琥珀に眠る記憶

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第3幕 ——天孫降臨の地——

37、真の姿は

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 誰も、口をきかなかった。

 亜樹は、自分を抱きしめている珠生の身体に、そっと手を触れた。ゆっくりと身体を離した珠生が、亜樹の巫女装束の肩を掴んで、顔を覗き込む。

「……大丈夫?」

 いつもと変わらぬ優しい口調。気が抜けて、亜樹の目からはぼろぼろと涙が溢れ出す。

 銀色の髪、琥珀色の瞳を持つ千珠の姿をしていても、それは紛れもなく珠生だった。泣き出す亜樹を見て、珠生は微笑んだ。

「……怖かったよね。ごめん。もう、あんな目に……遭わせないって言った……のに……」

 ぐらりと自分の方へ倒れてくる珠生の身体を受け止めてみてようやく、亜樹はその背中が大きく裂けていることに気がついた。
 どくどくと流れだす血が、白い衣を重く染めていく。

「沖野……え?」

 意識を失った珠生の身体が、どんどん重くなる。

「い、いやや……いやや! 何で……? 沖野!!」
「落ち着け、亜樹ちゃん。かしてみろ」
 取り乱す亜樹のもとに、舜平と湊が駆け寄ってくる。湊が珠生を抱き寄せ、自分の方へともたれかけさせる。そして舜平が、すぐさま珠生の背中に手をかざした。

「こんな……ひどい怪我……」
「鳳凛丸が入ってるからこの程度で済んだんやろうな。亜樹ちゃん、大丈夫やで、こいつはこう見えて頑丈やからな」
 舜平が亜樹を安心させるように笑った。

 汗を流しながら珠生の傷を塞ぐ舜平たちの背後で、彰と敦が横たわった土毘古を見下ろしている。光り輝く青緑色の槍で地面に囚われている土毘古の体は、ピクリとも動かない。

 面が割れて、顔半分が顕になっている。尖った鷲鼻、彫りの深い目元……まるで北欧人種のような見てくれだ。

 すると、意識をかすかに取り戻した珠生が、苦しげに息をついて湊にすがる。

「土毘古……は?」
「そこにぶっ倒れとる」
「そっか……。あのさ、話、したいんだけど……」
「話?」

 舜平と湊に支えられて立ち上がった珠生が、土毘古の脇に座り込む。土毘古の頭は、しゃがみこんだ珠生と同じくらいの大きさがあった。

 土毘古の耳元に座った珠生は、じっとその土気色の乾いた肌を見つめた。そしてそっと手を伸ばすと、土毘古の頬に手を触れる。

「珠生、危ない……」 
 そう言いかけた湊の言葉を遮るように首を振ると、珠生は土毘古にとつとつと語りかけた。

「お前が何を求め続けていたか……はっきりとはわからない。でも……土は、大地を覆い、命を育む。天孫降臨の折も……この豊かな大地がなければ、神は降りて来られなかった。その後も、ずっと……この土壌がなければ、鳳凛丸様も、白珞族も……生まれることはなかったんだよ」

 うっすらと、土毘古の目が開かれる。面の下に隠れていた瞳が、割れた天井を通り越して夜空を見つめていた。

「空への憧れ……。自分が手にすることができないものだから、憧れるのはよく分かる。でも、ずっと空を飛び続けるのは、けっこう心細いものなんだ。羽を休まめる場所がなければ、飛び続けてなんかいられない」

 土毘古の黒い瞳が、力なく珠生を見上げた。

「鳳凛丸様と、仲良くしてあげてよ。あの人には、羽を休める場所が必要なんだ。鳳凛丸様は高慢ちきだからわかりにくいと思うけどさ、あなたがこの山という土壌を守って、自分がその空を守る……いいバランスだって、思ってるんだよ」
『……戯言を……』
「鳳凛丸様が眠っているのは土の下。……あなたはその気になれば、いつでも鳳凛丸様を滅ぼせたのに、そうしなかったんだろ?」
『……』


 土毘古の脳裏に、生まれたばかりの鳳凛丸の姿が蘇る。


 小さな白い鬼。ふかふかの落ち葉にくるまって、暖を取っていた幼い鬼の姿。


 ——あったかいなぁ……


 そう言って笑った顔。自分を見ても恐れず、もっと落ち葉をくれと偉そうに要求する小さな手。


 ——あったかい……


 己が育んだ自然の中で、優美に育っていく鳳凛丸の姿が誇らしかった。太陽を背負って飛び回る白い姿が、眩しくて。


 ——知ってるか? この山、空から見るととても美しいんだ。お前にも見せてやりたいな。


 ——他のどんな山より、富士の山よりもずうっと綺麗な形をしてるんだぞ。どうやったら見せてやれるんだろうな。なぁ、土毘古。


 落ち葉の上に座り込み、嬉々としてそんなことを話していた鳳凛丸。そして、純粋に困った顔。
 

 鳳凛丸と過ごす時は、とても穏やかで楽しいものだった。


 しかし人間の起こした戦争によって、大地は乱され、神宮は切り売りされ、鳳凛丸は怒りを募らせ始めた。

 ただそれを受け入れるしかない土毘古と、そこに立ち向かおうとする鳳凛丸の意見の食い違いから、二人の関係は静かに崩れていったのだ。


 ——とっくに忘れていた。あの頃の気持ちなど。


 土毘古の身体から、みるみる力が抜けていき、するするとその姿が縮んでいく。


 あとに残ったのは、小さな小さな茶色い蛇だった。


 蛇の目からは、涙があふれていた。つるつるとした身体をくねらせて、蛇は静かに涙を流している。

 珠生はその蛇をそっと拾いあげると、掌の上に乗せてその目を覗きこむ。そして、微笑んだ。

「泣かないで。これからは、鳳凛丸さまがあなたを守ってくれますから」
 蛇は珠生の手のひらの上で、じっと大人しくしている。
「この姿なら、きっと空だって、一緒に飛べるよ……」

 不意に、珠生の身体から力が抜けて、危うく土毘古ごと倒れ込みそうになった。それをすかさず、舜平が背後で抱きとめる。銀色に輝いていた珠生の髪の毛から色が抜け、いつもの薄茶色のさらりとした髪の毛が戻ってくる。

 珠生の肉体から、白くぼんやりと光り輝く影が離れていく。そしてその影は、すっと土毘古の身体を掬い上げた。

 鳳凛丸が、その姿を皆の前に現したのだ。
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