琥珀に眠る記憶

餡玉

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第5幕 ——夜顔の記憶、祓い人の足跡——

63、追走

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 京都市中心部を、黒い大型バイクが縦横無尽に駆け抜ける。

 巡査から巡査部長となり、五条警察署に勤務するようになった岡本洋介は、烏丸通を爆走するそのバイクの群れに呆気にとられていた。

 しかも上層部から、そのバイク集団については取締を禁ずるという謎めいた命令も下っており、岡本はただただそれを見逃すのみである。明らかにスピード違反だし、騒音は完全に迷惑防止条例違反であるにもかかわらず、だ。

 署内では、まるで何事もなかったかのようにその騒音を無視し、いつも通りの業務が行われている。それはひどく不自然な風景に見えた。

 ちらちらと降り始めた粉雪が、徐々に白い花びらのように大きな形を持って降り始めている。
 暖を求めて皆が家にこもり始めているためか、スリップを恐れてか、人通りが徐々に減ってきていた所にこのバイクの群れである。人も車も増えるのが常の年の瀬だが、午後からの大雪警報でいくらか市内は人通りが少ないため、すぐさま事故につながるような事態になる可能性は低いかもしれないが、岡本はただただヒヤヒヤしながらそのバイクの集団を目で追った。

 不思議なことに、彼らはなにやら一つのものを集団で追いかけているような様子なのだ。

 以前、『特別警備体勢壱式』というものに従事する機会があったが、あの時と同じような違和感があった。
 それとともに、御所に消えていったあの美少年が、再び自分の手によって補導されるというあの一件。……あの少年の怯えた顔が頭をよぎる。


 ——いったい何が起こっているんだろう……。


 誰に問えるわけでもないこの状態に、洋介は静かに息を飲んだ。



   +

 
 その十分前、明桜学園では一度爆発が起こっていた。
 舜平が術でグラウンドを掘り返したような爆発ではなく、本物の火薬による爆発である。

 それは明桜学園のプール付近で起きた。
 そこから強い霊気を感じるという探索方の報告により、敦と舜平がその付近に近づいていった途端、爆発は起きた。

 すぐに結界壁を張ったため被害者はなかったが、そのもうもうと立ち込める煙の中に紛れてその場から逃げる何者かの影が見えたのだ。

「おい! 待て!」
 舜平の怒声に驚くでもなく、その人物は脱兎のごとく逃げ出した。
 そして、人払い結界を張っていた術者の一人を殴り倒し、そこにあったバイクを盗んで学外へと逃げ出したのである。

「誰か逃げたぞ! すぐに捕獲じゃぁ! 運転できるもんはついて来い!」
 敦に率いられた数名がバイクの元へ走ると同時に、舜平は彰と珠生のところへと走った。

「誰かおったけど、爆発に紛れて逃げよった。敦が追うと言ってる」
「そうか、僕らも行こう」
 彰はきびきびと動き出した。ヘルメットをかぶり、湊の腕を掴んでバイクの方へと歩み寄る。珠生と舜平も顔を見合わせて、バイクの元へと走った。

「あの女かな?」
 舜平のタンデムシートに乗りながら、珠生はそう尋ねた。
「男とも女とも分からへんけど、あの大型バイク奪って逃げたんや。男な気がせんでもないな」
「じゃあ……誰か協力者がいたってことか……」
 舜平はすぐさまエンジンを掛けて、すでに走り出している数台のバイクの後に続いた。先陣をきっているのは敦らしい。

 皆が同じような格好をしているため、誰が誰やら分からないが、制服姿で背中に弓を背負った湊を見つけた舜平は、そちらへと車体を寄せた。

 逃げている相手はぐんぐんと北へ北へ向かってバイクを走らせているが、その運転スキルはかなりのものだと舜平は思った。

 先頭を走る敦の様子を見る限り、敦の運転技術もかなり熟達したものである。それにもかかわらず、相手は一定の距離を保ったまま、追手を寄せ付けないのだ。

『敦、深追いはするな。向こうがこちらを誘導しているという可能性もある』

 ヘルメットのマイクを通じて、彰の声が聞こえる。敦への呼びかけが聞こえるということは、全車両がつながっているということだろう。滅多なことは言えないなと、珠生は口をつぐんだ。

『分かっとる、でも……全く距離が縮まらん』
と、敦。
『京都市内の虫網の最北端はどこだ?』
という彰の呼びかけに対して、耳慣れない声が答えた。
『比叡山の麓です。国際会館、修学院離宮を直線でつないでいます』
『それを乗り越えることはできないはずだが、あれだけの術を使うんだ、破られる恐れもある。その手前で確保する』
『了解』

 彰の命令に、同時に沢山の声がそう応じる。まるで刑事ドラマみたいだと、珠生は思った。

 雪が強くなり、視界が悪くなってきた。風切り音がびゅうびゅうと耳をすり抜け、肌を出していなくても身を切るような寒さだった。一般車をかわしながら北上していく黒いバイクは総勢十五台。京都御所を右手に突っ走り、今出川通りへ出た途端、数台のバイクが左右に別れた。もともと決まっていたフォーメーションなのだろう。

 舜平と彰、そして敦はそのまま北へ北へとまっすぐにバイクを走らせる。
 逃げる方も、あまり土地勘がある方ではないらしい。細い路地に入り込むこともなく、ひたすらに大通りを北上させている。そうなると、地理にも明るい職員たちが数段有利であろう。

『見えた! 目標は男じゃ!』
 北大路通から橋を渡り、少しばかり速度が落ちたのか、敦は運転手を見定めたらしい。
『こっちを振り返った。まだ若い男らしい!』
『男……? 誰だろう』
と、彰の呟きが聞こえる。
『北大路通りを東へ直進中!』
『了解』
『ん……何か投げよった……うわ!!』

 珠生の目にも、逃げる男が何かするのが見えた。男は右手をハンドルから離すと、白い何かを放ったのだ。それは呪符のようなものであり、男の手を離れた途端、ばさばさと大きな白い鳥のような形に変化した。

『いけん! 前が見えん! 気をつけろ!』

 なんとか辛うじてその鳥を避けながら、彰と舜平もひたと疾走る。先頭を行く敦はその鳥にぶつかりながらも、なんとか耐えながら走っているようだ。紙を憑坐に、低級霊を呼び集める札の一種らしい。突っ切っると、うねうねと低級霊の残滓が絡みつく。

『ここまで来て目眩ましか。虫網を超える気だな』
と、どこまでも彰の声は冷静だ。 

『俺が行く』

 不意に発せられた珠生の声が、マイクを通じて全員に伝わる。

『舜平さん、敦さんの後ろにつけて』
『お、おう!』
『珠生? どうするつもりだ』
と、彰。
『結界を越える前に、相手を捕らえます』
『どうする、目眩ましが邪魔じゃないか?』
『ここから跳びます。それで、相手のバイクごと引き倒す』

 珠生の言葉に、何人かの男の声がざわざわと混線したように聞こえてきた。珠生の身体能力を知らなければ、到底真に受けることの出来る発言ではない。彰はふっと笑って、言った。

『オーケー、やってみよう。湊、弓の準備だ』
『はい』
『珠生の援護をしろ』
『相手は人間でしょう、大丈夫ですかね』
『威嚇でいいが、この際当たっても構わない』
『分かりました』
『簡単そうに言いよるけど、相手は猛スピードで突っ走っとるんぞ!? いけるんか!?』
と、敦。
『まぁ、やってみなきゃ分かんないでしょう。舜平さん、次に相手が仕掛けてきたら、一気に前に出て』
『おう! 敦、邪魔すんなよ』
『邪魔とはなんじゃ! 誰がここまでお前ら引っ張って……!』
『うるさい。後にしろ』
と、彰。
『……』

 もう一波、逃げる男が式を放った。敦がうおっと言いながらもそれらを片手で殴ったり突っ切ったりしながら、いくらか数を減らしている。式を避けてジグザク走行するバイクの上で、珠生は手袋を外し、そっとそれを懐に納めた。

『舜平さん、頼むよ』
『よっしゃ!』

 舜平がスロットルを全開にして、一気に加速する。唸りを上げるエンジンの重低音が、珠生の心臓をどくどくと刺激した。

 膝をぐっと締めて身体を安定させながら、宝刀を抜き、右手に構える。敦の隣を抜き去りながら、珠生は舜平の背中に手を添えて、ゆっくりと後部座席のステップの上に立ち上がった。
『気をつけろよ!』
と、敦が大声で怒鳴るのが聞こえる。

 珠生は微かに頷いて、ぎゅっと宝刀を握り締めた。

 道路は二車線の直線、走っている車はほんの数台。  

 左右にある街路樹の影が、すごい速度で後ろへ後ろへと流れていく。遠慮なしに飛ばす舜平のバイクは、時速200キロを超えている。ヘルメットのシールドを叩く湿った雪で、視界はかなり悪い。珠生はシールドを開いて、じっと前方を疾走る男の背中を見据えた。その瞳孔が、すっと縦に裂ける。

 珠生はゆっくりとタンデムシートの上に足を乗せ、その上に立った。整備された道路とはいえ、この速度で疾走るバイクはかなりの揺れだ。珠生は意識を集中し、すうっと息を吸い込んだ。

『行くよ』 
 珠生の静かな声に、舜平は大きく頷いた。
『おう、いつでもいいで!』

 珠生はぐっと後部座席の上で膝を曲げると、身体のバネのみを使い、助走もなしで一気にくうを跳んだ。

 珠生が踏み込んだ衝撃で、舜平のバイクが大きく傾ぎ、タイヤが道路とこすれ合う鋭い音が響いたが、舜平は何とか転倒することなく姿勢を保つ。そしてすぐさま態勢を立て直し、抜き去っていった敦と彰のバイクを追う。

 バイクを蹴った珠生は、降りしきる雪の中でくるりと一回転すると、その反動を利用して逃げる男の前に着地した。そしてすぐに、宝刀を低く構える。

 突然現れた珠生の姿に、バイクの男が驚いているのが分かる。前傾姿勢だったものがふと起き上がり、急ブレーキをかけるような仕草が見て取れた。

 金属同士の擦れ合う鋭い音が響き、真っ赤な火花が飛び散る。珠生はまっすぐ向かってくるバイクのタイヤの前に宝刀を低く構え、トップスピードのまま走り去ろうとしていたバイクに向かって、刃をかざした。

 珠生は車体とすれ違いざま、眩く光る宝刀で、バイクの前輪から車体、さらには後輪までを切り裂いた。

 バランスを失ったバイクは派手に転倒し、街路樹に激突。無残にも大破した。

 衝撃で弾き飛ばされた運転手の体が宙を舞い、どうっと重たい音を立てて道路に転がる。ガソリンタンクから流れでたガソリンが火花に引火し、数メートル先の道路の真中で爆発した。珠生は低く伏せたままその衝撃をやり過ごし、もくもくと雪煙の中たちこめる黒煙を見上げていた。

『確保じゃ!!!』
と、敦の怒号が聞こえてくる。

 次々にやってきたバイクが道路を塞ぎ、すぐさま数人が交通整理にあたりはじめた。北側からやって来た数台のバイクがすでに道路を封鎖していたため、一般車輌への被害はなかったようだ。

 珠生はすっと立ち上がり、フルフェイスヘルメットを脱いだ。大きく息を吐いて、あまりの寒さに顔をしかめる。

「……さむい」
「珠生!」

 バイクを停めて駆け寄ってきた舜平が、無事を確認するように珠生の身体をバシバシと叩いた。珠生は顔をしかめる。

「痛い、いたいって」
「大丈夫か!? っていうかお前、すごいやん!」
「俺は平気だよ。それより……ちょっと派手にこかしちゃったけど……大丈夫かな」
「大丈夫ではないやろうけど。見にいくか」

 倒れこんだ男の回りには、すでに文字通り黒山の人だかりができている。全員が黒い装束だから、尚更だ。

 男の直ぐ側にしゃがみこんでいる彰が、珠生を見つけて微笑んだ。

「生きている。手当をしてから、取り調べだ」
「……そっか、良かった」
 珠生がほうっと安堵していると、敦がやって来て珠生の頭をがしがしと乱暴に撫でた。
「珠生くん、ほんまにすごいなぁ!! 俺、見とって鳥肌立ったわい!」
「よくやった、珠生」
と、彰も笑顔だ。
「ありがとうございます……」

 そうやって真っ向からほめられることに慣れていない珠生は、苦笑いをしてヘルメットを抱え直した。
 どこからともなく現れた黒いワゴン車が、数メートル先に停まる。そこからも黒いスーツの男たちが数人やって来ると、倒れている男を担架に乗せて運んでいった。

「彼らがまず治療をする。意識が戻ったらすぐに調べよう」
 彰は立ち上がって、けぶる雪の向こうにワゴン車が消えて行くのを見送った。 
 ようやく周りを見る余裕ができた珠生は、ふと辺りを見回す。

「……うわ」
 道路は酷い有様だった。ガソリンに引火した炎は尚も燃え続け、さらに街路樹に燃え移った火がもうもうと黒い煙を空へと吐き出している。散らばったバイクの金属破片や割れたミラーのガラスの欠片、タイヤが擦れた黒い轍……まるで多重事故でもあったかのような有様である。

「あの……これ……どうするんですか?」
 珠生が恐る恐る彰を見上げると、彰は涼しげな顔で微笑んだ。
「ここからは彼らの仕事だ。それに、すぐに消防も来るよ」
「え、でも……何か事情を聞かれるんじゃ……」
「この国には、特別警備体制壱式というのがあってね、何も聞かず、事後処理をせよという命令があるんだ」
「あ、それ、十六夜の時も聞いたな」
と、湊が腕組みをしながらそう言う。制服姿なのでひどく寒そうである。

「そう、それさ。僕らはこれから取り調べの方へ回ろう、行くよ」
 彰は指で珠生達を手招きすると、踵を返して再びバイクの方へと歩を向けた。 

 すると、道路を封鎖するように停められたバイクのそばに立っていた黒装束の男たちから、ぱちぱちと拍手が起きた。ヘルメットを脱ぎ、珠生を見送る男たちの顔には、皆尊敬の色が強く浮かんでいる。珠生は恥ずかしくなって、すぐにヘルメットをかぶって顔を隠した。

「なにか言ってやればいいのに」
と、照れている珠生を舜平がからかうと、珠生は舜平の上着をぐいぐいと引っ張ってバイクの方へと急かした。

「無理、恥ずかしい、早く行こうよ」
「やれやれ、シャイやな」
「もういいから、早く行こう、寒いし」
「結局それかい」

 舜平は溜息をついて、エンジンをスタートさせた。
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