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第3幕 ——天孫降臨の地——
6、こぼれる気持ち
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彰は走っていた。
時刻は十九時。
グランヴィアホテルのロビーを制服姿で走っている彰の姿は、否応なく人目を引いていた。
のんびり上へと昇るエレベーターの中でやきもきしながら階数表示を見上げていると、ようやく最上階に到着した。扉が開ききる前に彰はそこから飛び出すと、深い絨毯の敷き詰められた長い廊下を一直線に走った。
呼吸を整え、呼び鈴に手を伸ばす。
走ったせいなのか、気持ちが逸っているせいなのか、えらく心臓が暴れまわっていた。
ドアノブが下がり、ゆっくりとドアが開く。
鼓動は限界まで上がっていた。
「……彰くん」
そこから顔を出したのは、葉山彩音だった。彰はぐいとドアを押し開けると、目を丸くしている葉山を思い切り抱きしめた。
どさ、とカバンが床に落ち、持ち手を失ったドアががちゃりとロックされる。
半年ぶりに会う葉山の体温が、涙が出そうになるほど懐かしい。ずっと焦がれていたものが、ようやく自分の腕の中に戻ってきた実感が湧き上がる。
体温も、肌の香りも、身体の弾力も、髪の感触も……葉山の全てを求めていた。
葉山の背中に手を回して力をこめると、葉山の手がゆっくりと自分の背に回るのを感じた。
少し汗ばんだ彰のシャツの背中を、葉山の手が優しく撫でる。
「ひさしぶりね、彰くん」
「……会いたかった」
ずっと電話もメールも出来ず、言いたくても言えなかった言葉が、本人を目の前にすると素直に口からこぼれ落ちた。葉山が、彰の胸の中でくすりと微笑む。
「……ずいぶん素直じゃないの」
「会いたかった。ずっと」
「……あのね、彰くん。あの……それは嬉しいんだけど、今ここでこういう体勢でいるのは、ちょっと……」
「え?」
葉山の手が、彰の胸を押し返し、ちらりと横を見る。
彰は瞬きをして、葉山が見た方向を見る。そして、目を見開いた。
「な、業平様……」
「や、やぁ、佐為。……あの、すまない。見てるつもりはなかったんだが……ええと、その……」
いつもの黒革のソファに、藤原修一がいた。居心地悪そうに腰を浮かせかけては、困惑したような笑みを浮かべつつ、すとんともう一度ソファに腰を下ろしている。そして、ごほんと咳払いをした。
彰は、ぱっと葉山と離れた。今まで葉山を抱きしめていた手をどうしていいか分からず、ゆっくりとズボンのポケットに突っ込む。葉山も苦笑して、そそくさと窓の方へと移動した。
「……あ、あの……。すみません」
「謝ることはないよ。私も来ると伝えていなかったのが悪かったね。ええと……葉山の部屋は隣だ。今は打ち合わせをしていた」
「あ、えーと……。九州の件ですよね……」
「そうだよ。九州には私は行けないが、一人、向こうに出向中の職員が君たちに同行することになっていて……えー、その、そういった話をだね」
藤原も戸惑っているらしく、いつもの流暢な言葉が出てこないようだった。彰は真っ赤になって、俯いた。
「まぁ、座りなさい。葉山、着いたばかりで荷物も片付いていないだろう? ちょっと……あの、片付けでもしてきたら?」
「あ、はい。そうします」
葉山も少しばかり赤い顔で、そそくさと部屋を出ていった。
彰は気まずさに耐えられず、穴があったら入りたいとはまさにこのことだ……などと考えていた。藤原の笑う声が聞こえる。
「……まさか二人がそう言う関係とは。全く気づかなかったよ。私を奪い合っているとばかり思っていたのにな」
冗談めかした口調で藤原がそう言うと、彰は苦笑する。
「はぁ、それは……あの……」
「それに、君が口ごもるところなんて、前世でも今世でも初めてだな。ははは、実にいいことだ」
「はぁ……」
「良かったな、佐為。愛おしいと感じることのできる女ができたんだ。私にとって、これ以上嬉しいことはないよ」
「業平様……」
藤原は穏やかに微笑んで、向かいに座る彰の頭を撫でた。
「なんだろうな、佐為のことは、どこか息子のように思っていたから。少し照れくさいが、とても嬉しいことだ。藤之助もさぞかし安心していることだろう」
「……藤之助さまも」
彰はうつむいて笑みを浮かべた。藤之助の穏やかな笑みが蘇る。
「でも、すみません。公私混同はしませんから」
「なぁに、二人のことだ。それは大丈夫だろう、私は何も言わないよ」
「……ありがとうございます」
「みんな知ってるのかい?」
彰は顔を上げて首を振った。
「そう。了解だ。口を滑らさないように気をつけよう」
藤原は寛いだ表情でソファにもたれかかると、満ち足りたため息をつきつつ微笑んでいた。
「今回の京都滞在は打ち合わせの件だけですか?」
と、彰は話題を変えるように尋ねた。
「まぁ半分はそうだ。もう半分は、君たちの顔を見たくてね」
「そうですか。みんな元気ですよ。珠生も随分落ち着いていますし。あの天道亜樹も、同級生二人とそこそこ仲良くやっています」
「そうか。何よりだ」
藤原はずっと笑みを浮かべて彰を見ている。少し恥ずかしくなってきて、彰は目をそらした。
「照れくさいもんですね、こういうの」
「そうだろう。でも、素晴らしい気持ちだろう?」
「……はい」
「いい笑顔だよ、佐為」
心なしか、藤原の目が潤んで見えた。彰はまた照れくさくなって、俯く。
「今日は、打ち合わせはなしにしよう。明日の午前中、宮尾さん宅へ行く前にやればいい」
「え?」
「久しぶりなんだろう? ゆっくり食事でもしておいで。打ち合わせの件、伝えておいてくれるかな」
「……分かりました」
藤原はさっと立ち上がって、伸びをした。
「いや、京都は暑いな。私はのんびり風呂に入らせてもらうよ」
藤原がバスルームに消えて行くのを見送って、彰は立ち上がった。
藤原の気遣いがありがたい。
早く、葉山の顔を見たかった。
+ +
隣の部屋の呼び鈴を押すと、すぐに葉山が顔を出した。
打ち合わせがあると思っているらしく、黒のスラックスに身体にフィットした白い半袖Tシャツ姿だった。
部屋に入れてもらうと、彰は再び葉山を抱きしめる。葉山の腕が背に回ると、嬉しくて笑みがこぼれた。
「葉山さん……。打ち合わせは明日の朝になりましたよ」
「え、そうなの?」
「気を遣わせちゃったみたいだ」
「そう……。あなたのお父さんみたいね、藤原さん」
「うん……」
葉山の身体を抱きしめていると、するするとほぐれていくような心の動きを感じる。彰は葉山の髪に頬を摺り寄せて、ふうっとため息をついた。
「……葉山さん」
「何?」
「半年をこんなに長く感じたのは、初めてだ」
「あなたがそんなこと言うなんて、驚きだわ」
葉山のドライな台詞に、彰は笑った。
「寂しくなかった?」
「忙しくって、それどころじゃないわよ」
「やっぱり大人だな、葉山さんは」
「まぁでも……あなたの憎まれ口が聞こえてこなくて、少し物足りなくはあったかしらね」
「ふうん、ちょっとは寂しかったんだね」
「そうは言ってないでしょ」
彰は葉山から身体を離すと、じっとそのきりりとした目を見つめた。つれないことを言いつつも、葉山の口元は微笑んでいる。
「九州に向かう日までは、こっちに滞在します」
「本当? 嬉しいな」
彰が本当に嬉しそうに笑うのを見て、葉山も思わず顔をほころばせた。なんだかんだと言って、久しぶりに彰と会えて嬉しかったのは葉山も同じなのだ。
そして何より、彰が以前と態度を変えていないことが分かって、嬉しかったということもある。
「キスしていい?」
「……そう改まって聞かれると、返事に困るんだけど」
「いいんだ」
「え、あのね。そういう……」
何か言いかけた葉山の唇を、彰の唇が塞ぐ。
突然のことで驚いたが、葉山自信もそれを望んでいたのも事実だった。彰の背に手を回して、シャツを握りしめる。
「……何か、感じる……?」
唇を離して葉山を強く抱きしめながら、彰はそう囁いた。葉山は笑った。
「またそれを訊くのね」
「教えてよ……」
「んっ……」
彰のキスが徐々に熱く、深くなってくるのを受け入れながら、葉山はため息を漏らした。
この子、高校生のくせに、なんでこんなに上手なのかしら……と頭の片隅でそんなことを考えながらも、身体は少しずつ彰を求めて熱くなってくる。
「何か、感じる……?」
「……今なら、抱かれてあげてもいいわよ」
「いいの?」
「いいよ……」
彰の首に手を回して、今度は葉山から彰に口付ける。葉山の腰を抱き寄せて、彰は葉山の中に舌を割込ませた。
押し倒したベッドの大きく軋むスプリングの音と、葉山の吐息を聞きながら、彰は本能的に彼女を求めた。
こんなにも高揚した気持ちは、生まれて初めてだ。
どんな術式を操った時より、どんな強敵を破った時より、胸は高鳴り、本能に突き動かされる。
この女性を抱きしめることが、自分にとっての本物の意思だと、彰は感じていた。
時刻は十九時。
グランヴィアホテルのロビーを制服姿で走っている彰の姿は、否応なく人目を引いていた。
のんびり上へと昇るエレベーターの中でやきもきしながら階数表示を見上げていると、ようやく最上階に到着した。扉が開ききる前に彰はそこから飛び出すと、深い絨毯の敷き詰められた長い廊下を一直線に走った。
呼吸を整え、呼び鈴に手を伸ばす。
走ったせいなのか、気持ちが逸っているせいなのか、えらく心臓が暴れまわっていた。
ドアノブが下がり、ゆっくりとドアが開く。
鼓動は限界まで上がっていた。
「……彰くん」
そこから顔を出したのは、葉山彩音だった。彰はぐいとドアを押し開けると、目を丸くしている葉山を思い切り抱きしめた。
どさ、とカバンが床に落ち、持ち手を失ったドアががちゃりとロックされる。
半年ぶりに会う葉山の体温が、涙が出そうになるほど懐かしい。ずっと焦がれていたものが、ようやく自分の腕の中に戻ってきた実感が湧き上がる。
体温も、肌の香りも、身体の弾力も、髪の感触も……葉山の全てを求めていた。
葉山の背中に手を回して力をこめると、葉山の手がゆっくりと自分の背に回るのを感じた。
少し汗ばんだ彰のシャツの背中を、葉山の手が優しく撫でる。
「ひさしぶりね、彰くん」
「……会いたかった」
ずっと電話もメールも出来ず、言いたくても言えなかった言葉が、本人を目の前にすると素直に口からこぼれ落ちた。葉山が、彰の胸の中でくすりと微笑む。
「……ずいぶん素直じゃないの」
「会いたかった。ずっと」
「……あのね、彰くん。あの……それは嬉しいんだけど、今ここでこういう体勢でいるのは、ちょっと……」
「え?」
葉山の手が、彰の胸を押し返し、ちらりと横を見る。
彰は瞬きをして、葉山が見た方向を見る。そして、目を見開いた。
「な、業平様……」
「や、やぁ、佐為。……あの、すまない。見てるつもりはなかったんだが……ええと、その……」
いつもの黒革のソファに、藤原修一がいた。居心地悪そうに腰を浮かせかけては、困惑したような笑みを浮かべつつ、すとんともう一度ソファに腰を下ろしている。そして、ごほんと咳払いをした。
彰は、ぱっと葉山と離れた。今まで葉山を抱きしめていた手をどうしていいか分からず、ゆっくりとズボンのポケットに突っ込む。葉山も苦笑して、そそくさと窓の方へと移動した。
「……あ、あの……。すみません」
「謝ることはないよ。私も来ると伝えていなかったのが悪かったね。ええと……葉山の部屋は隣だ。今は打ち合わせをしていた」
「あ、えーと……。九州の件ですよね……」
「そうだよ。九州には私は行けないが、一人、向こうに出向中の職員が君たちに同行することになっていて……えー、その、そういった話をだね」
藤原も戸惑っているらしく、いつもの流暢な言葉が出てこないようだった。彰は真っ赤になって、俯いた。
「まぁ、座りなさい。葉山、着いたばかりで荷物も片付いていないだろう? ちょっと……あの、片付けでもしてきたら?」
「あ、はい。そうします」
葉山も少しばかり赤い顔で、そそくさと部屋を出ていった。
彰は気まずさに耐えられず、穴があったら入りたいとはまさにこのことだ……などと考えていた。藤原の笑う声が聞こえる。
「……まさか二人がそう言う関係とは。全く気づかなかったよ。私を奪い合っているとばかり思っていたのにな」
冗談めかした口調で藤原がそう言うと、彰は苦笑する。
「はぁ、それは……あの……」
「それに、君が口ごもるところなんて、前世でも今世でも初めてだな。ははは、実にいいことだ」
「はぁ……」
「良かったな、佐為。愛おしいと感じることのできる女ができたんだ。私にとって、これ以上嬉しいことはないよ」
「業平様……」
藤原は穏やかに微笑んで、向かいに座る彰の頭を撫でた。
「なんだろうな、佐為のことは、どこか息子のように思っていたから。少し照れくさいが、とても嬉しいことだ。藤之助もさぞかし安心していることだろう」
「……藤之助さまも」
彰はうつむいて笑みを浮かべた。藤之助の穏やかな笑みが蘇る。
「でも、すみません。公私混同はしませんから」
「なぁに、二人のことだ。それは大丈夫だろう、私は何も言わないよ」
「……ありがとうございます」
「みんな知ってるのかい?」
彰は顔を上げて首を振った。
「そう。了解だ。口を滑らさないように気をつけよう」
藤原は寛いだ表情でソファにもたれかかると、満ち足りたため息をつきつつ微笑んでいた。
「今回の京都滞在は打ち合わせの件だけですか?」
と、彰は話題を変えるように尋ねた。
「まぁ半分はそうだ。もう半分は、君たちの顔を見たくてね」
「そうですか。みんな元気ですよ。珠生も随分落ち着いていますし。あの天道亜樹も、同級生二人とそこそこ仲良くやっています」
「そうか。何よりだ」
藤原はずっと笑みを浮かべて彰を見ている。少し恥ずかしくなってきて、彰は目をそらした。
「照れくさいもんですね、こういうの」
「そうだろう。でも、素晴らしい気持ちだろう?」
「……はい」
「いい笑顔だよ、佐為」
心なしか、藤原の目が潤んで見えた。彰はまた照れくさくなって、俯く。
「今日は、打ち合わせはなしにしよう。明日の午前中、宮尾さん宅へ行く前にやればいい」
「え?」
「久しぶりなんだろう? ゆっくり食事でもしておいで。打ち合わせの件、伝えておいてくれるかな」
「……分かりました」
藤原はさっと立ち上がって、伸びをした。
「いや、京都は暑いな。私はのんびり風呂に入らせてもらうよ」
藤原がバスルームに消えて行くのを見送って、彰は立ち上がった。
藤原の気遣いがありがたい。
早く、葉山の顔を見たかった。
+ +
隣の部屋の呼び鈴を押すと、すぐに葉山が顔を出した。
打ち合わせがあると思っているらしく、黒のスラックスに身体にフィットした白い半袖Tシャツ姿だった。
部屋に入れてもらうと、彰は再び葉山を抱きしめる。葉山の腕が背に回ると、嬉しくて笑みがこぼれた。
「葉山さん……。打ち合わせは明日の朝になりましたよ」
「え、そうなの?」
「気を遣わせちゃったみたいだ」
「そう……。あなたのお父さんみたいね、藤原さん」
「うん……」
葉山の身体を抱きしめていると、するするとほぐれていくような心の動きを感じる。彰は葉山の髪に頬を摺り寄せて、ふうっとため息をついた。
「……葉山さん」
「何?」
「半年をこんなに長く感じたのは、初めてだ」
「あなたがそんなこと言うなんて、驚きだわ」
葉山のドライな台詞に、彰は笑った。
「寂しくなかった?」
「忙しくって、それどころじゃないわよ」
「やっぱり大人だな、葉山さんは」
「まぁでも……あなたの憎まれ口が聞こえてこなくて、少し物足りなくはあったかしらね」
「ふうん、ちょっとは寂しかったんだね」
「そうは言ってないでしょ」
彰は葉山から身体を離すと、じっとそのきりりとした目を見つめた。つれないことを言いつつも、葉山の口元は微笑んでいる。
「九州に向かう日までは、こっちに滞在します」
「本当? 嬉しいな」
彰が本当に嬉しそうに笑うのを見て、葉山も思わず顔をほころばせた。なんだかんだと言って、久しぶりに彰と会えて嬉しかったのは葉山も同じなのだ。
そして何より、彰が以前と態度を変えていないことが分かって、嬉しかったということもある。
「キスしていい?」
「……そう改まって聞かれると、返事に困るんだけど」
「いいんだ」
「え、あのね。そういう……」
何か言いかけた葉山の唇を、彰の唇が塞ぐ。
突然のことで驚いたが、葉山自信もそれを望んでいたのも事実だった。彰の背に手を回して、シャツを握りしめる。
「……何か、感じる……?」
唇を離して葉山を強く抱きしめながら、彰はそう囁いた。葉山は笑った。
「またそれを訊くのね」
「教えてよ……」
「んっ……」
彰のキスが徐々に熱く、深くなってくるのを受け入れながら、葉山はため息を漏らした。
この子、高校生のくせに、なんでこんなに上手なのかしら……と頭の片隅でそんなことを考えながらも、身体は少しずつ彰を求めて熱くなってくる。
「何か、感じる……?」
「……今なら、抱かれてあげてもいいわよ」
「いいの?」
「いいよ……」
彰の首に手を回して、今度は葉山から彰に口付ける。葉山の腰を抱き寄せて、彰は葉山の中に舌を割込ませた。
押し倒したベッドの大きく軋むスプリングの音と、葉山の吐息を聞きながら、彰は本能的に彼女を求めた。
こんなにも高揚した気持ちは、生まれて初めてだ。
どんな術式を操った時より、どんな強敵を破った時より、胸は高鳴り、本能に突き動かされる。
この女性を抱きしめることが、自分にとっての本物の意思だと、彰は感じていた。
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