琥珀に眠る記憶

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第4幕『恋煩いと、清く正しい高校生活』

11、千珠の名を知る者

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 彰への通話を切ると、珠生は携帯をポケットにしまい込んだ。

 珠生はすでに、宇治にいる。土曜日だった今日、珠生は悠一郎と共に新たな撮影場所の下見へやってきていたのだった。

 平等院鳳凰堂。
 言わずと知れた京都の観光名所であり、十円玉の裏に描かれていることでも有名だ。悠一郎は平等院の蓮の花が好きだといって、六月頃には珠生にそれを見せてくれたものだった。

 秋は紅葉が有名だが、色づくには早い今の時期でも、週末となるとやはり人出は多い。『朝靄の中、紅葉を見ている珠生くんを撮りたいねん』と悠一郎は言って、まだ青さの残るもみじを写真に収め、撮影場所のあたりをつけてから、二人は寺を出たのだった。

 夕飯をどうするかなどを話し合いつつ、珠生は悠一郎と夕暮れ時の宇治川沿いを歩いていた。


 その時ふと、珠生は嫌な気を感じ取った。
 妖ではない。かといって、人間でもない。妙な霊気だった。 


 適当な理由をつけて悠一郎と別れた珠生は、しばらく宇治橋の上から川の流れを眺めていた。
 犬を散歩させる者や、帰宅中の制服姿の男女……なんてことのない平和な風景の中、珠生は胸騒ぎを抱えたまま、どうどうと流れる宇治川を見下ろしていた。
 
 上流で雨でも降ったのか、川の水は濁っていて水量も多い。こんな中に落ちてしまったら、一溜まりもないだろうなと珠生は思った。

 完全に日が暮れて、珠生は気づいた。
 自分と同じように、霊力を持つ人間が傍にいることを。向こうがこちらに気づいているかどうかは定かではないが、誰かがすぐそばに近づいていることは確信できる。

 珠生はすぐに彰へ電話をかけた。
 彰は、今自分は行く事ができないから、舜平を遣ると言っていた。くれぐれも深入りをせず、様子を見るだけに留めるようにと強い口調で言い含められる。
 珠生はそれに承知すると、とりあえず舜平を待つことにした。

 しかし、状況はそんなに甘くはなかった。
 珠生は、背後に並ぶ数人の人間の気配を感じて振り向いた。

 そこには、いかにもガラの悪そうな男が三人立っていた。その内の二人は見たところ高校生くらい。制服姿に黒髪で、一見したところ野球部のような坊主頭だ。珠生と歳は変わらない様子に見える。

 しかしもう一人はだぼだぼのジーパンを腰で履き、耳にいくつも穴を開けた、金髪のひょろりとした男だった。血色は悪く、落ち窪んだ目は不健康。無精髭を生やしただらしない風体で、ガムをくちゃくちゃと噛みながら珠生を見ている。

「……ほー、妖狩りにきてみれば。えらい人間ぽいのがおったもんやな」
「……妖狩り?」

 珠生は三人に向き直って、そのガラの悪い男を見た。男はニヤリと笑って、珠生が小柄で細っこい少年であることを確認すると、小馬鹿にしたように笑った。

「妖気を感じてな、来てみたんや。けどお前、人間やろ?」
「……そうだけど?」
「でも、完全な人間とちゃうやんな?」
「……そうだったら、なに?」

 珠生の応答を聞いて、男は突然大笑いを始めた。後ろの二人は、硬い表情のままじっと珠生を見ている。

「うわーまじかぁ。ほんまにおるんやな。水無瀬さんの言うこと、ほんまやってんや」
「水無瀬? 誰だ、それは」

 珠生は表情をすっと冷たくして、その男を睨む。男はニヤリと笑って、ポケットからアイアンナックルを取り出し、それを指にはめた。

「橋の上におもろいやつがおるから、狩ってこいって言われてん。お前みたいなひょろいガキ、すぐにでもやれそうやな」
 男が両手にアイアンナックルを装着して構えた瞬間、それがぼんやりと光ったように見えた。珠生はその正体を見極めようとしたが、そんな暇は与えてもらえなかった。

 拳を構えたかと思うと、男はすぐに間合いを詰めて珠生に殴りかかってきたのだ。
 珠生はひょいと身体を捻ってその腕を避けたが、バキッと、木に金属がめり込む音が耳に入ってくる。男はニヤリと笑ってすぐに第二撃目を珠生に向かって突き出してきたが、珠生はひらりと欄干の上に飛び乗って、男をじっと見下ろした。

 制服の男たちが、珠生を捕らえようとこちらへ向かってくるのを見て欄干を蹴ると、橋の中央へと音もなく着地する。しかしそれと同時に、アイアンナックルが目の前に迫っていた。
 珠生はとっさに肩に斜めがけしていた鞄を顔の前に引き寄せ、攻撃を防ぐ。そしてすぐさま素早く男に足払いをかけ、転倒した隙に反対側の欄干に飛び移ると、珠生は猫のように手を着いて三人を見据えた。

「……その動き、人間じゃないな」
と、男が立ち上がりながらそう言って、卑しく笑う。
「お前、誰だ」
「大人しく捕まってくれりゃあ、教えてやるよ!!」
 男の動く速度が上がり、目を爛々と輝かせて珠生に飛びかかってくる。
 さっきとは比べ物にならない速さと重さで、その男は拳を突き出してきた。とっさに避けた珠生は、地を蹴り跳び上がりながら思い切り男の横っ面を蹴り飛ばす。生身の人間相手だ、手加減が難しい。

 ふっとばされた男は橋の欄干にぶつかって、痛みを堪えるように首を振ったが、すぐに顔を上げて珠生を見据え、邪悪な表情でニヤリと笑った。

 その目には、狂気が見えた。
 時刻は午後八時。このままのんびり喧嘩をしている暇はない。まだまだ人が通る時間帯だ。

 珠生は一気に間合いを詰めると、その男の肩を掴んでぐいと引き寄せ、拳を腹にめり込ませた。声にならない男のくぐもった悲鳴が、珠生の拳を通じて伝わってくる。
 男が堕ちたのを確認すると、珠生は直ぐに後ろの二人にも飛びかかった。しかし、その二人の目には明らかな怯えの色が見て取れて、ハッとする。珠生はすんでで拳を収めると、二人の前に音もなく着地した。

「……お前らは、何だ」
 珠生の問に、がっしりとした二人の少年は顔を見合わせて困惑している。
「何で俺を襲う。妖狩りってなんのことだ」
「……それは」
「くそがぁあああ!!!」

 少年が何か言いかけた瞬間、珠生は背中に先ほどの男の気配を感じ、振り返りざまにその頬をもう一度殴りつけた。もんどり打って倒れ伏したその男は、ぴくぴくと痙攣し、完全に気絶した。

「珠生!!」
 舜平の声がして、走ってくる足音が聞こえた。珠生は少年たちを睨みつけたまま、舜平がそばに駆け寄ってくるのを待っていた。 

「うわ、誰やこれ。……それに、こいつらは?」
「妖狩りをしているらしいよ」
 舜平の問に、珠生はそう答えた。

「妖狩り? ……なんやそれ、まさか、祓い人……?」
 舜平が警戒する声。少年たち二人は、人数が増えたことに更に怯えの表情を強くする。舜平は二人につかつかと歩み寄ると、ぐいとその襟首を掴んだ。

「胡散臭い奴らや。ちょっとこっち来い。ここは目立つしな」
「この人、どうする?」
「……せやなぁ。この二人がおれば、こいつはもういいんちゃうか? こいつ、クスリやってるっぽいから、まともな話聞けへんやろ」
「クスリ?」
「ほれ」
 舜平はスニーカーの爪先で、倒れている男の腕をつついた。
 そこには何度も注射器で刺したためか、ぽっかりと黒ずんだ穴がいくつも空いている。男の顔色や肌の荒れ方などを見ても、うなずける。

「救急車呼んどいたるわ。そしたら警察も来るやろ」
「そうだね」
「さて……お前らは……」

 男を見下ろしていた珠生たちが少年二人に向き直った瞬間、珠生はがくっと力が抜けて膝をついた。舜平がぎょっとして、珠生を見下ろす。

「おい、どうした!」
「あ……ぐっ……」
 珠生は橋の上に手を着いて、異様に熱く感じる左腕をぎゅっと掴む。目をやると、そこには見たこともない梵字の描かれた小さな札が貼り付けられていた。さっきのアイアンナックルの男とやりあっていた時に、貼り付けられたのだろう。

 珠生がそれを剥がそうと右手を伸ばすと、その手に鋭い痛みを感じた。まるで、珠生の腕をもぎ取ろうとするかのような、強い圧力。珠生はあまりの痛みにふらついた。

「っ……痛っ!」
「珠生……?」
 見えないとこから、遠隔操作で肉体を攻撃されている。珠生はぎらりと目を光らせて、あたりを見回した。

「お前ら、何したんや!」
 舜平が手近にいた方の少年の襟を締め上げる。少年は大柄でがっしりとした身体を小さくして、「ひっ」と小さく叫んだ。もう一人の少年は逃げ出そうとしたが、数歩進んで、ぴたりと足を止めた。

「情けないなぁ、全然ダメじゃん」

 女の声が暗闇から聞こえてくる。
 橋の中央にある街灯の下に現れたのは、見慣れない制服を着た女子高生だった。

 色が白く、黒い髪がえらく重たく見える少女だ。長めのスカートはやや野暮ったく見えるが、そこから覗く脚は細く白い。
 黒いローファーを鳴らして、少女は逃げかけた少年を突き飛ばすと、珠生たちの前に立った。

「……誰だ、お前」
 珠生は左腕を押さえて、ふらりと立ち上がる。怒りに燃えた珠生の身体から、ゆらりと青白い妖気が陽炎のように沸き立つ。
 それを見た少女は、少し目を見開いて珠生を見ていた。

「……へぇ、本物だ」
「誰だって聞いてんだよ」
と、珠生の苛立った声がその少女に向けられる。少女はやや怯んだような顔をしたが、顔を歪めて笑ったような表情を作った。
「……私、富山県から転校してきたんだ。さっきそっちのお兄さんが祓い人って言ってたけど……」
「富山……?」
と、珠生がぽつりと呟く。
「そう、昔から祓い人が多かった場所って言ったら、分かるよね」


 ——能登の、祓い人……


 珠生の脳裏に、前世の映像がフラッシュバックする。妖を狩り、使役し、殺人、呪い、数多の悪行を働いてきた能登の祓い人のことを、はっきりと思い出す。


 かつて千珠であった頃、祓い人の一味によって、その身を穢されそうになったことも……。


 少女は顎をしゃくって、少年たち二人を自分のそばに呼び寄せる。珠生は舜平の腕につかまって、ぐっと奥歯を噛み締めた。嫌な予感がした。

「千珠って、あんたのことでしょ?」
「……何だって?」
 少女は不気味な笑みを見せて、珠生をじろじろと見回す。
「あたし、鬼が欲しいんだぁ」
 まるでアクセサリーでも欲しがるかのような軽い口調で、その少女はそう言った。舜平がさっと印を結ぼうとするのを、珠生は手で制す。

「待て」
「……珠生」
「鬼を手にしてどうするつもりだ」
と、珠生は低く抑えた声でそう尋ねた。
「あたしが使役するのよ。飼い慣らして、大事に使ってあげる」
「使役……だと」
 珠生は鼻を鳴らして、小馬鹿にしたように笑った。

「馬鹿にされたもんだな。俺を使役するだと? おもしろすぎて腹が捩れる」
「でも実際、あんたの左腕は封じられてるでしょ」
 少女がポケットから紙人形を取り出し、珠生の前にかざした。そして手にした針で、今度は珠生の左脚を突き刺す。
 ずん、とした痛みが左脚に襲いかかり、珠生はふらりとよろけた。

「っ……!」
「珠生! お前ら……!」
 今度こそ印を結んで、三人を縛ろうとした舜平の腕を、珠生が再び強く掴んだ。

「小賢しい!!」
 珠生の目がどろりと赤く染まり、瞳孔が縦に裂ける。急激に高まった妖気によって、珠生の腕に貼られていた札と少女の持つ紙人形が一瞬にして燃え上がった。
 思わずパッと手を離した少女は、愕然と目を見開いて珠生を見た。

「帰れ。俺は気分が悪い。死にたくないなら、さっさとここから消えろ」
 珠生の冷たい視線と圧倒的な妖力を前に、三人はじりじりと後退する。そして珠生のその言葉に、後ろの男二人は脱兎のごとく逃げ出した。

 少女はしばらく悔しげに珠生を睨みつけていたが、「きっとまた現れるから」と言い捨てると、二人を追って走り去っていく。

 橋の上には、珠生と舜平、そして倒れた男だけになった。遠くに、救急車のサイレンが聞こえてくる。

「珠生、大丈夫か?」
「大丈夫……痛い、けど」
 珠生は一歩歩こうとして、足と腕の激痛に顔を歪めた。舜平は珠生の身体を支えると、「血は出てへんみたいやな」と言った。

「呪いの藁人形みたいなもんだろうね」
「逃がしてよかったんか?」
「いい。来たけりゃあっちからまた来るよ」
「そうやな。……しばらくは警戒しなあかんな」
「分かってる」

 珠生はため息をついて、疲れたように目を閉じた。再び目を開いたときは、吊り上がって赤く染まっていた珠生の目は、元の穏やかな瞳に戻っていた。

「いつの間に救急車呼んだの? 早く逃げなきゃ」
「俺呼んでへんで、まだ」
「じゃあ……」
 珠生はふと、橋のたもとに立っている亜樹の姿に気がついた。亜樹は二人の方へと早足で歩いてくると、舜平に支えられている珠生を見て顔を曇らせる。

「天道さん、なんでここに?」
「舜兄と来たんよ。救急車も呼んだ。沖野、また怪我してんの?」
「……いや、怪我ってほどの怪我じゃ……」
「今の奴ら、あんたを狙ってるって……」
「大丈夫だよ」
 珠生は不安げな亜樹に笑ってみせるが、それで彼女の表情がほぐれることはなかった。珠生は痛みに耐えながら、舜平を見上げる。

「どこかで、気を高めてもらってもいいかな」
「え? あ、ああ……」
「じゃあ、天道さんを送ってから治療を」
「分かった」

 二人の間で取り交わされる会話が、どこか遠い。まるでそこに亜樹がいないかのように交わされるふたりの会話に、亜樹は強く疎外感を感じた。


 ——自分はやはり、珠生の役には立てないのだろうか……。


 亜樹はぐっと拳を握りしめた。
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