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第2幕 『Don’t leave me alone.』
11、とある日の出来事
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師走に入った。
鬼道の綻びが見つからないまま、結局一ヶ月近くが経っていた。
そして、明桜学園高等部では、期末試験の時期に差し掛かっていた。
学校をさぼりがちだった珠生も、試験に備えて真面目に学校に出てくるようになっていた。それは、彰からの命令でもあった。
中間試験は四十位だった珠生であるが、期末試験では三十位以内に入れと命じられたのである。
「何でだよ、名前が掲示板に載ってたらそれでいいって言ってたのに」と、珠生が文句を言うと、彰は涼しい顔で、「学校サボったろ? そのお仕置きだ」と言った。
珠生はむくれて、反論する。
「なんで斎木先輩にそんなことされなきゃいけないんですか」
「人間、誰かに締められていないと堕落するだけだよ。先輩の言うことはきくもんだ」
そんな理屈で、彰はにっこりと珠生に問題集を押し付けた。
珠生の家で毎週行われている勉強会での出来事である。湊は淡々と自分の課題をこなしながら、顔を上げて珠生を諭しにかかった。
「まぁいいやん。いい成績とっとけば、若松だって文句言わへんやろ。このままずるずる成績下げた上にあの授業態度じゃあ、またねちねち説教やで」
「……うーん」
「あの写真家とも会えへんくなるよ」
「それもなぁ……」
「じゃ、勉強し」
「……はい」
湊に言いくるめられて、結局彰から預かった問題集を夜な夜な解いているのだった。
もうすぐ期末試験、それに加え、鬼道の調査のほうも膠着状態。それなりに穏やかな日々を過ごす珠生は、久しぶりに普通の高校生としての生活を送っていた。
+
その甲斐あって、珠生はぎりぎり二十八位に食い込むことができた。
終業式三日前に貼り出された掲示を見て、珠生は胸を撫で下ろす。彰のことだ、約束を違えば、どんなお仕置きをされるかわからない。
上位の掲示を見て、珠生は目を丸くする。
”一位 斎木彰 九百点”
とある。満点だ。文句の言い様がないくらい、完璧だと思った。これでは不平の言いようもない。
そして一年生の掲示を見て、珠生はまた目を丸くする。
”一位 柏木湊 七九八点”。
……二人のしたり顔がすでに目に浮かぶようだった。珠生がため息をついていると、ふと名簿の中に知った名前があることに気づく。
”五位 天道亜樹 七八八点”
秋口に深夜の学校で出遭った、あの女子生徒。忘却術が破れかけているのか、珠生に話しかけてきた油断ならない女子生徒だ。彰は様子を見るといったきり、特に何もしていないようだった。天道亜樹も、あれから珠生の目の前に現れることもない。
「……本当に頭いいんだ。だからいじめられてたのかな」
珠生はぽつりと呟いて、帰宅しようと踵を返した。
もう年内の部活動も終了しており、クリスマスまであと三日という、すこし浮き足立った時期だ。帰宅する生徒たちで、昇降口は混み合っている。
珠生が靴を履き替えていると、誰かが珠生の肩を遠慮がちに叩いた。振り返ると、見たことのない女子が二人、珠生の前に立っている。
「……はい?」
「あの……私、一年D組の三谷詩乃と言います。ちょっと、お話しいいですか……?」
赤い顔をしながら、ちらちらと珠生を見上げるその少女を見て、珠生は少し驚いた。しかし急ぐ理由もないため、頷く。
「あ、はい……。いいですよ」
「あ、ありがとう」
三谷詩乃と名乗った女子生徒は、嬉しそうに顔を上気させると、伴った友人と共に先に立って歩き出した。珠生は付いて行く。
東校舎の裏手の中庭の隅で、三谷詩乃は立ち止まった。そして、珠生を振り返る。部活動のない放課後は、まるで人気がなくしずかだった。
「あ、あの……わたしずっと、沖野くんに憧れてました。あの……彼女とか、いるんですか?」
「えっ」
おお、これが呼び出しってやつか……と思いながら、珠生は目の前にいる少女をまじまじと見た。
付き添いで来ただけの様子の女子生徒は、少し離れて壁に寄りかかってこちらを見ている。背の高い痩せた少女だった。
目の前に立っているのは地味でもなく派手でもない、おとなしい雰囲気の女子だ。誰とでもそつなく付き合うタイプの女子に見える。
肩まで伸ばした髪は、サラリとして綺麗だが、赤い顔をしてうつむきがちなその顔立ちは清楚であるが、取り立てて特徴的な顔立ちでもない。
「……いや、いませんけど……」
「じゃああの……お、お友達になってくれませんか」
「お友達? ……お友達って、どうしたらいいんですか?」
「へっ」
素朴な疑問を投げかけた珠生を、詩乃はびっくりしたような顔で見あげた。
「あ、その……たまにメールとか、したりとか……。たまに喋れたらいいなとか……思って」
「ああ……それならいいですよ。ごめん、俺、こういうのよく分かんなくて……」
珠生が苦笑すると、詩乃は目をぱちぱちさせて、照れたように笑った。この子は笑ったほうが可愛いなぁと、珠生は思った。
「ありがとうございます。私も……あんまりこういうのわからないけど、その……」
「なに?」
「私、文芸部なんですけど、沖野くんって、私が書きたい小説の主人公のイメージとぴったりで……その、一回話をしてみたいなって思ってて……」
「そうなんだ」
悠一郎みたいなことを言う子だなぁと思いながら、「これ、私のアドレスです」と、渡された可愛らしい紙片を受け取る。
「俺、自分からメール送るってこと、あんまりしないから……」
珠生はそのメモの裏に、自分のアドレスをさらさらと書き込んで返した。詩乃はそれを、真っ赤な顔で受け取った。
「ありがとう……」
「いいえ……」
「クラスが違うから、なかなか声掛けられなかったんだけど……今日、成績が上がってたら頑張って声かけようと思ってて。そしたら、少し上がってて、沖野くんが掲示板のところにいて、ああ、今しかないって思ったんです」
恥ずかしいのか、しどろもどろになりながらそんなことを関西弁で言う詩乃を、珠生は少し可愛いと思った。
「そうなんだ。……あの俺、返信とかすごく遅いと思うから……前もって謝っとくね」
「あ、はい。全然いいんです。あの、ありがとう」
「いや……。じゃあ、俺、帰るね」
「うん、また……!」
珠生は少し微笑んで、その場を後にした。二人の姿が見えなくなった頃、きゃあきゃあと何やら喜び合っているような声が聞こえた。
自分と喋って何が嬉しいのやら、と思いながらも悪い気はしない。校門へ向かって歩いていると、どこからともなく湊が現れた。
「うわ!! 湊……」
「お前も隅に置けへんな。女子に呼び出しか」
「ええ!? 見てたの? 現世でも覗きかよ」
「覗いてない、見かけただけや」
「あっそ……。あ、すごいね、湊は一位だった」
「まぁね。いつも以上に慎重にやったからな。珠生かて、指令守れたやん、お疲れ」
「うん、なんとか」
二人は連れ立って歩きながら、地下鉄の駅へと向かった。もうすぐクリスマスということもあり、町中は華やかな装飾で飾られており、人々の顔もどこか楽しげだ。
湊は白い息を吐き出して、電灯に飾られたオーナメントを眺めた。
「あの子、文芸部の子やろ? なんやって?」
「ずっと憧れてたから、友達になって欲しいって言われた」
「おお、さすがやな。昔は結構派手に女とやってたけど、現世ではせぇへんのか?」
「ちょっとやめてくれる? その話……」
珠生は迷惑そうな顔で、面白がっている湊を見あげた。そのことで、千珠は随分柊には説教をされたものだった。
「時代が違うだろ。あの頃は女の人たちが夜這ってきてたんだよ。断れるわけ無いじゃん」
「今やったら犯罪やな」
「そうだよ。それに今は、全然そういう気にはなれないし」
「そうなんや」
「もう別にいいじゃん、そんなこと。帰ろ」
珠生は肩をすくめて、首に巻いたマフラーに顔を隠す。
触れたいのは、触れられたいのは、舜平だけ。
そんなこと、湊に言えるわけがない。
鬼道の綻びが見つからないまま、結局一ヶ月近くが経っていた。
そして、明桜学園高等部では、期末試験の時期に差し掛かっていた。
学校をさぼりがちだった珠生も、試験に備えて真面目に学校に出てくるようになっていた。それは、彰からの命令でもあった。
中間試験は四十位だった珠生であるが、期末試験では三十位以内に入れと命じられたのである。
「何でだよ、名前が掲示板に載ってたらそれでいいって言ってたのに」と、珠生が文句を言うと、彰は涼しい顔で、「学校サボったろ? そのお仕置きだ」と言った。
珠生はむくれて、反論する。
「なんで斎木先輩にそんなことされなきゃいけないんですか」
「人間、誰かに締められていないと堕落するだけだよ。先輩の言うことはきくもんだ」
そんな理屈で、彰はにっこりと珠生に問題集を押し付けた。
珠生の家で毎週行われている勉強会での出来事である。湊は淡々と自分の課題をこなしながら、顔を上げて珠生を諭しにかかった。
「まぁいいやん。いい成績とっとけば、若松だって文句言わへんやろ。このままずるずる成績下げた上にあの授業態度じゃあ、またねちねち説教やで」
「……うーん」
「あの写真家とも会えへんくなるよ」
「それもなぁ……」
「じゃ、勉強し」
「……はい」
湊に言いくるめられて、結局彰から預かった問題集を夜な夜な解いているのだった。
もうすぐ期末試験、それに加え、鬼道の調査のほうも膠着状態。それなりに穏やかな日々を過ごす珠生は、久しぶりに普通の高校生としての生活を送っていた。
+
その甲斐あって、珠生はぎりぎり二十八位に食い込むことができた。
終業式三日前に貼り出された掲示を見て、珠生は胸を撫で下ろす。彰のことだ、約束を違えば、どんなお仕置きをされるかわからない。
上位の掲示を見て、珠生は目を丸くする。
”一位 斎木彰 九百点”
とある。満点だ。文句の言い様がないくらい、完璧だと思った。これでは不平の言いようもない。
そして一年生の掲示を見て、珠生はまた目を丸くする。
”一位 柏木湊 七九八点”。
……二人のしたり顔がすでに目に浮かぶようだった。珠生がため息をついていると、ふと名簿の中に知った名前があることに気づく。
”五位 天道亜樹 七八八点”
秋口に深夜の学校で出遭った、あの女子生徒。忘却術が破れかけているのか、珠生に話しかけてきた油断ならない女子生徒だ。彰は様子を見るといったきり、特に何もしていないようだった。天道亜樹も、あれから珠生の目の前に現れることもない。
「……本当に頭いいんだ。だからいじめられてたのかな」
珠生はぽつりと呟いて、帰宅しようと踵を返した。
もう年内の部活動も終了しており、クリスマスまであと三日という、すこし浮き足立った時期だ。帰宅する生徒たちで、昇降口は混み合っている。
珠生が靴を履き替えていると、誰かが珠生の肩を遠慮がちに叩いた。振り返ると、見たことのない女子が二人、珠生の前に立っている。
「……はい?」
「あの……私、一年D組の三谷詩乃と言います。ちょっと、お話しいいですか……?」
赤い顔をしながら、ちらちらと珠生を見上げるその少女を見て、珠生は少し驚いた。しかし急ぐ理由もないため、頷く。
「あ、はい……。いいですよ」
「あ、ありがとう」
三谷詩乃と名乗った女子生徒は、嬉しそうに顔を上気させると、伴った友人と共に先に立って歩き出した。珠生は付いて行く。
東校舎の裏手の中庭の隅で、三谷詩乃は立ち止まった。そして、珠生を振り返る。部活動のない放課後は、まるで人気がなくしずかだった。
「あ、あの……わたしずっと、沖野くんに憧れてました。あの……彼女とか、いるんですか?」
「えっ」
おお、これが呼び出しってやつか……と思いながら、珠生は目の前にいる少女をまじまじと見た。
付き添いで来ただけの様子の女子生徒は、少し離れて壁に寄りかかってこちらを見ている。背の高い痩せた少女だった。
目の前に立っているのは地味でもなく派手でもない、おとなしい雰囲気の女子だ。誰とでもそつなく付き合うタイプの女子に見える。
肩まで伸ばした髪は、サラリとして綺麗だが、赤い顔をしてうつむきがちなその顔立ちは清楚であるが、取り立てて特徴的な顔立ちでもない。
「……いや、いませんけど……」
「じゃああの……お、お友達になってくれませんか」
「お友達? ……お友達って、どうしたらいいんですか?」
「へっ」
素朴な疑問を投げかけた珠生を、詩乃はびっくりしたような顔で見あげた。
「あ、その……たまにメールとか、したりとか……。たまに喋れたらいいなとか……思って」
「ああ……それならいいですよ。ごめん、俺、こういうのよく分かんなくて……」
珠生が苦笑すると、詩乃は目をぱちぱちさせて、照れたように笑った。この子は笑ったほうが可愛いなぁと、珠生は思った。
「ありがとうございます。私も……あんまりこういうのわからないけど、その……」
「なに?」
「私、文芸部なんですけど、沖野くんって、私が書きたい小説の主人公のイメージとぴったりで……その、一回話をしてみたいなって思ってて……」
「そうなんだ」
悠一郎みたいなことを言う子だなぁと思いながら、「これ、私のアドレスです」と、渡された可愛らしい紙片を受け取る。
「俺、自分からメール送るってこと、あんまりしないから……」
珠生はそのメモの裏に、自分のアドレスをさらさらと書き込んで返した。詩乃はそれを、真っ赤な顔で受け取った。
「ありがとう……」
「いいえ……」
「クラスが違うから、なかなか声掛けられなかったんだけど……今日、成績が上がってたら頑張って声かけようと思ってて。そしたら、少し上がってて、沖野くんが掲示板のところにいて、ああ、今しかないって思ったんです」
恥ずかしいのか、しどろもどろになりながらそんなことを関西弁で言う詩乃を、珠生は少し可愛いと思った。
「そうなんだ。……あの俺、返信とかすごく遅いと思うから……前もって謝っとくね」
「あ、はい。全然いいんです。あの、ありがとう」
「いや……。じゃあ、俺、帰るね」
「うん、また……!」
珠生は少し微笑んで、その場を後にした。二人の姿が見えなくなった頃、きゃあきゃあと何やら喜び合っているような声が聞こえた。
自分と喋って何が嬉しいのやら、と思いながらも悪い気はしない。校門へ向かって歩いていると、どこからともなく湊が現れた。
「うわ!! 湊……」
「お前も隅に置けへんな。女子に呼び出しか」
「ええ!? 見てたの? 現世でも覗きかよ」
「覗いてない、見かけただけや」
「あっそ……。あ、すごいね、湊は一位だった」
「まぁね。いつも以上に慎重にやったからな。珠生かて、指令守れたやん、お疲れ」
「うん、なんとか」
二人は連れ立って歩きながら、地下鉄の駅へと向かった。もうすぐクリスマスということもあり、町中は華やかな装飾で飾られており、人々の顔もどこか楽しげだ。
湊は白い息を吐き出して、電灯に飾られたオーナメントを眺めた。
「あの子、文芸部の子やろ? なんやって?」
「ずっと憧れてたから、友達になって欲しいって言われた」
「おお、さすがやな。昔は結構派手に女とやってたけど、現世ではせぇへんのか?」
「ちょっとやめてくれる? その話……」
珠生は迷惑そうな顔で、面白がっている湊を見あげた。そのことで、千珠は随分柊には説教をされたものだった。
「時代が違うだろ。あの頃は女の人たちが夜這ってきてたんだよ。断れるわけ無いじゃん」
「今やったら犯罪やな」
「そうだよ。それに今は、全然そういう気にはなれないし」
「そうなんや」
「もう別にいいじゃん、そんなこと。帰ろ」
珠生は肩をすくめて、首に巻いたマフラーに顔を隠す。
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