琥珀に眠る記憶

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第8章 決戦

5、終わりとその先

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 彰の巨大な術に目を奪われていた舜平は、腕の中でかすかに身じろぎした珠生のほうへ、すぐさま目線を移した。

「……珠生、おい、珠生」
「……しゅんぺ……いさん」
「目、覚めたか。良かった」
「ん……。ずっと……見てたよ。佐為と……業平様の……こと」
「そうか」
「……終わった、んだね」
「ああ、猿之助は……死んだ。完全にな」
「そ……っか」

 彰が珠生のもとへ駆け寄ってきた。建礼門から飛び降りてきた湊は、力を使い果たして膝をついていた藤原に肩を貸しながら、その後に続く。

「君は昔から、本当にいつもいいタイミングで現れるな」
と、藤原は疲れた声でそう言った。
「そんぐらいしか、お役に立てませんからね」
と、湊は笑う。

「珠生!」
 珠生の前に座り込むと、彰は不安げな表情で珠生の傷を見つめた。どくどくと流れる血が、白い砂利の上に赤い水たまりを作っている。
「……佐為、すごいね。あんなにきれいな術、見たことないよ」
 白くなっていく唇でそんなことを言う珠生を、彰は痛ましげに見つめながら首を振る。
「珠生……すぐに手当をしよう」
「いい、俺がやれば早い」
 珠生を抱えて、舜平が立ち上がる。
「とりあえず、止血だけはしたってくれ」
「……そうだね」
 彰も続いて立ち上がり、建礼門の中へと歩を進めていく。


 そんな中、藤原と湊は、尚も泣き続けている長壁弓之進の方へと歩み寄った。

 不意に目の前に現れた男二人を、弓之進は不安げに見上げている。



 +   +


 葉山の容赦ない止血に、珠生は歯を食いしばって呻いた。見ている舜平と彰の顔が歪む。
「……もうちょっと優しく出来ないのかな」
と、彰が文句を言う。
「黙って。こうしないと止まらないわ」
と、葉山は彰を睨んだ。
「……いいんです、だいじょうぶ……」
と、座布団の上に頭を載せた珠生が弱々しく呟く。
「さぁ、これでいいわ。治療を……」
 葉山が腕まくりをするのを、舜平が手で制した。
「舜平くんも疲れてるでしょう? 私がやるわ。術式もあるんだから」
「俺、珠生の気を高められるんです。応急処置になると思うから」
「え? そうなの?」
「だから……ここは俺だけでいいっす」
と、舜平は若干気恥ずかしげにそう言った。

「……ま、そうだよね。葉山さんは外で術式の準備だ。珠生の気が回復したらすぐにやるよ」
「でも、彰くんも休まないと……」
「じゃあ僕の手当をして下さい。ちょっと術を使いすぎて、掌が火傷でぼろぼろだから」
「……えぇ? そういうことは早く言いなさいよ。ほら、いらっしゃい」
 二人は連れ立って、紫宸殿から出ていく。珠生と二人になった舜平は、珠生の頬にそっと触れた。

「……千秋ちゃん、戻ってきたな」
「うん……良かった」
「ようやったな、珠生」
「うん……父さんとの約束、果たせたよ」
「ほんまやな」
 珠生は舜平を見上げて微笑んだ。その安堵しきった幼い笑顔に、否応なく舜平の心は引き寄せられる。 

「口、開けよ」
「はい……」
 薄く開いた珠生の乾いた唇を、舜平は唇で塞いだ。すうっと息を吹き込むと、珠生がそれを飲み込むように深く吸う。

 どくん、と珠生の心臓が力強く脈打つのが分かる。
 すると、ちろりと珠生の舌が舜平の唇の上を這った。驚いた舜平が少し顔を離して珠生を見下ろすと、珠生は薄く開いた目で舜平を見つめている。

「舜平……さん」
「どうした?」
「お前は本当に、美味だな」

 千珠の口調を真似て、珠生はそんなことを言った。やや血の気が戻り赤く染まった唇を、妖しく吊り上げて微笑みながら。
 その妖艶な美しさにどぎまぎさせられてしまったことを誤魔化すために、舜平はふっと勝気に笑ってみせる。

「そんなん、分かってるて。何回言われてきたと思ってんねん」
「……そうだね。……ねぇ、もう一回……して」
「ああ……」
 珠生に誘われるまま、舜平はもう一度、珠生に口付けた。珠生の傷ついていない方の腕が持ち上がり、舜平の首にするりと絡みつく。

 舜平は珠生と何度も唇を重ねた。互いの吐息を感じ合ううち、いつしか舌が絡まり合う。濡れた音が殿内に響き、珠生の呼吸に艶が増す。

「……んっ……ん」
 熱い息を漏らす珠生の声に、舜平の身体は否応なく反応しそうになってしまう。舜平は思わず身を引いて、うっとり自分を見上げている珠生のことをじっと見つめた。

 傷つきながら自分を求める珠生の姿は、今も昔も、如何ともし難いほどに美しい。舜平は頭を振って、珠生からそっと身を離す。このままでは、こんなところで珠生を抱いてしまいかねない。

「……どうや?」
「……すごく、気持ちいい」
「そ、そういう意味ちゃう! 体の傷のほうや!」
「え? あ、うん……ちょっとまし」
 珠生は、ぐっと身体に力を込めて半身を起こした。舜平は真っ赤になりつつも、ふらつく珠生の肩を支え、手を貸す。
「立てれば、問題ない」
「まだ無理ちゃうか?」
「でも、あんまり舜平さんの霊気を削るのも……」
「お前の妖気がないと、あの結界術は動かへんねんぞ。ええから、口開け。変な動きはすんなよ」
「……してないじゃん、何も」
「……。ええから、ほら、もう一回や」

 二人はもう一度、唇を重ねる。
 力強い舜平の気が、体中に満ちてくるのを感じた。あたたかく、心地いい舜平の気に包まれて、珠生はようやく、この戦いが終焉へと近づいていることを感じていた。


 ——これが終われば……舜平さんとの関係はどうなるんだろう。もう俺たちが会う必要なんて、なくなってしまう……。


 珠生は、ぎゅっと舜平の上着を握りしめた。舜平の唇が離れ、珠生はそっと目を開く。


 強い、黒い瞳がじっと珠生の目を見つめている。

 胸が高鳴る。苦しくなるほど、舜平のことが……。

「大丈夫か?」
「……はい」
 珠生は、すっと身体を起こしてみた。思いの外、身が軽いことに驚く。
「……立てる。よし、これならいける」
「そっか……よっしゃ、行こう」
 膝に手をついて、少しばかりふらつきながら立ち上がった舜平を見上げて、珠生もすぐに立ち上がった。
 そんな珠生の様子を見てほっとしたように微笑み、くるりと背を向けて紫宸殿を出て行こうとする舜平の上着を、珠生はとっさに掴んでいた。

「ん? どうした?」
「あの……、これが終わったら、俺たち……もう会うこともないのかな」
「え?」
「舜平さんは大学生だし。俺はまだ、高校生だし。……こんな事件でもなきゃ、会うこともなかっただろ。だからもう、これから先……」

 言葉を濁す珠生のことを、舜平はぐいと抱き寄せた。
 舜平の体温と匂いが、珠生をふわりと包み込む。

「そんなことないて。会おうと思えば、いつでも会える」
「……でも……」
「どうせ俺、先生にまた子守頼まれるやろしさ」
「うん……そうだね」
「それに俺は……これからも、お前と……」

 ふと、舜平が口ごもる。少し力の緩んだ腕の中から見上げると、頬をやや紅潮させた舜平が、熱い眼差しで珠生を見つめている。高鳴る鼓動を感じながら、珠生は小首を傾げた。

「……え?」
「あー……ええと、とにかく!! もう会わへんとか、そんなんありえへんて!」 
「あ……はい!」
「せやし、そんな可愛い顔で俺を見るな」
「かわ……」

 素直に寂しそうな顔をしている珠生が身悶えるほどに可愛く思え、思考がそのまま口から飛び出していた。珠生が軽く顔をひきつらせていることに気づくや、舜平はサッと身を離す。

 そして、誤魔化すようにごほんと咳払いをした。

「ほ……ほな、行こう。皆が待ってる」
「へへ……。はい」

 舜平の言葉に安堵したのか、珠生が柔らかな笑顔を見せた。まばゆく愛らしい笑みに、舜平の表情も自然とほころぶ。

 そして二人は肩を並べて、紫宸殿の扉に手をかけた。
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