琥珀に眠る記憶

餡玉

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第4幕『恋煩いと、清く正しい高校生活』

21、文化祭当日

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 文化祭当日は、見事な快晴だった。
 土曜日である今日、他校からもたくさんの生徒が見物に訪れるため、出会いを期待している生徒たちは非常に気合が入っている。

 珠生たちはクラスのコンセプトとして『和』を押しているため、朝から全員が浴衣を着込んでいた。若松も渋い黒がすりの浴衣にきりりと帯を締めて、女子に「先生今日かっこいい」ともてはやされて喜んでいる。

 普段見慣れない皆の浴衣姿は、とても新鮮だった。たすきがけをして食品を担当している男女はとても凛々しく見えたし、斗真が持ってきた前掛けをして呼子をしている女子たちは、とても雅やかに見えた。珠生は今更ながらに、日本人はやっぱり和服だなと思った。

「沖野くん……」
 おずおずと声をかけられ、振り返ると詩乃がいた。
 白花色の紗綾形さやがたに黒い帯をさらりと着こなす珠生の粋な姿に、詩乃は心底うっとりしていた。

「和装似合うねぇ。その浴衣めっちゃ渋いやん」
「ありがとう。父さんのお古なんだけどね」
「へぇ、素敵。お父さんもお洒落さんなんやねぇ」
「三谷さんも可愛いよ」

 珠生はにっこり笑って、白地に赤い大きな金魚の描かれた浴衣と、赤い格子模様の帯を文庫結びしている詩乃にそう言った。詩乃はうちわで顔を半分隠しながら、珠生の肩を照れたように叩く。

「い、いやいや、いややわ! そんな! そんなことないし!」
「そうかなぁ。可愛いと思うけど」
「おい! イチャイチャすんな、お前ら」

 珠生と詩乃がきゃっきゃと言い合っているのを見て、笹部壮太が渋い顔をしている。壮太は午前中は販売なのか、たすきがけをして、見事に日に焼けた形の良い上腕二頭筋を晒していた。灰色の浴衣を身にまとっているため、余計に肌が黒く見えた。

「沖野、午前は?」
「俺は十一時までチラシ配りだよ」
「せいぜい女どもを惹きつけてこい」
「任しといて」
「そこは謙遜せぇへんのかい」
「はは、ごめん」
 珠生は苦笑して、壮太と詩乃に手を振ると、人が入り始めたグラウンドの方へと歩いていった。
 

 湊は黒地に縦格子の入った渋い浴衣に身を包み、白の帯を締めていた。やっぱり黒装束は落ち着くと、湊は深呼吸しながらきゅっと襟元を引っ張る。

「湊」
 珠生が下駄履きでこちらに駆け寄ってくるのが見えた。湊は受付業務に就いていて、他校の生徒相手にパンフレットを配ったり、招待状を確認したりという作業を行っている最中だ。たった今も女子の団体を見送ったところである。
「おう。順調か」
「朝一だからまだだね。このへんでチラシ配ってもいいかな?」
「入口付近は混雑するからあかん。あっち行け」
「ケチ」
 珠生はむっとした顔を見せる。そんなやり取りを聞いていた、女子の受付担当がクスクスと笑っている。

「沖野くん、可愛い」
 見ると、そこにいるのは同じ二年生の女子生徒だ。彼女もコスチュームなのか、この学校の制服ではないセーラー服を着ていた。
「……やっぱ有名人やな、お前は」
「そらそうやろ。ねぇ、沖野くん、写真一緒にとってもいい?」
「え? あ、うん」
「ほんま!? ありがとうね!! ほら、柏木、はよう写して!」
「……金取んぞ」
 湊は憮然としながらも、珠生と並んで満面の笑みを浮かべる女子生徒の写真をとってやった。女子は大喜びで、珠生に何度も礼を言っている。

 そうこうしているうちに、また他校の女子生徒の団体がやってきた。一時的に受付の手伝いに回った珠生の姿を見て、他校の派手目な女子達がそろってぽかんとしている。

「……あ、良かったらどうぞ。わらび餅、美味しいですよ」
 そんな視線に気づいた珠生は、笑顔でチラシを配ってみた。女子生徒たちはマスカラで盛ったまつ毛を上下しながらチラシを受け取り、黄色い声を上げながら校内へと入っていく。
 効果絶大な珠生の営業用スマイルに、湊はやれやれと首を振ってため息をついた。

「さっすが。なおさらここでチラシ配りを許す訳にはいかへんな」
と、ついさっき一緒に写真を撮った女子生徒まで、湊と口を揃えて珠生を奥へと追い立てた。自分たちの店に人が来なくなると危惧しているのである。


 珠生はグラウンドを歩き回りながら、チラシを配ったり写真に応じたりと、忙しく時間を過ごした。
 あっという間に休憩時間がやって来て、珠生は教室へ一旦戻ってきた。荷物番をしている最中の奈良井真弓と幾つか確認事項を押さえておく。

「結構売れとるらしいで。さすが沖野くん。午後も営業用スマイルで頑張ってな」
「はは、営業用って」
「売り切れたら、沖野の写真、売ったらええねん」
と、一緒に荷物番をしているクラス委員の三塚誠が、椅子の背もたれに肘をついてそんなことを言った。

「まさか。売れないよ、そんなの」
「アホか、売れるに決まってるやん。さっきから女子が”沖野くんいませんか、沖野先輩いませんかって……もううるさいのなんのって」
「そうなんだ……ははは」
 珠生は引きつった笑みを浮かべて財布を懐に入れ、さっさと教室を逃げ出した。

 こういうイベントでは、普段話しかけにくい人物にも気安く話しかけてもいいような雰囲気になるものだ。現に、珠生は普段見たことのない女子生徒と何枚か写真に収まったし、口をきいたりもした。多分今日一日で、またそういった場面に出くわすことだろう。

「珠生くん」
 階段を降りようとしたところで、また詩乃に出くわした。彼女も休憩に入るらしい。
「今から自由時間?」
「うん。十二時半まで」
「あの……あのさ、い、いい一緒に、なんか食べに行かへん? うちも一人やねん」
「うん、いいよ」
 二人は連れ立って、校内をうろうろと回った。
 浴衣姿の二人は人目を引いていたが、珠生とふたりで文化祭を舞われているという夢のような事実のおかげで、詩乃はまったく人目が気にならなかった。引っ込み思案な詩乃にとって、これは天変地異の前触れのような一大事だ。

 隣で微笑む珠生がとにかく眩しくて、自分の瞳孔がハート型になっていることを自覚してしまうほどに、今のこの時間が幸せでたまらない。

 一方珠生は、淡々と二人分の焼きそばなどを買って、体育館前の花壇に腰掛けた。

「あ、あの、沖野くんは、か、彼女さんとかは……呼ばへんの……?」
「彼女? 彼女いないよ?」
「そ、そうなんや」
「うん」

 なんとなく会話が途切れ、二人は黙々と焼きそばを食べていた。そういえば、女性と二人でこんな風に外を出歩くことなど初めてだなぁと、珠生は思った。どういうわけか詩乃はいつもより緊張している様子だし、珠生も口下手な方であるため、うまい会話が見つからない。こんな時、舜平の社交性が羨ましくなる。

「おいしいね」
「……おっ、う、うん……!」

 試しに珠生は微笑んで、そんなことを言ってみた。すると、詩乃はびくっと肩を跳ね上げて、真っ赤な顔で刻々と何度も頷き、明らかに挙動不審な行動を取りはじめてしまったではないか。珠生は軽くへこんで、己の会話下手を呪った。
 すると詩乃は突然立ち上がり、てきぱきと開いたパックや紙コップを手早くまとめはじめた。
「ちょ、ちょっと捨ててくる!」
「あ、俺が行くよ」
「いい、いいのいいの!! ついでにちょっと甘いもの買ってきたいし!」
「あ、うん……」
 小走りに行ってしまった詩乃の揺れる浴衣の裾を見ながら、珠生は立ち上がりかけた腰をまた落とした。背中にある体育館の中からは、演劇部の舞台が行われており、効果音や役者の声がかすかに聞こえてくる。

 珠生は空を見上げた。高い、青い空がどこまでも続いている。
 なんとなく考え事をしていると、詩乃があんみつを買って戻ってきた。あんみつという和菓子を食べたことのなかった珠生に、詩乃は笑顔でそれを手渡してくれた。お金を払おうとすると、「焼きそばのお礼やから!!」と激しく拒否されて、珠生はまた少しへこんだ。

「珠生くん!」
 珠生があずきを口に放り込んだ時、少し離れた場所から男の声がした。北崎悠一郎が、今日も完璧にロックな服装で現れたのである。胸に大きなカメラをぶら下げて、大きなピアスや指輪で身体を飾る悠一郎を見て、詩乃が目を丸くする
「悠さん、来てくれたんだ」
「いっぺん入ってみたかってんな、この学校。自分が高校生の時は縁なかったのに、この年になってやって来ることになろうとは」
「はは、そうなんだ」
「時に、その子は?」
 悠一郎は興味津々な目つきで詩乃を見て、にこにこと笑った。詩乃はあんみつの入ったカップを置いて、立ち上がり会釈する。
「こ、こんにちは……」
と、詩乃が不安げな表情で挨拶をしている。珠生は慌てて、「怖い人じゃないんだ」と悠一郎をかばった。

 悠一郎は浴衣姿の二人をまじまじと見比べて、カメラのレンズカバーを外し始めた。
「こんにちは。きれいな子やな。並んでると、ものすごいお似合いやで」
「えっ!?」
 珠生と詩乃は顔を見合わせた。悠一郎はカシカシとシャッターを何度か押したあと、二人の方にレンズを向けた。

「一枚撮ったろ。二人共浴衣、良く似合ってるわ」
「この人、プロのカメラマンなんだよ」
「ええー! すごいねぇ。あ、あのモデルやってるて噂……この人の?」
「そうそう」
 珠生と詩乃がそんなことを話しあっている間、悠一郎はうろうろと角度を変えてシャッターを切っていた。慣れていない詩乃は、悠一郎をついつい意識してしまうらしく、恥ずかしそうに笑って珠生を見上げたりしている。

「お、その恥ずかしそうな感じがまた可愛いな」
「へぇっ?」
「悠さん、一枚じゃなかったの?」
「ああ、悪い」
 悠一郎がカメラから顔を離すと、「あまりにも絵になる二人やったから」と言って苦笑した。

「おい、何やってんねん」
 ざわざわとしてきた校内を歩いてくる、背の高い男が見えた。舜平だ。一応今日が文化祭であるということは伝えてあったが、『来てください』とも『行きたい』とも互いに意思表示をしていなかったため、珠生は純粋に舜平の登場を喜んでいた。

「舜平さんも一緒だったんだ」
「おう、珠生。浴衣、ええやん。めっちゃ似合う」
「え、そ、そうかな……」

 珠生はふと、舜平の傍に誰か女性が一人佇んでいることに気がついた。クリスマスに出会った安西美来が笑顔で立っているのである。

「……ええと、美来、さん?」
「こんにちは。珠生くん、久しぶりやね」
「どうも……」
と、珠生は曖昧に美来へ会釈すると、戸惑いがちに舜平の方を見上げた。
 舜平は早口に、「三人で来たんや! 三人でな!!」と言った。取り繕うような舜平の態度に、珠生は若干複雑な思いを感じた。なんとなく気まずくなって、珠生はふと舜平から目をそらし、悠一郎と美来に向かって愛想笑いを浮かべる。

「ゆっくりしていってください。俺もうすぐ販売の方に回らなきゃいけないから」
「へぇ、そうなんや。忙しいねんなぁ」

 詩乃は突然現れた舜平にもうっとりしていたのだが、ふとした拍子に、珠生の様子のちょっとした変化に気づいてしまった。詩乃は文学少女であるため、こういうことには理解があるのである。


 ——はっ……まさか、これは……、この雰囲気は……。


 しかし、その真偽をもっと深く考察する間もなく、珠生は詩乃を促して、校舎の方へと戻ってしまった。
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