琥珀に眠る記憶

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第5幕 ——夜顔の記憶、祓い人の足跡——

13、黒いスーツ

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「……彰くん、どうしたの? その格好」
「今日は卒業式だったんだけど、夕方から業平様に呼ばれて、卒業祝いにってこれ、選んでくれたんだよ。今後は制服じゃなく、この服で仕事に来いってさ」
「あぁ……なるほど」
「ホテルに戻ったら、業平様が言うんだ。葉山がきっとイライラしてるから、ロビーを覗いてご覧って。そしたら、本当にいらいらしてる葉山さんがいるんだ。もう僕、可笑しくて」
 さっきまでのクールな態度とは打って変わって、いかにも楽しげに笑い出す彰に、葉山はむっとして唇を尖らせる。

「全くもう、うるさいわね。藤原さんも、人が悪いんだから」
「あの人達、葉山さんと同い年ってことだよね? やっぱり葉山さんはきれいだな」
「……ありがとう」
「どうせ愚痴るんだろ? 聞いてあげるよ?」
 彰はにっこり笑って、エレベーターのボタンを押した。葉山は開放感と、初めて感じる優越感に、徐々に気分が良くなってきた。

「そうね……、飲み直したい気分だわ。上へ行きましょ」
「ホテルのバー? 僕、未成年だけどいいの?」
「もう、高校卒業したんでしょ? 入るくらいいいんじゃない?」
と、エレベーターに乗り込むと、葉山は最上階のボタンを押す。彰は面白そうに笑うと、ドレスアップしている葉山をまじまじと見つめた。

「なに?」
「ううん、本当にきれいだ。確かに、すぐに脱がせてしまうのはもったいないかな」
「……あなた、なに言ってるの」
「言ったままの意味だけど?」
「あ……そう」
 憚りもなくそんなことをさらりという彰の余裕たっぷりの態度に、葉山は少し赤面した。葉山はふと、パーティバッグの中で携帯が震えていることに気付いた。萌からのメールだった。

「一人、大人しく笑っていた子がいたでしょ? あの子、高校の時一番仲良かったんだ」
「あの一歩引いてた人かな? 少し大人しそうな」
「そうよ。……あの二人、独身貴族の私達をさんざんいびってたんだけど、彰くんを見て、すっかり黙っちゃったらしいわ。いい気味」
 葉山は萌からのそんなメールを読み、すっきりした表情で笑いながらそう言った。

「良いタイミングで来てくれたもんだわ」
「そりゃよかった。そのお友達とはちょっと話してみたかったな」
「何なら呼ぶ? 彼女、すぐ来ると思うわ」
 
 彰と葉山が先に最上階のバーに入って待っていると、桜井萌が今日一番の笑顔で入ってきた。
 窓際のテーブル席についていた葉山たちのところに歩み寄ると、並んで座っている二人をしげしげと見ている。

「彩音、聞いてないよ」
「ごめん。なかなか言い出せなくて……って言い出すほどの関係かどうかも……」
 と、葉山が再びお茶を濁すと、彰はジンジャエールの入った細長いグラスを指で撫でながらため息をついた。
「はいはい、もういいですよ。僕は何でも」
「あはは。随分若そうだけど……いくつ? あ、ハイネケンください」
と、萌はオーダーを聞きに来た男前のボーイに注文する。
「十八です」
 ボーイがいなくなってから、彰は少しばかり声を潜めて、萌にそう言った。萌はきょとんとして、葉山をじっと見つめる。
「え? 高校生?」
「今日卒業しました」
「え? ええ? なんで? どうしてそうなるの?」
「僕は葉山さんの下でアルバイトとして働かせてもらってたんですよ」
「あ、そうなんだ。それが出会いなのね。いいなぁ、こんな若くて可愛い……って言ったら失礼か。かっこいい子、羨ましい。まじで」
 萌はおとなしげな見た目からは想像つかないようなさばさばした口調でそう言って大笑いすると、運ばれてきたビールを二人のグラスに軽くぶつけた。

「萌は大人しく見えるんだけど、実は学校で一番遊んでた女子よ」
と、葉山は彰にそう説明した。
「ちょっと、誤解を招くようなこと言わないで。少し顔が広かっただけよ」
と、萌は笑いながらそう言った。
「見てると、彰くんが彩音のことだいぶ好きみたいだね。いいの? こんなほとんど一回りも年上の女で」
「もちろんですよ。僕は、葉山さんとの未来以外、考えられないので」
 にっこり笑ってきっぱりとそう言い切った彰を見て、萌は感動したように何度も頷く。葉山はくすぐったい気持ちを隠すように、ぐいとマティーニを煽った。

「若いのによく言った! 素晴らしい! えっと、次は大学か。じゃあ……四年は待たないとだめか」
「ちょっと、なに先走った話してんのよ」
と、葉山が萌をたしなめる。
「それが、六年なんですよ。医学部へ進むので」
「まじで? ああでも、お医者様になるなら、六年またせても充分お釣りが来るわね」
「お釣りって何よ」
と、葉山。
「こんなイケメンで将来性抜群の男子、よく見つけたわね! やっぱあんた、只者じゃないわ」
と、酔っ払ってきたのか萌は上機嫌だ。

「高校時代の葉山さんかぁ。どんな人だったんです?」
と、彰が長い脚を組み替えて萌に尋ねた。
「当時の彩音は君みたいな華やかな男子とはかけ離れたガリ勉女だったのよ。眼鏡掛けてたわよね? 髪もばさばさのショートカットでさ」
「もうちょっと丁寧に説明しなさいよ」
と、葉山は文句を言いながら、もう一杯マティーニを頼む。
「頭は良かったよ、私なんかとは比べ物にならないほど。それでも真面目で頭固いからって、あんまり女子の友達いなかったわよね。あたしくらい?」
「……まぁね」
 葉山は脚を組んで、ハイヒールを爪先で揺らしながら気のない返事をする。彰は葉山のすらりとした脚を見下ろした。

「あたしも女子のねちねちした付き合い無理だったから、なんだか気が合っちゃったのよねー? かと言って私はガリ勉にはならなかったし、彩音も男遊びはしなかったけど」
「へぇ、葉山さん、きれいになったんだね」
「やかましいわよ。元は良かったのよ、元は。ただファッションに無頓着だっただけ。修行もあったし……」
「修行?」
 萌が不思議そうな顔をして首を傾げた。葉山は慌てて咳払いをすると、「塾よ」と言い直した。
「ああそっか。あんた学校終わるとすぐ帰ってたもんね」
「なるほど」
と、彰は納得したように頷く。

「でもよかった。国家公務員になったとは聞いてたけど、またがりがりやってんだと思ってたから。まさかこんないい男見つけてるなんて思いもよらないじゃない。だからこんなにきれいになったんだね」
 萌が我が事のように喜んでいるのが分かり、葉山は純粋に嬉しかった。彰も、そんな二人を見ながら微笑む。

「葉山さんは、出会った頃からとてもきれいでしたよ」
「きゃぁ、ほんと君は上手ね! あたしが照れちゃう!」
と、萌はバシバシと彰の腕を叩いた。酔っていても顔に出ない萌だが、彰の言葉に照れているのかほんのり頬をそめている。
「どうだか。迷惑そうに見てたじゃないの、あたしのこと」
「だって、業平様の部下だっていうからさ。ポジション奪われたような気がして腹が立ったんだよ」
「なになに? 上司の取り合い?」
「そんなとこです」
と、彰。
「何がどうなるか分からないものね。でも彩音、よかったわね」
「……え、うん。そうね……」
「好きなんでしょ? 彰くんのこと」
「えっ? ……ええ、そうね」
「えっ? 本当? そうなの?」

 萌にちくちくと質問攻めにされてそう言った葉山の言葉に、彰が心底嬉しそうに笑った。そんな表情を見て、葉山はどきりとする。

「嬉しいなぁ。そんなこと、一生言われることはないと思ってたけど」
「そ、そんなことないわよ」
「そうかぁ、僕の事好きなんだ」
「突っ走らないでよ。言わされた感が否めないわ」
「でも肯定してたじゃないか」
 萌は言い合いをしながらも楽しそうな葉山を見て微笑んだ。きっと、この子は幸せになれるだろうと安心した。

 彰を見ていると、葉山を大切に思っている気持ちが伝わってくる。若いのに、どうしてこんなにも大人びているのか不思議になるくらい、彼の表情には余裕がある。

「……さて、私は新幹線の時間があるから行くね。婚約者も待ってることだし」
と、萌はすっと立ち上がった。スモーキーピンクのつるりとした素材のワンピースのしわを直しながら、萌は二人に微笑んだ。

「お邪魔してごめんね。二人共、お幸せに!」
「あんたはまず自分の結婚式のことだけ考えてなさいよ」
と、葉山が照れ隠しなのか、つんつんしながらそう言った。彰はとなりで微笑みながら、「ありがとうございます」と応じている。

「あはは、お似合いだわ。じゃあね」
 萌は笑顔でそう言い残すと、ヒールの音を響かせてさっさと行ってしまった。相変わらずさっぱりとして気持ちのいい子だと、葉山は萌を改めて見直す。
 彰は楽しげな葉山の顔を見ながら、また微笑んだ。

「友達の前だと、あんな顔するんだ」
「どんな顔よ」
「うーん、なんて言うのかな。いつもより子どもっぽかった」
「そりゃあね。君たち高校生と過ごしていたら、どうしてもしっかりしなきゃと思うでしょ」
「それもそうか。あーあ、もっと早く生まれ変わっていたら」
 彰はため息混じりにそう言って、大きな窓から見える京都の夜景を見下ろした。ソファに肘をついて窓の外を眺めている彰の横顔は、とても絵になっている。

「そしたらさっさと葉山さんと結婚してたのに」
「……分かんないわよ。歳が近けりゃいいってもんでもなかったでしょ」
「でも僕が今まさに、葉山さんと同い年の医師だったら?」
「……ライバル視、してたかもね。国家公務員なめんなよって」
「そうなの? ……じゃあいいか。このままで」
「いいのよこれで。それに、今あなたと一緒にいることに、年齢なんて関係ないもの」
「ははっ、嬉しいな。僕のこと、好きになってくれた?」
 彰は小首をかしげ、唇に笑みを乗せて葉山を見つめた。キャンドルの灯りに照らされて揺れる彰の目は、口調や表情のわりにえらく真剣なことが分かる。ごまかせない真っ直ぐな視線に、葉山はまたどきどきと高鳴る胸を押さえる。

「……そうじゃなかったら、こんなに一緒にいないわよ」
「……そう」
 彰がほっとしたように、微かに息をついたことに葉山は気がついていた。彰は眉を下げて、にっこりと笑う。

「嬉しいよ」
「……もう言わないわよ、こんなこと」
「いいよ、僕も聞かないから」
「あ、そうだ」
「なに?」
「高校卒業、おめでとう」

 葉山はマティーニのグラスを軽く掲げた。彰は微笑み、それに応じてジンジャエールのグラスを持ち上げる。そしてふたりは同時にグラスに口をつけた。

「ありがとう。……もう部屋に戻らない?」
「えぇ? まだ飲み足りないわ」
「早く葉山さんに触れたいんだ。ここじゃ、手をつなぐぐらいしかできないだろ?」
「……」
 ぎゅっ、と葉山の手を握る彰の手が熱い。じっと自分を見つめる彰の目に射すくめられ、葉山は何も言えなかった。

 無言を肯定と受け取ったのか、彰は少しだけ微笑んで葉山の手を握って立ち上がった。

 引っ張られるように席を立ち、葉山は彰に導かれるままに、バーを後にしていた。
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