持ちになった。どうしてこんなことになったのか、どうして自分ばかり、どうして、どうして……と暗澹たる思考が真理亜の脳内を占拠したその時、彼女はふと、宗喜の横顔を見た。


 その時初めて、宗喜はすでに人ではないものになってしまっているのだと、なぜだか唐突に気がついてしまった。


 猫背気味にそこに座る宗喜の横顔からは、人ではないものの匂いがあふれていた。そこに宗喜の心はない。『崎谷宗喜』としての形はここにあるけれど、そこからはもはや人としての息吹を感じられなかった。


 その時唐突に思い出したのが、地元の老婆の語った『鞍馬の鬼』の話だ。


 宗喜は鬼にさらわれて、きっと喰われてしまったのだ。
 じゃあ、ここにいる宗喜は一体、なのか……と。
 

 次の瞬間、真理亜は絶叫していた。
 恐ろしくて、おぞましくて、罪の意識に心が張り裂け、これまでの負の感情が一気に爆発した。



 +


「五條さんは彼女に忘却術を施し、併せて彼女の霊力を鎮静させたんやて。三上真理亜は潜在的な霊力も強いわけじゃなかったから、彼女の肉体と精神が、突発的に高まった霊力値を受け入れられへんかったらしい。……この子も大変やったみたいやけど、これで日常に戻れそうやな」
と、湊は終始淡々とした声で、報告を終えた。

「じゃあ……体育館で崎谷くんが何かしたわけじゃないんだね」
と、珠生。彰は小さく頷きつつ、「おそらくは、恐怖や罪悪感などの負の感情が、彼女のキャパシティを超えてしまったんだろうな。そしてりょく暴走。停電やラップ音は、彼女が引き起こしたポルターガイスト現象だろう」
と、彰が言うと、珠生は湊を振り返って、「異能力感知システムには、その反応出てないの?」と尋ねた。

「んー……今、その日の検出データ確認してるところやねんけど……。ほんまに微かな反応しか感知できてへん。この程度じゃ人は動かせへんなぁ……」
と、湊は悔しげに眉を寄せている。
「上限と下限のバランスを整えたほうがよさそうだね。難しいところだが……」
「そうなんすよね……」

 湊と彰がラップトップを覗き込んでもぞもぞと話し合いを始めた頃、四人の乗る公用車は、叡山電鉄鞍馬駅前に到着した。

 鞍馬駅前には駐車場がある。紅葉シーズンとは若干ずれているため、駐車場は思いの外空いていた。しかも時刻はすでに十六時過ぎ。そろそろ山は暗く翳り始める時間であるため、人の気配はまばらだった。

 駐車場には、真っ赤な顔をした天狗の大きなモニュメントがあり、『ようこそ天狗の町、鞍馬へ』と書かれている。厳しい顔に、にゅっと突き出した長い鼻には愛嬌も感じられるが、山の影を背負う天狗の表情はどことなく不穏で、不気味さを感じずにはいられない。

 四人は連れ立って鞍馬寺の方へと歩き出した。この時間に黒いスーツの四人組というのはやたら景色から浮いているが、ひと気が少ないことが幸いである。

「さむ……」
と、珠生はひとり、ぶるりと震えた。寒がりの珠生にとってスーツ用の薄手のアウターを着ているものの、十二月の山の気候はひどく堪える。そんな珠生を見て、舜平はポケットから黒い手袋を出し、珠生に手渡した。

「これ、使っていいで」
「あ……ありがとう。でも、寒くない?」
「俺は大丈夫や。しかしお前、あいかわらず寒がりやな」
「こればっかりはどうしようも……大きい」

 舜平から借りた手袋は、珠生の手にはぶかぶかだった。薄手ではあるが合皮製で、内布は柔らかな素材で覆われている。冷えた外気からふわりと守られているような感覚が心地よく、なんだかとてもほっとした。

 道の脇に並ぶ土産物屋はそろそろ店じまいの時刻であるらしく、道を歩いている人間は誰もいない。うすら寂しい道を歩いていると、やがて鞍馬寺石段が見えてくる。

 階段の脇には丹塗りの灯篭が立ち並び、その先には仁王門がそびえている。くすんだ朱色で彩られた仁王門を見上げながら、四人は石段を登っていった。

 鞍馬寺の成り立ちは、奈良時代末期に遡る。宝亀元年(770) 鑑真和上の高弟・鑑禎上人が鞍馬山にて鬼女に襲われたが、その危機を毘沙門天に助けられた。その出来事により、鑑禎上人は鞍馬の地に、毘沙門天を祀る庵を編む。
 その後、藤原伊勢人ふじわらのいせんどが鎮護国家の毘沙門天と慈悲の観音千手観音を併せ祀り、鞍馬寺を建立したのだといわれている。

 毘沙門天は悪鬼を払い、仏法を守護する存在である。悪を退散させる力が知恵・勝利・出世を招くともいわれ、武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康などの武将たちは、こぞって鞍馬寺で戦勝祈願を行った。また当時、鞍馬寺の僧兵は少数ながらも、比叡山の僧兵よりも勇猛だと讃えられていた。

 武神の存在を感じさせる鞍馬寺の空気のせいか、珠生の中に眠る鬼妖の血が、ふつふつと騒ぎたてるような感覚があった。

 千珠は、戦闘種族の鬼・白珞族の一人だった。白珞鬼は武運に恵まれた武将を見極め、力を貸し与える存在だ。一部の武将らは、白珞鬼は毘沙門天の眷属であると崇めていたものである。

 それゆえに、戦国時代はしばしばその力を武将達に求められていたものだった。千珠もまたその力を求められ、青葉の武将・大江光政に力を与えた。
 半妖であった千珠は、あの戦以降、様々な葛藤に苦しめられるようになった。しかしまた一方では、行き場のない千珠が居場所を得るきっかけともなった出来事でもあった。


 しんと冷えた山の空気を胸に吸うたび、過去の記憶が珠生の中に蘇る。
 しかし、今は仕事中だ。気を抜けば、あの時代の過去に囚われそうになる心を叱咤して、珠生は三人の背中を追った。


 寺の営業時間としてはすでに終了している時刻だが、身分を名乗っただけですんなり中へと招かれた。
 壮麗な二層建の仁王門をくぐると、奥にまた石段が続いている。

 本殿へ続く参道を歩いてゆくと、寺の中だというのに、神社の鳥居が見えてくる。それは、鞍馬寺の鎮守社である由岐神社。鞍馬の土地を守る神の社だ。

 仁王門から、鞍馬寺の本殿金堂までは、常人の足で約三十分程度の道のりだ。九十九折りの石段をひたすら上っていくことになるのだが、彰はふと途中で立ち止まり、こんなことを言い出した。

「ここで二手に別れたほうが効率的だな。僕と湊は参道を逸れて山の方へ回ってみる。珠生と舜平は、本殿の方へ向かってみてくれ」
「逆の方がいいんちゃいますか」
と、湊が不服げに声をあげるも、彰は首を振りながらこう続ける。

「湊、最近戦闘から遠ざかってて鈍ってるだろ? たまには現場を思い出してもらわなきゃ」
「……まぁ、確かにそうやけど」
「ほら、いくよ。上でまた落ち合おう」
「了解」

 渋る湊を促して山の方へ駆けていく彰の背中を見送りつつ、珠生は深く息を吸い込んだ。

「……ここはすごく神気が濃いな。山の主がいなくても、ここに棲む妖たちが騒がないわけがよく分かる気がする」
「そうなんか?」
「うん。なんていうのかな、この山には自然と守られてる秩序がある……っていう感じかな。鞍馬山を霊山として信仰してきた人間達の畏敬の念が、今もこの山を守ってるんだ」
「へぇ……お前には、そういうふうに感じるんやな」
「まぁ、感覚的なものだけどね」

 そんなことを話しつつ、二人は早足に階段を登り、ものの十分程度で本殿までやって来た。
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