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第7幕ー断つべきもの、守るべきものー
三十七、小さな架け橋
しおりを挟む薫は、ただただ陰陽師衆たちによって物事が片付けられていくようすを、呆然と見ていることしか出来なかった。
楓の妖犬は封印され、どこかへ連れてゆかれてしまった。その腹の中に、楓を収めたまま……。
深春のことが気がかりだったが、数名の見知らぬ大人に取り囲まれて治療を受けている様子を見ては、どうしてもそこには近づけない。
彼らは祓い人の敵、陰陽師衆なのだ。黒服の陰陽師衆に囲まれている深春は、何だか遠い存在に思えた。
自分をここまで引っ張ってきたあの大人も、深春を打ち倒してぼろぼろに傷ついた、千珠の生まれ変わりの元へと走って行ってしまった。そして、今も治療を施している様子が見える。
——僕、一体何をしにきたんだろう。
楓を止めることもできず、深春を助けることもできず、ただただ、ぼんやりとここにいるだけ。
——帰ろう……。僕は、あそこに帰るしかない……。
薫は気配を消して、ゆっくりと踵を返した。このまま山を降りて、里へ戻ろう。仲間たちのところに戻って、いつもの日常へ。
焼け焦げた草原を後にしようとした時、ぽんと肩を叩かれた。
振り返ってぎょっとする。
「あ……」
一ノ瀬佐為が、無表情に薫を見下ろしている。ぞくりとするほどに、冷たい目つきで。このままここで殺されてしまうのではないかという恐怖に足が竦み、膝がガタガタと震え始めた。
「君、深春に会わなくていいのかい」
あまりの恐ろしさに固まっていると、佐為の生まれ変わりが淡々とした声でそう言った。薫はきょとんとして、涙目になりながら彰を見上げる。
「え……僕、会ってもいいの?」
「君は彼に会うために、わざわざここまで来たんだろう。顔くらい、見ていくといい」
「……はい」
彰の後について、深春のもとへ行く。
千珠に貫かれた肩の傷や、胸に残る傷創、そして、鎖の形に焼き付いた火傷の痕……。そして全身、血と雨に濡れて、痛々しい姿だった。
しかし、五人の黒いスーツ姿の男女に治療を受けている深春の表情は、思っていたよりずっと穏やかに見える。
「これは、半分以上は千珠の血だ。雷燕の妖気で、深春の身体はさほど傷ついてないよ」
「……本当ですか……? じゃ、じゃあ雷燕は……」
「しばらくはこの肉体に留まるだろう。おそらく、深春が目を覚ますまではね。その後は、再びあの場所で眠ってもらうだけだ」
「……ごめんなさい」
「何故、君が謝るの? 祓い人は、仲間意識のかけらなど持ち合わせていないと思っていたが、君は楓や拓人の粗相を、自分の責任だと感じているのか?」
「……僕、ずっと、楓と拓人といたのに……全然、二人を止められなかった。 ……僕みたいな下っ端が、謝って済む問題じゃないのは分かってます。けど……本当に、ごめんなさい」
薫はそう言って、彰に向かって深々と頭を下げた。その拍子に、薫の両目からぽたぽたと涙が零れ落ちる。
深春の治療にあたっていた者たちも目を上げて、彰に頭を下げている少年を見つめていた。彰は濡れた髪をかきあげて溜息をつくと、膝をついて薫の肩に触れた。
「顔を上げろ。まるで僕が君をいじめてるみたいじゃないか」
「あ、す、すいません……」
「君たちに何をしてもらうかは、追々考えるさ。ひとまずは、この一件で騒がしくなったこの土地を鎮めるのが先だ」
「……はい」
「それまで、君は里へ帰り、祓い人の皆とともに普通の生活をおくるんだ。まぁ当分里からは出られないし、我々の監視がついているけどね」
「……はい」
「それまでには、深春も珠生も回復しているだろう。深春と話すのはそれからだ」
「はい……」
緊張が解けたのか、薫はとうとうしくしく泣き出してしまった。泣きじゃくる薫が手に余ったのか、彰は肩をすくめて立ち上がり、薫の頭の上に手を置こうとした。が、薫が恐れおののいた表情で後ずさってしまったことに傷ついたのか、彰は妖犬捕獲にあたっていた五條菜実樹を呼び寄せて、薫を里まで送り届けるように指示を出した。
「まぁ僕は、君を罰しようなんて偉そうなことは考えてないよ。生き残っている拓人、文哉あたりには色々と落とし前つけてもらわないといけないが」
「……おとしまえ?」
「何にせよ、君を傷つけるつもりはない。だから早く帰って、その濡れた服を着替えるといい。真夏とはいえここは冷える。ほうっておくと風邪を引くよ」
「……は、はい」
身を案じられたことにさらになる驚きを感じているらしく、薫は目をまん丸にして彰を見上げていた。そして五條に促され、ぺこ、と薫は彰に頭を下げた。そしてそのまま、薫は五條とともに山を降りていく。
その背中を見送りながら、彰は腕組みをして溜息をついた。
「やれやれ、あんな子どもに面倒をかけて。馬鹿な男どもだな」
「佐為さま」
振り返ると、そこに藍沢要が立っている。短く切った髪からぽたぽたと水を滴らせ、要は後方を振り返りながらこう言った。
「妖犬はひとまず捕獲しましたが……駄目ですね、逃げたのではなく、本当に自分を喰らわせたようです」
「そう……自殺、ということか」
「ええ。よほど我々に囚われたくなかったんでしょう」
「そうだろうね。……まるで、生きる亡霊のような男だったな。こちらをかき乱すだけかき乱して、自分勝手に死んでいく。最後まで、奴に踊らされていたような気分だ」
「ええ……確かに」
二人は戦場となった草原のひどい有様を見渡しつつ、しばらくの間それぞれ想いに耽るかのように沈黙していた。小雨もほとんど感じなくなり、湿った空気だけがあたりを包み込んでいる。
ふと、藍沢は珠生たちの方を見遣り、低い声でこう言った。
「珠生くんは、大丈夫でしょうか。数日のうちにあんな大怪我を立て続けに負って」
「舜平が霊力を取り戻したんだ。彼に任せておけば大丈夫だよ」
彰は険しかった表情に笑みを浮かべてそう言った。要は興味深そうに、彰の顔を見つめている。
「舜海さまは、本当に昔と何も変わらないように見えますね。まっすぐで、人情に厚く、千珠様ひとすじで」
「そうだねぇ。ま、構造が単純なんだろう」
「ふ」
彰の言葉に、藍沢は口元に拳を当て、少し笑った。
「じゃあ私はもう、彼の治療を手伝わなくともいいのですか」
「うーん、あの大怪我だからね。舜平がへばったら代わってやるといい。といっても、舜平は嫌がるだろうけど」
「私には触らせない、と」
「珠生は彼の宝物だ。まぁ彼の、というより我々の……と言ったほうが正しいかな」
「……ええ、そうかもしれません」
「それより、まずはあの犬の腹を調べよう。手の空いた結界班の面々は里の方へ回して、お役所仕事をするように伝えてくれ」
「分かりました」
彰と藍沢はちらりと舜平の背中を見て、封じられた妖犬の方へと脚を向けた。舜平の背中の向こうに、投げ出された珠生の脚が見える。
今の二人がどんな顔をしているのか、藍沢にはなんとなく想像がついた。
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