琥珀に眠る記憶

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第7幕ー断つべきもの、守るべきものー

二十三、惨状

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 彰は救急車の中で治療を施されていた。開け放たれたドアの向こうに、ストレッチャーに乗せられ、大急ぎで搬送されていく珠生の姿を、彰は苦々しく見送った。

 特別警備体制壱式をつきつけられた救急隊員たちは、何を聞くことも許されぬまま、怪我人を最寄りの救急病院へと運ぶ。

 血まみれの怪我人を見て、明らかに怯えた目をしている救急隊員達もいたが、瀕死の重傷を負っている珠生や敦、意識はあるが予断を許さない状態の藍沢、そして殴打痕の痛々しい彰に手当を施す顔つきはプロだった。

 また、雑木林で意識を失っていた結界班の術者三名は宮内庁の職員たちの手によって保護され、今は目をさましている。

 こちらにも、収穫はあった。
 水無瀬拓人の捕縛。
 これは大きな前進である。

 雷燕の封印は締め直され、更に強固な結界が張られている。今後は二十四時間体制でさらに分厚い警備が敷かれることとなったが、今回のこともあり、それがどこまで有効なのかということには疑問の声が上がったが、今はそれしか方法がない。


「……佐為、大丈夫?」
 ヒールの音を響かせて、莉央が近づいてきた。救急隊員は会釈をして席を外す。
「ごめんなさい、到着が遅くなってしまって」
「いえ……連絡ができなかったのが悪かったんです。密雲までも戦闘に回してしまったから……」

 いつになく張りのない声だった。傷だらけの彰を見るのは、前世でも今世でも初めてだ。

「珠生……大丈夫かな」
「舜平くんが病院へ付き添ったわ。湊くんはここで検分に混じってくれている」
「湊も来てたんだ。目を覚ましたら、珠生が喜ぶな」

 彰はようやく微笑んで、疲れたように息を吐いた。上半身裸になり、包帯で胸や腹をぐるぐる巻きにされた上、顔もあちこちが腫れたりすりむけたりとひどい状態だ。莉央は気遣うように彰の上腕をそっと撫でる。

「あんたがここまでやられるなんて……」
「僕も無敵ではありませんからね。まぁ、色々と見えたこともありましたし」
「あら、立ち直り早いのね」
「そりゃあね。これだけ向こうの好きにさせてしまったんだ……きちんと借りは返させてもらいますよ」

 彰はふらりと立ち上がると、大きめのタオルケットを肩に引っ掛け、検分している職員たちに近づいてゆく。

 雨で大分流れたとはいえ、アスファルトの上の血の跡は凄惨だった。正式な説明を求められでもしたら、困り果ててしまう。

 横転した車、ぼろぼろに崩れた石碑、抉れたアスファルト、焼け焦げた雑木林の木々……。火事と台風と竜巻がいっぺんにやってきたような有様である。

「……ひどいもんですね」
 彰に気づいた湊は石碑のそばから立ち上がり、そう言った。石碑のことか彰のことか、どちらの状況を言い表したとも分からぬ表情である。彰は肩をすくめて、片手でタオルケットを胸の前でかき合わす。

「珠生も、相当暴れたみたいですね」
「そうだね、霧島で見たときよりもずっと、妖力が上がってた。見ていて恐ろしいほどだったな……」
「雷燕より、ですか?」
「幸い、この封印は最後まで破られたわけじゃない。雷燕の力は完全ではなかった。だからこの程度で済んだと言えるだろう」
「これで……この程度……ですか」
「感情に振り回されずにあの力が出せるんなら、人間ひとの肉体である珠生でも彼を抑えることができるだろう。それができるかどうかは、賭けだけどね」
「……そうですね」
「舜平が来なければ、どうなっていたことか。やはり君たちじゃないと、千珠は止まらないみたいだな」
「まぁ、舜平は珠生の安全装置みたいなもんですからね。あれで霊力さえなくなってなきゃ、今回の怪我だって……」
「止めてくれただけでもありがたいさ。治療は僕らに任せてくれたまえ。まぁもっとも、今回は医療の力も借りるわけだけどね。あれは早急にかなりの輸血が必要だ」
「……はい、すぐに目を覚ませばええんやけど……」
「この後、僕は拓人の尋問にあたる。君は病院へ行った面々の様子を見ててやってくれ」
「はい」
「藍沢もこてんぱんだ。敦も……」
「大丈夫ですよ。傷は心臓からは逸れてたみたいやから、今は容体も落ち着いてるそうです」
「……そう、良かった……。僕がいながら、面目ない」
「そんなことないですよ」
 湊の慰める声に彰は首を振りながら、浮かない顔でため息をつく。

「深春……どうなっちゃうんですかね……」
 フルパワーで封印を締め直している四人の術者の背中を見ながら、ぽつんと湊が呟いた。彰はちらりと湊の横顔を見る。小ぶりの雨粒が、眼鏡の表面にくっついていた。

「……あれだけの妖気を、今はまるで感じない。こそこそと気配を消して隠れるのが上手な奴らだからな」
 彰がそう言うと、湊は小さく頷く。
「今後はどうしはるんですか?」
「まだ思案中だが……。祓い人の集落を攻めてみようかと思ってる」
「え?」

 ぎょっとしたように、湊は傷だらけの彰の方を向いた。

「宮内庁から、水無瀬楓の蛮行について抗議をしていた。でも彼らは、自分たちは関係ないの一点張り。楓たち若者の暴走は、大人たちですらもう止められないんだそうだ」
「へぇ……」
「楓は、水無瀬楓真だ。自分一人でだって目的を遂げようとするだろう。水無瀬菊江、文哉姉弟をあそこまで利用し酷使してまで、僕らの情報を集めたんだから」
「……じゃあ黒幕は楓ってことですか」
「そうだ。母親ほど歳の離れた菊江が、何故ほいほい楓の言うことを聞いていたのかは謎だけどね。ま……攻めるといっても、手荒なことはしないよ。全員への事情聴取を目的に、政治的制圧、ってとこだ」
「なるほど」
「楓にとって、家族や同族の者達は人質にならないだろうからな。……楓自身をどう探すかは、まだ分からない」
「……俺も考えてみます」
「ありがとう。君の頭脳を当てにしてるよ」

 ぽん、と湊の肩を叩いて、彰は再び救急車の方へと戻っていった。立っているのが辛かったのだろうかと、湊は心配になる。

 今回やられたのは、陰陽師衆でも実戦経験の多い職員たちばかりだ。死人が出なかったのは幸いだが、今後どうやって態勢を立て直していくのかと不安がよぎる。


 ——皆の怪我、すぐに治るものではないだろう。特に珠生は……。


 びゅう、と強い風が一陣。
 荒れ狂う日本海から吹き上げる冷たい風は、盛夏とは思えぬ猛々しさだった。
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