琥珀に眠る記憶

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第4幕『恋煩いと、清く正しい高校生活』

8、球技大会〈3〉

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 昼食と昼休みを挟んで、各競技の学年別決勝戦が行われることとなっている。

 亜樹たちは昼食前の試合で敗退し、午後は観戦のみである。教室の後方窓際を陣取り、弁当をチームメイトの五人で食べながら、皆どの試合を見に行くか話し合っていた。

「そんなん沖野くんに決まってるやん! あの子が動いてるとこなんか、滅多に見れへんやろ」
と、愛実が楽しげにそう言った。彼女は紙パックの牛乳と惣菜パンを食べている。さくらも同様に頷いている。
「うちもうちも! 写メとかこっそり撮りたいわぁ」
と、みすずが嬉しそうに笑いながらそう言った。
「確かに、あの子美術部やし、体育も別々やから全然見れへんもんな」
と、百合子がおにぎりを食べながら頷く。
「……」
 亜樹は何も言わず、ただ柚子に作ってもらった弁当を頬張っていた。さくらはそんな亜樹を見て、
「さっきのはさ、やっぱりわざとやと思うねんなぁ。沖野くんのボール」と言う。

「え? まさかぁ。たまたまやって」
と、亜樹は苦笑しながらそう言った。しかし、さっきの珠生の様子から見ると、あれは明らかに亜樹を護るために行った行動だということが分かる。亜樹は少し赤面した。
「わざととか無理やろ」
「いやぁ~、そんなことないやろ。いいなぁ、いいなぁ」
と、愛実とみすずも興味津々である。見かねた百合子が、溜息混じりに話を変えた。

「それにしても、うちらのチームプレイなかなかやったよね。敗退したのが信じられへん」
「ほんまやで! あのチーム、全員バスケ部やろ? ありえへん」
 くるりと話題が変わったことに、亜樹は安堵した。百合子の心遣いに感謝し、涼し気な百合子の横顔を見た。

 こんな子もいるんだなと思うほどに、百合子は賢く大人である。今まで友だちらしい友達のいなかった亜樹には新鮮な気づきだ。

 きゃいきゃいと賑やかな女子の輪の中で、亜樹は自然に笑っていた。


 + +


「ええか、次の相手はバスケ部のB組三班や。油断したら負けるで」
と、食事を終えて体育館に戻ってきた珠生と湊に、チームメイトの空井斗真そらいとうまが真剣な顔でそう言った。

 現役バスケ部の斗真は、スポーツ推薦組である。快活さを窺わせるくるりとした目をした、長身童顔のクラスメイトだ。
 さわやかな短髪をワックスで軽く乱したヘアスタイルはおしゃれで、耳には小さなシルバーのピアスをつけている。

「しっかし沖野や柏木があんなに動けるなんてびっくりや。はよう勧誘しとけばよかった」
と、斗真は隣にいる珠生の背中をバシバシと大きな手で叩いた。
「痛い……」
「なんかスポーツやってたん? 美術部で燻らせとくには惜しい」
と、現役テニス部の笹部壮太がそう言った。年中外で部活をしているため、壮太の肌は真っ黒だ。
「いや、何もしてないよ」
 珠生は苦笑しつつそんな返事をする。すべてを知る湊は肩をすくめて、何も言わなかった。

「吉良も、なんで水泳部になんか行ったん? バスケ経験あるんやろ?」
と、斗真が佳史を見下ろした。
「お前ほど背が伸びなかったからな」
と、180センチ超の長身の斗真を、170あるかないかの佳史は恨めしげに見上げる。

「まぁいいや。とにかく、二年の優勝は俺らがもらうぞ! ええな!」
「……はいはい」
「お前ら熱意がないぞ! やる気あんのか!」
と、暑苦しく斗真が吠える。
「あるよ、ありますよ」
と、湊がめんどくさそうにそう言うのを見て、珠生と壮太が笑った。
「球技大会ごときで熱くなりすぎやろ。毎年お前はめんどいな」
と、壮太は斗真をたしなめる。
「優勝したら告ろうと思ってる子がいんねん」
 斗真は腕組みをして、鼻の穴をふくらませながらそう言った。

「え、そうなん?」
と、佳史が食いつく。斗真は急に照れ始め、もじもじと大きな身体を揺すっている。
「三年生の先輩でさ。ずっと憧れててん」
「憧れかぁ」
と、珠生が呟くと、斗真がずずいと珠生に迫ってくる。
「なぁ俺、行けるかな!? いけると思う!?」
「だ。大丈夫……じゃない? 空井くんかっこいいし、背も高いし……」
「え!? そうかな、そうかなぁ!?」
「それに、三年生なら早く言わなきゃね」
と、珠生はどぎまぎしつつも、にっこり笑って斗真にそう言った。
「ありがとうな! 沖野ええやつやなぁ!! やる気出てきた!」
と、俄然燃え始めた斗真とは温度差のある湊や壮太は、やれやれといった雰囲気でため息をついた。

「沖野は誰か付き合ってるやつとかいんの? お前さぁ、密かにめっちゃもててるやん? 実際のとこどうなん?」
と、斗真がいきなり珠生にそんな話題をふってきた。
 珠生はぎょっとして目を瞬いたが、壮太も佳史も興味津々といった顔でこちらを見ている。縋るように湊を見るも、湊は流れるような動きでそっぽを向き、ぐびぐびとスポーツドリンクを飲んだ。

「つ、つ、付き合ってる……わけじゃない、と思うけど……」

 舜平の顔がちらつくが、彼との関係性をなんと表現したらいいか分からず、珠生はもごもごと口ごもった。そんな反応を見て、斗真はまたずずいと珠生に迫る。

「え!? 何、なんかいい雰囲気のやつがおるってことなん!? まさかお前、もう、エッチなことも経験済み……とか!?」
「えっちな……う、うーん。まぁ、そんな感じ……かな」
「うおおおおお!!! 羨ましい!」
と、斗真がごろごろと床をのたうち回りはじめた。壮太と佳史は「そうなんや……」と小さく呟き、揃って頬を赤らめている。純情なのだろう。

「お前かてこないだまで彼女おったやん」
 壮太がそう言うと、斗真は顔だけ起き上がって口をとがらせる。
「なんでかなぁ、俺、付き合っても一週間と経たずにふられんねんな」
「がっつきすぎなんちゃうか」
と、湊。
「だって男なんてそんなもんちゃうの? なぁ、沖野」
「えっ? う、うん……」
「しっかしよく見たら、沖野ってほんっと美少年だよな。イケメンっていうか、美少年だな」
 下から珠生を見上げている斗真が、しみじみとそう言う。起き上がって、さらに珠生の顔を近くで見つめた。

「……近い」
「うわ、肌きれいやなぁ。まつ毛長!」
「……そうかな」
「女子が騒ぐはずだわ」
と、壮太。
「テレビとか出れそう。結構身体も締まってるし、顔ちっちゃいし、スタイルいいし……」
と、斗真がやおら珠生の長袖のジャージをめくり上げて腹筋を見る。珠生は仰天して思わず後ろに手をついた。

「何やってんねん」
と、湊が呆れている。
「鍛えてんのか? なかなかいい腹筋やん。脚も……」
「鍛えてないよ。てかちょっ、やめて」
 体操服をめくられ、ハーフパンツをもずりあげられて太腿を撫でられている珠生が、さすがに渋い顔をする。佳史は笑って、斗真の頭をタオルで叩いた。

「肌きれいやなぁ。お前ほんまに男か? 同じ生物とは思えへん」
と、斗真は珠生の両足をすりすりと摩りまくりながらそんなことを言った。
「女やったらもっとモテたかもな~」
と、壮太。
「もういいって……ちょっとほんとやめてよ」
と、珠生は身を捩らせて、筋肉まで撫でまわそうとしてくる斗真の手から逃れようとしていた。すると、「おい、周り見ろ」と言いながら、湊がすっと立ち上がる。

 すでに決勝戦のために集まったバスケットボールの選手たちと、体育館中を埋め尽くすほどのギャラリーたちが、まじまじと珠生と斗真の姿を見ていた。
 女子たちはひそひそと黄色い囁き声を上げながら、珠生に襲い掛からんばかりに迫っている斗真を凝視している。

 斗真はぱっと珠生から身体を離し、珠生たちは慌てて立ち上がった。

「さっさとビブスつけんかい。何やってんねん」

 敵チームのB組三班の生徒にビブスを投げ寄越され、五人はそそくさとそれを身につけた。


 
 + +


 B組のチームは、バスケ部三人以外はそう動きも良くはなく、敵になる程ではなかった。そうなると、五人全員がかなり動ける珠生たちのチームは有利であり、実際順調に点が入っていく。

 珠生はすばしこさとスタミナがあるため、コートの上を縦横無尽に走ることが出来る。バスケ部の斗真とテニス部の壮太にはがっちりとマークがついているが、珠生と佳史がそれをかいくぐってパスを回し、身長のある湊がゴール下で確実に点を決めた。
 するとじわじわと相手チームは陣形が崩れ始め、パスを貰った斗真が鮮やかなスリーポイントを決めると、会場のギャラリーからどっと歓声がわいた。

 その頃からディフェンスが二枚つきはじめた珠生であったが、彼らのガードをするりとすり抜け、速攻していた壮太からパスを受け取って走る。体育で習った通りのレイアップシュートがうまく決まった途端、女子生徒の黄色い歓声が体育館中に響き渡った。

「ナイッシュー!」 
 チームメイト各々とハイタッチをしていると、B組の大柄なバスケ部員が、じろりと小柄な珠生を睨んだ。
「調子乗んなよ」
「……」
 斗真によると、彼は現バスケ部キャプテン、本郷優征ほんごうゆうせいであるという。たかが球技大会で熱くなりすぎだな……と珠生は肩をすくめた。

 球技大会では前半十五分後半十五分の形式で試合が行われている。後半終了三分前、点差は三点であり、珠生達のチームがほんのわずかにリードしていた。

 体格のいいB組のバスケ部員たちの当たりが強くなり、パスを受け取り走りだそうとした珠生の腕に、思い切り優征の手がぶつかった。
 痛みに顔を歪め、ボールを取り落とした隙を突いて、優征が速攻をかけようとしたが、すかさず審判のホイッスルが響き渡る。

「オフェンス、チャージング! 白、十一番、フリースロー!」
 珠生にフリースローが与えられた。多少の緊張感を持って、珠生はフリースローラインに立った。周りで動きまわる仲間たちをちらりと見て、珠生は何度か足元でボールをバウンドさせる。

「外しても俺らが入れたるから!」
と、斗真や湊がゴール下でそわそわ動き回っているのを見て、珠生は微笑んだ。

 体育の授業で習ったことを忠実に再現し、珠生はボールを頭上に構えた。身体を柔らかく使い、ひょいと跳んだ珠生の手から、ボールがきれいな放物線を描く。

 シュッ! と小気味いい音を立てて、ボールがネットをくぐると同時に、また女子の黄色い歓声が体育館を揺らがせた。

「ナイスナイス!!」
と、斗真がガッツポーズをしながら満面の笑みだ。珠生は審判からもう一回ボールもらうと、再び、すぐに構えた。

 二投目はリングにぶつかり、くるくるとボールが回転した。皆が固唾を飲んで見守る中、ゴロン、とボールがリングを外れて外に落ちかける。

 しかしすぐに誰かの指が伸びて、軽いタッチでボールをリングに押し戻す。誰よりも早く、高く跳んでいた湊の指が、ボールに触れたのだ。

 それと同時に、試合終了のホイッスルが鳴り響き、体育館中に黄色い歓声と拍手が響き渡った。

 珠生たちは肩を叩き合い、笑顔でその試合を終えた。きゃあきゃあという女子の歓声が喧しいほどに盛り上がり、「沖野くーん!! カッコいいい!!!」と名前を叫ぶものもあった。
 恥ずかしさのあまり珠生は俯くしかない。いそいそとベンチへ戻る。

「よぉしよぉーし!! 俺らの優勝や!! 告るぞ!!」
と、斗真がガッツポーズをしながらベンチへと駆け戻り、意気込みながらそう言った。
 しかし、彼らの戻った先に立ちはだかる者があった。

「ちょう待て。忘れてるんかもしれんけど、二年の優勝チームは三年優勝チームとの決勝があんねんで。この後、学年総合優勝決定戦や」

 目の前に立っていた鵜川智之が声高にそう言った。その隣には斎木彰、小野努が立ち、更にその背後にすらりとした三年生がもう二人いる。皆すでにビブスを着用し、腕組みをしてにやにやしていた。

「本郷が負けたんは意外やったけど、まぁ誰かしらバスケ部の後輩が残るとは思ってたわ」
と、小野努がそう言った。
「久しぶりだね、空井くん。少しは腕が上がったみたいだな」
と、彰が斗真を見ながらニヤリと笑う。
「あ……斎木先輩。お久しぶりっす」

 バスケ部の先輩に囲まれて、斗真がたじろいでいる。珠生と湊は、彰が自分たち以外の誰かと親しげにしている所を初めて目の当たりにし、どことなく不思議そうな眼差しを向けている。

 半袖の白い体操着に赤いビブスを着用した彰も、今日はブルーのハーフパンツと、足首までを覆う黒いスパッツを着用し、長い手足を晒していた。白い手首には、例によって黒い数珠が巻き付いている。

「十分休憩後、試合開始だからね。しっかり休んどきな」
と、彰がそう言って微笑むと、三年生達はぞろぞろとその場を離れていった。ちらりと振り返った彰が、珠生と湊を見比べて横顔で笑う。
 二人は目を見合わせた。

「……やれやれ、まさか斎木先輩とこんなとこでやりあうとは」
と、湊が面倒くさそうに頭をかく。
「強そうだなぁ」
と、珠生も弱腰だ。
「ここまできて負けられるか! やるぞ! お前ら!」
と、斗真は自分を鼓舞するように大声でそう言った。

「もう帰れると思ってたのに……」
と、壮太がタオルで汗を拭いながらそう言った横で、佳史は「腹減った……」と呟いた。
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