琥珀に眠る記憶

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第5幕 ——夜顔の記憶、祓い人の足跡——

80、卒業間近

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 三月になった。
 あと三日で、珠生達は明桜学園高等部を卒業する。

 とはいえ、大半の生徒がそのまま明桜学園大学部に進学するため、皆大した感慨を持っているわけではない。式典はあくまでも形式的なものなのだ。それでも、幾人かは他大学へ進学するものもいるため、学内はどこか落ち着かない雰囲気が漂っている。

 今日はまだ普通授業だ。卒業式ぎりぎりまで授業をみっちり詰め、生徒が浮かれすぎないように締めているというわけなのである。

 珠生はぼんやりと若松を見上げつつ、この先生には何かと世話になったなと振り返る。思えば、若松にはかなりの秘密を強いた上に、水無瀬文哉の攻撃があったときは病院送りにまでしてしまったのだ。

「何だ沖野、質問か?」
 じいっと大きな目で見上げられていることにずっと気づいていた若松は、授業の最後のほうで珠生にそう声をかけた。珠生ははたとついていた頬杖を片付けて、もじもじと目を伏せる。

「なんでもありません……」
「なんだ? 聞きたいことがあったら聞いとけ、もう現代国語は今日で最後だし」
「はぁ……、いや、あの……」
「何だ、はっきりしないな」
「なんか……お世話になったなと思って……」
「え?」

 思いもよらぬ珠生の台詞に、若松はきょとんとしている。珠生は顔を伏せ、ちらりと上目遣いで若松を見た。

「あの……俺、三年間先生に担任してもらったから……なんか、色々ありがとうございました」
「お、沖野お前……」

 若松の目が、見る間にうるうると涙を帯びる。しかしそれを皆に悟られまいとしているのか、若松は大きく深呼吸をして言った。

「そういうことは、卒業式当日に言え、気の早い!」
「あ、はい。そうですよね」
 珠生が照れ笑いしているのを、周りの生徒達がほぅ、となって見惚れている。今や男も女も関係なく、珠生の美しさの虜である。

 若松がなにか言いかけた時、チャイムが鳴った。
 次は昼休みだ。すぐに購買部に走っていく男子生徒たちがばたばたとせわしなくするため、授業はそのまま終わった。

「珠生ー、どうしたん? しんみりしてんのかぁ」
と、斗真がコンビニの袋を持ってやって来た。
「あ、ううん。ちょっとね」
 そう言って微笑む珠生に、斗真は少し頬を染める。
「天気いいし、屋上行こうや、屋上」
と、今度は優征がやって来る。

 気づけば、この二人とはここのところ特に行動を共にする機会が増えた。しかし大学へ行けば三人とも他学部だ。こうして一緒に食事を摂る機会は、ぐっと減るに違いない。
 珠生は朝詰めてきた弁当を持って、斗真、優征、梅田直弥、小嶋英司とともに屋上へと登った。

 屋上は、常日頃から優征や彼の取り巻き……つまりあまりガラのよろしくない生徒たちが屯することが多いため、ひと気はない。しかし最近、優征はそういったたぐいの友人たちとは距離を置いているようだった。そのかわり、彼は斗真や珠生、直弥や英司など、クラスメイトと過ごすことが増えている。

 大柄で押し出しのいい容姿をした優征は、黙っていても威圧感を漂わせる男子生徒だった。しかし、今の表情はごくごく普通の高校生に見えるような気がする。クラスメイトとの付き合いが増え、表情も口調も、随分穏やかになったようだった。

「あと三日かぁ、男子高校生って身分も」
と、小嶋英司が彩りの良い弁当をぱくつきながらそう言った。きっと母親の作によるものであろう。
「でもみんな、明大だな」
と、直弥。
「俺はバイト先も珠生と一緒だもんねー」
と、斗真は嬉しそうだ。珠生は彼の祖母がやっている和菓子屋のリニューアルオープンに合わせて、斗真とともにアルバイトをすることが決まっている。

「お前、最近隠す気なくなってきたな。そんなに珠生が好きか」
と、直弥がもはや憐れむような目付きでそう言った。
「べ、別にそういうんちゃうし!」
と、いちいちそれに反応する斗真を見て、珠生は笑う。
「でも俺も心強いよ。俺、人見知りしちゃうから、斗真がいれば大丈夫そうだし」
 珠生のフォローに、斗真は目を輝かせて頷いた。
「おう、任せとけ!」
「ええなぁ、俺も雇ってよ」
と、英司。
「もう定員オーバーや」
と、斗真はにべもない。優征は溜息をついて、「分かりやすいやつ」と言った。

「そっちばっか行って、バスケさぼんなよ」
「分かってるって! あ、そうだ。みんなで免許取りに行かへん? 合宿で取ったら二週間くらいでいけるやろ?」
と、今度は楽しげに合宿免許のパンフレットを取り出すなど、斗真はすでに浮かれている。
「お、いいね。俺も行きたいと思っててん」
と、これには優征も乗ってくる。
「お前はどうせナンパに使うだけやろうけどな」
と、斗真。
「まぁな。あったらそっちのが便利やろ。ラブホとかも入りやすいし」
「ばっかやろう! お前は動機が不純すぎるわ!!」
 初な斗真は、べしとパンフレットで優征の頭を叩いて喚いた。珠生と直弥、英司は顔を見合わせて苦笑いする。

「でも俺も行きたいな、早めにとっときたいし」
 珠生は斗真の手からパンフレットを取って、ぺらぺらとめくった。珠生が興味を示したことで、斗真がまた目を輝かせる。
「じゃあ卒業旅行がてら合宿やな!」
「色気ないけど、まぁええか。免許取れたら、またみんなでどっか行こうや」
と、英司が楽しげにそう言った。
「いいね、楽しそう」
と、珠生。
「その頃にはみんな彼女とかできてんのかなぁ」
と、直弥。
「どうやろうなぁ。でもま、こうやって男ばっかで遊んでたらあかんやろうな」
と、英司はごろりとコンクリートの床に寝転んでそう言った。
「ま、珠生と優征は余裕やろうけど」
とも言って、英司はこんがりと焼けた顔を、隣に座る珠生の方へと向ける。

「や……どうかな」
と、珠生が苦笑いするのに対し、優征は事もなさげにこう言う。
「まぁ、俺は余裕やけど。ええ子おったらお前らにも紹介したるやん」
「世に言う合コンってやつかぁ」
と、空の紙パックを咥えたまま、斗真もごろりと横になる。
「斗真は背も高いし、顔も結構いいのに、何でもてへんの?」
と、英司は肘枕をして転がっている斗真を見た。
「知るか。モテへんのと違う、告られても三日でフラレてるだけや」
「それ、モテてへんのと一緒やん」
「……」
 べこ、と斗真は咥えていた紙パックを吸って凹ませる。まるで彼の気持ちを表現しているように見え、皆笑った。

「斗真は年上の女の人に好かれそうだけどな、素直だしさ」
 見かねた珠生がフォローに回ると、斗真はひょいと起き上がって珠生を見た。
「そうかなそうかな。やっぱ俺も、そうやと思うねんなぁ」
「うん、だから大学行ったらモテるんじゃない?」
「そう思うか? そうやんなぁ、きっとそうに違いない」
 斗真は素直に、というか単純に目を輝かせている。ずずっと、バナナオレを吸い込んだ優征は首を振りながら珠生の頭をわしわしと撫でる。

「おい、あんま夢を見させるようなこと言うなや。これでモテへんかったらどうすんねん」
「大丈夫だって。ていうか、やめてよ」
 髪の毛をぼさぼさにされた珠生は、ひょいと頭を下げて優征の手から逃れる。

 予鈴が鳴り、めいめい昼食を片付けると、腹が満たされ眠たい目をなんとか堪えつつ、伸びをしたりだらだらと歩いたりして階段を降りていく。しんがりを歩いていた優征は、その前を行く珠生を見下ろして小声で尋ねた。

「最近はちょっと元気そうやな」
と言った。
「あぁ……うん。少し、落ち着いたから」

 踊り場で振り返り、珠生はそう言って微笑んだ。

 あの日以来、優征は珠生のことを気にかけている様子だった。去年まではあれだけ仲が悪かったというのに、この数ヶ月で随分といろんな面を見られてしまった。しかも、思いの外優征は優しいので驚いてしまう。

「ありがとう。優征には世話かけっぱなしだね」
「いや、別に……」
 素直に礼を言われると照れてしまう。優征はあさっての方向を見ながら、ポケットに手を突っ込んだ。

 珠生はふっと笑って、すたすたと階段を降りていった。

 優征は、肩をすくめてその後に続く。
 こんな風に平和な日常を過ごしながら、珠生はその目に一体どれだけの妖を見ているのだろうかと、優征はふと不思議になった。きっと自分たちが思う以上に、彼らは見たくもないものをたくさん見ているに違いない。 


 ——そんなふうには、全く見えへんのに、すごいな……。


と、優征は素直に感心し、そしてどこかしら尊敬にも似た気持ちを感じた。
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