102 / 535
第9章 護られた空
1、こっちを見て
しおりを挟む藤原に言われた通り、珠生は大宮御所へと走った。
そこには数人の黒いスーツ姿の男がいて、妖に取り憑かれていた人間たちの保護と手当を行なっているのだ。
珠生がそこに飛び込んでいくと、すぐに湊が珠生を呼んだ。
「おい、珠生。こっちや」
「湊……!」
湊が座っている前に、千秋が寝かされている。畳張りの床の上で座布団を枕にして、横たわっていた。
「千秋……」
「大丈夫。どうもないって。それより、お前の怪我の方がひどいんちゃうの?」
「うん……でも、今は平気だよ。舜平さんから手当を受けたから」
「そうか」
珠生は千秋の顔を覗き込む。顔色が悪く、服もあちこち汚れている。まるで二、三日山の中でも彷徨ったような有様だ。
「こんな姿……父さんが見たら気絶するな」
「お前も充分ぼろぼろやで」
珠生はそう言われて、初めて自分の格好を見下ろした。
弓之進によって爆破された珠生の身体自体は回復していたが、上着もジーパンも破れており、血に染まっている。交通事故にでもあったかのようなひどい格好である。
「……早く帰って、着替えないとやばいな」
「大丈夫、珠生のお父さんは疲れ果てて研究室で眠っていらっしゃるから」
と、湊がしれっとそんなことを言った。
「え?」
「俺が何もせんとここへ来たと思うか? ちゃんと、藤原さんの指示通りに小細工をしてきた」
「そうなんだ……ありがとう、助かった。二人揃って行方不明なんて、洒落になんないもんね」
「う……ん……」
微かに千秋が呻く。珠生ははっとして、千秋の方に身を屈めた。
「千秋、大丈夫?」
「あ……たまき……なのね」
「うん、そうだよ。俺だ」
千秋は微笑んだ。同じ顔をした片割れがようやく自分の元へ戻ってきてくれたことが、とてもとても嬉しかった。
ぎゅっと千秋の手を握りしめて、珠生は微笑み返す。
「珠生……本当に、変なことに巻き込まれてたんだね……あたし、ずっと見てたの。ずっとあの人の中で、意識があったから」
「そう、なんだ……。じゃあ、昨日もずっと?」
「うん、見えてたの。……あの人、ずっと迷ってた。ずっと、珠生に言われたことを、考えてたよ」
影龍のことだ。
珠生は少し、息を呑んだ。
「あの人も、止めたいって思ってたんだ……。だからきっと、珠生の言葉が嬉しかったんじゃないかな……」
「……そうなのかな」
「うん。……あんた、やるじゃん。すっごい、かっこ良かった」
思いもよらぬ千秋の褒め言葉に、珠生は目を丸くした。横で湊が微笑む。
「あんな顔、出来るんだね。男らしかったよ……」
「……はは、ありがと」
千秋の言葉に気が抜けてしまったためか、また傷が痛み出す。珠生は、顔をしかめて肩を押さえた。
「珠生……、痛いのね」
「あ、うん……でも大丈夫。俺、すぐ治るから」
「本当?」
「うん……ちょっとした特異体質になったから」
と、珠生は苦笑した。
「珠生、舜平に送ってもらい。もう夜が明けたからな、早う帰ったほうがええわ」
珠生の体調を気遣うように、湊の手がそっと背中に置かれた。珠生は振り返って、頷く。
「俺、呼んでくる」
「待って、あたしも……外に出たいの」
千秋が湊のズボンを掴んでそう言った。湊はもう一度跪き、千秋に手を貸して身体を起こしてやった。
「もう起きて平気か?」
「うん……ちょっと、だるいだけ」
その時、入口の方が少し騒がしくなった。三人が目をやると舜平、彰、葉山が、広間に入ってくるところだった。
舜平は珠生と目を合わせると、安堵したように微笑んだ。珠生も、目を細めて少し笑う。
彰に何か耳打ちされ、舜平はすぐに部屋の奥へと進むと、その場に膝をついて座り込んだ。怪訝に思った珠生は、そちらへと向かう。
スーツ姿の人々に取り囲まれて横たわっているのは、吉田梨香子だった。
随分と長く猿之助に憑依されていたため体力の消耗が激しく、顔色も蒼白だ。珠生の背後にやってきた千秋と湊も、思わず息を呑んでいる。千秋の手が、珠生の上着の背中を握りしめた。
「……容態は?」
と、彰が手当をしていたマスクの男に尋ねた。その男も黒いスーツ姿だ。ジャケットを脱いでワイシャツの袖をまくっている。
「命には別状ありません。でも、目覚めるまでには時間が掛かりそうですね」
「そうか」
舜平はじっと、恋人だった梨香子の顔を見つめている。
勝気で我儘な目は閉じたままで、マスカラを塗った長い睫毛はピクリとも動かない。ふわふわとした茶色い髪は土煙に汚れ、白く埃っぽくなっている。胸の下から毛布をかけられており、そこはきちんと規則正しく上下しているのを見て、舜平は安心したように息をついた。
「……梨香子」
舜平がぽつりと、彼女の名を呟く。わけもなく、珠生はその姿にどきりとした。
舜平はこの女性と交際していたのだ。名を呼ぶことも、彼女に向かって笑いかけることも、身体を重ねたことだってあっただろう。分かっていたはずなのに。
しかし、今はそれを少し寂しく感じた。
そして、そう感じてしまった自分を少し恥じる。
舜平はそんな珠生の思いに気づくはずもなく、悔し気な表情を浮かべて呟いた。
「梨香子、ごめんな。怖い思いさせて」
「舜平のせいじゃないよ」
彰が静かにそう言った。舜平は首を振って、頬にかかる梨香子のカールした髪をよけてやる。
そんな舜平の行動にも、珠生の心は少なからず反応してしまう。千秋は背後から珠生の微かな動きを感じ取って、その端正な横顔を見つめた。
「これから先、俺を見るたびに、この記憶を思い出すんか?」
と、舜平は彰に尋ねた。
「……放っておけば、そうかもね」
「くそ……」
「それを防ぐためにも、舜平の記憶ごと彼女から消してしまおうと思ってる。君さえ良ければね」
「え?」
「付き合ってたんだろ? 消えてほしくない思い出だってあるんじゃないか?」
と、彰は舜平の隣に座って舜平を見つめた。
「……いや、いい」
「いいのかい?」
「この先一生、怖い思いするくらいなら、全部消してやってくれ。こいつは俺なんかおらんでも、余裕で生きていけるからな」
舜平は少し笑って、彰を見た。
「君がいいなら、そうさせてもらうよ。こちらとしても、そのほうが都合がいいからね」
彰は片手で印を結ぶと、梨香子の額に人差し指と中指で触れた。ぼう、と白い光が浮かび上がる。
目を閉じて、彰は小さく何かを唱え始めた。
誰かのために舜平が辛そうな顔をするところなど見たくはなかったのに、珠生は舜平から目を離すことができなかった。かつての恋人である女性を見つめる、舜平の横顔から。
こっちを見て欲しかった。
ぎゅ、と千秋が珠生の手を握る。
珠生ははっとして、千秋の方を見た。千秋は物言いたげな大きな目で、じっと珠生を見つめている。
珠生が「大丈夫」囁くと、千秋は珠生の肩に頭をもたせかけ、じっと梨香子と舜平のことを見下ろしていた。
「……終了だ」
彰は疲れたように、その場にへたり込む。背後に立っていた葉山が、慌てて彰の背中を支えた。
「後のことは私達がやります。ちゃんときれいに着替えさせて、身も清めて、何事もなかったかのようにしておくから」
葉山は彰の背中を支えたまま、舜平にそう言った。舜平は頷いて、「よろしくお願いします」と丁寧に頭を下げている。
自分の手を握る千秋の手を握り返して、珠生はそっとその場を離れた。
梨香子に心を砕く舜平を、これ以上見ていたくなかった。
37
お気に入りに追加
535
あなたにおすすめの小説
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは
竹井ゴールド
ライト文芸
日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。
その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。
青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。
その後がよろしくない。
青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。
妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。
長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。
次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。
三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。
四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。
この5人とも青夜は家族となり、
・・・何これ? 少し想定外なんだけど。
【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】
【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】
【2023/6/5、お気に入り数2130突破】
【アルファポリスのみの投稿です】
【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】
【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】
【未完】
傷だらけの僕は空をみる
猫谷 一禾
BL
傷を負った少年は日々をただ淡々と暮らしていく。
生を終えるまで、時を過ぎるのを暗い瞳で過ごす。
諦めた雰囲気の少年に声をかける男は軽い雰囲気の騎士団副団長。
身体と心に傷を負った少年が愛を知り、愛に満たされた幸せを掴むまでの物語。
ハッピーエンドです。
若干の胸くそが出てきます。
ちょっと痛い表現出てくるかもです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
Take On Me 2
マン太
BL
大和と岳。二人の新たな生活が始まった三月末。新たな出会いもあり、色々ありながらも、賑やかな日々が過ぎていく。
そんな岳の元に、一本の電話が。それは、昔世話になったヤクザの古山からの呼び出しの電話だった。
岳は仕方なく会うことにするが…。
※絡みの表現は控え目です。
※「エブリスタ」、「小説家になろう」にも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる