琥珀に眠る記憶

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第7幕ー断つべきもの、守るべきものー

七、動揺

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 部屋を出ると、そこには赤松と成田が立っていた。
 沈んだ表情の三人を見て、赤松はやれやれと首を振る。 

「……状況は聞いたかい?」
と、赤松に言われ、舜平が「いいえ」と応える。

 赤松と成田が見た状況について説明を受け、珠生は信じられないという表情を更に強めた。湊は相変わらずあまり表情を変えなかったが、むっつりと黙りこんで腕を組む。

「……紺野さんに深春がそんなことをするなんて、あり得ないです」
 そう呟いた珠生に、赤松は「でも事実やねん。深春くんの妖気にあてられて、紺野はまだ意識不明や」と告げる。

「二人がどんな会話をしたかは、まだ分からない。その前に、紺野は須磨浮丸のことをうっかり口を滑らせてる。修行で不安定になっていた上に、はじめてそんな事実を知ったんや。深春くんが紺野の言葉を引き金に、暴走したのは分からなくもない」
「須磨……浮丸」

 珠生の脳裏に、小柄な黒装束の陰陽師の姿が蘇る。青白く、まるで病人のようだった年若い少年。

 祓い人と結託して千珠を狙った、少年。あの夜のことを、ありありと思い出す。

「……何でまたそいつのことが話題に?」
と、舜平。
「北陸支部の話になってな。そこには浮丸の転生者がいるんだ。藍沢要という、優秀な男でね」
と、成田が説明する。
「本当ですか……?」
 それを初めて耳にした珠生は、心底驚いていた。


 ——浮丸もまた、転生している……?


 最後まで浮丸を欺き続けた陰陽師衆の上役、そして千珠、弟・実丸(さねまる)を殺した夜顔のことを、一体どう思いながら宮内庁の職員として働いているのだろうかと、気になってしまう。

「君たちの過去については、藤原さんからも聞いたし、ある程度は古文書でも読んでいる。藍沢はもう、過去は過去で気にしていないとは言っているらしいが、実際のところはどうか分からへんらしい」
「高遠さんの右腕として、入庁時からずっと北陸支部や。京都組と関わりをあまり持ちたくないんかもしれへん」
と、赤松が付け加えた。

「そのことで、深春はさらに揺れたんか」
 湊は重々しい口調でそう言った。珠生はぎゅっと唇を噛み締めて、拳を握り締める。 

 紺野を責めたいという気持ちが湧いて仕方がなかった。しかし、それはまた違う問題であるということも分かっている。それに当の紺野は、深春の妖気にあてられて倒れ伏したままなのだ。攻める相手も見つからず、珠生は表情を険しくして俯いた。

「とりあえず、今夜はここで様子見てもらうから。珠生たちは一旦帰ったほうがいいかもね」
と、彰がため息混じりにそう言った。
「ここにいちゃ駄目ですか」
「あまりお薦めはしないな」
と、彰が目を伏せる。

「藤原さんと常盤さんが戻ったら、もう一度事情を詳しく聞くらしい。今は病院の方へ回ってはるんやけどな。……珠生くんがいると、おそらくもっと話がこんがらがりそうやから、落ち着いてからまた明日来なさい」
と、落ち着いた口調で成田に諭され、珠生は疲れたように頷いた。

 確かに、今の気持ちのままでは、藤原や莉央に対していらぬことを言ってしまいそうなことは目に見えている。

 舜平は湊と珠生を促し、成田たちに軽く会釈をしてから、道場を後にした。



  +


 三人は押し黙ったまま、舜平の運転で市内へと戻ってきた。ほとんど眠らずに運転ばかりしていた舜平はくたびれ果てていたが、珠生と湊を放っておくことも憚られ、とりあえず二人を家まで送ることにした。

「俺、珠生んちの最寄り駅まででいいわ。電車で帰るから」
と、湊はすぐにそう言った。
「舜平、能登に行ってたんやって?寝てへんねやろ」
「ああ。せやな、助かる。お前らも、今日はちゃんと寝るんやで」
「おう。また明日、深春の様子見に行こな、珠生」
「あ、うん……」

 後部座席に並んで座っていた湊が、珠生を励ますように肩を叩いた。珠生ははっとしたように顔を上げて、こくりと頷く。

 先に湊を松ヶ崎駅で降ろし、舜平は珠生を自宅まで送ってやった。

「……上がっていく?」
「せやな……。けど、寝てしまいそうやし、今日は帰るわ。先生も帰ってきはるやろ」
「あ、そっか。東尋坊の調査……どうだった?」
「いや、今はそれより深春やろ。東尋坊のことは、また落ち着いてから話すわ」
「うん。……ごめん」
「何言ってんねん」

 ルームミラー越しに見る珠生の表情はひどく疲れている。そしてどこか、いつもと違う雰囲気を醸し出している。

 いつもなら抱きしめて慰めてやろうという気持ちにさせられるような、頼りない表情を浮かべることが多かった珠生だが、今日は何かが違った。

 ドアを開けて外に出ると、珠生は運転席の窓のそばにやって来て、少しだけ微笑んでみせる。

「居眠り運転、しないでよ。気を付けて帰ってね」
「ああ。……なぁ、お前」
「ん?」
「千珠……?」
「え?」

 不意に昔の名で呼ばれ、珠生は目を丸くする。舜平は苦笑して、首を振った。

「いやなんかな、お前の顔つき、急に千珠の表情とだぶって見えて」
「……そんなに違うもん?」
「ああ。生意気で高飛車でつんけんした顔や」
「なんだよそれ」
と、珠生は憮然として舜平を睨んだ。

「ははっ、後付け加えるなら、精悍で凛とした顔、かな」
「……俺、そんな顔してたかな」
「お前が何を考えてるかは分からへんけど、あんまり考えすぎんなよ。疲れてる時は、どうしても思考がネガティブになるもんや。特にお前みたいなくよくよ病もちはな」
「……うん」
「夜顔のことになると、お前はどうしても冷静になれへんな。ええか、今は悪者探しも、何もするな」
「……分かった」
「ええ子や」

 舜平はハンドルにかけていた手を外して、珠生の頭を軽く撫でた。珠生はややむっとしたような顔になったが、すぐに表情を緩めて目を閉じる。

「亜樹ちゃんには、俺から電話しといたる。お前じゃちゃんと話せへんやろうからな」
「……言い返したいけど、まぁその通りだよね。お願いするよ」
「任しとけ」
「うん」
「よし。ほんならな」 

 舜平はいつものように気持ちよく笑うと、エンジンをかけてサイドブレーキを下げた。珠生は車から離れ、マンションの前に立って軽く手を挙げる。

 走り去っていく黒い車体を見送りながら、珠生は気を抜けばどろどろと濁ってくる心を、なんとか抑えようと深呼吸をした。


 ——眠ろう。今は、何も考えずに、眠らなければ。


 ——明日、ちゃんと深春と話そう。ちゃんと状況を確認しよう。全てはそれからだ。誰も責めちゃいけない。


 俺には、誰かを責める権利なんかないんだから。
 
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