琥珀に眠る記憶

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第7幕ー断つべきもの、守るべきものー

三十三、決闘の場

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 不意に珠生は立ち止まり、隣を歩く彰の動きを手で制した。彰は立ち止まり、ちらりと珠生の横顔を見る。

「結界を張れ! あまり山の妖たちを騒がせるな」

 彰がすぐ後ろにいた敦にそう言い伝えると、敦は頷き、後続の者達にそれを伝え歩く。


 珠生は一足先に、濡れた落ち葉を蹴って山を駆け登った。
 程なく山の頂上に着いた。鬱蒼と辺りを囲んでいた木々が姿を消し、低い曇天が目の前に広がる。


 だだっ広い空間が、広がっていた。
 まるでこの日のために誂えたかのような、何もない草原がそこにある。


 そしてその只中に立っている、二つの影。
 珠生は数歩近づいて、足を止める。


 濡れた草を踏む足音とともに、楓も数歩、珠生に向かって歩み寄ってきた。そして、そんなことを口にした。


「……ここはさ、昔は底なし沼があったんだ。でもな、水が枯れてから、なんにもない原っぱになっちまった。俺は、ここが好きだよ。感じないか、沼に足を取られて死んでいった人間達の魂の声や、動物たちの叫びが」


 楓は重たく濡れた髪を掻きあげて、耳をすませるように目を閉じ首を傾げた。


「ここはそういう、負の引力を帯びた場所だ。どうだ、心地いいだろう?」


 何も言わない珠生を見て、楓は唇を釣り上げる。


「そう怖い顔すんなって。言いたいことがあるなら聞くぜ」

 ざざざ……と陰陽師たちが草原の周りを取り囲むのが気配で分かる。楓にもそれは伝わっているのだろう、ちらりと目線を走らせてから、もう一度珠生の方を見た。

「水無瀬楓。分かるだろう、君はすでに袋の鼠だ」

 珠生の斜め後ろから、彰がそう言ってフードを脱いだ。ぴく、と楓の頬の筋肉がかすかに揺れる。

「君たちの里は、すでに我々の監視下に入っている。もう、これ以上暴れる意味なんて無いんじゃないのかい?」
「一ノ瀬佐為……。お前もずいぶん元気そうじゃねぇか。頬骨砕いてやったのに、涼しい顔だな」

 楓は彰を小馬鹿にするような目つきになると、にやにやと笑いながらそう言った。彰はふっと微笑み、首をふる。

「あんなのは、怪我のうちに入らないさ。そんなことはどうでもいい、深春を解放しろ」
「馬鹿か。そんな台詞で、誰がこいつを離すかよ。返して欲しけりゃ力づくで来い」
「……袋の鼠だってのが、分からないのかな」

 彰の声にも、冷たさが混じる。そんな彰の方を、珠生は横顔で振り向いた。

「佐為。お前は手を出すな」
「……え?」
「俺がやる。お前は下がって、結界を何重にも張れ。ちょっと荒々しいことになるからな」
「千珠……なのか」

 珠生の目の色がすでに琥珀色へと変貌しているのを見て、彰は目を丸くした。ゆらりとその身を覆う青白い妖気が、すでに見て取れる程に強くなっている。

 珠生は楓の方へと向き直ると、もう数歩近づいてこう言った。

「お前がそう言うなら、遠慮無く、力づくで行かせてもらう。ただし、俺と夜顔、一対一だ。お前も、陰陽師衆も、手を出すな」
「……ほう」

 楓は、珠生の表情を見て、にやりと笑った。

「千珠さま、とお呼びしたほうが良さそうだな。いいのか? そんなに妖気を燃やしちまうと、あとから身体がつらいんじゃなかったっけ?」
「お前には関係ない」
「こうして向かい合ってると、あの日のことを思い出さねぇか? つくづく惜しかった。もう少しで、可愛い可愛い千珠さまを俺のもんにできたってのによ」
「……自分じゃ何もできない屑野郎が、調子に乗るな」

 突然語気を荒げた珠生に、楓は一瞬目を瞬き、そして大笑いし始めた。 

「あっははははは! 相当根に持ってるみてぇだな。まぁいい。てめぇの言うルールでやってやろうじゃねぇか」
「俺が夜顔を倒したら、お前はおとなしく投降しろ。いいな」
「へいへい、それでもいいぜ」


 楓は両手を挙げ、そのまま後ろに数歩さがって深春と並んだ。
 脇腹を押さえ、困惑気味の目線を向けている深春を見て、珠生は勝気に笑ってみせた。


「深春、約束通り、手加減なしだ。いいな」
「……珠生くん。その妖気……」
「すぐにけりをつけてやる」


 黒い雨合羽を脱ぎ捨てた珠生の姿と、在りし日の千珠の姿がだぶって見えた。横殴りの雨さえも心地よさそうに肌に浴び、雄大な山々を背にその場に立つ珠生の姿は、あまりにも神々しい。


 珠生は胸の前で合掌し、宝刀を抜く。
 いつも以上に光り輝いているかに見える刃の切っ先を、まっすぐに深春に向けた。


 青白い妖気がさらに光を増して珠生の身体を包み込む。
 そのまばゆい光の中で赤い唇を釣り上げる珠生を、深春は身震いするほどに美しいと思った。


「来い」


 凛とした声が響く。
 背後で、くくっと楓が笑う。そして、冷たく、告げる声。


「深春、今度こそ、千珠をぶち殺せ」



 +



 舜平は走っていた。
 泥濘んだ山道を、突き抜けるように駆け上がっていく。

 今まで感じていた珠生の妖気が一瞬消えたことに驚いたが、すぐにそれは周りを結界で覆ったせいだと気づく。

「おいおいおい、あんまりしっかり結界張られると、妖気を辿れへんくなるやん」
 舜平はひとり呟きながら、微かに残る妖気の匂い、そして仲間たちの霊気の気配を辿って走った。
 ばしゃばしゃと泥水を跳ね上げるので、上からも下からも濡れるという有様にげんなりする。舜平は雨が嫌いなのだ。

「くっそ、気持ち悪。しかももうジーパンが重た……うおっ!!」

 どんっと横っ腹に衝撃を感じ、舜平は思わずふらついて立ち止まった。
 猿でもぶつかってきたのかとおもいきや、力で競り負けて泥濘の中倒れ込んでいるのが、中学生くらいの少年であることにまた仰天する。

「お、おい……大丈夫か!?」
「あ、えと……はい」
 舜平の差し出した手を取って立ち上がった少年は、ひどく焦っているように見えた。舜平は膝をかがめて、その少年の顔を覗きこむ。

「お前、こんなところで何してんねん。しかもこんな雨の日に」
「……お兄さんこそ」
「……まぁ、そうやけど。こんなとこ、ガキ一人やと危ないで。はよう帰り」
「でも僕……行かないと」
「行くってどこへ」
「深春と楓が……こっちへ行ったはずだから」
「え……」

 思わぬところでその名を聞き、舜平は目を見張った。舜平の動揺などお構いなしでさらに上へと走っていきそうになる少年の腕を、舜平は思わず掴む。

「ちょっと待て! お前……ってことは祓い人か。なんで深春のことまで」
「えっ、じゃああんた……陰陽師?」
「俺は千珠を追ってここまで来た。お前は何をしに行くんや」
「……深春も、楓も、止めなきゃいけない。色々考えてたけど……やっぱりだめだよ。こんなの、だめだと思う」
「止めたい?」
「楓は、ほんとはあんなことしたいんじゃないと思う……! だから、とめないといけないんだ!」

 必死の形相の少年の頬が赤く染まる。舜平は一瞬どうしようかと迷ったが、こんな場所に年端もいかない子どもを放置していくわけにもいかないため、その手を握って早足に歩き出した。

「ちょ……どこへ……!」
「そんなら、行き先は一緒やろ。行くで」
「……あんた、誰なんだよ!」
「誰でもいいやろ。お前が行って状況が変わるとも思えへんけど、ここに置いていくわけにいかへん」
「……そんな」
「いいから、急ぐぞ」

 少年の小さな手を掴んで山道を登り始めると、その手が舜平の掌をぐっと握り返してくる感覚が伝わってきた。たとえ敵でも頼りたいと願うような心細さを感じて、舜平はちらりとその少年を見下ろした。不安と焦りが、その幼い顔には浮かんでいる。


 きっと、今の自分もこんな顔をしているに違いない。


 その時、どぉおん……! と重々しい地響きが山を揺るがした。分厚い結界を張っているだろうにもかかわらず、激しく燃え上がるふたつの妖気を感じる。


「……くそ、始まったか」


 少年の手が、更に強く舜平の手を握りしめた。
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