琥珀に眠る記憶

餡玉

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第2幕 『Don’t leave me alone.』

7、亜樹

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 とある日の夜、珠生と湊は真夜中の学校にいた。葉山からの指令である。

 学校には、珠生や彰の霊気が濃く付着しているため、それに誘われて妖が出没しやすくなっているのだ。
 珠生が学校をちょこちょことさぼっている間に学園祭が終わり、季節はすっかり冬支度。午前三時の学校は、ぐっと冷え込んでいた。

「文化祭って、何したの?」
と、珠生は校門前で合流した湊にそんなことを尋ねた。
「この学校は学問最優先やからな、文化祭って言ってもそう大したことないで。一年生は基本的に展示系のみやし、お前は美術部やから、絵を貼り出して終わりやろ」
「うん、だからかな。気付いたら終わってたんだ」
「俺ら弓道部も人数少ないからな、今年はなんもやってへん。ま、サッカー、バスケ、陸上、水泳、ラグビー、野球……あの辺りは人数も多いし、スポーツ推薦組が多いから元気に模擬店やなんかやってて唯一賑やかなんやけどな。主に女子との交流を目的にしてはるわ」
「ふうん」
「ま、かく言う俺も当日は行ってへん。正也に後で文句言われたけど」
「ああ……怒られたね」
「まあ来年は参加しなあかんやろなぁ」
 二人は身軽に校門を乗り越えると、グランドを突っ切って校舎の方へと向かいながら、のんきにそんな話をしていた。校舎内から漂う微かな妖気を感じるが、慣れた二人にとっては警戒するほどのことでもないのだ。

 珠生は特別教室棟である西校舎を見上げて、ひくひくと鼻を動かした。湊も隣で腰に手を当てて、上を見上げている。

「……四階。技術室あたりだな」
と、珠生は匂いを嗅ぎ分けてそう言った。湊はポケットから鍵束を取り出す。
「ほなら、さっさと片付けて帰ろうや」
「その鍵……どうしたの?」
「毎回ピッキング作業とかめんどいやろ? 拝借して作っといてん」
「さすが……こういうコソコソした作業はお手のものだね」
「まぁな」
 湊はがちゃりと鍵を開けて、中へ入った。珠生もそれに続く。
「守衛は俺がまた眠らすから、珠生は四階へ行ってくれ。直ぐ行くわ」
「うん。まぁでも、すぐ終わると思うよ」
 二手に分かれ、珠生はひょいひょいと階段を跳び上がって四階まで行くと、暗い廊下をじっと見つめた。

 いる、小さな妖が。意思を持たず、鬼道の歪から人間の世界に迷い込んだ哀れな妖だが、このまま生かしておくとさらに仲間を呼んだり、人間の気に味をしめて巨大化するおそれがあるため、毎回駆除しているのだ。

 ただでさえ、学校は人が多く集まる場所だ。それに、この学校は成績の良し悪しで人間関係が左右されるような場所であり、憎しみや羨望など、妖の好む感情が生まれやすい。一刻も早く消す必要があるのだ。
 珠生は技術室の鍵を回すと、ドアを開けた。教室の隅に、ぼんやりと浮かび上がる能面のようなものが見えた。
 珠生の妖気に反応して、その能面は戸惑ったようにふよふよと漂っている。

「ごめんな。お前に恨みはないんだけど、ここで消えてもらわなきゃいけない」
 能面はすいと珠生の方へ一旦近寄ると、すっとすぐにまた距離をとった。逃げようとする動きを見せた能面に、珠生の眼が光る。
 技術室の大きな机を蹴ると、一足飛びでその妖を手で捕らえる。
 黒板を爪でひっかくような音で悲鳴を上げる妖を、珠生は両手で包み込んだ。

「ごめん」
 珠生はそう呟いて、ぐっと両手に妖気を集中した。青白い光が迸り、能面の妖が消滅する。ぼたぼたっと、珠生の両手から妖気の残滓が落ちた。
 呆気無く、妖退治は終わった。珠生はため息をついて、妖を消滅させた掌を見下ろした。暗い教室の中、白い掌に光が収まっていく。

 机の上に立ったまま、珠生は目を閉じて妖力を身体の中に収めていた。すると、がたがたっと背後で物音がした。

 弾かれたように振り返るが、そこには誰もいない。珠生が入ってきた戸口と、掃除用具入れがあるだけだ。湊の気配もない。
 珠生は音もなく床に降りると、ふんふんと匂いをかぐ。

「?」
 掃除用具入れの中から、人間の臭いがした。またがたがたと音がして、掃除用具入れの扉が震えている。立て付けが悪いのか、中からは開かない様子だ。


 ——誰かいたのか……? 見られて、ないよな……。


 珠生はどきどきしながら、掃除用具入れの扉を強く引いた。
 ガラガラと派手な音を立てながら、箒やちりとり、バケツなどが倒れてくるのと一緒に、一人の人間が転がり出てきた。

「!」
 珠生は仰天して、思わず後ずさる。床に這いつくばっている誰かが、ゆっくりと蠢くのが分かった。
「……誰だ」
 珠生は低い声でそう尋ね、携帯を取り出して明かりを照らした。

 眩しげに目を細めて珠生を見上げているのは、この学校の制服を着た女子生徒だった。珠生は目を見開く。


 ——こんなところで、こんな時間に、掃除用具入れに閉じ込められていた? な、なんなんだこの子……。


「あいったぁ……」
 転んでどこかをぶつけたのか、その女子生徒はかすかに呻いて珠生を見あげた。

 見たことのない女子生徒だった。珠生にライトを向けられているため、珠生の顔は見えないのだろう、警戒するようにライトを見上げ、ばっと荒々しく携帯を手で払う。
 カツン、と乾いた音がして珠生の携帯が床を滑った。再び真っ暗になった技術室で、二人は出会った。

「あんた……誰?」
「お前こそ、誰だ」
 訝しげな女子生徒の声に、珠生はそう質問を返した。女子生徒はあたりを見回してから、ゆっくりと立ち上がり、珠生に向き直る。
 携帯を拾い上げている珠生を用心深い目つきで見ながら、ぽつりと尋ねた。

「あんた……誰と喋ってたん」
「それはこっちが聞きたいよ。なんでこんなとこにいるんだ」
「……それは」

 女子生徒は、いきなり珠生に体当たりをすると、ドアを乱暴に開いて走り去ってしまった。不意をうたれた珠生は、女子生徒のタックルにもろに弾かれ、腰を机にしたたかに打ち付けた。

「いってぇ……! な、なんなんだ、あの子」
 彼女の足音が不意に止み、どしんばたん、と何やら大きな音がした。珠生が慌ててドアから外に出ると、階段の踊場でもつれ合って倒れている二人の人間の影が見えた。

「いっててて……! なにやってんねん、珠生!」
「はぁ?あんた誰と間違ってんの?」
「えっ。お前誰や!」
 湊の声。珠生は急いでそちらに走り、湊の上から立ち去ろうとしている女子生徒の腕を掴んだ。はっとして振り返ったその顔が、非常階段の緑のランプに照らされる。

「あ! お前、天道やないか」
「天道? 誰?」
と、珠生を振り払おうと必死になっている女子生徒の腕を掴んだまま、湊に尋ねた。
「天道亜樹。俺らと同学年や」
「えっ……?」
 天道亜樹は、同じく非常階段のランプに照らされた二人を見ると、警戒を解いたのか暴れるのをやめた。
そしてじっと湊を見上げて、訝しげにこう言った。

「あんたら……なにやってんの? こんな時間に」
「いや、それはこっちの台詞やから」
「うちはいつものこと。女子の嫌がらせで、掃除用具入れに閉じ込められて出てこられへんかったんよ」
「いつものこと……?」
 不思議そうにそう呟いた珠生を、亜樹が見た。

 気の強そうな、鋭い目をした少女だった。ショートボブの黒髪と、眉毛の上でバッサリと潔く切った前髪のせいで、その目の強さが余計に際立って見えた。
 短いスカートから覗く脚は細く頼りなく、全体的に痩せぎすな印象で、だぼっと着た制服のセーターはぶかぶかだ。しかし身長はさほど低くもなく、珠生とさほど変わらない。

「ちょっと、いつまで握ってんの」
 珠生に掴まれた二の腕を見下ろしてから、亜樹はじろりと珠生を睨んだ。珠生ははっとして、その腕を離す。
「あんた……沖野やろ。沖野珠生」
「えっ……? あ、うん」
「評判やもんなぁ、めっちゃかっこいい子が高校から入ってきたって。こんなとこで柏木と何やってんの?」
 亜樹はじりじろと珠生を上から下まで観察すると、湊を見てそう言った。
 二人は目を見合わせてどう言おうかと考えあぐねていると、小気味良くリズムを刻む靴音が聞こえてきた。

「忘却術が必要かしらね」
 ヒールの音を響かせて、葉山が現れた。毎回のことだが、仕事が終わるまで近くで待機しているのである。後始末はいつも、葉山の仕事だ。

「はい……できれば」
と、湊。
「誰……? 何なん? あんたらいったいなにやってんの?」
 亜樹は突然現れた大人の女に警戒しているらしく、じっと葉山を睨みつけた。葉山は構わずつかつかと亜樹に歩み寄り、とん、と額を指先で突いた。

「一体、何かしら……この子」
 床に倒れた天道亜樹を見下ろして、葉山は膝をついて彼女の顔を覗きこむ。
「天道亜樹。一年C組。中学からこの学園におるけど、女子の間では嫌われ者で通ってる」
「何で?」
と、珠生。
「とにかく口が悪くて、刺々しい性格してはんねん。はっきりは知らんけど、両親がもうおらへんくって、親戚の家に世話になってるらしいねん。その親戚ってのが、なんか大きい呉服屋経営しとるとかで。そこんちの本当の子どもも、この学校におるらしい」
「そう……。でも保護者がいるのに、こんな時間まで行方知れずの彼女を放っておくってなんか変ね」
「たしかに……」
 珠生は、目を閉じた亜樹の顔を見つめた。さっき自分を睨みつけた鋭い目付きが、頭から離れなかった。

 跪いて亜樹の身体を掬い上げると、珠生は亜樹の身体を腕に抱える。
 女性の体を持ち上げたのは初めてだったが、こんなに軽いものなのかと驚く。胸に寄りかかった亜樹の顔を見下ろして、珠生は立ち上がった。

「とにかく、こんなとこに寝かしてたら駄目だ。葉山さん、送って行ってあげてよ」
「ええ、いいわよ。湊くん、住所のデータちょうだいね」
「はい」
 湊はポケットからスマートフォンを取り出して何やら操作した後、葉山に画面を見せた。珠生もそれを覗きこんで目を丸くする。
 そこには、生徒の個人情報が書かれたベージが表示されている。湊はちょっと笑って、「スマホは便利やな。ハッカーまがいのこともできるんやから」と言った。
「忍も現代風になると、こういうことをするわけ?」
と、珠生は呆れ半分感心半分の気持ちを込めてそう言った。
「たまには俺も役に立たなな」
「本当にありがたいわ。さ、みんな帰りましょう」

 葉山が車を停めている校舎の裏手へ回ると、珠生は後部座席に亜樹の身体を座らせた。シートベルトをはめてやるときに、微かに身じろぎした亜樹にぎょっとしたが、目を覚ますことはなかった。

「お疲れ様。今日も小物だった?」
「ええ。なんか能面みたいな形してましたけど……すぐに終わりました」
「そう、さすがね。ありがとう」
 葉山は腕組みをして、にっこりと笑った。

「最近、また数が増えてませんか?」
と、湊。
「うん……それは感じるわよね。もう少しこの付近を調べてみる必要があるわ。彰くんが修学旅行から戻ったら、しっかり働いてもらいましょ」
「そうですね」
と、珠生。

 葉山は二人の肩をぽん、と叩いてから車に乗り込んだ。
「この子はあたしが何とかしとく。二人は早く帰って寝なさいね」
「はぁい」
 湊は欠伸をしながらそう返事をして、葉山の車を見送った。相変わらず葉山の運転は荒く、細い京都の道をちゃんと走れているのか不安になる。
 珠生もつられて大あくびをすると、湊と並んで歩き出した。

「あんな子学校にいたんだね」
「天道のこと? ああ、中学の頃はめっちゃトラブル起こしてて目立ってたんやけど、高校に入ってからはそんなにやな。ただ、頭はめっちゃいいで」
「そうなの?」
「いつも上位五位以内にはいる。こないだは俺よりも成績良かったもん」
「へぇ~。女子に嫌われるわけだ」
「そうそう。女どもはそういう突出した奴が嫌いやもんな。めっちゃ賢い子とか、めっちゃ美人、とかさ」
「ふうん。あんまり興味ないけど」
「まぁ、俺らには関係ないからな」
 湊が自転車を停めているところまで来てから、二人は別れた。

 珠生は人目がないことを確認すると、ひょいと民家の石塀を蹴って屋根まで跳び上がり、そこから屋根を伝って走っていった。どんな交通手段よりも、自分の足が一番疾いからだ。

 自転車を走らせながら珠生の動きを目で追っていた湊は、身軽に屋根の上を駆けていく珠生の姿を見送った。
 珠生が更に加速すると、湊の目には珠生の姿がふっと消えたように見えるのである。

「便利やなぁ……」
 湊はそう呟いて、地道にペダルをこいで帰路についた。
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