琥珀に眠る記憶

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第2幕 『Don’t leave me alone.』

9、説教

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 朝から学校にいると、昼過ぎには珠生は眠たくなってしまう。

 退屈なのだ。
 授業は聞いていなくても、彰がどうせ後から教えてくれる。しかも、教師よりもずっとわかりやすい。

 そして六時間目、珠生は堂々と机に突っ伏して眠っていた。
 担当は若松だ。窓側の一番後ろの席とはいえ、珠生の突っ伏した姿はよく見えている。若松はため息をつくと、授業を中断して珠生の席までつかつかと近寄った。
 湊がちらりと珠生を見たが、それ以上は動かない。クラスの生徒達は真面目に板書をしているが、皆が若松の行動を気にしている。

「おい、沖野、いい加減にしろ」
 若松は持っていた教科書で、べし、と珠生の頭を叩いた。もぞ、と珠生の白い手が動いて自分の頭を押さえる。
「……いたい……」
「いたいじゃないよ。毎度毎度ぐうぐう寝て、どういうつもりだ」
 若松は教師の威厳を見せるべく、厳しい口調で珠生を叱りつける。眠たそうに自分を見上げる珠生に、温厚な若松のこめかみにも青筋が浮かぶ。
「……すみません」
 身体を起こして一応謝った珠生だが、その顔に反省の色は一切見えない。しかも、自分のそばから動かない若松を、珠生は不思議そうな表情で見あげている。なんともふてぶてしい。

「あの……何ですか?」
「何ですか、じゃないだろう。お前最近態度悪すぎるぞ! 放課後、職員室に来い」
「えぇ……」
「寝ぼけるのもいい加減にしろ」
「……分かりました」
 珠生は淡々とそう言って、閉じていた教科書を開く。そこで、終業のチャイムが鳴り響く。

 若松はため息をついて教壇に戻ると、終業を告げてそのままホームルームに入った。
 珠生をちらりと見ると、頬杖をついてぼんやりと窓の外を見ている。自分に後から叱られることなど、まるで関心がないかのようだ。

 昔はしおらしくて可愛らしかった生徒も、半年も経つと本性を表すものだ。


 + +

 
「失礼します」
 職員室に現れた珠生の姿に、女性教諭たちの視線が集中する。珠生は女性受けがいいのである。
 成績は悪くなく、儚げで放っておけない雰囲気の沖野珠生は、女性陣には大人気だった。そして、それを本人も自覚しているのかいないのか、女性教師の授業は普通に受けているらしい。
 若松は立ち上がって、職員室に隣接している個人面談室へ珠生を手招きした。

「おい、お前今一体どういう生活してるんだ」
 ”面談中”の札を下げ、バタンとドアを締めながら、若松は珠生に尋ねた。座れと言う前にすでにソファに座っている珠生を見て、若松の眉間にシワが寄る。

「お前が一人暮らししてるってことを隠してるこっちの身にもなってくれよ。お前が目立つと、そういうこともバレやすくなるだろうが?」
「あぁ、すいません。でも、別に目立ってるつもりないんですけど……」
「……あのなぁ、お前はそのへんに立ってるだけで目立つ生徒なんだよ。そんなお前が遅刻して授業中の教室をウロウロしたり、勝手に荷物持って早退したりしてると、否応なく目立つんだ」
「はぁ……」
「学校来てない日は何してる?」
「言わなきゃだめですか」
「や、やましいことでもしてんのか!?」
「いえ……芸大の人の、写真のモデルをやってます」
「モデル?」
「別に脱いだりはしてません」
「ばっ……! 当たり前だ!」
 珠生の軽口に、若松は持っていたファイルを取り落とした。珠生はちょっと笑った。

「学祭とコンテストが近いから、ちょこちょこ撮影のために遠出をしたりしてました。それで……学校よりもそっちを優先しました」
「お前なぁ……。というかその芸大生も芸大生だな。高校生を自分の都合で連れ回すとは」
「あの人は悪くありません。俺がいいって言ってるから。休日だと、京都はどこも人が多いでしょ?」
「そういう問題じゃないだろ。いいか、お前は高校生なんだぞ。平日からふらふらしてちゃだめだ。俺としても、またお父上に苦情の電話をするのは心苦しいんだぞ」
「え、電話したの?」
「そりゃするよ。二、三日続けて休んだ日があったろ?そんときにな」
「……父さん、なんて?」
「話してないのか?」
「はい。時間が合わないから」
「……全く。お父さんはひたすらに謝ってらしたよ。それに、寂しい思いさせている自分が悪いから、息子のことは大目に見てやってほしいと言われた」
「……そうですか」
「メール、いっぱい送ってらっしゃるらしいから、たまにはチェックしろ」
「はい……」 
 父親の話題を出されると、珠生は急におとなしくなった。顔立ちが急に幼くなったように感じて、寂しげな表情が浮き彫りになる。

「家では、どう過ごしてる?」
「普通です。自炊して、勉強して、寝てます。たまに斎木先輩や柏木くんが来たりします」
「斎木? 副会長の?」
「はい。勉強、教えてくれるんです。ここは成績さえよければそれでいいから、勉強だけはやれって」
「……身も蓋もないこと言うなぁ、あいつ。何で斎木とそんなに仲良いんだ? 柏木は分かるけど」
「えーと……何でだろ。けど、頼りになる先輩です」
「ふうん……。とにかくまぁ、学校には来い。俺も心配になるから」
「え?」
「連絡もせずに休まれると、一人暮らしのお前が病気で倒れてんのか、犯罪に巻き込まれてんのか、分からんだろうが」
「ああ……。大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃない。一人暮らしを容認している以上、俺にも責任ってもんがあるんだ。いいな」
「はい。……すいませんでした」
「あと、髪も切れ。お前はただでさえ茶髪で目立つんだから、せめて短くしとけ」
「これはもう少し待ってください。モデル業に関わることなので」
「なんだって?」
「イメージがあるらしいので、カメラマンに」
「あ、そう……、それが終わったら切れよ」
「はい。あの、先生」
「なんだ?」
 珠生はじっと若松を見て、ふわりと微笑んだ。その笑顔の美しさに、思わず若松は赤面する。
「ありがとうございます、心配してもらって。それに、色々と秘密にしてもらって」
「あ、ああ……。色々とな」

 若松には、真壁に暴行されかけた時のことや、間宮敬吾が転落した時のことなど、多くを見られてしまっている。彰は様子を見て、もし不都合があれば記憶は消すつもりだと言っているが、あまりにも忘却術の回数が多いと脳に悪影響を及ぼすかもしれないということもあり、今は放置している状態だ。

 しかし若松は、誰にも珠生のことを口外することもなく、むしろ珠生を心配しながら見守っている。小言も多いが、珠生にとってはそれが少し嬉しくもあった。 
「あれから、変な事にはなってないか?」
「変なことって?」
「真壁とか……に。付け狙われたりしていないか?」
「はい、大丈夫です。あまり学内でも会いませんし、斎木先輩が物申してくれたらしいし」
「斎木か、あいつ本当に何でも出来て不気味な奴だな」
「教師がそんなこと言っていいんですか? 本当はすごく繊細で、優しい人ですよ」
「斎木がねぇ。教師たちもあいつには頭が上がらないんだが……。なんで斎木はそんなに沖野には優しいんだ」
 若松は彰の狐のような顔を思い浮かべながら腕組みをした。

「でも俺、嬉しいです。父さんがいなくても、先生がそうやって心配してくれるから」
「……今さらそんなこと言っても、俺は怒っているんだからな!」
「すいませんって。明日から学校、ちゃんと来ますから」
 それだけ言うと、珠生はすっと立ち上がった。若松も慌てて立ち上がると、「おい、まだ話は……」
と、壁に手をついて珠生の行く手を阻む。

「今日も撮影があるんです。遅れると悪いでしょ」
「分かってないようだけど、お前は説教されにここに来てんだぞ。それを差し置いて予定を優先するってなぁ……」
 珠生の手が、壁についた若松の腕に触れた。やんわりと腕をよけながら、じっと若松を見つめている。
 そんな目で見つめられると、訳もわからぬままに心臓が高鳴る。間近にある珠生の顔は、若松が出会ってきたどんな女よりも美しいからだ。

「ごめんなさい、先生。でも、もう行かせて」
「へっ……?」
「続きはまた明日でも聞くので。今日は行かせてください」
「あ、ああ……」
 目で操られるかのように、若松は身を引いて道を開けた。珠生はふっと微笑むと、自分でドアを開けた。
「失礼します」
 珠生はドアの向こうで礼儀正しく一礼すると、笑みを残して面談室を出ていった。

 取り残された若松は、どきどきと高鳴る胸を押さえてソファにドサリと座り込んだ。


 ——なんなんだあの色気は。以前はあんな目付きをするような子じゃなかったのに……。


 斎木か? あいつが何か悪い影響を及ぼしたのか? それとも……そのカメラマンとかいう男が、沖野をいかがわしい世界へ……?


 若松はひとつひとつ増えていく秘密に頭を悩ませながら、頭を掻いた。



 + +


 同じ日。
 天道亜樹は、日直の仕事で職員室に訪れていた。その日提出だったアンケートを集めて持って来たのだ。

 担任の女性教諭にアンケートの束を渡して、職員室を後にしようとした時、面談室から出てくる沖野珠生を見かけた。
 思わず、亜樹は沖野珠生の後を追っていた。

「ちょっ……ちょっと待って!」
 教室へと登る階段の手前で、亜樹は珠生の制服のセーターを掴んだ。驚いたように振り返った珠生は、亜樹の顔を見て更に目を見開く。
「あんた……」
「な、なに?」
 珠生の顔はすぐに平静なものに戻り、不思議そうに亜樹に向き直った。そうやって落ち着いた対応をされると、亜樹もどうしていいか分からなくなる。

「あのさ……あんた、あたしと昨日……」
「え? えっと……初対面だと思うけど……」
 珠生は困惑したような表情を浮かべて、じっと亜樹の目を見ていた。亜樹は急に自分の行動が恥ずかしくなり、掴んでいた珠生のセーターを離す。

「あ、ごめん……人違いやな」
「ううん、いいよ」
 沖野珠生はふわりとした美しい笑顔を見せて、階段を登っていった。珠生のすらりとした背中を見上げて、亜樹は混乱する頭を何とか鎮めようとした。


 いやいや、あんな奴知らない。何も関係ない。
 でも何で……何でこんなに引っかかるんだろう。


 亜樹は頭を振ってショートボブの髪を揺らすと、階段を一段とばしで駆け上がった。



 +

 

 亜樹をやり過ごして階段を登りながら、珠生は冷や汗をかいていた。


 ——あの子、忘却術が破れかけてる。今までこんなことなかったのに……やっかいだな。先輩と湊に言わなきゃ。葉山さんにも。


 昨日は気づかなかったが、あの女子生徒はかなり霊力が強いようだ。この不安定な今の状況の中、霊力の強い人間のところに妖が集まりやすくなっているというのに。


 何も起こらなければいいのだが……と、珠生はひとつため息をついた。
 

 
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