琥珀に眠る記憶

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第2幕 『Don’t leave me alone.』

17、巫女の血族

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 葉山が亜樹を自宅に届けるのは、二度目である。
 一度目は秋だった。あの時も、彼女は掃除用具入れに閉じ込められ、彼女の居場所を示すかのように駒霊が現れた。
 あの時は彼女と駒霊の関連性など、考えもしなかった。

 今日はこっそり送り届けるのではなく、正面玄関から入ってゆく。
 車の側に立っている彰をちらりと見てから、葉山は木造の古い大きな屋敷の玄関の前に立ち、呼び鈴を押した。
 木でできた古めかしい表札には、”天道”ではなく”錦織”と書かれている。

「はい?」
 呼び鈴の向こうから、訝しげな男の声がした。時刻は二十二時前。人が訪ねてくるには少し遅い時間だ。
「夜分遅くに失礼致します。こちらにお住まいの天道亜樹さんの身柄を保護して参りました」
「……ああ、分かりました」
 ぷつ、と通話が切れた。しばらく待っていると、草染めの渋い着物に身を包んだ恰幅のいい男が現れた。
 男は葉山のような若い女がそこに立っていることに少し驚いた顔を見せている。

「あの、どちらさん?」
「わたくし、こういう者でございます」
 葉山はその男に、丁寧な動きで名刺を手渡した。男は名刺を受け取り、いかめしい顔を更に厳しくして、葉山を見た。にっこり笑って、葉山は一礼した。
「あなたは天道亜樹さんのお父様のお兄さまに当たる方ですね。錦織全二さん。お話があります。……内容はお分かりですか?」
「……ああ。どうぞ」
 錦織は渋い顔をして、細く開けていた門を全開すると、身体を脇によけた。葉山は彰を振り返って頷く。

 玄関の手前に停めていた車から、彰が自分のコートを羽織らせた亜樹を抱えて連れてきた。ぐったりとした亜樹を見ても、錦織は表情を変えない。

「衰弱しています。医師を呼ぶことをお勧めしますよ」
と、彰がそう言うと、錦織は葉山以上に若い男が出てきたことにまた目を丸くした。
「……君は?」
「僕は、明桜学園の生徒会の者です。宮内庁に協力しています」
 彰はそう言って、愛想笑いを浮かべて細めていた目をすっと開いた。
 
 その冷たく隙のない目付きに、錦織はぞくりと身を震わせる。逆らいがたい何かが、この年若い少年の目には宿っている。
 錦織はこんな子どもに一瞬畏れを抱いてしまったことを恥じるように、ぶっきらぼうな口調でこう言った。

「……分かった。かかりつけの医師を呼ぶ。入るなら、とっとと入れ」
 錦織は辺りを見回しながら、葉山と彰を家に招き入れた。世間体を気にしている様子がありありと伝わってきて、葉山は少し苛々した。

 広い客間に通された葉山と彰は、どっしりとした重々しい座卓の前に座った。亜樹は部屋で医師の手当を受けているという。
 しばらく待っていると、錦織が現れた。二人の前に正座すると、難しい顔のままじっと二人を見比べている。
 葉山は姿勢を正すと、真っ直ぐに錦織を見て言った。

「さて。単刀直入に申し上げます。回りくどいのはやめましょう。天道亜樹さんは、今後宮内庁で保護させて頂きます。よろしいですね?」
「……まさか本当に、日本政府の人間がやって来るとはな。別に構わんよ、私は」
「いつ、亜樹さんのご両親はお亡くなりに?」
「……あれが小学校六年生の頃だ。だから中学からは、ここから通うようにと手配した。他に身内がいないのでね」
「四年も前、ですか。私どものことは何も聞いておられなかったのですか?」
と、葉山は一口茶をすすってからそう言った。

「……あんな馬鹿馬鹿しい話、信じられるか。弟はな、頭のおかしい女に騙されてこの家を出ていったんだぞ」
「まぁ、おかしいと思われても仕方のないことです」
と、葉山は錦織の意見を認めるように、穏やかにそう言った。
 錦織はちらりと葉山を見てから、自分の膝の上に握った拳に目を落とし、吐き捨てるように呟く。

「“妻は、厳島の巫女の血を持つ人間だ。もし自分たちに何かあったら、亜樹をどうかよろしく頼む。娘はきっと、すごい力を持っているから……”と言っていたかな。そしてこうも言った。“いつか、国の中枢から迎えが来る……”と」
「その内容を、弟さんからいつお聞きに?」
「あの二人が事故に遭う、ほんの数日前だ。夏休みで、亜樹を連れて京都へ遊びに来ていた時だな。その帰り道に事故で……」
「……なるほど」
「亜樹は、無傷だったのだ。車がぺしゃんこに潰れるようなひどい事故だったのに、あいつだけが無傷だった。薄気味悪い子どもだと思ったが、ああ言われた以上、引き取らない訳にはいかないし」
「そうですね」
「ここへ来てからも、あいつはここに馴染もうとはしなかった。ただ、高い金を払っていい学校へ行かせてやっている、ということは分かっていたのかな、勉強だけはよくできる子だった。……しかし、人間関係のトラブルは入学当初から多くてな、面倒になった我々家族は、それらを黙殺するようになった」
「……」
「ここへ置いてやる、食事も金も、世話はしてやる。だが、それ以上のことは望むなと、あいつには何度も言ってきた」
「何でそこまで?」
「あの目付き……不気味で、人様を威嚇するような、おぞましい目付きをしているだろう。俺の弟も、きっとあいつのせいで死んだのだ」
「なるほど、未だに彼女のことが許せないんですね。……まぁ、無理もないことでしょう」
と、彰は静かにそう言った。

「弟さんを亜樹さんの母に奪われ、そして亜樹さんが弟さんの死を招いたと。そう思い込んでしまわれたわけだ」
 錦織は、じろりと彰を睨んだ。彰がそんなことで怯むはずもなく、錦織は自分からまた目を逸らした。
「誰だって、こういう状況になればそう思うはずだ」
「そうかもしれませんね」
 彰は肩をすくめてそう言うと、葉山の方を見た。

「ここに彼女が引き止められる理由は何もない。さっさと手配しよう」
「そうね」
 葉山は背筋を伸ばすと、バッグから書類を出して机の上に置き、すっと錦織の方へと差し出した。
「亜樹さんをこちらで保護するにあたり、ここに署名捺印を頂きます。あなたが彼女に対する責任の全てを放棄するという内容の誓約書です」
「なに、こちらとしてもありがたいことだ」
 錦織はさもせいせいしたようにそう言って、署名した。
「こちらにも準備がありますので、もう二日ほど、彼女にはここで静養してもらいます。それまで彼女から目を離さず、きちんと保護しておいていただきたい。もっとも、体調が優れないでしょうから逃げ出すことはないかとは思いますが」
「分かったよ」
「……彼女が帰ってこなくとも、あなたは何も気になさらなかったのですか?」
と、捺印をしている錦織に、葉山は尋ねた。
「昨日から帰っていなかったでしょう?」
「クリスマスだ。きっと何処かで遊び歩いていると思っていたからな」
「……そうですか」
 葉山の不機嫌な顔を見て、彰はそっとその肩に触れた。ちらりと彰を見た葉山は、目を閉じて息をつく。

「……天道亜樹さんは、紛れもなく、日本古来から受け継がれている神聖な血の持ち主なのです。国にとっても、非常に重要な人材です。今後は我々が責任持って彼女の面倒を見ていきますので、ご心配なく」
「……はっ、何が日本政府だ、偉そうに。全く、こんなことのために我々の税金を使っているとは」
「そういった苦情は、私の名刺にあります電話番号へどうぞ」
 葉山はもはや苛立ちを隠そうともせずにそう言って、立ち上がった。彰はため息をついて、それに倣う。
「では、失礼致します」
 二人が軽く一礼するのを、錦織はいかめしい顔で見ていたが、見送りに出て来ることはなかった。

「あの……」
 二人が板張りの廊下に出た所で、家政婦らしき中年の女性が二人に声をかけた。
「亜樹さんが、お目覚めなのですが……どうなさいますか」
「あら、そうですか。挨拶していきましょ」
「葉山さん、鼻息荒いよ」
と、彰は不機嫌な葉山をたしなめる。
「五月蝿いわね」
 葉山はじろりと彰を睨みつけて、家政婦の後に続いた。


 +

 
 亜樹の自室は広々とした和室だが、ひどく殺風景なものだった。
 簡単なクロゼットと、ベッド、勉強用の机が部屋の隅に置いてあるだけだ。女子高生の好みそうなぬいぐるみや、アイドルのポスター等は一切ない。
 壁際においてあるベッドの上で、亜樹は二人を見ると起き上がった。腕から点滴のチューブが伸びているのが痛々しい。

「あ、あんた……一回学校で……」
 葉山の顔を見た亜樹は、顔を強ばらせてそう言った。更に、彰を見てまた目を丸くする。
「生徒会の人やん。なんで?」
「……やっぱり、忘却術は効かなかったようね。さすが、巫女さんには通じないわけだ」
 葉山はベッドサイドに座ると、笑顔を浮かべて亜樹を見た。
「巫女?」
 彰は葉山の横に立つと、じっと亜樹を見下ろした。探るような彰の目付きに、亜樹が警戒しているのが分かる。

「君は、夢をみるんじゃないか?厳島の海の風景を」
「え? ……厳島って……」

 亜樹はぎょっとして、彰の目を見あげた。

 確かに、一年ほど前から頻繁に見る夢があった。
 真っ赤な鳥居、青く美しい海、はためく白い着物の裾と黒く長い髪を。
 まるでその場に居合わせたかのような、リアルな感覚に戸惑う日々。海の匂い、潮風の気配、足にまとわりつく砂の感触……目覚めた時に感じる生々しい感覚のことも、亜樹はただのよく出来た夢だと思っていた。

 現実世界が自分にとってあまりにも辛いから、夢のなかの世界に居場所を見出しているのだと、自分では思っていた。

「君は、厳島神社の正当なる巫女の血脈を継ぐ者だ」
「……えっ」

 亜樹はびくっと肩を揺らした。副会長が何を言っているのか、何がなんだか分からなくて、不安が高まる。

 すると、座っていた女が、いきなり副会長の脛に手刀を食らわせた。「うぐっ」と痛そうに呻いて副会長が座り込むのを、亜樹は呆気にとられて見つめていた。

「馬鹿、いきなりなんてこと言うの! 怖がってるでしょ!」
「……いっ……たいな。なんてことを……」
「もう、あんたは黙ってなさい」

 そう言って、女のほうは亜樹に向き直ると、名刺を手渡した。

「私は、葉山彩音と言います。日本政府の者です」
 手にとって名刺を見下ろすと、テレビでしか聞かないような省庁の名が書いてある。
「あなたは、国にとって非常に重要な力を持った人間なのよ」
「え……? 力って、何?」
「あなたは、人には見えないものが見えるんじゃない?」

 亜樹ははっとして、布団を握りしめた。
 幼い頃から、確かに亜樹は色々なものが見えた。両親たちはそれを当然のことのように受け入れ、亜樹を決して否定することはなかった。

 両親から、自分は特別な存在だ、いつかきっと、その力を役立てる時が来る。そう教えこまれてきた亜樹にとって、自分の回りにいる異形なものたちは、排除すべきものではなかったのだ。

 しかし、両親を失った交通事故で、亜樹だけが生き残ってからというもの、ぱったり何も見えなくなった。
 そして、両親の死を受け入れることができないまま、この錦織家に連れてこられた。他人だらけのこの家に、亜樹の居場所などなかった。それでも、かつて見えていたものがその目に見えていたならば、亜樹はここまで孤独になることはなかっただろう。

 何も見えない、何も感じない世界で、亜樹はひたすらに寂しさと戦った。
 自分に害をなそうとするものに対しては、身体全てを使って反発した。勉強もスポーツも誰にも負けたくなくて、がむしゃらに頑張った。自分を守るために、亜樹は必死に気を張って生きてきたのだ。

 亜樹の顔が歪み、ぽろぽろと大粒の涙があふれ始めた。葉山はそっとベッドに座ると、そんな亜樹の背中を撫でる。

「うち……見えへんくなってん……お母さんたちが死んでから、昔見えていたものが、何も……。もう力なんて、ないねん……」
「そんなことはないわ。あなたの力は、眠りについているだけ。でもね、それも目覚めかけているのよ」
「え……?」
「あなたは自分が危機に陥った時、無意識に妖を呼んでいるの。そのおかげで、私たちはあなたに気づくことができた」
「妖……?」
「ただ、目覚めかけたその力を放置するのはとても危険なことなの。だから、あなたは明後日から、ここではない所へ引っ越すのよ」
「どこへ?」
「特別な里親を用意してあるの。あなたと同じような力を持つ、特別な保護者よ。そこにいれば安全だから」
「こんな力を持っている人が、他にもおるってこと?」
「ええ。少し種類は違うけど、私もそうだし、この斎木彰くんもそう」
「僕はレベルが違うけどね」
と、彰は腕組みをしてそう言った。

「副会長が……? なんか昔から、怪しいやつやなとは思ってたけど……」
 亜樹は目を丸くして、黒いピーコートを着た彰を上から下まで眺めている。葉山は苦笑した。
「あと、同級生にもいるわ」
 亜樹の脳裏に、沖野珠生のすらりとした姿が浮かんだ。声をかけた時の、困ったような笑顔が浮かぶ。

「……沖野?」
「あら、やっぱり気づいていたの?」
「何か……最近急に気になりだして」
「一度接触してるからね。あなたの周りにはたくさんの理解者がいることを、知っていて欲しいの。今後はあまり無茶をしないで。トラブルも起こしては駄目」
「……そんなこと言われても……」
「何かあったら、あなたはまたここへ戻って来なくてはならない。それでもいいの?」
 脅しめいた葉山の言葉に、亜樹の顔が不安に歪んだ。ふるふると首を振って、葉山の腕を掴んだ。

「嫌や! こんなとこ……、もうおりたくないねん! どこだって行く。ここじゃなかったら、どこだっていい」
 あまりにも必死な形相の亜樹を見て、葉山は痛ましげな表情をしたが、すぐに少し微笑んだ。
「大丈夫、私達と行きましょう。あなたにとって、悪いところではないはずよ」
「……うん」
「明後日、迎えが来ます。こちらにも準備があるからね。それまで、ゆっくり身体を治して、夢見たことを思い出していて」
「……分かった」
 亜樹は素直に頷いて、じっと葉山と彰を見あげた。

「よろしく……お願いします」
「こちらこそ。じゃあ、もう眠って」
 葉山は亜樹をベッドに横たわるのを手伝ってやり、布団を優しくかけてやった。
 亜樹が目を閉じるのを見て、葉山と彰は錦織邸を後にした。
 


 +  +


 車に戻った二人は、何となく沈黙したまま、錦織邸から少し離れた場所へと車を移動させた。
 葉山は今後どこに連絡を取っていくのかを確認するべく、ぱらぱらと手帳をめくっている。彰はふと、窓の外の風景の変化に目を上げた。

「あ……雪だ」
「え?」
 葉山も、窓の外を見あげると、しんしんと静かに落ちてくる白い雪に気づく。
「わぁ……きれい」
「まさに、ホワイトクリスマスだな」
「本当ね」

 葉山は手帳を閉じてバッグにしまい込むと、エンジンをかけた。

「家まで送るわね」
「いや、一緒にホテルに戻るよ」
「馬鹿ね、あたしはこれから色々とすることがあるの、分かってるでしょう」
「多分、僕がいたほうがその仕事は早いと思うよ」
「……そりゃ、そうだけど……」

 認めたくはないが、彰はこの京都で動くことに関しては、自分以上に詳しい。それに、彰は多くのパイプを持ってるため、彰が動いたほうが話が早いことは確かだ。

「早めに片付けたほうがいいでしょう。業平様にも連絡しなきゃいけないし」
「そうね……それはそうだわ。分かった、ホテルへ戻りましょう。でも、仕事のためよ、分かってるわね」
「分かってるって」

 彰はにっこりと笑うと、すぐにスマートフォンを取り出してどこかへ電話をし始めた。
  
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