琥珀に眠る記憶

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第3幕 ——天孫降臨の地——

5、息が合う?

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 その日の放課後、珠生は生徒会室を覗きに行った。
 3-Eの教室を見に行っても、彰の姿がなかったからだ。珠生が来たことで、女子生徒たちがしばらくはしゃいでなかなか離してもらえなかったが、それを振りきって珠生は西校舎四階へとやって来た。
 電気はついている。珠生はノックして、がちゃりと扉を開けた。

「……珠生。どうしたの?」
 窓際の机で何やら書類のようなものを開き、俯いていた彰が顔を上げた。珠生はドアを閉めて、彰の方へと歩み寄る。
「これは?」
 彰の見ている書類を覗きこむと、そこには今年度の行事予定表が置いてあった。
「一応確認をね。珍しいじゃないか、用もなくここへ来るなんて」
「教室にいなかったから、ここかなって」
「わざわざ探しに来てくれたのかい?」
 彰はにっこりと笑った。珠生は彰の前に座って、微笑んだ。

「先輩、最近ほんとに元気ないよ。ちょっと気になっちゃってさ」
「え、そうかな」
「順位だって……」
「あぁ、成績かぁ。そうだね、五位というのにはびっくりした。みんなに聞かれたよ、何かあったのかって。担任には面談をされそうになったから逃げてきた」
 彰は肩をすくめてそう言った。
「今までぶっちぎりでしたもんね」
「まぁね。僕をよく思っていないクラスメイトには、このまま落ちればいいのにと言われもしたよ。……まぁ、今回は仕方がないな」
「やっぱり何かあったんだね」
「無いとは言えないけど……正直、僕にもよく分からないんだ」
 彰はすっきりしない返事をした。珠生は、以前の自分を見ているような気分になり、ただ彰の端正な横顔を見ていた。

「なんか……寂しそう」
「え?」
「別に何があったかは言わなくてもいいけど……気持ちだけでも、話してみたら楽になるかもよ」
「……優しいな、珠生は」
 彰は書類を重ねてファイルに仕舞うと、窓の外を見た。グラウンドでは、部活動に励む生徒たちが元気に動きまわっている。

「そうだね、寂しいんだと思う。寂しいという気持ちが、こんなに生活に響くとは思わなかったよ」
「……よく分かります。俺もさんざん先輩に叱咤激励してもらったし……」
「あはは」
 彰は苦笑した。
「今なら君の気持ちが少しわかるかな」
「そっかぁ……どうすればいいんだろ……」
「はは。珠生は気にしなくても大丈夫だよ。たぶん、徐々に慣れていけると思うんだ。夏にはまた大仕事があるしね」
「そうだね……」
「天道さんはどう? まだ彼女のことが怖い?」 
「こ、怖くないし! でも、話してると腹がたってしょうがないんです」
「ほう。珍しいな、珠生がそんなこと言うなんて」
 彰はニヤニヤし始める。少し元気が出てきたような顔だ。
「仲良くしてもらわないと困るなぁ。僕が命じたらそうする?」
「お断りします」
「はははっ、相当だね。大丈夫? 九州は一緒に行くんだよ。まるまる一週間くらい一緒に過ごすんだけど」
「……それは、我慢する」
「そっかぁ、なるほどな。天道亜樹か、おもしろい」
 長い指で顎を撫でながら、彰はにまにま笑っている。なにか企んでいるような顔にも見えて、珠生は少しげんなりする。

「ちょっと元気が出てきたよ」
「それならいいけど……」
 本当にどことなく顔色も良くなってきた彰を見て、珠生は少しほっとした。彰は荷物を片付け始める。
「僕はもう帰ろうかな。珠生は部活へ?」
「はい。ちょっとだけ描いていこうかな。……そういえば、先輩は部活入ってないんですか?」
「ううん。入っていたよ」
「へぇ、何部? やっぱり茶道部とか?」
「いいや、僕はこれでもバスケ部さ」
「ええええ!? そうなんですか!」
「うん、中学からね。高二で生徒会に入ってからは、あまり行っていないけど。球技大会は必ずバスケに出るよ」
「先輩って……モテるでしょ?」
 書類を棚に片付けている彰のすらりとした背中を見ながら、珠生はそう言った。
「まぁね。前世むかしよりもモテるかな」
「なんで彼女を作らないんですか?」
「……簡単さ。僕が好む女性がいないだけ」

 今までは、そうだった。
 珠生に背を向けて片づけをしながら、彰は葉山の顔を思い浮かべていた。

 会いたい。
 素直にそう言えたら、この正体のない不安定な気持ちは消えるんだろうか。


 ——なんで言えないんだろう。以前の自分なら、考えるよりも前に口からさらりと出ていただろうに。


「バスケかぁ、かっこいいなぁ、先輩」
 にこにこしながらそんなことを言ってくれる珠生に、彰は自然と笑みを返した。
「そうかい? 君ほどじゃないよ」
「え?いやいや、俺は……別にそんな」
「そうかな? でも僕は、君のことが好きだよ」
「……あ、ありがとうございます」
「なに? 照れてんの? 珠生は可愛いな、やっぱり」
 少し頬を赤くしている珠生を見て、彰は薄笑いを浮かべて近づいてくる。珠生は思わず後ずさった。
「照れてないよ。急にそんなこと言うから、びっくりしただけ」
「そう? なんならキスでもする?」
「しません。なんでそうなるんですか」
「なるほど、君をからかうのは結構楽しいな」

 新たな目標を見つけたように瞳を輝かす彰を見て、珠生は苦笑した。
 まぁそれでも、自分たちのリーダーである彰が元気なのに越したことはない。

 二人は連れ立って、生徒会室を出た。



 +  +


 夏休みも目前となった七月下旬。
 中間試験から立て続けに行われる期末試験も終了し、学校では結果発表までつかの間の弛緩した時間が流れていた。

 湊は亜樹に負けたくないためか、いつになく熱心に勉強していた。試験が終わり、その疲れが出てしまったせいか、湊はいつになく元気がなかった。
 昼休み、二人は生徒会室で彰に命じられ、書類を整理していた。
 だらだらと作業している湊を見て、珠生は苦笑した。

「珍しいね、湊がそんなになっちゃうなんて」
「ちょっと勉強しすぎたかな。ほんま、忌々しい女や」
「ふたりとも元気だなぁ」
 珠生がクリアファイルに書類を挟み込んでいると、ノックと同時にドアが開き、当の亜樹が入ってきた。
 二人は仰天して、同時に亜樹を見た。

「お邪魔しまーす」
「邪魔や。帰れ」
と、湊が即座にそう言った。亜樹は怒るでもなくにやりと笑った。
「用事があって来ただけやん」
「用事? 生徒会に?」
と、珠生。亜樹は呆れたような顔で首を振り、ポケットから携帯電話を取り出した。
「そんなわけないやろ。うちはお役所仕事は関係ないねん。葉山さんから連絡あってさ」
「なんで天道さんとこに行くんだよ」
「柚子さんちにおるからやろ?」
「メールでも良かったんちゃうんか」
と、憮然として湊がそう言う。
「だってうち、あんたらの携帯なんか知らんもん。アド交換する?」
「誰がするか」
と、湊は相当いらいらしている様子である。珠生はまた苦笑した。
「何かあったらいけないし、聞いとこうか」
 珠生がポケットから携帯電話を出すと、亜樹はじろりと珠生を睨んだ。
「聞いとこうか、とは何やねん。教えてください、やろ」
 珠生のこめかみに、ぶち、と青筋が浮かぶ。

「じゃあいい」
「うちもいらんわ」
「じゃあ最初から言うなよ」
「社交辞令や社交辞令! そんなことも分からへんから、沖野は彼女できひんねん」
「……ぐっ」
「お前もや柏木」
「やかましい」

 男二人が黙りこむのを見て、亜樹は満足気に笑うと、メール画面を開いて二人の前に置いた。
 渋々二人が覗きこむと、葉山からの事務的な内容のメールが表示されている。
 そろそろ霧島での計画についての話し合いがしたいので、今週末に宮尾柚子宅に集合するべしとのことであった。

「あ、そっか……もう一ヶ月前だもんね」
「週末にまでお前と会わなあかんのか」
と、湊はため息をつきながら眼鏡を上げる。
「そういうこと。斎木先輩にも言っといてな」
「先輩には直接連絡行ってんじゃないの?」
「さぁ? とりあえず、うちからは伝えたからな。ところで、もう昼休み終わるで」
「あ、本当だ」
 珠生と湊は、急いで書類を片付けて立ち上がった。何となく二人を待っている様子の亜樹を見て、珠生は言った。
「俺といるの見られるの、嫌なんじゃなかったっけ?」
「別に。もういいねん。クラス変わってから、誰もうちに絡んでこーへんし」
「ふーん」
と、珠生と湊は気のない返事をした。

 三人で生徒会室から出て、教室へと向かう。
 すれ違いざまに、一年生の女子生徒がちらちらと珠生を見ては、ひそひそと何かを囁き合っている様子を見て、亜樹は珠生の横顔を見た。
 殆ど同じ背の二人だ、珠生の端正な横顔がすぐそばにある。
 亜樹はじろじろと珠生を観察しながら歩いていた。

「何見てんだよ」
「何も知らん一年生がキャッキャいうてはるわ。まぁ確かに……あんた顔はきれいやな。それは認める」
「だから顔は、って言い方やめてくれる? 性格めっちゃくちゃ悪いみたいじゃん」
「大していい性格でもないと思うけど?」
「はぁ? 天道さんに言われたくないんですけど」
 珠生が横目でそんなことを言い返すと、亜樹は楽しげに笑った。教室棟の東校舎に来ると、亜樹は先に立って走りだした。
「ほな、先輩によろしく」
 と言い残し、亜樹はさっさと一人で階段を登っていった。短いスカートが翻り、細い足が見えた。
 珠生はため息をついた。

「九州かぁ、気が重いなぁ」
「俺も。でも珠生、あいつと結構息合うてるやん」
 湊の発言に、珠生はぎょっとしてその横顔を見あげた。
「えっ、ちょっとやめてよ。何だよそれ」
「ああすまんすまん。俺はいつでも珠生の味方やで」
「勘弁してよ、ほんと」

 ガラリと教室のドアを開けると、誰もいない。はっとして時間割を見ると、次は体育だった。
 二人は大急ぎで着替えを始めた。
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