琥珀に眠る記憶

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第6幕 スキルアップと、親睦を深めるための研修旅行

2、珠生、大学生になる

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 珠生は、大学生になった。
 明桜学園大学・文学部国文学科の学生として、四月から学生生活をスタートさせている。


 私立・明桜学園大学は、京都市北区にそのキャンパスを広げている。金閣寺や龍安寺といった観光スポットのまっただ中に位置する場所だ。


 高等部からの持ち上がりの生徒が多い中、さらに二百人の新入生を加え、一学年は四百名程度。山間に広がる広大なキャンパス内には、レンガ造りの見事な校舎が立ち並び、中庭や校門付近には整えられた芝生や樹木が植えられ、雰囲気の良い景観だ。

 いわゆる名門校という肩書きを持つこの大学は、毎年多くの受験者が集う人気大学の一つだ。大手企業への就職率も高い割合を誇っている。そのため、学費もそこそこに高い。

 明桜学園高等部から持ち上がる生徒たちは、入学金及び授業料の三割免除という特典がある。三年連続トップクラスの成績を納めてきていた柏木湊や天道亜樹にいたっては、もっと優遇された対応がなされているはずだ。

 珠生は入学式の日に、初めてこの大学を訪れた。入るまでその学校を知らないというのも妙な話だが、数回催されていた大学見学というプログラムに、珠生は一度も参加しなかったのである。

 高校の無機質な校舎とは違い、暖かな煉瓦色の建物が立ち並ぶ美しいキャンパスに、珠生は少なからず感嘆していた。そして、なるほどあの学費もうなずけると、所帯染みたことを考えたりもした。せいぜい学費が無駄にならないよう、学問に励まねばと自分を戒める。

 この大学の付近には駅がなく、バスが主な交通手段だ。毎日それは辛いと考えた珠生は、早速春休みに取得した免許証を使うことを思い立った。湊とともに原付を購入し、それで通学している。


 大学生活が始まってまだ数日、オリエンテーションばかりの単調な日々だった。
 珠生は今日も淡々とゼミ決定までの流れについて話を聞きながら、頬杖をついて窓の外を眺めた。珠生の横には、バスケ部の楪正武が大きな身体で座っている。正武は大柄なので、珠生たちは自然と後ろの方の席を好むようになっていた。


 今日はうっすら曇った空模様だ。
 四月上旬というわりには、ひんやりとした朝だった。


 ——そういえば、父さんが毛布を探してたっけ。もういい加減自分の寝具のありかくらい覚えて欲しいもんだなぁ……。


と、珠生はぼんやりそんなことを考えていた。すると、とんとんと珠生の肩を叩くものがある。

「沖野、何やってんねん。終わったで」
「あっ……」
 気づけば、広い階段状の大教室はざわざわとしており、皆が思い思いに後ろを向いたり歩きまわったりと自由にしている。
 教授に質問をするべく、教壇の上に登っている感心な学生も見える。隣に座っていた正武は、呆れたように珠生を見ていた。

「お前、授業態度悪いって聞いてたけど、ほんまやな。上の空やん」
「……ついね、考え事しちゃって」
「ほれ、今日先生が言ってたこと」
 正武は一枚のルーズリーフを珠生のほうへと押しやる。見かけによらず几帳面な字がきちきちと並んだ紙面を見て、珠生は正武を見あげた。

「写してもいいで」
「ほんと? ありがとう」
「十回写したら一回昼飯おごれ」
「オッケー」
 珠生がいそいそと紙面を写し取っていると、きゃっきゃときらびやかな声とともに、三人の女子学生が二人の元へ近づいてきた。珠生はぎょっとして腰を浮かせかけたがそれも間に合わず、二人は女子学生たちに捕まってしまった。

「あの、沖野くんと、楪くんですよね」
「そうやけど?」
 三人は揃って綺麗めなカーディガンと膝丈スカート、可愛らしいハイヒールを履き、ブランド物のバッグを肩から下げている。まるで何かのアイドルユニットのようだと、珠生は思った。

 女子学生たちは、ばっちりとメイクを施した目元をパチパチさせながら興味津々に珠生の顔を見つめては、ついでのように正武を見る。

「あの……明日の新歓コンパのあと、一緒にカラオケでも行きませんか?」
「え」
 珠生はたじろいだ。
「新歓って大人数やから、ゆっくり喋れへんかもしれんし……」
「うちら、内部生じゃないから、もっとゆっくり二人と喋ってみたいなぁって」
「ね、いいでしょ?」

 自分たちがどう振る舞えば可愛く見えるかということを研究し尽くしたかのような動きで、三人はにこやかに珠生たちを見ていた。珠生が救いを求めるように自分を見上げていることに気づいた正武は、はぁとため息をつく。

「ごめんけど、俺らもう先約があんねん」
「ええー? もう?」
「すまんな」
「そこに合流しちゃ駄目ですかぁ?」
と、リーダー格っぽい赤いニットを着た女が食い下がる。正武はその女を見て、「大学以外の用事やねん」とにべもない。
「ごめんね。またいずれ」
 珠生が頑張ってそれだけ言うと、三人組は揃って頬を染めて目を見合わせた。

「ほんと? あ、じゃあさ、携帯教えて?」
と、今度はピンクのニットにひらりとしたミニスカートの女が可愛らしくデコレーションを施した携帯電話を取り出して小首を傾げる。
「あ、いや……俺、スマホに替えたばっかりで、やり方よく分かんないんだよね……」
「あれ、そうなの? じゃあ……」
 いそいそとバッグから可愛らしいメモ帳を取り出し、三人はなにか書き付けはじめた。

「これ、うちらのアドレスと番号♡」
「メールしてくれたら、登録しとくね♡」
「待ってるからねー♡」
 全員の語尾にハートマークが見えそうだと、正武は半ば感心しながら珠生を見ていた。冷や汗をかきながら、珠生は曖昧に頷いた。

 三人が行ってしまうと、珠生は大仰に肩を落として息を吐く。

「お前、学校一のモテ男だったんちゃうん? 全然会話できひんやん」
と、正武は呆れている。
「それ、噂だけだろ? ただ追い掛け回されてただけだもん」
 再び珠生はルーズリーフを書き写す作業に移りながら、苦い顔をしている。
「ふうん、そうなんや。俺はてっきり、優征とつるんで遊びまくってるんやと思ってたわ」
「あいつと一緒にしないでよ」
「優征やったら、今の子らと全員やってるな」
「……俺は無理」
「ははっ、情けない顔すんなって。ほれ、次は空きやろ? どうする?」
「あ、そっか……。ちょっと外出よっか」
「せやな。こういう時、学校が広いってええなぁ」
「ほんとだ」
 二人は立ち上がると、まだまだなれない校舎内を探検するように歩いた。ここに彰がいないということが、ふと寂しく感じられる。

 学内には、図書館や体育館、道場なども完備されているが、それらの施設はやや古さが目立っている。
 校門から続くのは、青々とした芝生の茂る中道。そこをまっすぐ歩いてゆくと、教務課等の入った一号館がある。そのあたりの空間は一番人目に触れる場所でもあり、かなり美しく整えられているのだが、運動部が部活動を行う体育館やサークル棟などがある大学の裏手は、いささか手抜きをされている様子が見て取れた。

 それでもこの大学には、十分な広さがある。レンガ張りの落ち着いた地面、やや風雨にさらされて古くなった木のベンチなどは、珠生を落ち着かせる雰囲気を持っていた。正武と珠生は”中庭”と呼ばれる体育館前のちょっとした芝生の広場にやってくると、ベンチに座って紙パックのコーヒーを飲むことにした。

「この体育館でバスケ部もやってんの?」
と、珠生は左手にそびえる体育館を見上げてそう尋ねた。
「いや、ここはサークルだけ。俺らはもう少し北にある新体育館でやってんねんけど、そっちはきれいやで」
「へぇ、さすが」
「美術部は見つけたん?」
「あ、うん。高校んときの部長がサークルやってて、そこに入ろうかと思ってるよ」
「ああ、あのなんかごつい女の先輩やんな」
「知ってるの?」
「目立つやろ、あの人。何となく知ってる」
「ふうん。まだ人数も少ないみたいだし、あの人のことだからちゃんと絵が描けそうだしさ」
「そっか、ほんなら良かったやん。ただの飲み会サークルと化してしまうもんも多いって言うしな」

 正武は、ややだぼっとしたジーパンに包まれた脚を組んで、周りの校舎を見上げている。きりりとした細い目の鋭い顔つきとはアンバランスにも見える、くるくるとした愛らしい天然パーマ頭の正武を、珠生はしげしげと見上げる。

「タケは女の人と喋るの平気なんだ」
「え? いや、むしろ苦手やけど」
「そうなの?」
「あんなすがるような目で見られたら、俺がちゃんとしなって思うやん」
「あ、そっか。ごめんね」
「ええけど。俺はああいうチャラチャラした女は苦手やねん」
「俺も……」

 道場や体育館が立ち並んでいるせいか、この辺りにはあまり女子学生がいない。むしろ、正武のようなスポーツマンらしい格好をした学生たちがうろうろとしており、どことなく男臭い雰囲気である。珠生達がそこでのんびりしていると、珠生の携帯電話が震えた。

「あ、湊だ」
 電話に出た珠生は、手短に今の居場所を湊に伝えて通話を切った。
「お前ら、仲いいねんな」
「うん、なんだかんだね」

 ものの数分後に、湊がやってきた。 
 もう制服を着ることがないので当然であるが、私服姿の湊はぐっと大人びて見える。
 どちらかというときれい目な格好をするのが好きらしく、今日もぱりっとしたネイビーのシャツをTシャツの上に羽織っている。
 一方珠生は、ジーパンに白いスニーカー。Tシャツの上にそのへんにあったパーカーを羽織っているだけというラフな格好だ。
 正武もラフではあるが、ダボッとしたシャツにダボッとしたジーパン、ごついスニーカーと、地味な性格の割にはクラブなどに出没しそうな風体の男に見える。

「お、おったおった」
「どうしたの? 湊」
「どうもこうも、すごいねん、俺の学部……」
「何が?」
 ぐったりと疲れた様子の湊は、珠生の隣に座り込んで、そのコーヒーを我物のようにずるずると啜った。

「みんな相当のオタクやな。自分がめっちゃ普通に思える」
「情報理工学部、だっけ」
「そう。コンピューター応用化学科」
「うわ、いかにもだね」
「コニュニケーション取れへん奴が多いし疲れたわ。ちょっと避難しにきた」
「ははっ、湊がそんなに疲れてるのも珍しいな」
「お前はええなぁ、タケもおるし」
「うん、早速お世話になってるよ」
と、珠生は苦笑して正武を見上げる。
「こいつ、モテるというより狩られてるって感じやな。もっと優征に女の扱い習っといたほうがいいんちゃう?」
と、正武はそう言った。
「大学で女は急に積極的になるって言うし、お前、そのうち襲われんで」
「……ま、まさか」
 珠生は青くなる。

「まぁ、そう言わんとタケが守ったってくれよ。こいつコミュニケーション能力乏しいねんから」
と、湊がぽんぽんと珠生の肩を叩いた。
「ねぇ、乏しいとか言わないでよ」
と、珠生がむくれる。
「俺もそんな女得意じゃないし」
と、正武。
「じゃあ早く、周りを固める男友達でも作ることやな。ただでさえ女が多い学科やろ」
と、湊。
「ううん、そうでもないよ。半々くらいだし、大半は真面目そうな女子が多いんだけど、やっぱりどこでも派手な人はいるもんだね」
「まぁ打っても響かへんって分かったら、そいつらも引いていくやろ」
と、湊が言うと、また珠生はじろりと湊を見る。
「もう、ひどいなぁ」
「ええやん。また高校んときみたいに営業スマイル出してまうと、今後四年間辛いで」
「あ、そっか……」
「なにそれ?」
と、正武。
「珠生の笑顔は時に凶器やからな」
と、湊が重々しく頷きながらそう言った。
「へぇ、やってみてや」
「そんな前置きされても困るんだけど」
と、珠生は渋い顔である。
「いいやん別に、そういや、俺、沖野が笑ってるとこ、あんま見たことないかも」
「ええー、そうかなぁ」
「合宿ん時はみんなすごい顔でトランプしとっただけやし」
と、正武は珍しくわくわくと身を乗り出しながら珠生の顔を見ている。
「……じゃあ」

 珠生は一息ついて正武の方を向き、にっこりと笑ってみせた。正武は目をぱちぱちと瞬かせ、唇をわずかに歪めて目をそらす。

「なるほどね」
 文字通り華が咲くように笑う珠生の笑顔は、つい顔が緩んでしまうほど可愛らしい。体型も細身な上に色白で、普段あまり意識していなかったが、こうして見ると珠生はやはり芸能人顔負けの美形である。

「斗真はこれだけで落ちるで」
と、湊がなぜか誇らしげだ。
「あいつはもうとっくに落ちてるやん」
と、正武。
「何いってんだか」
と、珠生は湊からコーヒーを奪い返すと、それを一口すすり、中身がもうないことに気づいてまた湊を睨んだ。
「ところで、それだけの用事で来たの?」
と、どことなく不機嫌そうに珠生は湊にそう尋ねた。

「あ、せやせや。葉山さんからのメール、見た?」
「メール?」

 葉山からの連絡は、招集命令であった。今夜二十時、グランヴィアホテルにて……。


 ——藤原さんが東京から戻ったのかな。上に報告って言ってたけど、あの人の上って一体誰なんだろう……。皇族?


 画面を見て急に黙り込んだ珠生をそっちのけで、湊と正武は原付のことについて話し始めている。
 ここに通う京都在住の男子学生は、原付やバイク、車など自力通学の者が多い。皆、混みあったバスは嫌なのだ。セレブの優征はすでにマイカーで通学しているらしい。そんな話題も耳に入ってくる。

「湊、今日は何の話かな」
「さぁ、何かまた分かったことがあるんちゃうか」
「そっか。なんか、嫌な予感がするなぁ」
「なんで? ただの会議やろ、いつものことやん」
「会議って何?」

と、正武が不思議そうにそう尋ね、二人は顔を見合わせた。
 
 
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