琥珀に眠る記憶

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第3幕 ——天孫降臨の地——

34、その身に宿すは

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 舜平と敦が見回りに出て数分後、珠生は異様な匂いを嗅ぎとって眉をひそめた。
 
「佐為……何か来る」
「……土毘古か」
 彰は、じっと暗い森の中を見据えていた。彰の瞳孔が、すっと細く裂ける。

「こっちを見てる。あそこで」
 彰の指差す方に目を凝らすと、そこには般若の面がぼんやりと浮かんでいるように見えた。そのあまりの不気味さに、珠生の肌が総毛立つ。

 じっと湿った重苦しい瞳で、土毘古はまっすぐに珠生を見つめていた。

 不気味だった。のっぺりとした闇の中、暗く光る土毘古の目は、珠生の心をざわつかせる。

 しかし、そんな土毘古の姿がふっと消えた。二人が緊張して身構えると、再び山手の方へもう一度姿を現し、また消える。それを何度も、繰り返すのだ。

「……誘われているな。見え見えだ」
と、彰は忌々しそうにそう呟き、少し笑う。
 拝殿の屋根の上にいた鳳凛丸が、ふわりと珠生の肩に飛び乗った。

『あの方角には、私の本体が封印されている祠がある。土毘古め、何をするつもりなのだ』
「鳳凛丸様の……?」
「珠生、君は行くな。僕が一人で見てくるから」
「いいえ、俺も行きます。鳳凛丸様の本体に傷をつけさせるわけにはいかない」

 彰は何事かを逡巡するように鋭い目つきで珠生と鳳凛丸とを見ていたが、ついには小さく頷いた。

 白い猫がひょいと地面に降り立って、二人を先導するようにかけて行く。子猫の姿の鳳凛丸の後を追い、二人は闇の中へ消えていった。


 +  +


 瓊瓊杵命ニニギノミコトが地上に降り立ったといわれる巨石を過ぎ、二人は更に深い山の中へ分け入っていった。
 袴や袖の端が、小さな小枝に引っかかって小さく裂ける。鳳凛丸の白い背中を追いかけて、珠生たちは足早にその地へと向かった。

 やがて、少しばかり開けた場所に、小さな祠が立てられているのを見つけた。鳳凛丸はその祠の前に小さくおすわりをすると、ぱっちりと開いた目でそれを見上げた。

『……忌々しい封印だ。これさえなければ、土毘古など一口で喰ってやるものを』
 彰はその祠の前に跪くと、その封印術を調べ始めた。
「神の許しを得ないと開かない封印だ。時間が経って緩みが生じたから、猫に憑依するくらいの力は得たのだろうが……」
「じゃあ神事が終われば、自由になれるってことですか?」
と、珠生。
『それでは遅い。土毘古は神事そのものを邪魔するつもりなのだから』
と、鳳凛丸は低い声でそう言った。
「じゃあなんで、土毘古はここに俺たちを誘い出したんだろう」

 くくくく……と、低く不気味な笑い声が聞こえてきた。

 音さえも吸い込んでしまいそうな深い闇の中から、低くくぐもった笑い声が聞こえてくる。

 ぼうっ……と、暗闇から土毘古がその大きな身体を晒した。思いの外大きく禍々しい土毘古の姿に、珠生と彰は目を見張った。
 鳳凛丸は珠生の肩にひょいと飛び乗り、毛を逆立てて土毘古を威嚇する。


『なんとまぁ……哀れな姿に。鳳凛丸よ……』

 嗄れた低い声。地面から沸いてくるような喋り方だった。珠生はまた、ぞっとした。

『くくく……なんと美味そうな人間たちだ。お前らを食えば、私の力も数倍に跳ね上がろう……』
「食うだと? 僕達を」
 彰は土毘古を小馬鹿にしたような笑みを浮かべて素早く印を結び、声高に唱えた。

「黒城牢! 急急如律令!!」
 京都で見たことのある術だ。黒金くろがねの頑強な牢が地面から生まれ、土毘古の周りを取り囲む。
 がちゃん、と巨大な南京錠が宙に現れたかと思うと、その牢にがっちりと錠をかけた。あっけなく囚われた格好になった土毘古を、珠生は油断なく見据えていた。

『京の陰陽師……一ノ瀬佐為。お前がそうか……』
「よくご存知で」
『脆弱だな……あまりにも脆弱だ……我は、この山の主なのだぞ!!』

 土毘古の身体から黒黒とした妖気が轟音と共に爆ぜた。

 山中に爆音がこだまし、山体がずずんと揺れるほどの衝撃だ。とっさにその場から後退した二人の立っていた場所にも、黒い墨をぶちまけたかのような黒炎が襲いかかる。

 黒城牢はあっさりと破られ、ぼたぼたと彰の霊気の残滓が地面に滴った。

 珠生は胸の前で合掌すると、体内から宝刀を抜く。ぼんやりと輝く青白い光を、土毘古は眩しげに睨みつけている。

『その刃……鳳凛丸のものと、同じ刃か……』
「へぇ、そうなんだ」

 珠生は子猫の身体を祠の上に置くと、宝刀を構えてじっと土毘古を見据えた。彰が再び印を結び術を唱えると同時に、珠生は土毘古に斬りかかる。

「陰陽閻矢百万遍!! 急急如律令!」

 彰の頭上に浮かび上がる数千の破魔矢が、まっすぐに土毘古を狙って素早く飛んだ。それをすんでで避けた土毘古の身体にに向かって、珠生がすかさず斬りかかる。
 
 しかし、土毘古の般若面のような顔からは、目線を追うこともできなければ表情をうかがい知ることができない。巨体の割に身軽な動きで、ひらりひらりと連続して襲いかかる珠生の刃を逃れている。

「……図体の割には、身軽だな」
『ここは私の巣も同然……お前らごときに、負けるはずがない』
 ふっと、土毘古の姿が消えた。珠生がハッとしてあたりを見回すと、尖った鳳凛丸の声が響く。
『上だ!!』
 はっとして頭上を見上げ、珠生は咄嗟に身を翻した。土毘古の禍々しい鉤爪が地面をえぐり、土や落ち葉を舞い上げた。

「珠生!」
 彰の声が、珠生の耳をかすめる。珠生の目の前に、般若の面が見えた。その時、これはただの面であり、その奥に本当の土毘古の目が光っていることに気づいた。

「しまっ……!」
 珠生の腹を切り裂かんと、土毘古の爪が胴にかかった。珠生は目を見開いて、これから飛び散るであろう自分の鮮血を覚悟した。

 しかし、土毘古の手に飛びつく白い影によって、その攻撃は珠生の脇腹を少しかすめる程度で済んだ。
 鳳凛丸が、二人の間に割って入ったのだ。


『やれやれ……これだから人は脆弱だというのだ』


 鳳凛丸のため息混じりの声が、珠生の耳に入ってくる。
 まばゆい真っ白な光が、辺り一帯を包み込んだ。白猫の身体から閃光が迸り、そのあまりの明るさに、土毘古は目をくらませている。
 土毘古は、叫び声を上げて目を押さえ、よろよろとふらついた。

『おのれ……何を……!!』

 目を覆って暴れる土毘古によって、鳳凛丸の祠が無残にも破壊された。珠生たちは土毘古が暴れ狂っている場所から一歩後退して、目を潰された苦悶のあまりめちゃくちゃに手を振り回し、土や岩を蹴散らす土毘古の禍々しさに目を見張っていた。

『……やつの目を潰した。暗闇しか映さぬあいつの瞳に、私の力は眩かろうて』

 どこからともなく、鳳凛丸の低く涼やかな声が響いてくる。見ると、珠生たちの背後に後退していた白い子猫の周りに、青白い光がぼんやりと霞をかけていた。今までよりも数段強い鳳凛丸の妖気に、珠生の心臓が強く呼応する。


 ——どくん……どくん……


「……っ……はぁっ……なんだ、これ……っ」
 徐々に呼吸を荒くする珠生に、彰は慌てて近づいた。珠生の肩を掴んで自分のほうを向かせると、力強く何度かその身体を揺さぶった。
「珠生! 駄目だ、妖気に身を任せてはいけない! おい、鳳凛丸! 何のつもりだ!」
『祠が壊れたんだ、さらに結界が緩んでしまった。この猫では……私の身体は保てない……』
「何を……」
『土毘古を抑えるには、身体が必要だ。……珠生、その身、私に貸し与えよ』
「駄目だ!! ダメに決まってるだろ!」

 珠生を背中にかばうように、彰は鳳凛丸にそう叫んだ。ぼんやりと色を刻し始めた鳳凛丸の影が、ぶわりと揺れる。

『このままあいつを放置しておけば、あの社をも破壊する。見ろ、土毘古は巫女の匂いに誘われて、山を下りはじめたぞ』
 弾かれたように彰が振り返ると、土毘古は我を忘れたまま獣のように四足で駆け、一直線に社殿のある方角へと走り始めていた。

「くそ……!」
「先輩、いいんだ! 俺……身体を貸す」
 激しく上がる息を押さえながら、珠生がそう言って彰の腕を掴んだ。珠生の目は、琥珀色から血のような赤に染まりつつあり、瞳孔は鋭く縦に裂けている。

「このままじゃ、土毘古は押さえられない。天道さんや葉山さんが、……危ないよ!!」
「しかし……!」
「いいから!!」
 珠生は彰の手を振りほどいて、鳳凛丸の前に立った。紅色に染まりかけた瞳を霞がかった青白い影に向け、珠生は声高に言い放つ。

「鳳凛丸様、俺の身体を使って下さい! 俺は、皆を護りたいんだ……!」

『……ほんとうに、いいんだな』

「はい……!」

『よく言った。それでこそ、私の子……』


 青白い光が、すう……と珠生の身体に吸い込まれていく。


 ——どく、どく、どく……。

 
 珠生の鼓動が早くなる。体中の血が、気化してしまいそうに、熱い。

 体の細胞全部が、活性化するような高揚感があった。今まで身に宿したこともないような、燃え滾るような力の高ぶりを感じた。

 珠生は膝をつき項垂れて、身体を支配する圧倒的かつ純然たる”力”に身を委ねる。子猫であった鳳凛丸を覆っていた青白い光が、珠生の全身を覆い隠していく。

「……珠生!」

 光の影に見え隠れする珠生に、彰は思わず駆け寄った。徐々に薄れてゆく青白い光の中で、蠢めく影。

 彰は、珠生の身に起こった変化に、目を見張った。

 流れるような艶やかな銀髪、透き通るような白い肌がそこにあった。地面についた手には、細い鉤爪が在る。

 ゆっくりと彰を見上げたその瞳は明るい琥珀色だ。その姿は、紛れもなく千珠のものだった。

「せ、千珠……その姿……」
 音もなく、その姿が掻き消える。
 珠生の方に触れようとしていた彰の手が、虚しく空を掴んだ。

「……珠生!」

 目にも映らぬほどの速さで、珠生は土毘古を追っていったのだ。銀色の光がひらめき、小さくなっていく。
 彰は呆然としたまま立ち上がり、その光の行方を目で追った。

「……なんてことだ」

 彰は歯を食いしばると、全速力でその後を追った。
 
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