琥珀に眠る記憶

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第3幕 ——天孫降臨の地——

17、珠生の表情

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 感じる。自分のものではない体温を。

 肌を通して伝わってくるのは、誰かの霊気だ。どことなく、迷いに似た揺らぎを呈しつつも、それでも激しさを隠しきれない硬質な気。


 ——舜平、さん……?


 こうして珠生に触れて霊力を注ぐものは、舜平以外に存在しないはずだ。しかし、匂いも、肌の感触も、体温の温度も、何から何まで舜平のものではない。

「……ん……?」

 重たい瞼を持ち上げると、自分に覆い被さる大きな影が見えた。驚きのあまり目を見開き、珠生はその影を押し返そうとした。

「……何してる」
「起きたんか」

 浴衣姿で横たわる珠生の上にいたのは、墨田敦だった。ふと見てみると、浴衣の前ははだけ裾はめくれ上がっていて、肌の大部分を敦の前に晒している。
 敦はそんな珠生の肌を眩しげに見下ろしながら、そっと珠生の首筋を撫でた。

「古文書で読んだことがあるんじゃ。舜海は、優れた治癒力を持った僧侶だってな。千珠さまは、舜海の霊気を吸って気を高め、傷を癒すと」
「……え」
「身体がつらいんじゃろ? そんなら、俺の霊気を吸うてください。俺は、霊力の豊かさだけは誰にも負けんけぇ」
「何を、言ってるんだ。俺は……」

 敷布団に縫い付けられた手に、敦の指が絡みつく。そちらに気を取られているうちに敦の唇が珠生の首筋に触れ、舌でゆっくりと舐め上げられた。

「……ぁっ……!」
「へぇ、そんな声……出してくれるんか」

 鎖骨から肩口、肩の先へと、敦の唇が降りてゆく。肌をやわりと吸われるたび、珠生は小さく呻いて身を震わせた。しばらくの間忘れていた官能の快楽が、ちりちりと珠生の肉体の奥底で目を覚まし始める。

「やめ、ろ……っ……! 俺を誰だと、」
「そんなん、百も承知じゃ。でも俺は、君の力になりたいんじゃ。さっきの戦いぶり、ほんまに、ほんまにすごかった……俺は、君にならいくらでも」

 くい、と顎を掴まれて、珠生は真正面から敦を向き合う格好になった。敦の目つきは真摯ではあるが、どことなく焦燥感を抱えているようなざわつきが見て取れる。珠生は首を振って目に力を込め、敦を強く睨みつける。

「離せ」
「……離さん。欲しいんじゃろ、霊力が。そうせんと、君は人でいられなくなるんじゃないんか?」
「んっ……!」

 珠生の太ももを割る敦の膝が、珠生の股座に押し付けられる。下着が見えるか見えないかという際どさで開かれた浴衣の裾から、珠生のほっそりとした脚がむき出しになっている。敦は珠生の身体を見下ろして、熱をはらんだため息をついた。

「……きれいじゃ。夢に見たとおり、ほんまに君は美しい」
「やめろって言ってるだろ……!!」
「舜海の生まれ変わりは、今ここにおらん。俺を頼ったらええじゃろ。なぁ……?」
「や、めろ……!!」

 頬を掴まれて無理矢理唇を奪われそうになり、珠生は鉛のように重たい身体を叱咤して、敦の下で抵抗を示した。しかし敦は珠生の手首をさらに強く握りしめ、大きな身体を使ってうまく珠生の抵抗をいなしてくる。

 そうこうしているうちにも敦は珠生の脚をさらに開かせ、身を乗り出してキスを迫るのだ。珠生が顔を背けると、今度は耳や首筋に食らいつき、空いた片手で珠生の太ももをねっとりと愛撫してくる。

 身体に感じるのは、確固たる快感。舜平によって教え込まれた、肉の快楽だ。そして、肌を通じて伝わって来る敦の霊力は、珠生の空っぽの肉体に心地よく沁みてきて、うっかりすれば、その二つの快感に絆されてしまいそうになる。

 しかし珠生の脳裏に閃くのは舜平の顔ばかり。こんなことを、舜平以外としたくない。

 欲しいのは、舜平の体温と力、そして、舜平から注がれる深い情だ。

「舜平さん……っ」
「え……?」

 舜平の名前を呼びかけた瞬間、敦の動きが止まった。その隙をついて、珠生は敦の首を利き手で掴み上げ、思い切り突き飛ばした。

「ぐっ……!!」
「……離せと言ってるだろう!! 貴様は自分が何をしているか分かっているのか!!」
「……っ」

 珠生が声を張ると、昂り逸っていた敦の目に、正気が戻る様子が見て取れた。珠生は身体を起こして着衣を整えながら、敦から距離を取って身構える。

「珠生……くん……?」
「今の俺に、馴れ馴れしく近づくな。殺されたいのか」
「……それは」
「目障りだ、行け。俺が本当に欲しいものを、お前で補えるとでも思っているのか」
「……」

 自分でも驚くほどに、冷たい声が出る。
 自分でも信じられないほどに、敦への怒りを感じた。
 
 きっと、今の自分の瞳の色は琥珀色。鋭く避けた瞳孔は、まるで蛇のようにおぞましいだろう……珠生はふと、そんなことを考えた。見なくても、それが分かる。それほどまでに、敦の行動は珠生を酷く不快にさせている。

「……行け。俺に近づくな」
「……も、申し訳ありませんでした」

 敦はその場で深く頭を下げた後、こわばった表情のまま、珠生の部屋を出て行った。
 珠生はふらつきながら立ち上がり、ドアの鍵をガチャンと施錠した。そして、その場にへたりと座り込む。

 
 さっき眠りに落ちる前よりも、さらに舜平のことが恋しくなった。
 理不尽に感じさせられた快感を持て余し、珠生は自分の身体を抱きしめて、強く唇を噛み締めた。



 +  +


 その日午後から予定されていた”衣装合わせ”という項目は、葉山の手配によって宿で行われることになった。
 霧島神宮文化保存協会の人間たちが、神事の際に巫女である亜樹が身にまとう装束を持って、ここへやってくるのである。

 昼食後、協会のメンバーが来るのを待つために、葉山はロビーのベンチにひとりで座っていた。
 赤い絨毯の敷き詰められたロビーの窓際には木のベンチが等間隔に並んでおり、赤い番傘が立てかけられている。大きな窓から見える木々の景色を眺めながら喫茶を楽しむことのできるスペースだ。

 ただ、今はお茶など飲みたい気分でもなかった。ただの旅行で来れたらどんなに楽しいだろうと思いながら、葉山は脚を組んで座っていた。
 そこへふらりと彰がやって来た。

「お疲れ様です」
「ああ、彰くん……。大丈夫?」
「僕はなんともないですよ。葉山さんこそ、大物を相手にして疲れんじゃないの?」
「あぁ……。あれくらいしかできなかったのが、悔しいわ」
 葉山は少し唇を噛んで、彰から目をそらした。彰は少し笑を浮かべて、葉山のすぐそばに座った。

「ちょっと、もう少し間開けて座りなさいよ」
 あからさまに渋い顔をする葉山を見て、彰は笑う。そして、少し距離を開けて座り直した。

「あんな化け物を見てびびらないんだから、大したもんですよ」
と、彰は言った。
「あの敦も、まぁ初めてにしては善戦した方ですね。彼は攻方せめかたで修行をしてきたんでしょう?」
「ええ……彼の気質は攻撃向きだって、藤原さんがね」
「初めてであのサイズの術が放てるのなら、さすがといったところですかね」
「……ええ。助けられたわ、あなたの作った結界にも、墨田にも」
「葉山さんは治療と結界術に長けた能力ですから、攻撃に回ろうなんて考えなくてもいいんだ。僕らの誰かが必ず駆けつけるんだから」
「……でも」
「あなたは十分良くやりましたよ。……って、高校生の僕に言われても嬉しくないかもしれないけどね」

 彰はそう言って微笑むと、ベンチの上で拳を握りしめていた葉山の手をふわりと包み込んだ。葉山は奥歯を噛んで、溢れそうになる涙をぐっと堪えた。


 ——高校生に慰められるなんて、情けない! しっかりしなさいよ……。


 葉山の複雑な心境を知ってか知らずか、彰はしばらくそうして葉山の手を握っていた。少し距離を置いてはいるが、手だけは重なりあった状態で、二人はしばらくそうしていた。

 彰の手が、暖かかった。重なっているだけで、こんなにも勇気づけられる。
 不甲斐なさに泣きたくなるような気分が、すっと溶けて消えて行く。葉山は息を吸い、努めて勝気な口調でこう言った。

「……その通りよ、高校生に慰められたくはないわね」
「はは、やっぱり? 失礼しました」
「本当、生意気なんだから」
「TPOをわきまえて、本当は抱きしめたいのを我慢したんですよ? そのへんは評価して欲しいもんですね」
「……」
 彰は微笑んで立ち上がると、ポケットから小銭を出し、自動販売機で缶コーヒーをひとつ買った。戻ってきた彰はその缶を葉山にすっと差し出す。

「熱いから気をつけて。少し糖分を取ったほうがいい」
「……ありがとう」
 差し出されたのは、ホットの加糖カフェオレだ。葉山は缶を両手で受け取ると、掌で包み込む。じんわりと暖かさが伝わって来る。

「珠生は目を覚ましたかなぁ? ちょっとご飯でもあげてこよっかな」
「またそんな、ペットみたいな言い方して……」
 彰の物言いに、葉山は少し笑った。彰は横顔で振り返り、ゆったりと微笑む。

「葉山さんは黙ってても美人だけど、笑ってるともっときれいですよ」
「ちょっ……」
 遠くから大きな声でそんなことを言われ、葉山は戸惑いと照れのあまり赤面して缶を取り落としそうになった。彰はひらひらと手を振りながら、旅館の奥へと歩いて行く。

 たかだか高校生のそんな台詞に、赤面している自分が恥ずかしい。照れ隠しに缶を開けてカフェオレを飲もうとしたが、それが熱くてまた咳き込む。

「あっつい!! ……ったくもう、何なのよ……!」

 一人で勝手に狼狽している自分を恥ずかしいと思ったが、彰のくれたカフェオレは甘くて美味しく、疲れが少しましになる。葉山は缶に描かれたファンシーなロゴマークを見つめて、微笑んだ。

「……美味しい」
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