琥珀に眠る記憶

餡玉

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第7幕ー断つべきもの、守るべきものー

四十、帰りたい

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 その後程なくして、離れの部屋に湊がやって来た。電気の点いている居間には誰もおらず、一枚分開いた襖の奥の寝室は真っ暗だった。

 腕時計を見ると、もう二十三時だ。一日中祓い人たちの戸籍の確認や生活状況についての聞き取りを手伝っていた湊はくたくただった。温泉に入って寝てしまう前に、珠生の顔を見ていこうと思って覗いたのだが、戸を開けてしまってからハッとする。

「……霊力が戻ったってことは」


 ——……あかんあかん、うっかりしてた俺。また覗きだなんだと文句を言われるに決まってるやん。


 早々にこの部屋を出て寝てしまおう。無事だと聞いているのだから、珠生に会うのは明日でいい。

「湊か?」

 そう思って出て行こうとした矢先、舜平の声がした。眠たげでも無さそうな、はっきりした声だ。

「舜平?」
「入ってこいよ、別に何もしてへんし」
「あ、そう……」

 それならお言葉に甘えてと湊は靴を脱いで部屋へ上がり込むと、寝室を覗きこんで、うっと顔をしかめる。
 肘枕をして携帯電話をいじっている舜平に、ぴったりと珠生がひっついて眠っているのだ。

「ちょっと電気つけてくれへんか。珠生が離れんから動けへん」
「ああ……おう」

 ぱち、と壁際のスイッチを入れて電気を点けると、舜平は眩しげに顔をしかめて湊を見あげた。

「どうやった、里の方は」
「これといった混乱も抵抗もなく、すんなりと片付いた」

 湊は珠生の安らかな寝顔を見て安堵した様子を見せながらそう言うと、さらに言葉を続けた。

「呆気無いもんや。祓い人て、どえらい不気味なもんやと思ってたけど……この現代じゃ、そういう不気味さすら感じなくなってまう」
「ほう、何で?」
「皆、普通になりたがってた。ただ誰も、この因習から抜け出していく勇気とか、やり方とか、分からへんだけだったように感じた。テレビとかで見る、当たり前で現代的な生活に憧れながらも、それが出来ひんっていう苦しい思いをしてたって声もあった」
「へぇ……」
「先輩は拓人のことを自己中だって怒ってたけど、まぁ大人が全員そんななら、子どもも影響をうけてしかりかもなぁと思ったりもしたな」

 湊は寝室の小さな冷蔵庫からペプシを取り出すと、もう一台のベッドに座ってそんなことを話した。疲れているのだろう、いつになく多弁な湊の話を、舜平も頷きながら聞く。

「楓は楓で自分勝手にやりたいことやっただけやろうけど……若者たちは結構そんな楓に憧れたって言ってたな。力があって、逞しくて……やろうとしていることが悪いことだと分かっていても、そのまま突き進んでくれれば、その先に何か見えたのかも、と言ってた奴もいた」
「そうか……。でもこうしてこっち側に迷惑かかってんねんから、はいそうでしたか大変でしたねって許すわけにはいかへんけどな」

 舜平は珠生の頭を撫でて寝顔を見下ろしながら、抑えた声でそう言う。

「当然や。でも、もう罰する相手も消えてしもた。菊江は虫の息やし、文哉も廃人みたいになってもうてる。楓がなんかしたんやろうな」
「その楓も、自分で消えてもた」
「すっきりせぇへんな、やっぱり」
「ああ」
「でも、何でもかんでも現代風にきれいに片がつくことばかりじゃないよ、きっと」

 不意に珠生の声がして、二人は仰天した。舜平にひっついていた珠生がゆっくりと顔を上げ、舜平を見上げる。

「珠生……起きてたんか」
「眩しいんだもん。さっき起きちゃった。湊、お帰り」
「ああ。お前はえらい目に遭ったな」
「うん……まぁでも。雷燕は行きたいところへいけたし、深春も取り戻せただけで、俺はもう満足だよ」
「雷燕が? どこへ行ったって?」
と、舜平。

 珠生はごろりと仰向けになって天井を見上げながら、微笑んだ。

「消えた。深春と話をして、満足したんだろうな」
「消えた?」
「成仏したってこと?」
と、二人は同時にそんなことを言う。珠生は目を閉じて、小さく頷いた。
「生まれ変わったら、また小さな燕になりたいって。俺にも見えたよ、雷燕と深春が話している風景が」
「へぇ……」
と、湊。

「俺も、早く京都に帰りたい」
 珠生はそう言って、自分の腹を傷をそっと押さえた。そして、痛むのか顔を歪めて小さく呻く。
「まだ痛むんやな」
と、湊。
「うん……ちょっとね」
「おい舜平、ちゃっちゃと治してやれよ」
「阿呆、簡単に言いすぎやろ。俺にも限界ってもんがあんねん」
と、舜平は渋い顔をする。
「あはは、大丈夫だよ俺は」
 珠生は笑って、二人を交互に見比べる。明るい珠生の笑顔に、その場が華やぐようだった。

「湊も、疲れたんだろ。温泉でも入ってさ、早く寝た方がいいよ。舜平さんも行ってきたら」
「いや俺はええけど……」
「ほんならまぁ、俺は温泉行ってから本館のほうで寝るわ。傷の治り次第で、明日には京都に帰ろっかて話出てたし、お前らの荷造りもしといたる」
「おお、すまんな」

 珠生は二人のやり取りを聞きながらにこにこと笑っている。湊もふっと笑って「おやすみ」と言い残し、寝室を後にした。

 鍵を掛けて舜平が戻ってくると、珠生はまだ笑みを浮べている。舜平はベッドサイドに腰掛けて、そんな珠生の頭を撫でた。

「ごきげんやな」
「……雷燕の笑顔、すごくいい顔だったんだ」
「そんな夢、見てたんやな」
「夢かうつつか、だよ。でも気配が消えたってことは、現だったってことだ」
「そうやな。……さてと、俺もシャワー浴びて寝よ」
「うん、ごめんね。こき使って」
「今更そんなしおらしくされてもな。まぁ、お前はちゃんと寝てろよ。目離したからって、うろうろするなよ」
「わかってるって」

 手早くシャワーを浴びて寝室を覗くと、珠生は大人しくベッドで寝息を立てていた。何となくホッとして、舜平は湊と同様ペプシを開けて飲んだ。炭酸の強い刺激で、意識がクリアになっていくようだ。一晩寝ていないが、霊力が戻ったことで気力体力ともに強さを取り戻したような気がする。

 何より、珠生の役に立てることが嬉しかった。
 それが自分の存在意義、とまではいかないにしても、千珠のそばにいた頃からの役割を失ってしまったことは、やはりひどく心細いものだった。

 今なら、珠生を元気にしてやれる。
 戦える。
 昔のように、皆とともに。

 舜平はがしがしと髪を拭い、浴衣の帯を締めて息をつく。居間の電気を消し、暗い寝室へと戻ってくると、もう一度珠生のベッドに腰掛けて様子をうかがう。

 穏やかな呼吸、汗もそんなにかいていないようだ。自力のみでもかなりの回復力を持っているのだ、放っておいても二、三日で元に戻るのかもしれない。
 暗がりに目が慣れてくると、珠生の寝顔がうっすらと月夜の明かりで浮かび上がって見える。頭を撫でてやると珠生は微かに身動ぎをして、反射的に舜平の浴衣の裾を掴んだ。

「……またか」

 舜平は微笑して、珠生を起こさないようにそっとまた添い寝をしてやることにした。布団に入ると、珠生は寝返りをうってこちらを向く。

「あれ、お前、起きてたんか」
「もう痛くない」
「え」
「だから……しよう?」

 珠生の腕が伸びて、舜平の耳元に触れる。まだ少し濡れた舜平の髪の毛を弄びながら、珠生はゆっくりと舜平を引き寄せた。
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